エピソード 3ー1
「……皇女様とはどなたのことでしょう?」
「アリーシャ・ヴァルディアス。前皇帝の孫娘で、六年前に賊に扮したどこかの騎士団に襲撃を受け、行方不明の皇女様、つまり貴女のことよ」
心の中で冷や汗を流しながら、私は首を傾げて、なんのことか分からないふりをした。そうして時間を稼ぎ、状況把握をするために視線を巡らせる。
部屋の隅には重厚な家具が並び、辺りには上品な香りが漂っている。緊張感が広がる部屋の中に、淡い光が窓から差し込む。その光を浴びたカルラの赤みが強い紫色の瞳が鋭く光り、確信に満ちた表情を湛えていた。
けれど、カルラの背後に控える侍女は平静を装うのに苦心しているようだ。事前に私の正体について聞かされていた訳ではないのだろう。
つまり、カルラが私の正体に気付いたのはついさっきだ。
それと、ダリオンも動揺している。私の正体を知る彼の動揺を放置すると、そこから綻びがでかねない。少しフォローする必要があるだろう。
私は深呼吸を一つ、背筋を伸ばしてカルラを見る。
「残念ながら、私はその皇女様ではありません」
「そうかしら? その割に、隣の男は動揺しているようだけど?」
「ふふっ。実は、ダリオンさんにも同じことを聞かれました。そのときにも違うと言ったんですが、この様子だと、まだ疑っていたみたいですね」
そう断言し、「ホントに違うのに」と呟いてみせた。これで、ダリオンは『自分の考えがあっていたかも知れない』と動揺している、という言い訳が立つ。
さぁ次はどう出てくる? と、カルラに視線を向ける。
「……すごいわね。さっきの一瞬でそこまで計算したなんて。でも、商談の直後は油断していたようね。さっき貴女、紅茶を飲んで懐かしいと思ったでしょう?」
「紅茶ですか? とても口当たりがよくて驚きました」
私は驚いたことを肯定しつつ、その理由だけをすり替えた。
というか……この流れはまずいわね。私が否定する限り、本物であるという証拠は出ないけれど、彼女が確信するに至るには十分な状況証拠を与えてしまった。
「どうして否定するのかしら? 記憶がない……反応じゃないわね。襲撃されたから警戒してる? でも、貴女ほど頭が回るなら、私が敵じゃないと分かるはず。少なくとも、敵だと思っていたらここには来ないでしょう。なのに、否定すると言うことは……あぁ、そう言うこと」
カルラは扇をもてあそびながら笑った。彼女の青みが強い紫色の長い髪が揺れ、その笑顔には鋭い知性が漂っている。彼女は確実に、私が皇族に戻りたくない理由があって惚けていると確信した。確信したからこそ、その言葉を口にしなかったのだ。
本当にカルラは怖い。
「ダリオン、話の腰を折って悪かったわね。貴方の望みは、私が後ろ盾になって、魔力回復薬の流通を後押しすること、だったわね」
「え、ええ、その通り、ですが……」
カルラが急に話題を変えたことにダリオンは困惑し、視線で助けを求めてくる。
「ダリオンさん、交渉の再開をお願いします」
「……分かった。では、カルラ様、魔力回復薬の流通に関してですが――」
こうして、魔力回復薬の流通に関して話し合いが始まる。その結果、私がこれだけの条件を引き出せば完璧――と思っていた通りの条件で契約することが出来た。
ざっくり説明すると、フィオレッティ子爵家の名を使って、生産、販売、流通などを全面的におこなった上で、重役にダリオンを据え、私にもロイヤリティを支払ってくれる形。
ダリオンの地位や、私のロイヤリティも申し分ない。カルラ相手にここまでの条件を引き出せるとは思っていなかった。そんな私の内心を見透かしたように、カルラが私に笑いかけた。
「どう? 取引には満足してくれたかしら?」
「……ええ、実のところ驚いています」
素直に答える。このときの私は、私を皇女と知ったカルラが、私に恩を売ろうとしているんだろうな、くらいに思っていた。正直、私はまだカルラを甘く見ていた。
ソファにもたれかかったカルラが扇を開いて斜に構える。
「それじゃ、本題をうかがいましょうか」
「……え?」
なんのことか分からず、素で首を傾げてしまった。
「アリーシャ、貴女は自分の正体が明るみに出ることを望んでいない。それなら、魔力回復薬の契約に関してはダリオンに任せておけばよかったでしょう? 実際、契約の取り決めについては、ダリオンに任せていた。なのに、貴女はここにいる」
あぁ本当に、これだからカルラは恐ろしくて――
「魔力回復薬なんて目じゃないくらいすごい話があるのでしょ? 私が全力で貴女のバックアップをしてあげる。だから、もっともっと、私のことを楽しませてごらんなさい?」
誰よりも頼りになる私の悪友だ。
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