エピソード 2ー14

「カルラ様がお越しになるまで、ここでしばらくお待ちください」


 フィオレッティ子爵邸に到着した私達は、案内役のメイドによって応接室に通された。彼女はお辞儀をして退出する。重厚な木製の扉が静かに閉じられ、静寂が部屋を包んだ。


 応接室の中央には光沢のある大理石のローテーブルが鎮座し、その周りには深い緑色のベルベットで覆われた豪華なソファが整然と並んでいる。壁には金色の額縁に入った華やかな絵画が飾られており、窓からは中庭の美しい景色が見える。柔らかな光がレースのカーテンを通して部屋に差し込み、暖かな雰囲気を醸し出していた。

 私は下座にあたる席に座り、ダリオンがその隣に腰掛ける。


「……どれくらいの時間で来るかな?」

「十分くらいね。私だけなら半日は待たされたでしょうけど――」


 貴族は体面を気にする生き物だ。格の違いを教えるという意味で遅れてくるのは確定。ただし、ノウリッジのマスターが相手ということで、三十分くらいと予想する。

 だけど――と、私はソファに自然体で座り、正面の絵画に向かって手を振った。


「……いつも思うが、貴族は面倒だな」

「意味があるのよ。その時間を私達がどう過ごすか、確認する、とかね」


 たとえば、待たされている間に焦ってイライラするようなら、相手は余裕がない。つまり、取引自体に自信がないと予想できる、といったふうに判断できる。


「おい、それって、まさか……」

「正面に絵画があるでしょ? あれの黒い部分に穴があるわ」


 小声で問われるけれど、私は通常の声量で答えた。


「待て待て。嬢ちゃんがさっき手を振ったのって、まさか……」


 カルラ様に手を振ったのだと思われたのだろう。彼は顔を青くする。


「さすがにそんなことしないわよ。タイミングから見て、さっきのメイドでしょうね。私達の様子をカルラ様に報告するように言われてるのだと思うわ」


 私がそう口にしてほどなく、絵画の向こうから人の息遣いが消えた。それを教えてあげると、ダリオンは大きく息を吐いた。


「嬢ちゃん、だからって教える必要はないだろ、面倒になったらどうするんだ」

「こっちは貴族の流儀を知っているわよと教えてあげたのよ。大丈夫、すぐに来るわよ」


 カルラは無駄を嫌う性格だ。こちらが流儀を知っていると分かれば、わざわざ時間を掛けたりはしないだろう。

 そして――


「待たせたわね、私がカルラ。フィオレッティ子爵家の次女よ」


 きっかり十分後、侍女達を従えたカルラが姿を現した。

 すぐに席を立ち、まずはダリオンが「ノウリッジのマスターを務めるダリオンと申します。このたびは忙しい中、面会に応じてくださって感謝いたします」と頭を下げた。


「お初にお目にかかります。カルラ様。私はアリーシャ。いまは錬金術師としてここにいます。このたびは、貴女に実りのあるお話を持ってきました」


 私はカーテシーをして懐かしい悪友に視線を向ける。


 カルラ・フィオレッティ、十六歳。


 青みが強い紫色の髪は一房だけを編み込んでいて、その髪が肩にかかる様子が美しい。赤みが強い紫色の瞳からは高い知性と法に縛られない狂気が垣間見え、白い肌がその鮮やかな瞳を一層際立たせている。フィオレッティ子爵家の次女である彼女は、回帰前に幾度となくぶつかり合った敵であり、私の友人とも言える存在だった。


「実りのある話、ね。もし本当にそんな話があるのなら、それをなぜ私のところに来たのかしら? この家の当主はお父様で、次期当主はお姉様ということになっているはずよ?」


 なっているはず、ね。

 いまの言葉は二重の罠だ。

 なにも知らない者が聞けば、当主か姉の元に話を持っていくべきだと諭されたように聞こえる言い回しだ。しかし、子爵夫人の動きを知っていれば、次期当主は貴女だという言葉をカルラが望んでいるようにも聞こえる言い回しでもある。

 だが、その二つの解釈はどちらも間違いだ。


「存じ上げています。だからこそ、カルラ様にお話を持って参りました」


 聞く人が聞けば、次期当主に近いカルラに取り入ろうとしていると聞こえるだろう。だけど違う。私が伝えたのは、次期当主エレナの窓口である貴女に会いに来た、という意味だ。

 だが、それがどちらの意味か、私を知らないカルラには判断が付かない。彼女はこちらの真意を探るように目を細めた。


「……だからこそ、ね。その話はどこで聞いたのかしら?」

「ダリオンに調べ直してもらいました」


 調べてもらったではなく、調べ直してもらった。つまり、社交界に流れている噂には裏がある。それを確認したと示唆する。その些細な言い回しの意味にカルラは気付いた。


「……ふふっ。ノウリッジのギルドマスターから商談があると聞いてどんなものかと思っていたけれど、今日は退屈せずに済みそうね」


 そう言ってソファに座り、私達にも座るように命じた。カルラは、そばに控える侍女になにかを耳打ちした。侍女は一礼し、静かに部屋を退出して行く。

 なにかあるのは確実だが、現時点ではそこまで予想できない。


「さて、ダリオンだったわね。貴方、ずいぶんと面白い娘を連れてきたみたいね」

「恐れ入ります。実は今回の商談の鍵となるポーションを開発したのは彼女でして」

「まだ幼いのに優秀ね、いまは何歳なのかしら?」

「今年で十四歳になります」

「へぇ、十四歳なの……」


 カルラは目を細める。こういうときの彼女って、なにかよからぬことを考えているのよね。とりあえず、油断だけはしないと、私は正面から彼女の視線を受け止めた。ほどなく、カルラは「それで、ポーションというのはどんなものなの?」と私に尋ねる。


 私はカルラの背後に控える侍女をチラリと見た。見覚えのある、未来のカルラが信頼していた侍女だ。この時期のことは分からないけれど、カルラが連れているのなら大丈夫だろう。


「魔力の回復薬です」


 カルラはピクリと眉を跳ね上げ、扇を広げて口元を隠した。


「……魔力が回復する薬ですって? サンプルはあるのかしら?」

「はい。――ダリオンさん」


 私が視線を向けると、ダリオンがテーブルの上に魔力回復薬の入った瓶を置いた。ジャムにしたフロスト・ブロッサムから作った品で効果は低いが、ちゃんと魔力が回復する。


「……効果を確認しても?」

「もちろんです。ここでお試しください」


 別の部屋に持っていって、成分を分析しないでねと言外に伝えれば、カルラは扇の向こうで楽しげに笑った。私達にレシピを秘匿する意志があることを評価してくれたのだろう。

 ここまでは予想通り。だけど次の瞬間、その笑顔に微かな影が差し、赤みが強い紫色の瞳が狂気に輝いた。カルラは毒味もせずに自らポーションを口にする。

 そればっかりは、私にとっても予想外だった。

 

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