第15話

 一時間は過ぎただろう。腕時計を見ると針は午後十時を指そうとしている。

「先輩、こんな馬鹿げたことやめて、もう帰りませんか?凜さんの証言は妄想だったんですよ」

片桐が立ち上がろうとする。

「待て」その時だ。

「痛いっ……痛いよっ……」

 微かなる子供の声が聞こえてきたのだ。声は壁の奥から聞こえてくる。

「え、まさか本当に聞こえるなんて……先輩、幽霊ですか?」

 片桐は急いで立ち上がり、周辺を見渡す。だが、誰も居ない。

「きっと、隣人の声だろう……それにしても、不可解だ。凜さんの証言では隣は一人暮らしだといっていた。しかし、何故だ。子供の声が聞こえた」

 二人は右側の壁に耳を当てて隣の音を聞いていく。

「おうちに帰りたい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 隣は何か騒がしくしているようだ。子供が泣いている。

「これはおかしい」

事件の臭いがしてきた。

 ふと、牛木は窓に目をやる。

 宝石がキラキラとしていて綺麗なのは見えたが、子供の姿等は見えなかった。代わりに影みたいなものがうようよ動いているのが見えた。

 牛木は窓の外を何十秒も観察した。ジュエリーショップの中の窓際には大きな鏡が置かれている。鏡は月明かりに照らされて反射している。月明かりに照らされた鏡をよく見てみると……

「わかったぞ」牛木はひらめいてしまった。

「声の正体ですか?」

「ああ、急がねばならない」そういって、牛木は走って長靴を履きにいく。

「待ってください」片桐も慌てて長靴を履く。

「慎重に、それだけを忘れるな」

牛木はそういい、ドアを開けて外へ出た。

 片桐も察したようだ。これは事件だ。

牛木は右側の部屋のインターホンを鳴らす。ピンポン。

「はい、なんでしょう」二十秒待つと男の声が聞こえてきた。

男はドアをほんの少し開けた。その隙間から僅かに男の顔が見えた。

 五十くらいの中年男性だ。茶色のセーターを着ているのがわかる。 

「夜分遅くにすみません。少し、話があるのですが」

「なんですか」男は機嫌が悪そうだ。

 牛木は子供の声が聞こえる、と男に伝えた。

 男は少し動揺した素振りを見せたが、

「ああ、姪っ子を預かっているんですよ」と、苦笑いで答えた。

 そんな訳ない。と牛木は思った。

 その時、部屋の奥から「うえええん」という泣き声が聞こえてきた。さっき部屋で聞いた声と全く同じだ。

まだ、未熟で幼い声。

「話遅れましたが、私、青森警察署の牛木と申します」

 そういって、牛木は警察手帳を片手で見せた。

 男は一瞬でドアを閉めようとする。だが、その隙を片桐は見逃さない。ドアの隙間に左手を入れて、ドアが閉まるのを阻止した。それでも男は必死にドアを閉めようとしたが、無駄な抵抗だった。

「片桐、男をおさえておくんだ。俺は中に入る、少し待っていろ」

 牛木は長靴を履いたまま、部屋の中へ入る。

 奥には七歳くらいの幼女が手足を拘束された状態で横たわっていた。幼女の足や腕、顔には大きな痣がいくつもあった。

「誰、誰……怖いことしないで……ごめんなさい」

 幼女は牛木を見て怯えている。

 相当酷いことをされてきたのだろう。牛木は幼女を落ち着かせようと静かに屈む。

 牛木は急いで手足の縄を解いた。

「大丈夫、安心して。私達は警察だから、一緒に安全な場所へ移動しようね」

 刑事の証明として、警察手帳を見せてから、幼女に手を差し伸べた。

 安心したようで幼女は牛木にギュッと抱き付いて、そのもとでまた別の涙を流していた。


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