1-5 いきなり求婚って展開、漫画で見た
目が覚めたらフローラの気持ちはスッキリしていた。昨日の前にも後ろにも進めないけど、じっとしているのも嫌で地団駄を踏みたくなるような気持ちは落ち着いている。
ご飯を食べて、お風呂に入って、十分な睡眠をとる。それで大抵のことはなんとかなると、前世の友だちが言っていた。
もう会えないんだなと思ったら、胸がチクリと痛んだけど、隣のベッドをみれば今世の幼馴染であり親友が眠っている。
朝日を浴びて眠る姿はまさに天使。毎朝見ているのに、あまりの神々しさにフローラは手を合わせた。
「私はフローラ・フローレス」
池田鈴は死んじゃったんだと心の中で呟いてから、両頬をパンっと叩く。鈍い痛みに涙が出たけれど、昨日のように悲しみで死んでしまいたくなるようなものじゃない。
よしっと掛け声を上げてベッドからおり、身支度を始める。フローラの動きに気づいたらしいエンジェリカが、のそのそと体を動かして目を擦った。あくび姿すら絵になる。
乙女ゲームだったらヒロイン間違いないのに、ここは現実世界だからか、エンジェリカの周り攻略対象になりそうな人物はいない。誰かが現れたら、全力で後押しするのにと思いながら、「おはよう」と挨拶した。
エンジェリカの青い瞳がパチパチと瞬いて、ほっとした顔をした。口にも態度にも出さなかったけど、心配してくれていたみたいだ。
フローラは自分の親友が優しくて、綺麗で嬉しくなった。前世への未練はそう簡単になくならないだろうけど、エンジェリカがいれば大丈夫。そう思えた。
せっかく美人なのに、見目に対する頓着が薄いエンジェリカの髪を整え、部屋を出る。今日も一日が始まる。魔法学院に通い始めたのだ。とびっきり楽しい日々が待っているに違いない。
前世に未練があるからこそ、今世を楽しもう。そう決意して、フローラは前世には存在しなかった、魔法使いが集まる教室に足を踏み入れた。
クラスメイトたちは半分ほど集まっている。教室は大学に近く、クラスメイトたちは各々好きな場所に席をとる。
一週間もたてばなんとなくグループが出来上がっているもので、教室の真ん中くらいの場所に、派手な女の子たちが集まっていた。
入学当初から自分とはタイプが違いすぎると、フローラは距離をおいていたグループだ。乙女ゲームの記憶を思い出した今となっては、ナイス判断と自分を褒めたい気持ちになる。
グループの中心にいるのはオリヴィア・リード。赤い髪に釣り上がった猫みたいな瞳をした、自信に溢れた美少女。机に座り、足を組み、綺麗な足を惜しげもなく晒している。何人かの男子の視線が集まっているが気にした様子がない。というか、わざとだろう。
オリヴィアはイヴの前に立ちはだかる敵ポジション。ルートによってはディランと共謀することもある、前世では悪役令嬢なんて呼ばれていたキャラクターだ。
悪役は嫌いではないし、オリヴィアの境遇を知っている身としては同情する部分もあるのだが、関わり合いになりたいかと言われれば話が別だ。
地味なモブとしては、平和な学院生活を過ごしたい。
フローラと同じ考えの生徒は多いようで、みんなオリヴィアたちを遠巻きにしている。
フローラもオリヴィアの視界に入らないようにしながら、後ろの席へと移動した。エンジェリカはオリヴィアのことなんか眼中にないみたいで、視線すら向けなかった。さすがヒロイン級美少女は違う。
教科書とノートを広げて、授業の準備をしているとイヴとローレンスが並んで教室に入ってくるのが見えた。親しげな様子から、すでに出会いのイベントを済ませているようだ。
ローレンスはクラスメイトということもあり、接点が多く、好感度が上がりやすい。何も考えずに適当にプレイするとローレンスルートにたどり着くといわれるほどだ。
入学して一週間ほど。イヴが何人の攻略対象と出会ったかは分からない。すぐに出会えるキャラもいれば、なかなか出会えないキャラもいる。イヴは攻略チャートなんて知らないだろうから、何人かのキャラクターに会うのは遅くなるかもしれない。
といっても、モブであるフローラが考えることではない。王子であり、乙女ゲームのメイン攻略対象でたるローレンスルートに入れば問題はない。一国民としても、クラスメイトのモブとしても安泰だ。
そんなことを思いながら、キラキラした美男美女を眺める。画面越しでも輝いていたが、実物はさらにすごい。あまりの輝きに目頭を押さえると、エンジェリカに心配そうな顔をされた。
フローラは慌てて「なんでもない」という。推しが輝いてて目が潰れそうなんていったら、ドン引きされるに違いない。
視線をイヴとフローレンスから離すと、王子と早くも親しげなイヴにクラス中の注目が集まっていた。女子は「誰よあの女」というやつで、男子は「ローレンス羨ましい」というやつである。
その中でも、闇属性なんじゃないかってくらい、負のオーラを放っているのがオリヴィアだった。さっそくイヴはオリヴィアに標的にされてしまったらしい。
こんな早い段階から嫌われてたんだなと、ゲームでは描かれない細かい描写にオタク心がくすぐられた。ゲームではなく今は現実だとわかっているのだが、ウキウキそわそわしてしまう。
そんな落ち着きないフローラを、エンジェリカは「熱でもあるんじゃ」という顔で見つめている。熱に浮かされてるか、酔っ払ってるみたいな反応になっている自覚はあったので、フローラは咳払いしてごまかした。
イヴは近いうちに、オリヴィアとその取り巻きに囲まれる。フローラはその未来を知っていたが、モブにはどうにもできない。
オリヴィアとの衝突は攻略対象とイヴの仲を深めるのに一役買っている。可哀想だからとモブが出しゃばったら、その後の展開が変わりかねない。
イヴと攻略対象の存在は、アルヴィオン王国の未来に大きな影響を及ぼす。攻略対象の誰か、できればローレンスと結ばれてくれないと色々と困る。最推しであるディランの結末もルートによっては大きく変わるのだ。
モブが関わるのは良くないと思った矢先、フローラはディランの結末を変えられないだろうかと考えてしまった。ローレンスルートだとディランは死ぬ。ディランの死に際の言葉を聞いたイヴとローレンスは、闇属性差別をやめようと固く決意し、王国は平和への道を進み始める。
他ルートでもディランは死んだり、消息不明になったりと、散々だ。攻略対象でありながら悪役。その二面性がファンを魅了しているのだが、ここはゲームではなく現実。一度死んでしまえば終わりだ。
熱で浮かされた宏一の顔を思い出す。
ディランは宏一ではない。でも、また会えなくなるのは嫌だ。宏一と一緒に人生を歩むことは出来なかったから、ディランの人生は見届けたい。できることならハッピーエンドで。
教室のざわめきで意識が浮上した。見ればディランが入ってくるところだった。入学して一週間でも際立つ美貌と、凍りつくような冷たさはクラスメイトの注目を集めているらしい。さすが推しと見惚れていると、ディランは教室を何気ない様子で見回して、フローラとバッチリ目があった。
そこで昨日の失態を思い出す。感情を整理するのにいそがしかったために忘れていたが、ディランとの問題も解決していなかった。
やばっと思った時には遅く、ディランは一直線にフローラに向かって歩いてくる。慌てふためくフローラにエンジェリカが怪訝な顔をした頃には、目の前に立っていた。
部屋のポスターで何度もみた美貌がフローラを見下ろしている。推しの顔がいいと浮かれる余裕もなく、フローラは自分の顔がひどく引きつっていることを自覚していた。もしかしたら青いかもしれない。
今ここで、闇属性魔法でザシュッとされることはないかもしれないが、後で人気のないところでザシュッとされるかもしれない。乙女ゲームの記憶を思い出した次の日に、バッドエンドを迎える可能性なんて誰が想像するか。
どうやって逃げ延びればいいのかと考えている間に、ディランがフローラの手を取った。直接、呪うつもりですか!? と言葉にならない悲鳴混じりの声がでた瞬間、
「フローラ・フローレンス。俺と結婚してくれ!」
信じられない言葉を耳が拾った。
混乱のあまり固まるフローラの視界の端に、憤怒の表情でこちらを見つめるオリヴィアの顔がうつる。
あっこれ、裏庭呼び出しルートだ。
そう思った瞬間、キャパオーバーを起こしたフローラは気絶した。
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