第3話「友人との再会」

夢の中で、俺はまたあのカレー屋にいた。しかし、店内は歪んでいて、壁や天井が不自然に伸び縮みしている。オヤジの姿は影のように揺らめき、その声が反響して聞こえてくる。


「ユキトサン...ソノ 心ノ 奥ニアル モノヲ...見ツケル 必要アル」


目が覚めると、額に冷や汗をかいていた。時計を見ると、まだ朝の5時だ。


起き上がり、窓を開ける。朝もやの立ち込める街並みが目に入る。昨夜の満月は消え、代わりに薄明るい空が広がっている。


深呼吸をして、頭を整理する。夢の意味を考えていると、ふと学生時代に受けた「夢分析」の講義を思い出した。夢は無意識からのメッセージだと教わったが、その解釈は個人の経験や文化的背景によって大きく異なる。今の俺には、この夢が何を意味するのか、まだ理解できない。


朝食を準備しながら、昨夜の夢の意味を考える。「心の奥にあるもの」...それは一体何なのか。本当の自分の願望?それとも、隠された真実?


トーストを噛みながら、カエデのメモをもう一度読む。妹の占い熱の裏には、何か理由があるのかもしれない。彼女の心の奥底にある本当の気持ちを、俺は理解できているだろうか。


その思いが頭をよぎると、ユキトは朝食の片付けを終えたばかりの台所から、ふとリビングの窓際に歩み寄った。外は既に明るく、朝日が街並みを優しく照らしている。休日の朝の静けさが、彼の心を落ち着かせると同時に、何か新しいことを始めたいという衝動を呼び起こす。


普段とは違う角度から、カエデのこと、そしてあのカレー屋の謎について考えてみよう。そんな決意が、ユキトの中で静かに芽生え始めていた。


朝食を終え、ユキトは落ち着かない気持ちで部屋の中をうろついていた。頭の中では、カレー屋のオヤジの不可解な行動と、あの金属の札のことが、まるでミキサーにかけられたスパイスのように混ざり合い、渦を巻いている。そして、そこにカエデの占い熱という味の濃いスパイスが加わり、ユキトの頭の中は完全にカオス状態だ。


窓の外を見れば、朝日がすっかり昇り、街が活気づき始めている。突然、ユキトは部屋に閉じ込められているような息苦しさを感じた。休日の朝という貴重な時間が、彼を外へと誘っているようだった。


「少し、外の空気を吸ってくるか」


ユキトは呟きながら身支度を始めた。頭の中では、カエデのこと、カレー屋の謎、そして自分の将来への不安が、まるでスパイスを調合するように混ざり合っている。


軽く上着を羽織って外に出ると、朝の澄んだ空気が肺に染み渡る。街は既に目覚め、人々が行き交い始めている。その光景を見ていると、じっとしていられなくなった。


「少し、歩いてみるか」


そう決意して、ユキトは目的もなく歩き始めた。普段とは違う角度から見る街の風景が、新鮮に映る。カフェから漂うコーヒーの香り、パン屋から届く焼きたてのパンの匂い。そして、ふと鼻をくすぐるスパイスの香り...。


「ん?」


ユキトは立ち止まった。その香りは、どこか「スパイス・オラクル」を思い起こさせる。無意識のうちに、彼の足はその香りの源へと向かっていた。


朝もやの中を歩き始めると、街はまだ眠りの中にいるようだった。普段は喧噪に満ちているはずの通りも、今は静寂に包まれている。その静けさの中で、ユキトの足音だけが妙に響く。まるで、この世界にユキトだけが取り残されたかのような錯覚さえ覚える。


歩きながら、ユキトは思索にふけった。カレー屋の謎。オヤジの正体。あの金属の札。そして、カエデの占い熱。全てが複雑に絡み合い、まるで解けない方程式のようだ。


「おい、ユキト?」


突然聞こえた声に、ユキトは驚いて振り向いた。そこには、学生時代からの親友、ケイタ、通称マリカーが立っていた。


「マリカー?お前、こんな時間に何してんだ?」


マリカーは軽く手を振りながら答えた。「朝のジョギングさ。最近始めたんだ。お前こそ、珍しいじゃないか」


ユキトは少し困惑した表情を浮かべる。「ああ、なんとなく...散歩しようと思って」


「へえ、お前が朝散歩かぁ。世も末だな」マリカーは冗談めかして言った。


二人は並んで歩き始めた。


「で、どうしたんだ?」マリカーが尋ねる。「なんか悩み事でもあるのか?」


ユキトは少し躊躇った後、ため息をついた。「ああ、まあ...妹のことでちょっとな」


「カエデちゃんか。どうかしたのか?」


ユキトは簡単に状況を説明した。カエデの占い熱のこと、そして最近の様子が気になることを。


マリカーは真剣な表情で聞いていた。「なるほど...。確かに心配だな」


「お前なら、どうする?」ユキトは友人の意見を求めた。


マリカーは少し考えてから答えた。「うーん、直接話してみるのが一番かもな。でも、押し付けがましくならないように気をつけるべきだと思う」


ユキトは頷いた。「そうだな...。ありがとう、マリカー」


二人はしばらく黙って歩き続けた。そして、公園に着いたところで、マリカーが提案した。


「なあ、ユキト。せっかくだし、朝飯でも食おうぜ。久しぶりにゆっくり話そう」


ユキトは少し迷ったが、結局同意した。「ああ、そうだな。付き合うよ」


二人は近くの古びた喫茶店に入った。店内は木の温もりが感じられる落ち着いた雰囲気で、朝の柔らかな日差しが窓から差し込んでいる。ユキトとマリカーは、学生時代によく使っていた隅のボックス席に腰を下ろした。


「ここ、変わってないな」マリカーが懐かしそうに周りを見回す。


「ああ」ユキトも同意する。「相変わらず、マスターのヒゲも伸び放題だし」


二人は顔を見合わせて笑った。注文を済ませると、自然と学生時代の思い出話に花が咲いた。


「覚えてるか?あの心理学の教授の口癖」マリカーが言う。


ユキトは即座に応じた。「ああ、『人間の行動には必ず理由がある。しかし、その理由は往々にして本人にも分からないものだ』だろ?」


「そう、それそれ!」マリカーが大きく頷く。「お前、相変わらず記憶力いいな」


「いや、あれは印象に残ってるってだけさ」ユキトは少し照れくさそうに答えた。


マスターが注文した食事を運んでくる。ユキトのホットサンドとマリカーのオムライス。二人が「いただきます」と言うと、マスターは昔と変わらない温かい笑顔で頷いた。カレー屋のオヤジの怪しさとはえらい違いだ。まるで昼と夜ほどの差がある。ん?そのまんまじゃないか。ユキトはおもわずその対比に苦笑してしまった。


食事をしながら、話題は現在の仕事のことへと移っていった。


「で、お前今どうなんだ?」マリカーが真剣な表情で尋ねる。「バーテンダー、楽しいのか?」


ユキトは少し考えてから答えた。「まあ、悪くはないよ。人々の喜怒哀楽を間近で見られるのは面白いし」


「でも?」マリカーが続きを促す。


「でも...なんていうか、これでいいのかなって思うことはあるな」ユキトは正直に答えた。


マリカーは理解したように頷いた。「分かるよ。俺だって今の仕事、本当にやりたいことなのか分からなくなることあるし」


「お前も悩んでんのか」ユキトは少し驚いた様子で言った。


「まあな」マリカーは肩をすくめる。「でも、お前がいつも言ってたじゃないか。『人生は長い旅みたいなもんだ』ってさ」


ユキトは思わず笑みがこぼれた。「ほう、俺がそんなこと言ってたか?」


「言ってたよ、めちゃくちゃ真面目な顔でな」マリカーもにやりと笑う。「あの頃の俺たち、人生について色々語り合ったよな」


「ああ」ユキトは懐かしそうに答えた。「夜中まで屋上で星を見ながら、世界の謎について語り合ったりな」


「そうそう!」マリカーが勢いよく言う。「あの時の約束、覚えてるか?」


ユキトは少し考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。「ああ...『いつか、俺たちの手で世界を少しでも良くしよう』だったか」


「そう、それだ」マリカーの目が輝いた。「あの頃の夢、俺まだ諦めてないぜ」


ユキトは少し複雑な表情を浮かべた。「俺は...正直迷ってる」


マリカーはユキトの肩を軽く叩いた。「大丈夫だって。お前なら絶対に道を見つけられる。俺が保証する」


その言葉に、ユキトは心の中で温かいものが広がるのを感じた。


「ありがとう、マリカー」ユキトは真摯な表情で言った。「お前と話せてよかったよ」


「いつでも相談に乗るからな」マリカーは真剣な眼差しで答えた。「俺たち、昔から二人三脚だったじゃないか」


ユキトは少し照れくさそうに笑いながら応じた。「おいおい、そんな熱い友情を語られても困るぜ。俺たちゃ、ただのカクテルみたいなもんだ。時々混ざり合って、お互いを引き立て合う...なんて、キザなセリフ言ってくれちゃったじゃないか」


マリカーは大笑いした。「お前らしいな、ユキト。相変わらずバーテンダーらしい例えだ」


時間が過ぎるのを忘れるほど話し込んだ後、ユキトは時計を見て驚いた。既に昼を回っていた。


「おっと、こんな時間か。俺そろそろ帰らないと」


マリカーも立ち上がった。「俺も仕事の準備しないとな。また今度飲みにでも行こうぜ」


二人は別れ際、固く握手を交わした。その握手には、言葉では表現できない深い絆が込められていた。


「ありがとうな、マリカー。話せてよかったよ」


「いつでも相談に乗るからな。友達ってそういうもんだろ?」


ユキトは軽く手を振り、家路についた。予想外の再会と深い会話で、頭の中はまだ混乱していたが、心が大きく軽くなったのを感じていた。マリカーとの絆が、今も変わらず強く存在していることを実感し、それが大きな支えになっていた。

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