第11話「暗号の影」
バー「Nexus」の静寂が、カクテルシェイカーを振る音で破られる。俺は、まるで自分の混沌とした思考をかき混ぜるかのように、シェイカーを激しく振っていた。金属製のシェイカーが放つ冷たい輝きは、この夜の雰囲気とは不釣り合いなほどに鮮やかだ。今夜も客は少なく、カウンターには数人しか座っていない。まるで、俺の頭の中の空虚さを反映しているかのようだ。店内の薄暗い照明が、壁に映る人々の影を不自然に長く伸ばしている。その光景は、俺の心の中の不安の影を象徴しているようで、思わずため息が漏れる。
「よう、ユキト! 相変わらず真剣な顔して、カクテル作ってんな。まるで世界の命運がそのシェイカーの中にあるみてえだぜ」
その声に、俺は思わずシェイカーを落としそうになった。振り向くと、そこにはマリカーがいた。相変わらずの軽薄そうな笑みを浮かべて、まるでこの妙な雰囲気など気にも留めていないかのように。
「おう、マリカー。来てくれたのか」
俺は軽く頷きながら、内心では安堵のため息をついていた。まるで、長い間溺れていた海で、ようやく救命ボートを見つけたような気分だ。マリカーの存在が、この不可解な状況に一筋の光を差し込んでくれるような気がした。
「そりゃあ、親友が『少し奢るから』って言うんだから、来ないわけにはいかねえだろ」マリカーは笑いながらカウンターに座った。その仕草は、まるで自分の椅子に座るかのように自然で、このバーの雰囲気に完璧に溶け込んでいた。「それに、お前が俺の知恵を借りたいなんて言うもんだから、さぞかし世紀の大発見でもしたのかと思ってな。どれどれ、ボトルの中から魔人でも出てきたか?」
「ああ...まあ、言ってみれば、な」俺は少し言葉を濁した。どこから話せばいいのか、まるで千切れたパズルのピースを並べ直すように、言葉を選んでいく。「実は...」
俺は、この数日間の出来事を話し始めた。カレー屋のオヤジのこと、マヤの占い、そして水晶と暗号文のこと。話せば話すほど、自分でも馬鹿げているように感じる。まるで、B級ミステリー小説の主人公になったような気分だ。時折、客の方をちらりと見やりながら、声のトーンを落として話を続ける。この話を他の誰かに聞かれたら、俺は間違いなく精神科医行きだろう。
「...ってことなんだ」
話し終えると、マリカーは目を丸くして俺を見つめていた。まるで、俺の頭に第二の頭が生えてきたかのような視線だ。その表情は、驚きと懐疑、そして少しばかりの心配が入り混じったような複雑なものだった。
「お前さあ...」マリカーは言葉を選びながら話し始めた。「最近、頭でも打ったか?それとも、俺にドッキリでも仕掛けようってわけ?」
「いや、そりゃないだろ」俺は苦笑いしながら答えた。その表情は、まるで胃に長年溜まっていた石ころを吐き出したような、複雑なものだった。「俺だって、自分でも信じられないんだ。でも、これが事実なんだ。まるで、俺の人生っていうカクテルに、誰かが見えない材料を勝手に混ぜ込んだみたいでな」
俺はポケットから水晶と暗号文を取り出した。まるで、爆弾の起爆装置を扱うかのような慎重さで。水晶は、バーの薄暗い照明を受けて、不思議な輝きを放っている。まるで、この謎めいた状況を楽しんでいるかのようだ。
「ほら、これがその水晶と暗号文だ」
マリカーは、まるで毒蛇でも見るかのような警戒心を持って、それらを覗き込んだ。彼の目は、水晶の輝きに釘付けになっている。まるで、その中に何か答えでも隠されているかのように。
「へえ...」彼は首を傾げながら言った。水晶を手に取り、あちこち回して見ている。「確かに、ただの石ころには見えねえな。でも、こんなもんが本当に何かの鍵になるのか?まるで、お前の脳みそがこの水晶みたいに透き通っちまったみてえだぜ」
「俺にも分からんよ。だからこそ、お前の意見が欲しかったんだ。二人で考えれば、この混沌としたカクテルの味が少しは分かるかもしれないと思ってな」
「まあ、そうだな」マリカーも少し笑みを浮かべた。その表情は、困惑と興味が入り混じったような、複雑なものだ。「いや、ユキト。お前に分かんねえもんが俺に分かるわけねえんだけどな。俺だって、こういう超常現象みてえなもんには縁がねえんだぜ。大学時代に占いサークルの女の子に告白して振られて以来な」
その言葉に、俺は思わず笑ってしまった。その笑い声は、この数日間で初めて出た、心からの笑いだった。「そりゃそうだ。でも、二人で考えれば何か見えてくるかもしれないと思ってさ。お前の脳みそと俺の脳みそを混ぜれば、何かいいカクテルができるかもしれないだろ?」
「まあ、そうだな」マリカーも少し笑みを浮かべた。その笑顔は、まるでこの不思議な状況を楽しんでいるかのようだ。「じゃあ、その暗号文ってのを見せてみろよ。俺の目で確かめてやるぜ」
俺は紙切れを広げ、カウンターの上に置いた。そこには、意味不明な文字列が書かれている。まるで、酔っぱらいがアルファベットスープをぶちまけたかのような文字の羅列だ。
「HLJD FOZP UYQ GOZP. YPVGW VRGCYI.」
「なんだこりゃ」マリカーは眉をひそめた。その表情は、まるで目の前に外国語で書かれた哲学書でも置かれたかのようだ。「まるで、酔っぱらいが書いた落書きみてえだな。お前、これマジで意味あんのか?」
「俺にも全く見当がつかない。まるで、俺の人生の意味を暗号化したみたいだ。解読できそうで、でも全然見当もつかない」
二人で暗号文を眺めていると、マリカーが突然何かを思い出したような表情を見せた。その目は、まるで遠い記憶の中に何かを見つけたかのように輝いている。
「あ、そういや...」
「ん? どうした?」俺は、まるで救世主でも現れたかのような期待を込めて尋ねた。
「いや、これを見てたら思い出したんだけどさ」マリカーは少し考え込むような表情を見せた。その姿は、まるで記憶の海から貴重な真珠を拾い上げようとしているかのようだ。「俺が大学時代に入り浸ってた対戦ゲーム界隈に、こういう暗号化文とかに詳しそうな奴がいたんだよ。まるでコンピューターと会話でもしてるみてえな奴でよ」
「へえ」俺は少し身を乗り出した。「どんな奴なんだ?」
「ピ…いや、佐々木って奴なんだけどな」マリカーは懐かしそうに言った。その目は、まるで過去の映像を見ているかのように遠くを見つめている。「一流大学のコンピューターサイエンス専攻で、頭がめちゃくちゃ良かったんだ。暗号とかハッキングとか、そういうのに詳しくてさ。まるで、コンピューターの中に住んでるみてえな奴だったよ」
「ほう...」俺は興味深そうに聞いていた。「その佐々木って人、まだ連絡取れるのか?」
「ああ、たまにSNSでやり取りしてるよ」マリカーは頷いた。「最後に会った時は、まだ普通の会社員やってたけどな。もし良ければ、この暗号文のこと、佐々木に聞いてみようか?あいつなら、この酔っぱらいの落書きみてえな文字列も、なにか分かるかもしれねえぜ」
俺は一瞬躊躇した。見ず知らずの他人を巻き込むのは気が引けた。しかし、この謎を解くためには、あらゆる手段を使う必要がある。そう、まるでカクテルの新しいレシピを開発するように、様々な材料を試す必要があるんだ。俺の頭の中で、慎重さと好奇心が激しくぶつかり合う。
「...ああ、頼む」俺は決意を込めて言った。「佐々木さんの力を借りられれば、何か手がかりが見つかるかもしれない」
マリカーは満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、まるで宝の地図を手に入れた海賊のようだ。「よっしゃ、じゃあ早速連絡してみるわ。お前の人生の暗号、解読してやるぜ!」
彼がスマートフォンを取り出し、メッセージを打ち始める様子を見ながら、俺は深いため息をついた。この暗号文が解読できれば、全ての謎への扉が開くかもしれない。しかし同時に、その扉の向こうに何が待ち受けているのか、俺にはまだ想像もつかない。まるで、未知の材料で作るカクテルのように、その結果は予測不可能だ。
しかし、バーテンダーとしての俺の直感が告げている。この「カクテル」は、俺の人生を大きく変えるものになるだろうと。それは、甘美な味わいなのか、それとも苦い後味なのか。その答えは、まだ霧の向こうに隠れている。
店内の静寂の中、マリカーのスマートフォンのキー音だけが響く。その音は、まるで俺たちの新たな冒険の序曲のようだった。俺は、カウンターの奥に並ぶボトルたちを見つめる。それぞれのボトルが、まるで俺の人生の謎を象徴しているかのように思えた。そして、その謎を解くカギが、今、俺たちの手の中にある。
この夜が明けるころには、俺の人生という名のカクテルに、新たな風味が加わっているかもしれない。その予感と共に、俺は静かにグラスを磨き始めた。まるで、これから起こる出来事に備えるかのように。
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