第2話

「はぁ」


 街灯が煌々こうこうと夜を照らす中を溜息が揺蕩たゆたう。


 酒に溺れるやから、友人と騒ぐ若者、女性を侍らせる中年の男性。深夜を堪能たんのうする者たちはこぞって今からが本番なのだろう。


「俺は何してんだろうな…………」


 結論から言えば何もなかった。


 友人の女性と遊びに行っただけ。非難されることは何もしていない。


 それっぽい雰囲気になって流されそうになったのだが踏みとどまり、丁重にお断りした。


 ただ正直、理性と本能の狭間を彷徨さまよい、かなり危うかったのは確かだ。


 つまるところ、俺は桜花おうかと過ごす今の関係に飽きていたんだろう。付き合って間もなかった頃の喜びは薄まり、不満は無くも刺激の少ないだらだらとした日常に、新しい風を求めていたんだろう。


 だからといって一時でも気の迷いを起こしそうになるなんてどうかしてる。


 自分自身のていたらくに、心底げんなりしていた。


 玄関の把手はしゅを引く手が重い。


「ただいま」


「…………」


 静かだ。出かけているのか?或いは眠っているとか?


 普段なら俺が帰ってくると同時に必ず「おかえり~」と言ってくる彼女にしては珍しい。というか初めてじゃないだろうか?


「ただいま」


 再び口にしてみるもやはり返事はない。


 共に過ごしてきた3年の月日で、こんなこと今まで無かったために不安に感じる。所持していた鞄を居間のソファに置いてから、俺は家中の探索を始めた。


「寝てるだけならいいんだけどな」


 仮に家に居なくとも今すぐ警察に電話することもないだろうが、現在時刻は23時半。あと一時間もして帰ってこないようなら検討すべきかもしれない。


 そんなことを考えながら開いた部屋に電気を灯す。そこには彼女が組み立てていた例の木の箱が変わらず置かれており、その周辺には部屋の絨毯じゅうたんを覆い尽くさんばかりに大量のあかい花が散らばっていて──────。


 ドスッ!


「っっ‼」


 異様な光景を前に呆気に取られ、棒立ちしていた俺の下腹部に背後から異物がぶち込まれる。


 絶望的な激痛が襲い、フラフラ前方に倒れ込んだ。


 理解が追いつかない。


「私を裏切るからこうなるんだよ」


「おう、か…………?」


 痛みにさいなまれながらもなんとか振り向くと、毒々しい笑みを浮かべた桜花がそこには立っていた。


 彼女は外出用のオシャレな服を赤黒い血で彩り、更には鋭利なナイフを手にしている。


 距離が縮まると涼やかな冷気が伝わってくることからも、直前まで外出していたことがうかがえた。


 まさか。………いや。


「俺をけてたなんて………ことはないよな」


「おお~、凄い凄い。よく分かったね。このところ何度も夜中に出て行くし怪しかったから、明人あきとを尾けることにしたの。初めてだったけど上手くいって良かった良かった」


「なら分かんだろ。俺は裏切ってなんか──────」


「裏切りだよッ‼‼よくも平気な顔で言えたもんだね!」


 口元に浮かんだ円弧えんこが消え、コロッと形相を変化させる。


「仲良さげに話して、楽しそうに並んで歩いて、挙げ句の果てには相手の誘いに乗せられそうにもなって!そんな関係を私に黙っていたことの何が裏切りじゃないの⁉」


 内に秘めた思いをぶちまける彼女は、握ったナイフを振り上げる。


「やめ──────!」


 腹部目がけて放たれた刃物が、制止するより先に突き刺さる。


 意識が飛びそうで飛ばない、ギリギリの調整度合い。


「君の事が大好き。でも私をあざむいていたことは許せない」


「どうしろってんだよっ…………」


「どうもしなくていいよ。君の役目はもう終わったの」


 言いながら、彼女は俺の腕を持ち上げると、目の前の木箱に俺を入れていく。


 痛みで動くことも儘ならず無抵抗の俺を動かして、腕も、足も、頭も、五体全てを丁寧に収納していく。


「私は決めたの。今日この目で見て確かめて明人が変わらないなら、ずっと手元に置き続けようって」


「何を言って…………」


 散らばった花を俺と木箱の間に敷き詰めて、隙間が無くなるように埋めていく。


「だから喜んで。これから一生、明人と一緒だよ」


 一輪の朱花しゅかを頭に乗せて静かに蓋を閉められる。


 大した抗議をする権利さえ与えられないまま、俺の意識は棺桶の中で永久とこしえの闇に沈んでいくのだった。

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君の罪悪に花を添えて 明日葉ふたば @Asitaba-Hutaba

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