1-8 推しの様子がおかしい

 取り巻きに両腕をがっちり捕まれて、引きずるように連れてこられたのは昨日訪れた裏庭。元から人気のない裏庭は授業中ということもあり、人が通りかかる可能性は絶望的だ。それが分かっているからオリヴィアはフローラをここまで引きずってきたのだろう。

 取り巻きの片方に乱暴に体を押されたフローラは、地面にしたたかに体をぶつけた。昨日の比ではなく、制服が汚れる。手のひらや打ち付けた膝に小石が突き刺さって痛い。体調不良も相まって立ち上がる気力がわかないフローラを、オリヴィアは愉快そうに見下ろしている。


 真っ赤な髪に、つり上がった瞳。腕組みをしてフローラを見下ろす姿は人を蔑むのに慣れている。さすが名門貴族の娘。威圧感バッチリだ。まさに悪役令嬢という姿を見ると、オリヴィアに転生することがなくて良かったと心底思う。


「フローレスさんて、商人の娘らしいじゃないですか。商人って、男性を誘惑して商品を買わせるのですか?」


 オリヴィアが口元に手を当ててわざとらしく笑う。それに同調するように、両側に控えている取り巻き達もクスクスと意地の悪い笑い声をあげた。ゲームで見ているだけでもイライラしたが、実際にされると想像以上に腹が立つ。よくもまあイヴは怒らなかったものだ。フローラには無理だった。


「そんなことしません。お客様が求めるものを、お互いが納得する価格で提供する。それが商人です。異性を誘惑して物を売りつけるなんてありえません」

「では、どうしてディラン様があなたのような、庶民に求婚するのかしら? 見た目も貧相。魔力量だってギリギリ合格の劣等生に、どんな魅力があると? 変な魔導具で誘惑したとしか考えられないのですが」


 オリヴィアは冷たい目でフローラを見下ろした。腕を組むと同い年とは思えない豊満な胸が強調される。それに比べるとたしかにフローラは貧相だ。顔だってオリヴィアの方が数倍可愛い。言動が悪役だから見落としがちだが、オリヴィアだってイヴに負けない美少女。平民のイヴや商家のフローラよりも礼儀作法は厳しく躾けられている。フローラに勝ち目などない。


「……きっと、なにかの勘違いです。クーパー様とは挨拶した程度。誰かと間違えているのだと思います」

「なるほどね。あなた、思ったよりも身の程をわきまえているのね」


 フローラの返答にオリヴィアは一応納得したようだ。取り巻きたちも「こんな庶民、ディラン様が相手にするわけないですよ」「そうそう」と相づちをうっている。その通りなのだが、目の前で言われるとやはり腹が立つ。フローラは唇を噛みしめ、土を握りしめた。


「では、なんでディラン様がそんな勘違いをしたのでしょうか? あなたが勘違いさせるような何かをしたのでしょう? あの方は、学院でも上位に位置する魔力量の持ち主。この国の未来を背負う魔法使いになるお方です。そんな方が、勘違いとはいえ貴方のような劣等生に結婚を申し込むだなんて。恥をかかせたことをお詫びするべきではなくて?」


 オリヴィアは流れるようにディランを持ち上げて、フローラを蔑む。オリヴィアは女子生徒に厳しく、有望な男子生徒、特に攻略対象に対して甘い。

 というか、絶賛婚活中なので攻略対象に近づく女子生徒に厳しい。そういう理由でイヴにも厳しく、ことあるごとに攻略対象との仲を引き裂こうとしてくる。


 そんなオリヴィアに目をつけられたということは、オリヴィアから見てディランの求婚は本気に見えたということだ。

 フローラから見ても本気に思えた。そもそもディランは冗談をいうタイプでもないし、ルートに入らない限り恋愛のれの字もない。目的のためにオリヴィアの気持ちを利用するルートもあるのだが、そこでもいきなり求婚なんて真似はしなかった。


「私が、悪い……?」

「どう考えてもあなたが悪いでしょう。一体なにをしたの。やはり、魔導具を使ってディラン様を魅了したのではなくて?」


 オリヴィアがフローラに厳しい眼差しを向ける。取り巻き二人の表情も鋭い。親の敵でもみたような顔でフローラを睨み付けているが、フローラには本当に覚えがない。

 攻略対象の好感度を一定数上げるアイテムがないわけでもないが、それは特定の場所でしか手に入らない。もちろん昨日記憶を思い出したばかりのフローラは持っていないし、今後も手に入れるつもりはない。モブが攻略対象の好感度をあげたってどうにもならないからだ。


「全く身に覚えがないです。私じゃなくてクーパー様に聞いてください」

「はあ!? 私から殿方に声をかけるなんてはしたない真似、出来るわけないでしょう!」


 オリヴィアがキレると左右の取り巻き達が「そうよ、そうよ」とはやし立てる。教室で思いっきり足を見せつけたり、豊満な胸を強調したりしているが、意外とオリヴィアはウブなのだ。

 異性を誘惑するのも婚活のために無理をしている。それを知っているからオリヴィアを心底嫌いになれないのだが、今は面倒くさい。

 フローラだってディランの考えが全く分からない。頭が痛いし、気持ち悪ちも悪い。私に絡まず、ディランにいってくれが本音である。


 気持ち悪いと自覚したら、どんどん気分が悪くなってきた。フローラは口元をおさえて黙り込む。そんなフローラに気づかずにオリヴィアはギャンギャンと何かを騒いでいる。フローラが反応しないのを見て、無視していると思ったらしく、オリヴィアの顔が怒りで染まった。

 オリヴィアの手が振り上げられる。ああ、殴られる。そう思ったが、体が動かない。一発殴ったら気がすんでどっかにいってくれるんじゃないか。そんなことをフローラは思った。体調が悪すぎて、考えることが億劫になっている。


 小学生の頃、こうして殴られそうになった事がある。相手の子はオリヴィアのように怒っていて、「なんであんたが」と鈴を怒鳴った。助けてくれたのは宏一だった。もとから宏一のことが好きだったが、あの事件以降、さらに宏一のことが好きになった。

 でも、宏一はこの世界にいない。イヴだったら攻略対象の誰かが助けに来てくれるだろうが、モブのフローラにはそんな相手はいない。

 振り下ろされる手がスローモーションのようにゆっくり見えた。覚悟を決めたところで、オリヴィアの手は唐突に止まる。誰かが後ろからオリヴィアの手をつかんでいた。


「何をしている」


 氷のように冷たい声が空気を震わす。どれだけ冷たくても、低くても、フローラには誰の声だか分かる。それでも、こんなに怒気のこもった声を聞いたのは初めてだった。

 信じられない気持ちでフローラは声の主を見上げる。オリヴィアの手を掴み上げ、殺しそうな目でオリヴィアを見下ろしているのはディランだった。


「でぃ、ディラン様。どうしてここに」

「何をしていると俺は聞いている」


 恐怖で青い顔をするオリヴィアをディランは睨み付ける。それだけでオリヴィアの体は大きく震えた。オリヴィアの近くに居た取り巻きたちも青い顔でガタガタと震えている。


「フローラは救護室にいたはずだろ。どうしてここにいる」

「ろ、廊下を歩いていたので、寮までお送りしようかと……」

「寮とは逆方向だろ」


 オリヴィアの腕をつかむ力が強くなったのが分かった。細い腕が折れてしまいそうで、フローラはとっさにディランとオリヴィアの間に割って入る。


「クーパーさん落ち着いてください! 私が裏庭に連れて行ってといったんです!」


 このままじゃ殺してしまう。そう思うほどにディランは殺気立っていた。冷酷無比。心が凍った男。そう噂されている理由が分かる。怒りで凍り付いたディランに見下ろされるとみっともなく体が震えた。それでもフローラはオリヴィアを隠すようにディランの前に立つ。


 まだ入学して一週間ほど。いま騒ぎを起こしてはディランが不利になる。オリヴィアは貴族の娘。ディランに乱暴されたなんて言われたら、後ろ盾のないディランにはどうにもできない。変に騒がれて、闇属性の適正者だとバレたらさらにまずい。

 引いてくれと念じながらディランを見つめる。数秒、視線が交わり、ディランは苛立ったようすで舌打ちすると、ガタガタ震えるだけの取り巻き達を睨み付けた。


「その女をつれて、さっさと失せろ」


 取り巻き達は大きく頭を振ると腰を抜かせたオリヴィアを両脇から支えて、逃げるようにその場を後にした。その後ろ姿が見えなくなったところでフローラは安堵の息を吐く。ほっとした瞬間気が抜けて、視界がぐらりと歪んだ。

 倒れそうになった体を支えてくれたのはディランだ。香水だろうか。よい香りがする。さすが推し、匂いもいいのかとぼんやりした頭で考えて、すぐに我に返った。


「く、クーパーさん!? 大丈夫なので、離してっ」

「なんで、俺を呼ばない」


 逃げようとするフローラをディランが抱き寄せた。腰にがっしり手をまわされているために逃げることが出来ない。推しとの急接近に心臓が大きく音を立てて、意味のわからなさに熱が急激に上がった気がする。どうにか押し返そうとするが体に力が入らない。これは熱のせいか、それとも本音は離れたくないからか。

 戸惑っている間に肩に額が乗せられて、ぐりぐりと頭をこすりつけられた。猫みたいな動作に既視感を覚える。


「宏一くんみたい」


 とっさに出た呟きにディランが顔をあげる。紫色の瞳は宏一とは似ても似つかない。雰囲気は似てるけれど、細かいパーツはやはり違う。それなのに、その表情を何度も見たことがある。


「みたいじゃなくて、宏一だよ。鈴」


 ふんわりと、溶けるような柔らかい笑みを向けられて心臓が止まった。いろんな意味で死んだ。推しの笑顔尊いとか、ディランがそんな顔をするなんてとか、いろんな感情が叫び声をあげるが、なによりの衝撃はディランの口から出るはずのない、前世の名前。

 感情が言葉にならず、パクパクと口を動かす。間抜けなその顔をディランは緩みきった顔で見つめてきた。その表情も、ものすごく身に覚えがある。


「……宏一くん?」

 半信半疑で問いかけるとディランは嬉しそうに笑って、フローラを力いっぱい抱きしめた。


「やっと会えた。ずっと探してたんだよ、鈴」

 耳元で囁かれた言葉の意味を理解して、フローラは大きく息を吸い込んだ。


「どういうこと!?」


 昨日に続き、フローラの叫び声が学院に響いた。


 




「第一話 推しの様子がおかしい」 終

 

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