第6話 反抗期



 エングルフィールド公爵家以外の三つの公爵でもそれぞれ婚約者が決定し、四人の婚約者が同時に城に上がる日が決まった。一夫多妻制をとるからには、アラスター王太子殿下や他の妃たちとしっかりと信頼関係を築かなければならない。魔獣被害の多い国で、内政が荒れるわけにはいかないからだ。そのため婚約が決まるとすぐに婚約者は城で暮らす、というのが慣習である。


 すでに城に持って行く荷物を纏め終わり、一族でのお別れパーティーも、先程どうにか終了した。


 私は挨拶回りで疲れた体を叱咤し、パーティーの最中に姿が見えなくなってしまったスノウを探していた。彼の自室にはいなかったのでどこにいるのかと思えば、スノウはすっかり暗くなった庭の東屋にポツンと座っていた。

 子供の頃はこの東屋でスノウとよくお茶をした。久しぶりにここに来ると懐かしさを感じる。あと数日でこの住み慣れた屋敷を去るなんて、覚悟していても寂しいわ。


「こんなところにいたんですね、スノウ」

「…………」

「パーティーの途中から姿が見えませんでしたけれど、もしかしてずっとサボっていましたか? 今日はマデリーンも体調不良で欠席ですし、今夜はなんだか寂しいパーティーでしたわ。マデリーンにも、後で見舞いのお手紙を書かないといけませんね」

「…………」


 私の婚約が決まってからスノウの様子がどこか変だ。こんなふうに黙り込むことが多くなり、暗い表情になったり、時々不機嫌そうな溜め息を吐く。悩み事があるなら相談してくれればいいのに、いつも一緒に過ごしていた休憩時間さえ「後継者教育が忙しいから」と言って自室に籠ってしまう。これからは一緒にいられない分、スノウの変化がとても心配だわ。


 ……そういえばマデリーンも最近様子がおかしいのよね。顔色もずっと悪かったし。今夜のパーティーも欠席だなんて、思ったよりも重い病気に掛かってしまったのかしら?


 そんなことを考えていると、ようやくスノウが口を開いた。


「義姉さんは殿下と本当に結婚するの? それでいいの?」

「『それでいい』とは、どういう意味かしら?」

「……好きな人とか、いなかったの?」

「恋愛的な意味ですよね? ……そうですね、考えたこともないです。だって、私とマデリーンのどちらかがアラスター王太子殿下に嫁ぐと言い聞かされて育ったのですよ。二分の一の高確率で婚約者の席が回ってくる状況なのに、そんな賭け事のような恋をしても相手に失礼ですから」

「……義姉さんの言い分も分かるけれど」


 スノウは自分のプラチナブロンドの髪をガシガシと両手でかき混ぜて、どこか苛立った口調で話を続けた。


「義姉さんは殿下と結婚して本当に幸せになれるの? 妻が他に三人いるとかさ、義姉さんが蔑ろにされているみたいで、僕は……」


 突然、スノウが私の腕を掴んだ。そして暗闇の中でもハッキリと表情が見えるほど顔を近づけてくる。


 そこでようやく分かった。彼は苛立っていたのではない。泣きそうだったのだ。


「僕がもしも義姉さんに『一緒に逃げよう』って言ったら、どうする?」


 スノウがエングルフィールド公爵家の後継者に相応しくなるためにどれほど努力したのか、私は知っている。ずっとずっと隣で見て、一緒に育ってきたから。彼が本心でエングルフィールド公爵家を去りたいわけがないのだ。


 それでもこんな発言をするのは、スノウなりに義姉の結婚を心配してくれてのことだろう。少々心配症過ぎる彼の姉弟愛が嬉しかった。


「王家に対して不敬ですよ、スノウ。今のは聞かなかったことにしてあげます」


 アラスター王太子殿下だって、本心では好きな女性一人と穏やかな結婚を望んでいるかもしれない。それでも国民の平和を守るための最善策として、表面上はきちんと受け入れているのだから、臣下である私たちも粛々と受け入れなければならない。


「アラスター王太子殿下には幼い頃から何度もお会いしていますけれど、国民を思いやることの出来るとても素敵な御方です。私は殿下を尊敬しております。この気持ちが恋愛感情に代わることだってあるかもしれません。けれどそうならずとも、殿下をお支えします。エングルフィールド公爵家の役目として」

「義姉さん……」

「だからスノウも、エングルフィールド公爵家の後継者として頑張ってください。私たちの大切なこの領地を、守って」


 スノウの頬を撫でると、彼が堪え続けていた涙が零れ始めた。彼は顔をぐしゃぐしゃに歪めると、私の肩に額を押し当てる。


「……僕の本当の家族になってくれるって、約束したくせに。裏切らないって言ったくせに……っ!」

「私はスノウの本当の家族ですよ。離れて暮らしても、それは絶対に変わりません」


 彼の背中に手を伸ばし、私は小さい子をあやすようにポンポンと優しく叩いた。


 しばらくすると、スノウがこう呟いた。


「……っ、ごめん、義姉さん……。僕も早く大人になるから、今だけ泣かせて……っ」


 スノウがあの日流した涙を、私以外誰も知らない。





 昨日のスノウの激変に心が落ち着かなかったせいか、昔の彼の夢を見てしまったわ。


「……スノウったら、あんなにお義姉様との別れを寂しがって泣いたのに、私が城に上がってから冷たい態度を取るようになったんですよね……」


 私はベッドの天蓋を見上げ、ひとり呟く。


 城では息を吐く間もないほど目まぐるしく、私は新しい生活に慣れるのに精一杯だった。次にスノウと直接会えたのは私が城に上がってから半年くらい経ってからのことで、彼が王家のお茶会に参加した時だった。

 私は久しぶりに義弟に会えることをとても心待ちにしていた。それこそ、アラスター王太子殿下や他の婚約者と一緒にお茶会へ入場した途端、スノウを目で探してしまうほどに。

 やっと見つけたスノウに小さく手を振っていたら、横にいた殿下から『彼がルティナの家族か? よほど会いたかったんだな』と問われてしまい、ちょっと恥ずかしい気持ちになってしまった。我ながら子供っぽかったと思う。

 他の婚約者からは『久しぶりに家族に会えるのは嬉しいものね、分かるわ』『弟さんとあとでゆっくりと話して来たらいいわ』『ルティナが抜け出せるよう、みんなで時間を作ってあげましょう』とフォローしてもらえたので、ホッとした。


 それでようやくスノウの傍に近付けたと思ったら、『そうやって他の婚約者たちと一緒になってアラスター王太子殿下を囲う義姉さんは、まるで光に纏わりつく蛾のようだ』なんて冷たい表情で言うのだもの。

 スノウは会わないでいた半年の間に完全に反抗期になっていたのである。大人になるって、そういうことじゃないでしょう!? と私は驚愕した。


 そこからスノウの反抗期はずっと続き、同世代のご令嬢たちにまで冷たく接するようになったらしい。元々親しいご令嬢はいなかったみたいだけれど、反抗期になってからは女性と世間話すらしなくなってしまったみたい。


 それでもスノウはエングルフィールド公爵家の後継者で、その上、見目も秀でている。あちこちの家から縁談が殺到したけれど、『僕は一時的にセラフィールド公爵家の領地経営を担いますが、それは義姉の子供たちの誰かが継ぐまでの一時的な処置に過ぎませんから』などと言って、遠回しの独身宣言をしたらしい。


 確かに私がアラスター殿下の子を何人か産めば、その内の一人にエングルフィールド公爵家を継がせることも可能なのだけれど……。


 私はスノウに幸せな結婚をしてほしかった。彼が実の両親にどれほど傷付き、自分の本当の家族になってくれる相手を求めたか、私は覚えているから。


 それに、実子の私が帰って来てしまった以上、スノウをエングルフィールド公爵家の後継者にすることを嫌がる親族が出てきてしまうかもしれない。彼の努力を知っている私が、今さら後継者争いになど名乗り出る気はないのに。


「帰って来たら来たで、問題はいろいろ出てきてしまいますよね……」


 今後の身の振り方を父に相談しなければ。


 私はサイドテーブルから呼び鈴を手に取り、朝の支度をするために侍女を呼んだ。

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