1-4 池田鈴はたしかに死にました
池田鈴が乙女ゲームにはまった切っ掛けは、幼馴染みであり片想い相手である安藤宏一への恋心をこじらせたためだった。
平凡な鈴に対して、宏一は学校一の美男子。街を歩けばキャーキャー言われ、逆ナンされるのは当たり前。頭も良く、スポーツ万能。
愛想は悪く、いつも不機嫌そうな顔をしていたが、顔が良ければそれもクールでカッコいいとプラスに解釈される。
本人は女子に黄色い声をあげられるのを鬱陶しがっていて、休み時間は人が居ない場所に隠れていたし、話しかけられるとあからさまに嫌そうな顔をしていた。そんな宏一が唯一普通に接していたのが鈴である。
学校一の美男子に特別扱いされて勘違いしない女子などいない。鈴はすっかり自分は特別なのだと浮かれて、将来は宏一と結婚するのだと夢見ていた。
身の程知らずだと知ったのは、小学校高学年になってから。宏一に特別扱いされる鈴に嫉妬したクラスの女子に、虐められるようになってからだ。
宏一は王子様のようだった。それに比べて鈴は平凡。可愛くもないし、勉強も出来ない。運動オンチで、体育ではクラスメイトの足を引っ張ってばかりだった。なんでこんな子がと男女ともに陰口をたたかれた。
虐めは「俺の幼馴染みに手を出すな」という宏一の一言で終わったが、虐められている最中に浴びせかけられた言葉は鈴から離れなかった。
釣り合わない。ふさわしくない。幼馴染みだから仕方なく面倒見ているだけなのに勘違いしている。
その言葉はストンと胸に納まった。鈴も心のどこかで感じていたのだ。だから人に言われて納得したし、宏一に庇われても「幼馴染みだから」という理由が全てだと思った。宏一は鈴を幼馴染みとして大切に思っていて、異性としては意識していない。恋愛対象にはなりえないのだと。
その後も特別扱いは変わらなかった。どんな美人が声をかけても宏一は無視したが、鈴の言葉はどんな小さな言葉でも耳を傾けてくれた。
顔の変わりに協調性や社交性をどこかに捨ててきてしまった宏一は、クラス行事に非協力的で、そういうときはいつも鈴がかり出された。鈴のいうことなら聞くからと、宏一のクラスの委員長には何度も頭を下げられた。
こういうことがあるたびに、自分は宏一にとって特別なんじゃないかという期待を抱いた。すぐに釣り合わないという言葉が浮かんで、期待を引き裂いた。それでも、宏一を嫌いにはなれず、特別扱いされるのは嬉しくて、恋心を捨てることはできなかった。
身の丈に合わない恋心を知られて、否定されるのが怖い。それなのに膨れ上がる恋心は捨てられない。どうしたらいいんだろうと悩んでいる時、たまたま買った雑誌の広告に載っていたのが「君と紡ぐ未来の魔法」だった。
広告に描かれていた攻略対象の一人、ディラン・クーパーが宏一と重なって見えたのだ。
当時の鈴はゲームなどしたことがなかった。スマートフォンで暇な時にパズルゲームをやったことがあるくらいで、携帯ゲーム機、据え置き機なんて言葉も知らなかった。
それでも、どうしても広告のゲームがやってみたくて、両親にお願いした。普段物をねだらない鈴のお願いに、両親は喜んで携帯ゲーム機とソフトを買ってくれた。
ディランは言動も宏一にそっくりだった。ディランと結ばれるイヴの姿を姿を見て、自分の気持ちが報われたような気がした。
こうして鈴は乙女ゲームの世界にのめり込んだのだ。
中学に上がり、男女のグループが自然と分かれるようになると宏一との接点も減っていった。
それでも消えない恋心を、鈴はゲームで発散した。ゲームの本数は日を追うごとに増えていき、気づけばグッズやコミカライズ、アニメのDVDにまで手を出していた。
すっかりオタク部屋になった鈴の部屋に、宏一が久しぶりに訪れたのは中学三年生の時。
壁に貼られたディランや他ゲームのイケメンたち、ぬいぐるみやアクリルスタンド、コラボグッズの数々に宏一は唖然とした。初めてオタクという生き物に遭遇したのかもしれない。
数年離れている間に幼馴染がオタク化していたことに宏一は随分驚いたようで、何を思ったのか突然叫んだ。
「現実に存在しない男より、俺の方がいいだろ!!」
ゲームのキャラに張り合うなと突っ込むべきところなのだが、鈴はそのとき、片思い相手にオタク部屋を見られた羞恥で思考能力が低下した。だから、バカ正直にこう答えていた。
「そうだね! 宏一くんの方がカッコいい!」
何故かこの後二人は付き合うことになった。思い出しても意味が分からない。宏一は受験のストレスと未確認生命体(オタク)との遭遇で頭がおかしくなっていたのではと、一時期本気で心配したが、不安に対して交際は順調だった。
高校は別々だったが交際は続き、大学を機に同棲した。お互いの両親は、小さい頃から知っている幼馴染だからと歓迎ムードで、このまま大学卒業期に結婚するのだろうなと思っていた。
まさか、大学二年生で死ぬとは思わなかったのだ。
寮の部屋に戻ったフローラは、深い溜め息を吐き出した。寮に戻ってベッドに突っ伏してから、前世の記憶を思い出していた。
思い出した直前はすべてがぼんやりしていたのだ。自分が車に轢かれて死んだという事実すら、どこか他人事だった。
だが今は、全て自分の身に起こったことだとわかっている。車に衝突されたときの衝撃。地面に打ち付けられたときの痛み。赤く染まる視界に、少しずつ自分の体が冷たくなっていく感覚。全て覚えている。
フローラはぎゅっと自分の体を抱きしめた。体が震えている。でも温かい。生きている。
その事実を確認して、フローラは安堵した。それから、残してきてしまった両親、宏一のことを思って胸が締め付けられた。
両親は悲しんだに違いない。二十歳で死んでしまうなんて、なんて親不孝だろう。宏一は自分のことを責めているに違いない。
看病されるときだって申し訳無さそうだったのだ。熱に浮かされながら、幼馴染であり恋人である鈴が死んだと聞かされて、宏一は何を思っただろう。
宏一と両親の気持ちを想像すると、気持ちが沈んでいく。もう彼らにも友人にも会えないのだと思ったら、涙が溢れた。
一瞬でも、好きな乙女ゲームの世界に転生したことを喜んでしまった自分に嫌悪が湧き上がる。なにより、ディランを宏一の代わりにしようとしたことが許せない。
ディランと宏一の姿が重なった時、フローラの胸を支配したのは喜びだった。乙女ゲームの世界に転生しているという異常事態の中、よく知った、恋した相手に似ているディランの姿に安堵を覚えた。
ディランは宏一ではない。宏一に似ているだけの、乙女ゲームのキャラクターだ。今は同じ世界を生きる人間だが、フローラとディランには何の接点もない。
殺されなかっただけ幸運だった。そういう関係だ。
毛布を目深にかぶる。真っ暗になった視界に少しだけ安堵した。すがるように毛布を握りしめて、ぎゅっと体を小さくする。
暴れだしそうな感情をどうにか抑え込もうとした。叫びたいような、泣きたいような、自分でも漠然としない感情を、どう整理すればいいのかフローラには分からない。
もっと生きたかった。結婚式をあげたかったし、母親にもなりたかった。宏一と手をつないで、ずっと一緒にいたかった。
でもそれはもう、叶わないのだ。
「フローラ、寝てるの?」
ドアが開く音がして、部屋が明るくなった。廊下にかけられたランプの明かりが部屋に差し込み、エンジェリカの影が見える。のそのそと動いたのに気づいたのか、エンジェリカはドアを閉めて中にはいってきた。
一瞬明るくなった部屋がまた暗くなる。それでもエンジェリカの輝く銀髪と青い瞳はよく見えた。
「調子悪い?」
ベッドの横にしゃがみ込んで、エンジェリカはフローラの顔を覗き込む。熱を測るように額に手を置かれ、ひんやりとした体温が心地よい。
「何でもない」
「……何でもないなら、ご飯食べよう。夕飯食べそこねちゃう」
そうエンジェリカはいって、布団越しにフローラをなでる。何があったのか聞いてこない優しさに、フローラは泣きたくなった。
ここでこうしていても何も解決しない。池田鈴は死んでしまったのだ。もう前世の世界には帰れない。
ゴシゴシと目元を擦ってから起き上がる。目が腫れているのは誤魔化せないかもしれないが、せめてと思って笑顔を浮かべた。
「お腹空いちゃった」
「今日のご飯、フローラが好きなオムレツだよ」
エンジェリカは私の作り笑いに気づいているだろうに、何も言わなかった。だから私はわざとはしゃいで「やった」と明るい声を出す。
今日またベッドに入ったら、泣いてしまうかもしれないけど、前世を思って泣くのは今日で最後にしようと思った。
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