第7話「神秘の老婆」
「カエデ、正直に答えてくれ」俺は真剣な眼差しで妹を見つめた。「本当に、この占い...信じているのか?」
カエデは一瞬、言葉に詰まった。その瞳には、迷いと確信が交錯しているのが見て取れる。「わたし...」彼女は言葉を選びながら続けた。「マヤさんの言葉には、何か特別なものを感じたの。単なる占いじゃない気がして...」
俺は深いため息をついた。その息は、まるで長い間抱えていた疑問を吐き出すかのようだった。「分かった。だからこそ、俺も自分の目で確かめたいんだ」
立ち上がり、窓際に歩み寄った。外は既に深い闇に包まれ、街灯だけが孤独に光を放っている。その光景が、今の自分たちの状況と重なって見える。暗闇の中で、かすかな希望の光を探しているような、そんな感覚だ。
窓ガラスに映る自分の姿を見つめながら、思わず苦笑いを浮かべた。「まったく、俺たち兄妹も変な境遇だよな」と呟く。「バーテンダーの兄貴と、占い好きの妹か。まるで、ウイスキーとハーブティーを無理やり混ぜようとしているようなもんだ」
カエデは少し困惑した表情を浮かべながら、「お兄ちゃん、またそんな変な例え...」と言いかけたが、ふと思い出したように口を開いた。「そういえば、お兄ちゃんが大学で心理学を学んでた頃のこと、よく話してくれたよね」
ユキトは懐かしそうに微笑んだ。「ああ、そうだったな」彼は窓から離れ、ゆっくりとソファに腰を下ろした。「覚えているか?俺がよく口にしていた言葉」
カエデは少し首を傾げた。「うーん...なんだっけ?」
「『人間の行動には、必ず理由がある。しかし、その理由は往々にして本人にも分からないものだ』」ユキトは教授の言葉を思い出すように呟いた。「これは、俺がよく覚えている言葉なんだ」
彼は妹の方に向き直った。「カエデ、お前やミサキが占いに惹かれる理由も、きっとどこかにあるはずだ。単純に当たるか当たらないかじゃない。もっと深い、心理的な何かがあるんじゃないかって思うんだ」
カエデは黙ってうなずいた。その表情には、兄の言葉を真剣に受け止めようとする意志が見えた。
「実は...」カエデは少し躊躇いながら言葉を続けた。「最近、自分の将来のことで悩んでいて。アイドルになりたいって思いがあるんだけど、自信がなくて...」
ユキトは驚いた表情を浮かべた。「アイドル?お前が?」
カエデは頬を赤らめながら頷いた。「うん...でも、なかなか勇気が出なくて。そんな時に、マヤさんの占いで『あなたには輝く才能がある』って言われて...」
「なるほど」ユキトは理解したように頷いた。「だから占いに惹かれているのか」
「うん...」カエデは小さく呟いた。「でも、これって単なる逃避なのかな...」
ユキトは優しく妹の肩に手を置いた。「いや、それは違う。お前なりに答えを探そうとしているんだ。ただ、その方法が占いだっただけさ」
彼は立ち上がり、キッチンに向かった。「少し待ってろ」
数分後、ユキトは二つのグラスを持って戻ってきた。「はい、これ」
カエデは不思議そうにグラスを受け取った。「これは...?」
「特製のノンアルコールカクテルさ」ユキトは笑いながら言った。「右がお前で、左が俺だ」
カエデのグラスには、淡いピンク色の液体が入っている。一方、ユキトのグラスの中身は濃い琥珀色だ。
「飲んでみろ」ユキトは促した。
カエデが一口飲むと、甘酸っぱい味が広がった。「美味しい...」
ユキトも自分のグラスを傾けた。「俺のは、ビターな味だ。でもな、カエデ。この二つの味は、決して相反するものじゃない」
彼はグラスを掲げた。「俺たちは違う味を持っているかもしれない。でも、同じ兄妹として、互いを理解し、支え合うことはできる。お前の夢も、俺の疑問も、全部含めてだ」
カエデの目に涙が浮かんだ。「お兄ちゃん...」
「だから」ユキトは続けた。「俺も一緒に行って、その占い師...マヤさんという人を見てみたい。お前たちが何に惹かれているのか、この目で確かめたいんだ」
カエデの目に、小さな涙が光った。「お兄ちゃん...」彼女は小さく呟いた。「ありがとう。わたし、ちょっと怖かったの。この話、お兄ちゃんにどう伝えればいいか...」
ユキトは優しく微笑んだ。「心配するな。俺たちは兄妹だろう?何があっても一緒に乗り越えていこう」
二人は顔を見合わせ、静かに頷き合った。その瞬間、兄妹の間に新たな絆が生まれたような気がした。長年の信頼関係が、新たな試練を前にさらに強固になったかのようだ。
翌日、ユキトとカエデは「占いの館マヤ」に向かっていた。朝からどんよりとした曇り空で、時折小雨が降っている。ユキトは「まるで、これから起こる出来事を予言しているかのような天気だな」と心の中で呟いた。
街を歩きながら、ユキトは妹の表情を密かに観察していた。カエデの目には期待と不安が入り混じっているのが見て取れる。時折、彼女は空を見上げては深いため息をついている。
「カエデ、本当に大丈夫か?」ユキトは優しく声をかけた。
カエデは小さく頷いた。「うん...大丈夫。お兄ちゃんが一緒だから」
その言葉に、ユキトは複雑な思いを抱いた。妹を守りたい気持ちと、この状況の不可解さへの疑念が心の中で衝突している。まるで、スパイスの効いたカレーを食べた後の胃の中のような、複雑な味わいだ。...いや、今はそんな比喩を考えている場合じゃない。
「ねえ、お兄ちゃん」カエデが突然口を開いた。「もし...もし私が本当にアイドルになれたら、応援してくれる?」
ユキトは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しく微笑んだ。「当たり前だろ。俺がお前の専属バーテンダーになってやるよ。ライブの後は特製カクテルで喉を潤すんだ」
カエデは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、ユキトは心の中で決意を新たにした。妹の夢を守るためにも、この占いの真相を明らかにしなければならない。
二人が「占いの館マヤ」に到着したとき、ユキトは思わず眉をひそめた。古びた洋館風の建物は、まるで時間が止まったかのような雰囲気を醸し出している。「まるで、B級ホラー映画のセットみたいだな」と心の中でつぶやく。
玄関のドアを開けると、香の匂いが鼻をくすぐった。薄暗い室内には、不思議な雰囲気が漂っている。壁には星座や占星術の図が飾られ、棚にはパワーストーンや占いの本が並んでいる。
ユキトは警戒心を解かないまま、周囲を観察した。「まるで、現実世界から切り離された空間みたいだ」と思う。その時、彼の目に奇妙な置物が飛び込んできた。それは、片目が欠けた古びた人形だった。「なんだ、あれは...」と思わず呟いてしまう。
「いらっしゃい」
突然聞こえた声に、ユキトは驚いて振り返った。そこには、白髪の老婆が立っていた。それがマヤだった。
「お待ちしていましたよ」
マヤは穏やかな微笑みを浮かべながら、二人を奥の部屋へと案内した。その歩み方は、まるで床に足が触れていないかのように軽やかだった。
部屋に入ると、中央に丸テーブルが置かれ、その上には水晶が鎮座している。マヤは二人をテーブルの前に座らせると、自身も椅子に腰掛けた。
「さて、今日はどのようなご相談でしょうか」
マヤの声は低く、どこか神秘的な響きを持っていた。ユキトは警戒心を解かないまま、マヤをじっと見つめた。彼の頭の中では、心理学の知識と直感が激しくぶつかり合っている。「この状況を冷静に分析しなければ」と自分に言い聞かせる。
マヤはユキトの方をゆっくりと向いた。その目には、何か不思議な光が宿っているように見えた。
「さて、今日はどのようなご相談でしょうか...ユキトさん」
マヤの言葉に、ユキトは思わず息を呑んだ。この老婆、なぜ俺の名前を知っている?カエデの顔を見ると、妹も同じように驚いた表情をしていた。
「お兄ちゃん...」カエデが小声で言う。「私、マヤさんにお兄ちゃんの名前は一度も...」
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