エピソード 1ー2
「はぁ、二人でこの部屋を掃除かぁ」
朝食後、応接間に到着するとエミリアが溜め息を吐いた。
「仕方ないじゃない。この部屋には壊れやすい調度品がたくさんあるし、シリル達に手伝わせる訳にはいかないでしょ?」
この孤児院には、私とエミリアのほかに、シリル、ルナ、フィンがいる。とてもいい子達だけど、私の次に年長のシリルでさえも十二歳、壊れ物を扱うには幼すぎる。
幼いという理由でミスを許してくれる院長先生ではないし、なにか壊したりして、院長先生に殴られるようなことになったら可哀想だ。
「まぁ……それは私も同意見だけどね。でも、この部屋の掃除はホント大変だよ」
エミリアが愚痴をこぼすのも無理はない。
窓から差し込む朝日に照らされた薄暗い部屋。絨毯の上にはアンティークのソファとローテーブル、壁には油絵と、孤児院には不釣り合いな調度品が並んでいる。絨毯の埃を払うには、上の物をどかして外に持ち出すしかない。
その手間を考えて調度品を揃えろ、という話である。
「こんなところにお金を掛けるくらいなら、衣類や食事をもう少し豪華にしてくれたらいいのにね。アリーシャもそう思わない?」
「思うけど、それくらいになさい。聞かれたら大変よ」
「……そうね。まずは壊れ物を避難させましょ」
調度品を動かすべく、エミリアがソファのまえへと移動する。そんな彼女の隣、サイドテーブルの上に一輪挿しの花瓶が置かれていた。
エミリアが調度品を片付けようと腰を落とす。そのとき、彼女の足がサイドテーブルを蹴ってしまった。そうして倒れた花瓶は床の上に落ちて砕け散った。花瓶の中の水が飛び散り、絨毯に吸い込まれていく。――という光景が脳裏をよぎった。
でも、現実の花瓶は割れていない。
いまのは――と私が考えるより早く、エミリアが腰を落とす。直後、彼女の足がサイドテーブルを蹴ってしまい、さきほど脳裏に浮かんだ光景と同じように花瓶が倒れ――
「エミリア、後ろ」
忠告すると同時、私はパチンと指を鳴らした。
魔術によって発生した風が花瓶を包み込み、落下速度を大幅に減速させる。そして絨毯に触れる寸前、飛びついたエミリアがその花瓶をキャッチした。
「あ、あ、あぶ、危なかったぁ~~~」
涙目になって花瓶を胸に掻き抱く。
「あ、ありがとう。アリーシャ、貴女が教えてくれなかったら絶対、割っちゃってたよ」
「割れなくてよかったね」
「うん、ホントに、アリーシャのおかげで夕食抜きは免れそう。っと、花瓶の水が零れちゃった。ちょっとぞうきんを取ってくるね!」
エミリアは部屋を飛び出した。
さっきの幻視はなんだったんだろう? まるで数秒先の未来を見たかのようだけど、私にそんな能力はない。それに、とっさに使った魔術もそうだ。
私は魔術の基礎しか習っていない。だから、さっきのように魔術を使うことは出来ない。出来ない、はずなんだけど……と、私は絨毯の上に零れた水に視線を向ける。
パチンと指を鳴らせば、その水だけが浮かび上がった。私は窓を開け、その水を窓の外へと捨てる。後には、乾いた絨毯だけが残る。
……どうして魔術をこんなふうに扱えるの?
私に魔術教えてくれたのはお母様だ。お母様は魔術の腕も一流で、私もその才能を継いでいると言われていた。だけど、私がお母様のように魔術を扱えることは決してない。
あの日、すべてを失ってしまったから。
六年前、八歳の誕生日。
私とお母様の乗る皇族専用の馬車が襲撃を受け、私達は逃げ出すことしか出来なかった。暗闇に包まれた森の中、遠くで揺らめくたいまつの明かりが近づいてくる。
そのとき、お母様は私に言い聞かせるように言った。
「この道をまっすぐ、決して振り返らずに走りなさい。そして私が迎えに来るまで、誰にも家名を名乗ってはダメよ」――と。
私はその約束をいまでも守り続けている。
これが、私が孤児院にいる理由。だから、私は魔術の基礎しか習っておらず、初級すら上手く扱えない。なのに、いまの私は魔術を使えるのが当たり前のように感じている。
私の中に知らない自分がいるみたいだ。
「おっまたせーって、あれ? 零れた水は? もしかして片付けてくれた?」
ぞうきんを持ってきたエミリアが小首を傾げる。私はそれに明確な答えは返さず、さっさと掃除を済ませてしまいましょうと誤魔化した。
そして掃除も終盤に差し掛かったころ、院長先生が応接間に顔を出した。彼女は「ちゃんと掃除をしてるだろうね?」と私に険しい視線を向ける。
「はい。もうすぐ終わります」
「そうかい。じゃあそれが済んだら昼食の準備を始めな。それから、エミリア! 明日はお客さんが来るから応接間に顔を見せるんだよ」
「――っ」
エミリアの顔が絶望に染まった。
「エミリア、聞いてるのかい? 返事をおし!」
「……はい。分かり、ました……っ」
エミリアが絞り出すような声で答える。
「ったく、どんくさいったらありゃしないね」
院長先生はそう言って出て行った。
それを見送り、私はすぐにエミリアに駆け寄った。
「エミリア、さっきのって……」
「……うん。たぶん、そうだと思う……」
この孤児院には毎年一人、二人は身寄りのない子供がやってくる。稼げる歳になったら卒業という形で出て行くことになるのだけれど、そうして巣立つ子供の数は少ない。
半数程度は、院長先生が連れてきた‘お客さん’に引き取られていくからだ。
「エミリア……どうするつもり?」
「どう……って、従うしかないじゃない。私達に行き場なんてないんだから」
「でも、どこへ引き取られるか分からないんだよ?」
引き取られた子供はみんな幸せに暮らしていると院長先生は言う。でも、孤児院を卒業した子供はたまに顔を見せてくれるけれど、お客さんに引き取られた子供は二度と顔を見せない。
それがどういう意味か、私達は考えないようにしていたけど……
「大丈夫だって。案外、引き取られないかも知れないでしょ?」
エミリアがそう言って儚げに微笑み、私は「そうだね」と相槌を打った。けれど、恐らく彼女の言うような平和な未来は訪れない。
なぜなら、さっき脳裏によぎったお墓には、エミリアの名前が刻まれていたからだ。
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