エピソード 2ー4

 ひとまず、予算の使い道は決まった。

 ただし問題もあって、いまの私には商人や大工の伝手がない。もちろん、アイシャやセイル皇太子殿下に相談したら紹介はしてくれると思うけれど、いまの私はノウリッジの見習いということになっている。最初はダリオンに相談するべきだろう。


 ということで、午後からノウリッジを尋ねた。

 受付で名前を出せば、すぐにマスターの部屋へと通される。彼の部屋は質素ながらも整理されており、木製のデスクと棚に書類がきちんと並べられている。そんな部屋のソファにダリオンが座っている。彼のブラウンの瞳は私を見据え、薄い笑みを浮かべていた。


「そろそろ来る頃だと思ってたぜ。色々と聞きたいことがあると思うが、先に言っておくぞ。俺と嬢ちゃんとの契約は未だ有効だ。俺は痛い目を見たくないからな」


 彼は私の顔を見るなりそう言った。その言葉の裏には、どこか焦りのようなものが見て取れる。その理由を考えた私は、すぐにその理由に思い至った。


「ダリオンも分析官とその見習いの正体に気付いているのね」

「……やはりおまえも気付いていたか」

「まぁね。あの特徴と名前の人間が珍しくないとはいえ、あそこまで顔がいい男は滅多にいないでしょ。というか、別人を装うならせめて偽名を名乗りなさいよ」


 冷静に突っ込むが、「おまえが言うのかよ」と突っ込み返された。


「私が本名を名乗ったのは幼かったからだって言ってるでしょ。それより、彼らのことについて、なにか聞かされている?」

「……一応は、な。ただ、詳細は伏せられている。これは俺の勘だが、おまえをノウリッジの見習いだと紹介したことで、俺も警戒されているんだと思う」

「なるほどね……」


 ノウリッジが皇女を匿っている可能性。あるいは偽の皇女を生み出そうとしていると疑っているのかも知れない。セイル皇太子殿下が直々に潜入調査をしてるのはそれが理由かな。


「でも、皇太子がどうしてこの街に?」

「もともと、付近のインフラ整備の指揮を取るために、先月からこの地域に滞在している。おまえの話を聞いて、滞在先を移したようだな」

「そう、なんだ……」


 知らなかった。

 もし知っていたら、回帰前もエミリアを救えたのかな?


「それで、どうするつもりなんだ? バレるのは時間の問題じゃないか?」

「ん? いや、なんとかなるんじゃないかしら」


 私が呟くと、ダリオンは信じられないと言いたげに目を見張った。


「俺は絶対絶命と思って覚悟をしてたんだが……本気で言ってるのか?」

「ええ。長くても数ヶ月、やり過ごせばいいだけだもの」

「だが、俺でも気付いたんだ。身内ならすぐに気付くんじゃないか?」


 それに対し、私は静かに首を横にふる。


「貴方が確信したのは、私が肯定したからよ」


 ダリオンの目には一瞬の驚きが走り、すぐに理解の色が浮かんだ。


「嬢ちゃんが否定したら、相手は確証を持てない?」

「ええ。それに、彼らが警戒しているのは偽物の皇女が本物を騙ることだもの」


 本物の皇女が皇女であることを否定するのは、彼らにとって想定の埒外だと答え、ダリオンの視線を真っ直ぐに受け止める。


「……なるほどな。敵対派閥の工作である可能性を疑われている訳か」


 私は前皇帝の孫娘で、いまの皇帝の姪っ子にあたる。つまり、セイル皇太子殿下とは従弟同士の関係だ。私が皇族に復帰すれば皇位継承権が手に入る。だから、敵対派閥が偽の皇女を擁立して、皇太子を牽制するという戦略が成り立つのだ。

 実際、回帰前もセイル皇太子殿下からそういう方向で警戒されていた時期がある。


「でも、私は皇女と名乗るつもりはない。だから、彼の心配は杞憂に終わる」


 話がこじれれば、私が窮地に立たされる可能性はある。それに不安がないといえば嘘になるけど、その可能性はかなり低いはずだ。


「となると、心配なのは、嬢ちゃんがうっかりぼろを出して皇族だとバレることか」

「うぐ。だ、大丈夫よ、たぶん……」


 さすがに、自分で皇族だと口を滑らすようなミスはしない、はずだ。

 そこまで信用がないのだろうかと少し不安になるけれど、ダリオンは冗談のつもりだったのか、「冗談だ。嬢ちゃんのことは信じている」と笑った。それで場の空気が少し和む。

 ダリオンはコーヒーを口にして、ふぅっと一息吐いた。


「しかし、安心したぜ。最初は、俺が密告したと嬢ちゃんに疑われるかと思ったからな」

「あら? こう見えても、貴方のことはそれなりに信頼しているのよ?」

「……本当か?」

「貴方が密告したのなら、いまごろ契約破棄でのたうち回ってるでしょ?」


 私の言葉にダリオンは苦笑した。


「そうか。嬢ちゃんはそういう奴だった」

「……それ、褒めてるの?」

「最上級の褒め言葉だぜ」

「そう、ならいいわ」


 私は笑って、肩口に零れ落ちた髪を払う。それから一息、手持ち無沙汰になった私は、そう言えばと用件を思い出した。


「魔力回復薬のレシピだけど、制作の準備はしているの?」

「あぁ、もう少しで開花の時期だな。そうしたら花びらを仕入れる予定だ」

「錬金術師に当てはあるの?」

「ああ。口の堅い奴に、嬢ちゃんがくれたレシピを試させるつもりだ」

「……ん? ええ、それはいいのだけど、そうじゃなくて。その後、大量に生産して販売するでしょう? その当てはあるのかと聞いているのよ?」


 魔力回復薬はいままで存在しなかったものだが、その需要は計り知れない。つまり、大金を稼ぐチャンスである。なのに、どうしてこんなに反応が鈍いのよ?


「実際に錬金術師を雇うのはレシピが確認できてからって言うのは分かるけど、大量生産の当てくらいは付けておくべきでしょう?」

「……あぁ。つまり、嬢ちゃんは、生産を俺に任せたい、ということか?」

「……?」


 話が噛み合わない。そこまで考えた私は、ある可能性に気付いた。


「もしかして、レシピの所有権が私にあると思ってる? あれは貴方に渡した物よ」

「……いや、なんでだよ。俺が報酬として受け取ったのは、妹を救う方法だ。レシピの所有権じゃねぇよ」

「……律儀ねぇ」


 餓死寸前の状況なら、パン一切れの価値が同じ重さの金より勝ることだってある。エミリアを救うのと引き換えなら、レシピの所有権を差し出しても不満はない。

 だけど――


「貴方がそう言うのなら、私に拒絶する理由はないわ。全面的に貴方に委託する、という形にするわ。取り分の割合とかも貴方に任せるから、後で契約書だけちょうだい」

「……おいおい、そんな簡単に決めていいのか?」


 ダリオンは呆れるが、私にとっては既に終わった取引だ。ダリオンが取り分をくれるというのなら受け取るけど、あまり細かく言うつもりはない。


「それより別件なのだけど、いくつか取引相手を紹介してくれない? 食料と衣類の仕入れ。それから、孤児院の修繕をしてくれる大工を紹介して欲しいの」

「……あぁ、なるほど。なら、こことここ、ここくらいかな」


 彼は紙に取引先を書き込み、そのメモを私に渡してくれた。


「ありがとう、頼もしいわね」

「お安いご用だ。それで、ほかにご要望は?」

「あとは錬金の調合台を融通してくれないかしら?」

「調合台? 魔力回復薬のレシピなんて代物を知っていたからもしやと思っていたが、嬢ちゃんには錬金術の心得もあるのか?」

「多少はね。近々新しいポーションを作るつもりだから、将来的には貴方の伝手を頼ることになると思うわ。その辺も含めてお願いしてもいいかしら?」


 私の言葉にダリオンは不審げな顔をした。


「……いやまぁそれはいいんだが、開発できるのは確定なのか?」


 これから開発するのなら、新しいポーションを作ると断言できるはずがない。つまり、魔力回復薬のレシピのように既に知っているのではと探りを入れられる。

 それに対して私は「完成したら見せるわね」と笑った。

 

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