エピソード 3ー15
「……時間が掛かっていたな」
タラップを踏んで馬車に乗り込むと、アイシャとセイル皇太子殿下が座っていた。セイル皇太子殿下の隣に座ると、彼は憮然とした顔で私を出迎える。
「すみません、もしかして待たせしましたか?」
「いや、それはかまわない。ただ、ずいぶんとフィンに懐かれているのだなと思っただけだ」
「セイルさんも懐かれているように思いますが?」
「アリーシャほどじゃない。なにか理由があるのか?」
私は「そうですね……」と、唇に指先を添える。たしかに、回帰前や、転生前の人生を通してみても、子供達ほど仲のいい相手はいなかった。
「たぶん、家族だからじゃないでしょうか?」
「家族、か……」
セイル皇太子殿下が窓の外へと視線を飛ばす。直後、馬車に同席しているアイシャが合図を送り、馬車が緩やかに走り出した。いつの間にか、アイシャが分析官で、セイル皇太子殿下がその見習いという建前が薄れている。
もう私に対して身分を偽る必要はないと思っているのかも知れない。
そんなことを考えながら、チラリとセイル皇太子殿下の横顔を盗み見た。大陸中の女性を虜にするほどの美貌。ブラウンの髪はサラサラで、綺麗に切りそろえられている。その髪の下から覗く青い瞳は物憂げな色を帯び、窓の外を流れる景色を見つめていた。
「……家族だからと、男女があのように抱き合うものなのか? いやしかし、フィンはまだ子供だ。純粋な愛情表現という可能性も……」
……この人、なにを言い出すんだろう? ぽかんとしていると、アイシャがこほんと咳払いをした。それに気付いたセイル皇太子殿下が振り返る。
「ん? どうかしたのか?」
「いいえ、ただ考え事が声に出ていましたよ?」
「――む? もしや……聞こえていたのか?」
セイル皇太子殿下が私に問い掛ける。
「まあ、少し。ちなみに、フィンは弟みたいなものですよ?」
そう言って微笑めば、セイル皇太子殿下が「そ、そうか……」とそっぽを向いてしまった。その耳が少しだけ赤らんでいて微笑ましい。
そうしてセイル皇太子殿下の横顔を眺めていると、アイシャが私に向かって「ところで、フローレンス商会に付いてご存じですか?」と話題を変えた。
「……大陸でも有数の商会とだけ」
私が答えると、それに対してセイル皇太子殿下が頷いた。
「そうだ。だが、ここ数年は業績が悪化している。と言っても、大陸で有数の大きな商会であるという事実が揺るぐほどではないがな」
「……なにかあったんですか?」
回帰前の私が知らなかった事実に首を傾げる。
「……そうだな。大きな後ろ盾と縁が切れたのが原因だ」
内心で息を呑みつつ、表面上は「そんなことがあったんですね」とかろうじて取り繕う。
すっかり忘れていた。レヴィリス侯爵家がどこの派閥にも属さないのは、私の母が亡くなったからだ。その事件によって、私の父――つまりは皇族との関係が切れた。
業績が落ちたというのはそれが理由だろう。
でも……それも無理はない。お母様と私は、レヴィリス侯爵家へ里帰りしているときに賊に襲われた。その結果、お母様は死亡して、私は行方不明になった。
両家の関係がこじれるだけの理由があるのだ。
「ところで、アリーシャは孤児院に来る前のことを覚えているのか?」
「……どうして、そのようなことを聞くのですか?」
ストレートな追求に困惑しつつ、質問に質問を返して牽制する。だが予想に反して、セイル皇太子殿下は少し慌てる素振りを見せた。
「いや、その……さっきフィンが家族だと言っただろう? ほかに家族、あるいは約束を交わすような、仲の良い存在はいなかったのか?」
「……さあ、どうだったでしょう? なにせ、ずいぶんとまえのことですから」
これは誤魔化すために嘘を吐いた訳じゃない。
六年以上前、回帰を含めると十二年以上前の出来事だ。しかも、そのときの私は一桁の年齢だった。思い出といってもそれほど多くは残っていない。
「そうか、覚えて、いないのだな……」
セイル皇太子殿下が少し寂しげに呟く。セイル皇太子殿下がどうしてそんなに寂しそうにするんだろう? 考えてみるけれど分からない。
そして彼は「ぶしつけな質問をして悪かった」とこの会話を切り上げてしまった。
――とまあ、最初は少し正体を追求されるかとヒヤッとするような場面もあったけれど、総じて特に問題もなく、馬車はレヴィリス侯爵領へと到着した。
すぐに商会の応接間に案内され、なんの問題もなく契約は交わされた。拍子抜けするくらいだったけれど、ここまではある意味で想定通り。そして商会の者が告げた。
「素晴らしい取引でした。ぜひ、商会長が貴女に会いたいと申しております。すぐにここに来るので、少しこのままお待ちいただいてもよろしいですか?」
断りたい理由は多くあるのだけれど、断れる理由は一つも存在しない。
私は内心の動揺を押し殺しながらも応じる。すると、商会の者達はもちろん、セイル皇太子殿下も席を外してしまった。カタリナ叔母様と、一対一での再会という訳だ。
叔母様はローレンス商会を取り仕切る才女であり、色々なことを教えてくれた恩人だ。心情的には正体を明かしたいけれど、歯を食いしばってしらを切らなければならない。
重要なのは、家族だと言われたとき、冷静に人違いだと答えること。
覚悟を決めてほどなく、部屋の扉がゆっくりと開いた。私が席を立って待ち構えると、柔らかな光の中からお母様にそっくりな女性――叔母様が現れた。
彼女は一目見て、私に抱きついた。
「私が貴女のお母さんよっ!」
「人違いですううううううぅぅううぅっ!」
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