エピソード 4ー6

 孤児院まであと少しと馬車を急がせる。雨の夜道は視界が悪く、魔術の灯りを駆使しても馬車の速度を上げることは敵わない。

 こんな日は、私が孤児院へ駆け込んだ日のことを思い出す。


 六年前のあの日、私とお母様の乗る馬車が襲撃された。

 お母様の手によって逃がされた私は、街道をひたすら走り続けた。休憩を挟みながらも宿場町には立ち寄らず、いま暮らしている孤児院のある街まで丸二日ものあいだ走り続けた。

 これが、私が捜索網に引っ掛からなかった理由の一つだ。


 あの日に感じたのと同じ嫌な予感がする。私とお母様が襲撃されたときのことが脳裏をよぎり、言いようのない恐怖を抱く。子供達が無事でいて欲しいと強く願った。


 もちろん、対策はしている。敵はあのときほど脅威じゃないし、もしものときの護衛もつけている。それに、私が帰るまでに襲撃があるとは限らない。

 十中八九は大丈夫。だけど、万が一の可能性が拭えない。


 そして沈黙する私。いつからか、セイル皇太子殿下も言葉を発していない。アイシャも主を気遣ってか、ずっと沈黙を守り続けている。


 息苦しい時間が続く。そして、馬車はようやく街の中へと入った。わずかな時間が永遠のように感じられ、じれったい時間が続く。そしてついに馬車は孤児院のまえに到着した。


 外から聞こえてくるのは激しい雨音だけだ。だけど、嫌な予感が拭えない。むしろ、さっきよりも大きくなっている。護身用の短剣を手荷物から取り出して馬車の扉を開けると、冷たい風が吹き込んできた。私は息を整えて馬車から飛び降りた。

 その瞬間、アイシャが慌てた様子で声を掛けてくる。


「アリーシャさん、武器なんて持ってなにをするつもりですか?」

「二人はそこにいてください、少し様子を見てきます」

「ちょっと、待って」


 アイシャが引き留めようとするけれど、私はそれを無視して、雨に濡れた髪を払いながら孤児院へと駆け寄った。正面からではなく、あの日と同じように中庭へと回り込む。

 すると、エミリアの部屋の窓が明け放れていた。

 部屋の中は真っ暗だけどたしかに気配がある。それがエミリアかどうかは分からない。でも、エミリアがいるのなら、こんな雨の中で窓を開けっぱなしにするはずがない。

 ……やっぱり、なにかあったのね。


 最悪の情景が脳裏をよぎり、恐怖に身がすくみそうになる。

 私は冷たい雨に打たれながら足音を殺して窓に駆け寄り、窓枠に手を掛けて中に踏み込んだ。部屋の中は暗く、冷たい空気が漂っている。

 目を凝らすと、家具が乱雑に倒れているのが見えた。刹那、目前に迫る銀光。とっさに短剣を振るえば、きぃんと高い金属音が鳴り響いた。


「……アリーシャ?」

「その声……カイ?」


 短剣を振るったのはカイだった。カイがエミリアの部屋に忍び込んでいる。その鋭い目つきと緊張した表情が、彼の警戒心を物語っていた。

 その理由を考えた私は一つの可能性に行き当たった。


「……エミリアに夜這いをしたの?」

「ぶっとばすぞ」


 冗談の通じない奴と舌打ちしつつ周囲に視線を向ける。床に縛られて転がる男の姿がいくつもあった。


「襲撃があったのね。子供達は?」

「院長室に避難している。襲撃から結構な時間が経っているから、たぶんもう大丈夫――」


 カイが言葉を途中で飲み込んだ。窓の外から複数の気配が近づいてきたからだろう。


「あれは大丈夫。護衛を連れたセイルさんよ」


 私がそう告げるのとほぼ同時、「アリーシャ、なにがなにがあった!?」とセイル皇太子殿下の声が聞こえてくる。私は「もう大丈夫です」と答えた。


「……もう大丈夫? なにかあったと言うことか?」


 窓の外からセイルが顔を覗かせる。


「ええ、襲撃があったようですが、犯人は既に拘束済みです。玄関を開けさせるので、お二人はそっちへ回っていただけますか?」

「……ああ、分かった」



 カイに玄関を開けてセイル皇太子殿下達を出迎えるようにお願いして、私はエミリア達がいるという院長室へと足を運ぶ。廊下を歩いていると、雨音が聞こえてくる。冷たい夜の空気が肌に触れるたびに、今日の出来事が現実であることを実感させられた。


「みんな、大丈夫?」

「……誰?」

「私、アリーシャよ」


 直後、中からバタバタと音が聞こえてきた。それからほどなく、なにかを引きずるような音が聞こえて、しばらくして扉が開いた。


「アリーシャ! いつ帰ってきたの? 外はどうなっているの!?」


 扉の向こうにはエミリアの不安そうな顔があった。


「私が帰ってきたのはたったいま。それと……外はもう大丈夫だよ、ただ、掃除が終わってないから、もう少し待っててくれる?」


 そういってエミリアに目配せをする。出来れば、子供達には襲撃者が倒れているような現場を見せたくはない。それをなんとなく察したのか、エミリアは神妙な顔をした。


「分かった、もう少しここにいるね。アリーシャ、その……本当に大丈夫なのね?」

「ええ、大丈夫。灯りをつけてもいいし、部屋でなら騒いでても平気よ」


 そんな話をしていると、そこにアイシャがやってきた。私の代わりに子供達を見ていてくれるとのことで、後を任せて私は応接間へと向かう。


 雨音が遠くで響く中、余韻による緊張感が漂っていた。ここにいるのは私とカイ、それにセイル皇太子殿下の三人だ。

 まずは、セイル皇太子殿下が口を開く。


「御者に警備隊を呼びにいかせた。すぐに部隊を派遣してくれるだろう」

「……それは、大丈夫なんですね?」


 その警備隊は信用できるのかと遠回しに尋ねる。


「エリオに直接、指示を出すように言ってある」

「そうですか……ありがとうございます」


 これで、ひとまずは安心だ。

 だが、セイル皇太子殿下はところで――と、カイに視線を向けた。


「外にも何人か倒れていたが、あれもおまえがやったのか?」

「外? いや、それは俺じゃない」


 外に第三者がいた可能性が発覚して二人のあいだに緊張が走る。


「……それについては心当たりがあります」


 私がそう答えると、セイル皇太子殿下がもしやという顔をした。


「ノウリッジが護衛を配置していたのか?」

「まぁそんなところです」


 カルラの手の者が、セイル皇太子殿下にバレない範囲で動いてくれたのだろう。そう判断した私は曖昧な答えを返しておく。それからほどなく、警備隊の部隊が到着。孤児院の周囲を警備してくれることとなり、この件はひとまずの収束を迎えた。

 

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