第7話

 十一月二十七日の午前十二時三十分。牛木らは青森警察署を出発し、一時間程かけて海生精神病院へ向かった。

 細い砂利道を通った先に病院はある。外灯もないし、まるで獣道だ。牛木は思った。ここを夜に通るにはかなり肝が据わっていないと通れないだろう。刑事である牛木は死体や、人の怖さには慣れている。だがしかし、形のない幽霊や暗闇等はあまり得意ではなかった。

砂利道を抜けると田舎の校舎のような白い建物が塀に囲まれているのが見えてきた。ここが例の病院だろう。建物の外観は廃墟のように荒んでいたのに、中に入ると待合室には患者が溢れるほどいた。

 患者をかいくぐって、牛木は受付へ行き、早々と説明をした。

 受付事務員は牛木らが警察だとわかると、直ぐに担当の看護師に内線を繋いでくれた。

「今から看護師が二宮さんを呼んで、一階へ降りてきますので少しだけお待ちください」

 五分も待たないで、二階のエレベーターから凜は看護師と一緒に降りてきた。

「お待たせ致しました。私、担当看護師の千葉といいます」

 軽く会釈をする千葉。その隣には、枯れ枝のような細い体をした少女が立っている。本当に、二宮凜か?

「こんにちは。えっと……隣にいるのは凜さんで間違いないですか」

「ええ、二宮凜さんです。ね、凜ちゃん」

 千葉は凜の顔を見てニッコリと笑顔を見せる。子供をあやすような素振りだ。凜はコクリと小さく頷く。

「面会室へどうぞ」

 千葉はこちらへ、と手招きをしながら奥の部屋へと案内していく。老婆の奇声や鳴き声が飛び交ってくる。周りは慣れているのか何も反応しない。牛木らは、周りを観察しながら千葉の後をついていく。

 面会室に入るまで千葉は凜の近くにずっといたが、牛木が、

「あの、すみません。聞取りに入ると個人情報なども出てきますので、部屋の外で少し待っていただけないでしょうか」というと、千葉はすんなりと理解してくれた。

「ああ、そうですよね。失礼しました」

「後、鍵かけてもいいですか」

「それについては何の否定も致しませんので、是非、掛けてください。その方が安心しますので」

「すみません、ありがとうございます」

 十一月二十七日、午後一時四十分。凜の面会及び聞取りが始まった。

 部屋は四畳程度で椅子がテーブルを挟んで計四脚置かれていた。テーブルの真ん中には飛沫防止のアクリル板が設置されている。アクリル板を見るとかなり汚れていたが特に気にすることはなかった。

「鍵、掛けたか?」椅子に座って牛木は片桐に向けて確認を取る。

「ええ、しっかりと」片桐は鍵の部分を指さして答える。そしてサイン帳とペンを取り出して着席する。

「よし、それじゃあ聞取りを始めるとしよう。凜さん、良いですか」

 凜は牛木の目を見たまま、コクリと小さく頷き、微かに震えている。牛木の目からは少し、おどおどしているようにも見えた。精神障碍者のか弱い少女を目の前にして、少し、怖がらせてしまったかなと反省をする。そのため、緊張を解いて落ち着いて話をしてもらおうと思った牛木は言葉を和らげることにした。 

「凜さんは、実家に戻ってからどうしておばあちゃんのベッドで寝ていたのかな」

 まるで子供に話をしているように柔和な声だ。

「そ、それはね、おばあちゃんが好きだから」

「おばあちゃんっこってことかな」

「そう、小さい頃はね、まだママもいたの。だけど、私が小学五年生の時にママは知らない男と浮気をして家を出て行っちゃったの」

 片桐は羅列した文字をサイン帳に乗せていく。文字がキレイだとかはあまり気にしない。

「お母さんはどんな人だった?」

 牛木は柔和な声を崩さない。ゆっくりと丁寧に聞き取りやすく、と重視した話し方だ。

「ママはね何でも直ぐに癇癪を起こす人だった。それで、パパとも沢山喧嘩していたよ。ママはきっと自分の理想とする子供を育てたかったんだろうね。私にはなれなかったけど。本当に勝手な人で、今になってママは、子供を育てるべき人ではなかったと私は感じている」

 それを聞いて、牛木はPTSDについて母親と何か接点があるのではないかと思った。

「PTSDもその影響かな」

 あえて牛木は訊いてみた。

「きっとそうだと思っている。それにママと同じAB型の妹もかなりママと似ていて、小さい頃は、よく妹と喧嘩することが多かったな。妹は直ぐ腕や足を噛んできて、それに掃除機や包丁で脅してくることもあったの。だから妹の存在も怖いの。入院前に実家に居た時は妹が私を恨んで、殺そうとする幻聴や幻覚がずっとうるさくて怖かったの。今、一番怖いのはママより妹」

 奏の性格が見えてきた。

「お父さんは怖くなかったの?」

「お父さんは私と同じB型で、雰囲気も似ていて、とても優しかったし、おばあちゃんにとってもパパは初息子で、私も初孫だったからとても可愛がってもらっていた。同じ血液型の性格は似ているんだろうと、何処か安心感があった」

 片桐はペンを走らせるのを止めて、小声で牛木に耳打ちした。

「血液型は性格に紐づくこともあるっていいますけど、それって本当に性格に紐づくと思います?」

 それに対して、小声で返す牛木。

「今は余計なこといわないで黙っていろ。私語は慎んどけ」

「すみません」と、頷きながらサイン帳に目線を戻す片桐。

「事件の日、何か覚えていることはあるかな。ちょっとしたことでもいいんだ。教えてくれないかな」

「覚えていること……信じてもらえないかもしれないけど……二階から妹の声が十五分ぐらいずっと聞こえていたの。その後、急に静かになって、外で何か落ちる音がした。音はね、二回聞こえたの」

牛木はその言葉を聞いて、

「一旦休憩を取るとしよう。私は部下と少し話をしてきていいかい。その間は少し、看護師さんのもとで待っていてくれないかな」と言いながら深く息を吐いた。

 話に疲れたのか、今度はどこか虚空を眺めるような目で頷いた凜。

 片桐が鍵を開けてドアを開けると、凜は大人しく千葉のもとへと歩いていった。


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