二度目の転生皇女は孤児院で花開く
緋色の雨
エピソード 1ー1
炎が燃え広がるお屋敷の一室で、私はテーブルの上に寝かされていた。
そんな私を青い瞳の青年が見下ろしている。彼は整った顔を酷く悲しげに歪め、無骨な指先で壊れ物を扱うように私の頬を撫でる。
「次は俺と敵対しないでくれ。そうしたら――」
その続きを尋ねようと手を伸ばす。その手をがしっと掴まれた。
「――アリーシャ、いつまで寝てるんだい!」
乱暴に腕を引かれた瞬間、反射的に相手の手を引いてベッドに引きずり込んだ。その際に体勢を入れ替え、背後から馬乗りになって相手の腕を捻り上げる。
「いたたたっ、アリーシャ、なにをするんだい!」
聞き覚えのある声と後ろ姿。私が暮らす孤児院の院長先生、マグリナだと気付いた私は慌てて手を放した。拘束から逃れた彼女は怒りを滲ませて立ち上がる。
「このっ、痛いじゃないか!」
眉間に皺を寄せた院長先生が右手を振り抜いた。パシンと乾いた音が響き、頬に衝撃が走った。何度も虐待を受けた過去の情景が脳裏をよぎり呼吸が浅くなる。
――違う、落ち着け!
いまの私はこんな暴力に屈するほど無力じゃない。……いまの私? いまの私は、孤児院で暮らす身寄りのない子供だ。一体、なにを考えて……
「アリーシャ、どういうつもりだい!」
「ご、ごめんなさい。寝ぼけてたみたいで……」
「なにが寝ぼけてただよ。私に養ってもらってる分際で口答えするんじゃないよ! 大体、いつまで寝てるんだい!」
「だって、昨日は夜遅くまでお裁縫をしてたから……」
「はあ? それは、裁縫を命じた私が悪いって言ってるのかい?」
なにを言っても無駄なようだ。よくよく考えると以前からそうだった。それを思い出した私は不満を隠し、「ごめんなさい、悪いのは私です」と頭を下げた。
「ふん、ようやく分かったかい。あんたなんて、ここ以外に行く当てがないんだからね。追い出されたくなかったら私の言うことに逆らうんじゃないよ!」
「はい、分かりました」
「……ちっ。最初からそうやってしおらしくしてたらいいんだよ。それと、明日はお客さんが来るから、今日中に応接間の掃除をしておきな!」
彼女は悪態を吐いて出て行った。私はこの状況をどこか人ごとのように受け止めていた。なんだろう? なんだか長い夢を見ていたような気がする。
「……っと、と」
ふらつく足でベッドから降り立ち、ひび割れた壁に手をついた。そのすぐ横のガラス窓にうっすらと古びたワンピースを纏う女の子の姿が映っていた。グリーンの髪と瞳、見慣れたはずの私の容姿。だけど、そこに大人びた雰囲気はなく、あどけなさが残っている。
……私、こんなに小さかった?
戸惑いながらガラスに触れる。ガラスの向こうにいる幼い私の手と、私が伸ばした手の指先が触れた。ガラスに映るのは間違いなく私の姿だ。
続けて窓の外に目を向けると荒れ果てた庭が広がっていた。雑草が生い茂り、朽ちたブランコが無残な姿をさらし、物干し竿には古びた洗濯物が風に揺れている。そして遠くからは子供達の遊ぶ声。それは記憶の通りの光景だけど、なぜか違和感が拭えない。
「アリーシャ、怒鳴り声が聞こえてきたけど大丈夫?」
扉から擦り切れたワンピースを纏う女の子が顔を覗かせた。柔らかいピンクの髪をサイドテールにまとめ、ワインレッドの瞳を持つ、ちょっと小生意気そうな見た目の女の子。
「……エミリア」
そう口にした瞬間、言いようのない感情がこみ上げ、涙となって零れ落ちた。
「アリーシャ? 泣いてるの?」
エミリアが驚いた顔をするのを見て我に返る。
そうだ。毎日顔をつきあわせている彼女に対して懐かしむような理由はない。
直後、脳裏をよぎったのは涙に滲んだ視界に映るお墓。炎に包まれた屋敷の応接間。それから、切なげな顔で私を見下ろす青年の姿。
『次は俺と敵対しないでくれ。そうしたら――自由に生きてくれてかまわない』
夢でも聞いたセリフが頭の中で再生された。
……私、さっきからどうしちゃったの?
「……アリーシャ? どうしたの? 怖い夢でも見た?」
「ごめん、寝ぼけちゃってたみたい。もう大丈夫だよ」
「そう? じゃあ目が覚めたところで朝食を済ませて応接間のお掃除を始めましょ。早くしないと、また雷を落とされちゃうわよ。『さっさとしな、このノロマ!』ってね」
エミリアはマグリナの口調を真似て笑った。
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お読みいただきありがとうございます。
一章は12万字ほど、毎日投稿を予定しています。また、同時連載の『乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない』もよろしくお願いします。
『悪役令嬢のお気に入り』のコミック5巻が8月2日に発売で、25万部突破キャンペーンがあります。まだお読みでない方もこの期にご覧いただけたら幸いです。
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