2:彼岸

 この橋を渡ればそこには愛する人が待っている。

 もしそうなら、この心はどれだけ救われるのだろうか。


 私が考えることといえば、やはり妻に会いたいということだった。そしてそれが長らく叶いそうもない事実に打ちひしがれる。


 この2時間、山道を走る車中で何度くりかえしたか分からない。いや、妻と最後に会ったあの日以来ずっとだ。

 失意を振り払うように、凝り固まった身体をシートの上で身じろぎさせる。最適化されたAIの自動運転とはいえ、ヘアピンカーブに振り回されすぎた。


 ワタナベに連れられブリッジ機関の本部へ向かっているのだが、こんな山奥になにがあるというのか。


 そう思った矢先、車が枯葉のトンネルから谷に架かる橋へ出た。向こう側には妻と新婚旅行で行ったドイツの城——名前はたしかノイシュなんとか。シンデレラ城のモデルだから見てみたいとか言われたのだ——のような建物が見えた。唐突に表れた人工物に目を奪われていると助手席の男、ワタナベが保護用アクリル板越しに告げる。


「あれが我々ブリッジ機関の研究施設です」


 その声はこのかじかんだ指でも分かるほど、どこか冷たく感じられた。車内にも関わらずシルクハットを被ったまま、身じろぎひとつせず前を見つめ続けている。


 冷たい手錠をかけられてからというもの、この世の全てが冷たい。季節も世間も、空気は急に冷たくなるものだと思い知る。運転だけでなく空調も快適に調整してくれるこの車のAIの方がはるかに温もりがある。


 だがこの橋を渡ればそこには妻が待っていて温もりに満ちたあの日々がかえってくる。


 皿の上にはメープルがかかったトースト。キッチンでは妻が紅茶アールグレイを淹れている。妻が向かいに座るのを待ってトーストにかじりつく。カップに口をつけるが、淹れたての紅茶はまだ熱く慌ててくちびるを離す。それを見た妻が笑いながら、慎重にカップに息を吹きかける。


 そんな想像をしていると谷の向こうの城が近づくのを早く感じられた。

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