1-7 悪役は最悪なタイミングでやってくる

 これは夢だとフローラにはハッキリと分かった。

 目の前に広がるのは前世の光景。宏一と同棲していた部屋のリビングにて、鈴と宏一がソファに並び、一緒に映画を見ている。当時話題だった恋愛映画だったと思う。彼女が余命宣告され、彼氏と一緒に余生を生きるというよくある話だ。そのよくある話に毎回、飽きもせずに泣いてしまうのが鈴で、冷めた目で見ているのが宏一だった。


 ハンカチを握りしめ、画面を凝視する鈴と違い、宏一はつまらなそうな顔で映画を見ている。この光景は夢だ。当時映画に集中していた鈴は宏一の顔なんて見ていない。だけど、きっとこんな顔をしていただろうなというのは想像出来た。小さな頃から一緒にいた幼馴染みなのだ。宏一の性格なんてよく分かっている。


「よくもまあ、毎回似たような話で泣けるな」

「泣くでしょ!? 死んじゃうんだよ!? 愛する二人が離ればなれになっちゃうんだよ!? これに泣かずにいつ泣くの!! 宏一くん、本当に血流れてる? 凍り付いてない?」

「お前、彼氏によくもまあ……」


 宏一はそういいながら鈴の両頬を引っ張った。痛い、痛いと鈴が文句を言っても楽しげに笑っている。こういういじめっ子みたいなところが宏一にはあった。外ではクール、無口、大人なんて言われているけど、鈴と一緒にいる時の宏一は子供っぽい。


「ほんっと、宏一くんは冷たい。きっと私が死んでもあっさり忘れちゃうんでしょ」


 頬を膨らませて鈴は言った。本当に死んでしまうなんて少しも考えていなかったからこそ言えた言葉だ。フローラはもう、冗談でもいうことが出来ない。

 フローラは恐る恐る宏一の様子をうかがった。鈴は頬を膨らませたまま、エンドロールが流れる映画を睨み付けている。宏一はそんな鈴の様子を見つめながら笑った。


「俺が鈴を忘れるわけないだろ。鈴が死んだら、すぐに後を追うよ」

「えっ、重い」


 フローラと鈴の声が重なった。さすが前世の自分。思うことは一緒だと感心する。

 鈴の反応が不満だったらしく、今度は宏一がふてくされた顔をする。そんな宏一を見て、鈴は仕方ないなという顔をして宏一の頭をなでた。


「もー、冗談なんだから、死ぬなんて言わないでよ」

「じゃあ、鈴も死ぬなんて言わないで。鈴が死んだら、俺は生きていけない」

「宏一くん、よくそれでクールキャラできるよね」

「周りが勝手に言ってるだけ」


 そう言いながら宏一は頭をなでる鈴の手を取って、頬に持って行くと頬ずりする。猫が飼い主の手に体を擦り付ける行動に似ている。宏一はよくこういう行動をとっていた。この仕草をもう見られないのだと思ったら胸が痛む。


「鈴がいない世界なんて、俺は興味ないから、そしたら二人で新しい世界に生まれ変わろう。そうだな、鈴が好きな乙女ゲームの世界とか、どう?」

「いいね、それ! 私、君つむの世界に転生したい! 魔法とか使ってみたいし、ディランに会いたい!」


 ディランの名前を出した途端、宏一の機嫌が悪くなった。宏一はディランにライバル意識を持っていた。現実には存在しないし、ディランを好きになった理由は宏一に似ていたからだというのに、ディランの話題を口にするたびに不機嫌になる。分かりやすく嫉妬してくれる姿を見るのが楽しくて、あえてディランの話題を口にしていた部分もあったのだけど、恥ずかしくて本音を口にすることは出来なかった。


「イヴちゃんと友達になりたいなー。ローレンスとイヴの結婚式に出席したい」

「そういうのって、ヒロインになりたいもんじゃないの?」

「えー無理だよ。イヴは完全無欠のヒロインだもん。私じゃ役不足」


 それは自虐でもなんでもなく、本心からの言葉だったが宏一は不満のようだった。もしかしたら本心だと分かっているからこそ、不満だったのかもしれない。鈴の体をぎゅっと抱きしめて肩に顎をのせると、ふてくされた子供みたいな声を出す。


「鈴が一番可愛い」

「はいはい。ありがとねー」

「雑」


 不満そうに宏一は鈴の肩に額をぐりぐりと押しつけた。本当に猫みたいだ。鈴もフローラと同じ事を思ったみたいで、笑いながら宏一の頭をなでた。


「私はヒロインなんて向いてないけど。宏一くんのディランは見たいな。私が死んだら、ディランになって迎えに来てね」

「……ディランになるのは、正直嫌だけど、鈴が喜ぶなら迎えにいくよ。どこにいたって絶対見つける」


 宏一はそういうと一層鈴を強く抱きしめた。未来のことなんて何も知らない鈴は「だから、重いって」と笑っている。

 宏一だってこのとき、本当に鈴が死んでしまうだなんて思っていなかっただろう。ただの戯れ。もしも話。そんな未来、来ないと分かっていたから気楽に話せたのだ。本当に死ぬと分かっていたら、きっとこんな風に明るくは話さなかったし、乙女ゲームに転生するなんて非現実的な話にはならなかっただろう。


 鈴を抱きしめていた宏一が急にフローラの方へ顔を向ける。これは過去を投影した夢。そう分かっているのにフローラの体は震えた。目の前に宏一がいるような錯覚を覚えた。


「必ず、見つけるから。今度は最後まで、一緒に生きよう」


 宏一がフローラに向かって手を伸ばす。先ほどまで鈴に向けていた優しい眼差しとは違う、深い闇を感じる瞳。自分が宏一にこんな顔をさせてしまったのだと気づいて、フローラはとっさに宏一に向かって手を伸ばした。


「今度こそ、一緒に!」

 そう叫んで、手をつかもうとした瞬間、無慈悲に目が覚めた。


 フローラの目に飛び込んできたのは真っ白い天上と、天上に向かって伸びた自分の手。熱のせいか、大量の汗をかいている。はあ、はあという荒い息は熱のせいなのか、さっきまで見ていた夢のせいなのか分からない。


 体を起こすと額から布が落ちた。エンジェリカに貰った時は冷たかったのに、すっかりぬるくなっている。呼吸を整えながら胸をおさえる。さきほどまで見ていた夢が、宏一の姿が頭から離れなくて気持ちが悪い。


「フローレスさん? 大丈夫?」


 カーテンがゆっくり開く音がした。みればカーテンの隙間から教師らしい女性がこちらの様子をうかがっている。フローラは笑って見せた。意地でも笑っていないと、声をあげて泣いてしまいそうだった。


「大丈夫です。寝たらスッキリしました」

「本当に? うなされていたみたいだけど」

「気のせいですよ。ほら、こんなに元気なので」


 力こぶを作ってみせると先生は「それならいいけど」と微妙な反応をした。


「……ここで寝るのが落ち着かないなら、寮に帰ってから休むといいわ。担当の先生には伝えておくから」

「ありがとうございます」


 人の気配がしたら寝られないほど繊細な性格ではないのだが、今はその気遣いがありがたい。もう一度宏一の夢を見たら、今度こそ耐えられない。過去には戻れないのだから、引きずったってどうしようもないと分かっているのに、どうしたって宏一の存在が消えてくれない。

 ここがよりにもよって、君つむの世界なのが悪い。どうしたってディランに宏一を重ねてしまう。


「ディランの様子がおかしいのって、中身が宏一くんだからだったりして」


 そう声に出してみて、あまりのありえなさに乾いた笑いがもれた。あまりにも前世に引きずられすぎだ。あの時はあんなことを言っていたが、鈴のことなんてとっくに忘れて、幸せになっているかもしれない。

 そんな宏一の姿を想像して、胸が痛む。祝福するべきだと分かっているのに。なんでそこにいるのが自分じゃないのと、身勝手なことを言いそうになる。鈴は死んでしまったんだから、いつまでも死者に生者が執着するはずない。縛り付けてはいけないのだと理性では分かっているのに、どうしようもなく心が痛む。


 重たい体を引きずってベッドからおりた。寮に戻ったからといって気持ちがはれるとは思えないけれど、よく知らない先生に心配をかけるのも嫌だ。悩み事があるのと聞かれたら、全て吐き出したくなってしまう。言ったところで信じてもらえるはずがないと分かっているのに、否定されたら今より辛くなるのが目に見えた。


 フローラは精一杯の笑顔を浮かべて、「お世話になりました」と頭をさげる。先生はなんとも言えない顔でフローラを見つめて、「何かあったら相談してね」と言った。フローラは「はい」と答えながら、もうここには来ないだろうなと思った。


 フラフラとした足取りで寮に向かって歩く。早く戻ってベッドに倒れ込みたいのに、体は思うように動かない。廊下の壁にもたれかかって目眩をこらえていると、目の前に影が出来た。ここは室内。急に暗くなることなんてない。

 のろのろと顔を上げたフローラの視界に入ったのは赤い髪。


「あらあら、フローラ・フローレスさんじゃないですか。ずいぶん体調が悪いご様子ね」

 取り巻きを両脇に従えた、オリヴィア・リードが仁王立ちしていた。

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