エピソード 4ー1

 いきなり抱きつかれながら母と名乗られ、私は反射的に人違いだと叫んでしまう。けれど、カタリナ叔母様はそんな私に向かって満面の笑みを浮かべる。

 その笑顔には長年の苦労と、それが報われたという喜びが感じられた。


「エヴァお姉様の娘、ようやく見つけることが出来た」

「ひ、人違いです」


 動揺しながら答える。けれど「それは嘘ね」と真っ向から否定されてしまった。


「私はお姉様と似ているの。貴女が母親の面影を覚えていれば、見間違ったっておかしくないくらいにね。だから、とっさに人違いという言葉は出てこない」


 それはその通りだろう。だけど、私はエヴァの娘を名乗るつもりはない。


「わ、私は母の顔を覚えていないので、だから、驚いてしまったんです」

「言い訳にしてはお粗末ね。その場合はもしかしたらという心理が働くから、人違いという言葉は出てこないわ。素直に信じるか、私が本物かたしかめようとするはずよ」


 理論的に否定されて言葉が出ない。

 というか、私が失言するように、あんな衝撃的な登場の仕方をしたのね。いまさらだけど、カルラとは違うタイプの恐ろしい女性だ。

 言い訳を探す私に、カタリナ叔母様はさらに言葉を続ける。


「ほかにもいくつかのパターンが考えられるけど、どのパターンも最初に人違いという言葉が出てくることはないわ。たった一つの可能性を除けば、ね」


 完全に逃げ場がない。チェスでチェックを取られ続け、じわじわとチェックメイトに向かって追い込まれているような心境。私は彼女の言葉に肯定も否定も出来ない。

 そして――


「貴女は最初からすべてを知っていて、私に姪っ子じゃないかと問われたら、人違いだと答えるつもりだったのでしょう?」


 見事にチェックメイトを掛けられた。

 カタリナ叔母様の言うとおりだ。身構えてから姪っ子だと指摘されたなら、のらりくらりと否定して切り抜ける自信があった。なのに、初手の不意打ちですべてをぶち壊しにされた。

 さすが、私に社交界での立ち回りを教えてくれただけのことはある。


「心配しなくても、私は貴方の味方よ」


 そう口にする彼女の瞳には深い愛情と憂いが浮かんでいた。推理が間違っていることを不安に思ってる訳じゃない。私に否定されることを恐れているのだ。


 ……無理だよ。カタリナ叔母様は六年ものあいだ、私の行方を探し続けてくれていたんだよ? そんな彼女を信用できないなんて、たとえ嘘でも言いたくない。

 それに――と、素早く算段を立てる。


 私が絶対に阻止しなくてはいけないのは皇族に復帰する流れだ。カタリナ叔母様に正体がばれても、口止めをすることが出来れば私の負けじゃない。

 そして、そのために必要な切り札として、美容ポーションを持参してある。


 だから、私は胸元から紐でぶら下げた指輪を取り出した。それは私が皇女であり、カタリナ叔母様の姪である証だ。それを見せるとカタリナ叔母様はふわっと微笑んだ。彼女の笑みを見て、私は自分の選択が間違っていなかったことを確信する。


「正直に話してくれてありがとう、アリーシャ。貴女が無事でいてくれてよかった」


 回帰前の彼女がそうしてくれたように。そしてかつての母がそうしてくれたように、私を優しく抱きしめる。ほのかな温もりと、母と同じ香水の匂いが私を優しく包み込んだ。



「――さぁ、好きなだけお菓子を食べなさい」


 一息吐いて、私とカタリナ叔母様はソファに並んで座っていた。

 目の前のローテーブルには色とりどりのマカロンやクッキーが並び、甘い香りが部屋を満たしている。ものすごい歓迎っぷりだ。


 ……と言うか、どうやって叔母様を説得しよう? 美容ポーションという切り札はあるけれど、レシピまで渡すつもりはない。解析されないように上手く交渉する必要がある。


「ところで、アリーシャはどうして正体を隠しているの?」


 私が切り出すより早く、表情を鋭くしたカタリナ叔母様が疑問を口にした。


「……どうしてそう思われるのですか?」

「少し話しただけでも、貴女が賢い子だというのは分かるわ。それに、ノウリッジにも出入りしているのでしょ? なら、誰が敵で味方かは把握しているはずよ」

「否定はしません」


 私やお母様を襲ったのは、対立派閥――おそらくは第一皇子派の暴走だ。レヴィリス侯爵家はもちろん、セイル皇太子殿下も関係していない。


「なのに、貴女は皇族に復帰することもなく、私に助けを求めることもしなかった。私を疑っている可能性もあったけれど、貴女が逃げずにここに来たことでそれは否定された。つまり、貴女は皇族に戻れなかったのじゃなくて、戻らなかったことになるわ」

「カタリナ様には敵いませんね。おっしゃるとおり、私は皇族に戻ろうとは思っていません。いえ、厳密に言うと戻りたくありません」


 それを踏まえて、貴女はどうしますかと視線で問い掛ける。彼女の答えによっては、私のこれからの行動が大きく変わると、固唾を飲んで答えを待った。

 そして――


「そうね~。それじゃ、どうやって正体を隠すか口裏を合わせないとね」


 叔母様はあっけらかんと言い放った。

 私の覚悟を返して欲しい。

 

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