エピソード 1ー3
このままだとエミリアがいなくなる。そんな不安を抱いた私は、いても立ってもいられなくなって、夜になるのを待って部屋を抜け出した。
孤児院の廊下は薄暗く、壁に掛けられたランプの明かりが揺れている。窓の外には月が昇り、庭に生えた雑草が不気味に揺れていた。その廊下を抜け、院長室にたどり着いた。
「院長先生、お話があります」
「……なんだい、藪から棒に」
ノックをして部屋に入る。魔導具の灯りが揺れる薄暗い院長室で帳簿に向かっていたマグリナが煩わしそうに顔を上げ、眉間に深い皺を寄せた。
「エミリアのことです。お客様に会わせて、どうするつもりですか?」
「……それを聞いてどうするつもりだ?」
マグリナの顔が歪んだ。その視線が鋭く私を貫く。魔導具の灯りが揺らぎ、部屋の陰影が濃くなった。心臓が早鐘のように打つのを感じて後ずさりそうになる。
……怖い。
けど、このままじゃダメだ。私がここで逃げたら、きっとエミリアが連れて行かれてしまう。うぅん、連れて行かれるだけじゃない。きっと死んでしまう。
脳裏にエミリアのお墓が浮かんだのはきっとそういうことだ。
お墓のまえで泣き崩れる自分は後悔に苛まれていた。あんな運命をたどるのは嫌だ。無力な自分を言い訳にして、エミリアを失うのは嫌だ。だから寸前のところで踏みとどまった。私は胸に添えた拳をギュッと握りしめて顔を上げる。
「院長先生、明日の件。エミリアの代わりに私が――」
「――アリーシャ!」
バンと扉が開き、エミリアが部屋に乗り込んできた。
「エミリア、ノックもしないでなんのつもりだい!」
「すみません院長先生! でも、明日の準備をするのに彼女の手伝いが必要なんです。ということだからアリーシャ、すぐに来て!」
「え、でも、私は――」
その続きは言えなかった。ものすごい形相のエミリアに睨み付けられたからだ。しかも腕を掴まれ、有無を言わさぬ勢いで部屋から引きずり出される。
「院長先生、お騒がせしました!」
「エミリア、なにを……」
「黙って!」
声を掛けるも、エミリアは私の腕を引いたまま歩き続ける。そして到着したエミリアの部屋。灯りのついていない部屋の中で、彼女は私の両肩を掴んで壁に押しつけた。
「アリーシャ、どういうつもり! 院長先生になにを言うつもりだったの!?」
「それは、その……エミリアの代わりに、私がお客さんに会うって……」
「この馬鹿! 私がいつそんなことを頼んだのよ!」
「それは、頼まれてない、けど……でも……」
「でもじゃない!」
彼女のワインレッドの瞳が強い怒りに揺れていた。
「……ごめん。迷惑、だった……かな?」
私がそう言うと、彼女は大きく目を見張って、それから信じられない言いたげに顔を覆い、最後に苦渋に満ちた顔で私を見た。
「迷惑だなんて言ってない。ただ、アリーシャがバカだって言っただけよ!」
「……それ、同じことじゃないの?」
「全然違うわよ!」
やっぱり怒られた。
「……エミリアの怒りんぼ」
「ええ、そうね。親友が私の身代わりになろうとしたんだから、怒るのは当然でしょ? それともなに? 貴女は逆の立場なら喜ぶの?」
「それ、は……」
逆の立場で、エミリアが私を庇って身代わりになろうとしている。それを想像しただけで、そんなことをされても嬉しくないと怒りたくなった。
「……分かってくれた?」
「うん。それは分かった、けど……」
このままじゃエミリアが死んじゃうかもしれないと不安を募らせる。そんな私をエミリアがぎゅっと抱きしめた。
「アリーシャ、貴女と会えてよかった」
「……どうして、そんな最後みたいなことを言うの?」
目に涙が浮かぶ。それが零れないように歯を食いしばった。
「明日、私が引き取られたら二度と会えないかも知れないでしょ」
「そんなこと、言わないでよ……」
命を狙われて、誰が敵か味方も分からない状態で孤児院にたどり着いた。そんな私を支えてくれたのはエミリアだ。皇族である私が孤児院で生活できたのはエミリアがいたからだ。
エミリアがいなくなるなんて考えられない。
「お願い、エミリア……行かないでよ。私はエミリアがいたから生きてこられたの。エミリアが支えてくれたから堪えてこられたの。なのに、私をおいていかないでよ!」
「……もう、どうしてそんなことを言って困らせるのかな……」
困らせると言われ、私は息を呑んだ。次の瞬間、エミリアは両手の拳を血が滲むほど握りしめ、俯いてワインレッドの瞳から止めどなく涙をこぼした。
「……私だって、置いていきたくないって思ってるに決まってるじゃない! でも、仕方ないじゃない……っ。他に方法なんてないんだから!」
「エミリア……?」
「私が嫌だって言ったら、貴女やほかの誰かが代わりに連れて行かれるかもしれない。そんなの、絶対に堪えられないっ。だから、これ以上私を引き留めないでよ!」
「――っ」
私の願いがエミリアを苦しめている。それに気付いてなにも言えなくなってしまう。無力な自分に打ちひしがれる。そんな私の頭をエミリアがそっと撫でた。
「アリーシャ、怒鳴ったりしてごめん。私は大丈夫だから、そんなふうに悲しまないで? 二度と会えないとしても、私が不幸になるとは限らないのよ? どこか裕福な家の養子になるかも知れないでしょ?」
エミリアは笑ったけど、その笑みはぎこちない。私を悲しませないように虚勢を張っているのは明らかだ。それが分かったから、私は「そう、だね」と笑うしか出来なかった。
「……ねぇアリーシャ、今日は一緒に寝よ?」
「エミリアの部屋で?」
「うん。それで朝まで思い出話をするの! いいでしょ?」
「……そう、だね」
二人でベッドに潜り込む。私とエミリアは出会ったときのことや、喧嘩をしたときのこと、仲直りをしたときのことなど、様々な思い出を語り明かした。時折、涙がこぼれそうになるのを互いに堪えながらも笑い声をあげる。その時間はいままでで一番幸せで、一番悲しかった。
そして夜更けになり、私とエミリアはどちらともなく眠りにつく。
そのとき、私は長い長い夢を見た。
夢の中の私は大切な友人を失い、悲しみを抱えながら皇族に復帰し、様々な苦難を乗り越えながら事業を成功させる。けれど、最後には非業の死を遂げる、そんな悲しい夢だった。
だけど、それはただの夢だ。
私はその運命を変えるため、夢の中で光に向かって手を伸ばした。
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