エピソード 2ー3
院長先生が横領していた金額はかなりのものだった。
全額が残っている訳ではないけれど、それなりの金額が残っている。それに、今後は横領されるまえの金額が支援金として届けられるので、経営の継続自体は問題ない。
ゆえに、いま考えるべきなのは増えた資金を使ってなにをするかということだ。回帰前の知識でお金を増やすのは簡単だけど、まずは子供達のために使ってあげたい。
という訳で、子供達に欲しい物を聞いた。
きっと、おもちゃとか可愛いお洋服とか、そういうものを欲しがるんだろうなって思っていたら、三人とも口を添えて「ご飯をお腹いっぱい食べたい」と言った。
うぅ、甲斐性のないお姉ちゃんでごめんよ。
私は子供達にお腹いっぱいご飯を食べられるようにすると約束した。その足で院長室へ戻ると、セイル皇太子殿下とアイシャが真剣な表情で帳簿を見つめていた。
「……二人とも、なにかありましたか?」
「ん? あぁ、アリーシャか。さっきおまえから教わった複式簿記について話していた。これは考えれば考えるほどよく出来た帳簿だな」
「気に入っていただけたならなによりです」
私はテーブルに近づき、セイルが指さす複式簿記を見下ろした。
収支が分かりやすい複式簿記とはいえ、知らない人が見れば意味の分からない数字の羅列だ。これを見て一目ですごいと言える、セイル皇太子殿下の有能さの方がすごいと感心する。
「それで、だ。この複式簿記、我々にも使わせてもらってもかまわないか?」
「ええ、もちろんかまいませんよ」
なんでもないふうを装うけれど、私は心の中で(やったぁ)と拳を握りしめていた。回帰前に二度も救われた恩をどうやって返そうか考えていたけど、その一歩を踏み出せた気がする。
そうして浮かれていた私は、セイル皇太子殿下が私をじっと見ていることに気付かない。
「それじゃ、私は仕事を再開しますが、なにかあれば遠慮なく言ってくださいね」
そう言うけれど反応はない。不思議に思って視線を向けると、彼は私のことを穴が開くくらい見つめていた。彼の青い瞳がなんらかの強い感情を浮かべていた。
「……セイルさん?」
私はコテリと首を傾げる。その横で、アイシャがビシッとセイルの脇を突いた。
「うぉ、なんだ!?」
「なんだ、ではありませんよ。いくら彼女が可憐だからと見つめすぎですよ」
「は? いや、いまのは、その……っ」
なんか、セイル皇太子殿下が顔を真っ赤にして慌てている。
あぁ、そっか。セイル皇太子殿下は私の正体を訝しんででいたんだね。それに気付いたアイシャが、セイル皇太子殿下が私に見惚れていたとからかうことで誤魔化した。
そう考えると、私に見惚れてたと言われて慌てるセイル皇太子殿下がちょっと可愛い。さっき有能だって言ったけど、この頃の彼には年相応の部分もあるんだね。
そんなことを考えながら、私は作業を再開した。
いまやるべきなのは予算の配分だ。子供達はご飯をお腹いっぱい食べたいと言っていたのでまずは食費を確保。続けて衣類を買う予算や、孤児院の修繕費に充てる。
そのおおよその金額を割り振っていると、横からアイシャが顔を覗かせてきた。赤い髪を揺らす、彼女の瞳には興味深そうな光が宿っている。
「……食費と衣類の予算、それに修繕費に割り振るのですか。ノウリッジの見習いと聞いていましたが、なるほど、基本は押さえているのですね」
「ありがとうございます。でも、こういうことは初めてで、なにか意見があれば教えていただけますか?」
私がお願いすると、アイシャは「そうですね……」と少し考えに耽った。
「孤児院の住人は五人でしたよね。それでしたら、食費はその七割程度でも十分です。それと衣類の代金も、少しずつ買い足せば予算は半分で問題ないでしょう」
「……なるほど、たしかにそうですね」
平民向けに金銭感覚を合わせたつもりだったけど、まだ皇女としての感覚が抜けきっていなかったようだ。おかげで、資金に少し余裕が出た。
アイシャはそうして余った資金についてもアドバイスをくれる。
「残った資金でなにかを運用するのはいかがですか? 最初は少し出費がかさみますが、上手くいけば恒久的な収入の増加に繋がりますよ」
「資金運用ですか……」
それはいずれと考えていたことだ。
私が孤児院を経営する上で避けて通れない。でも、セイル皇太子殿下の監視下で言い出すと警戒されるかもと後回しにしていたので、アイシャから切り出してくれたのはありがたい。
そんなことを考えていた私は、いつの間にかセイル皇太子殿下とアイシャが私をじっと見守っていることに気が付いた。もしかして、私がなにを計画するか期待されてる?
期待に応えるべきか、無難な答えを返すべきか。少し考えた私は、「庭に薬草園を作ることにします」と口にした。
「なるほど、薬草園……」
「それはなんというか、無難ですね」
セイル皇太子殿下とアイシャがそんな言葉を口にした。
まあ……無難といえば無難かな? 一応、回帰前の私が開発して、ご婦人のあいだで血みどろの争奪戦を巻き起こしたようなポーションの材料、なんだけどね。
私はこれを足がかりに貴族社会に介入し、セイル皇太子殿下に恩を返すつもりだ。
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