友達

 柔らかな制服。学校へと続く道。日々の授業。お昼ご飯。

 間違いなく学校を好きになれたのは依那いなちゃんと出会ってからだ。


 寒い日と暖かい日が交互に発生しながらだんだんと季節は移行する。

 報道陣は殺人事件のニュースの合間にもうすぐ新生活シーズンですねと目を細め、周りの大人たちはもうすぐ受験生なんだから勉強しなさいなどと騒いでいる。が、人間の生き様がどうであろうと季節はめぐる。この大きな自然の流れに乗っかって余計なことは全て忘れてしまいたい。


 春って懐かしい匂いがする。冬なのか春なのかわからない日々の中心で、今日はちょっと春よりだとわかるのは、あの柔らかな紅色の匂いが私という幻想を包むから。



 こんな時季には服装をミスってしまう。学校指定のセーターにジャケットを着ていると少し暑い。


 今日の依那ちゃんは首元に刺繍のあるライトグレー色のトレーナーを着ている。ちょっとオーバーサイズなところが、いい。


 休み時間にはいつも依那ちゃんが私の席まで話しかけにきてくれる。だから休み時間のために授業を受けているようなものだし、というか依那ちゃんに会うためだけに学校に来ている。


「おはよー。さっちゃん、四時間目の体育ってどこだっけ……」


 依那ちゃんはそう言うと隣にしゃがみ込んで私の机に両手をちょこんとのせた。ぱっと右手を離して眠たそうに目を擦る。


「サブアリーナって先生言ってたよ。依那ちゃん話聞いてなかったの?」

「うん……。昨日徹夜しちゃったから眠い〜。さっちゃんは朝に強い方?」

「私も朝は苦手だけど、依那ちゃんほどじゃないよ」

「そっかー。僕は昼夜逆転しがちだからな〜……」


 依那ちゃんは寝言をこぼして私の机にもたれかかったままかくっと眠ってしまった。



 依那ちゃんを眺めていたらリマがやってきた。

 私の机の前に立ちはだかるリマに驚き、依那ちゃんは起き上がってさっと消えてしまった。


「ちょっと、今友達と話してたのに」

気分を害されたから思い切りむっとした顔で言ったのに、リマは哀れむような表情を私に向けただけだった。


「それよりさこな、今度の春休み暇?」

「え、なんで」

「あのね、メグミ達と話してたら、春休みにみんなでボカランドに行こうって話になって! また前みたいにメグミとキョウと一緒に四人で遊ぼうよ! さこなも来るよね……?」


 今さら四人で遊ぶ? 冗談じゃない。


「ごめん無理」

「えっ…………」


 リマはこの世の終わりとでもいうように顔を引きつらせた。頭の上でギラリと光るハート形のピンが異様に目立つ。暗い瞳はふるふる揺れていて今にも泣き出しそうだ。


 やば、面倒くさ。


 私は席を立ってトイレに逃げることにした。





 ♡♡♡♡♡♡





 メグミ、キョウ、リマ。

 同じ中学校出身でずっと仲が良かったらしい三人は、高校生になったばかりで緊張していた私に話しかけてくれた。会話に味がある空気感が心地よくて、私は三人と過ごす時間がものすごく好きになった。それが伝わったのか三人も私を受け入れてくれたんだと思う、私たちは四人で行動するようになった。


 明るいメグミ、クールなキョウ、穏やかなリマといると毎日が飛ぶように楽しかった。

 特にメグミとキョウの二人の会話はいつもコントみたいにテンポが良くて、聞いているだけで楽しかった。


 お昼を一緒に食べたり、四人で帰ったり、休み時間にくだらない話をしたりしてたくさん笑った。

 一緒に食べると、いつもは味気ないコンビニ弁当も美味しく感じられた。

 思えば私にはこんなあたたかな居場所があるんだってなんだか優越感すら抱いていたのかもしれなかった。



 だけど、それがいつまでも続いたわけじゃなかった。


「ねぇ金木先生って覚えてる?! こないだ久々に見かけたんだけど!」

「あ〜、中学の時の理科の? 懐かしいね〜」

「うわ懐かしー。『等速直線運動。ここテスト出るよー』」

「キョウやば、物真似うますぎ! 超うけるんだけどー!」

「そう? あ、じゃあせっかくだしメグミも物真似してよ」

「嫌だよ?! せっかくって意味わかんないし!」


 四人でいるのにもすっかり慣れてきた頃、私は三人の話についていけないときが多いことに気づいてしまった。

 三人は中学生のときからずっと一緒にいたんだし、当然といえば当然だった。


 いつもいつも、近くにいるのに遠くを眺めているような、一緒に歩いているのに一人でいるような、そんな感覚が拭えなかった。

 そしてそういうことはだんだん、ひっそりと、増えていった。



 そんなもやもやを抱えたまま二年生になった。クラス替えをしたけれど私たち四人はまた同じクラスになった。たぶん先生が気を遣って同じクラスにしたんだと思う。


 それからも私は四人でい続けたけれど、もやもやは広がるばかりだった。一人だけ違う学校出身なんだ、三人の共有してきた時間を絆を一人だけ知らない。その隙間を埋めることができない私たちは仲良しグループとして欠陥している。


 三人で盛り上がって私だけ会話に入れない。私なんて居ても居なくても同じ。前みたいに話を振ってほしかった。私の話を聞いて楽しそうな顔をしてほしかった。でももうそれは叶わないことだった。

 三人の話を聞いて頷いたり笑ったりするだけで精一杯だった。だよねとか言いながら作り笑いするたび表情筋が硬くなっていくのが自分でも嫌になるほどわかった。


 こんな場所から逃げ出したくてたまらなかったけれど、教室を見渡しても全員それぞれ仲良しがいて、私の潜り込めそうな場所はもうどこにもなかった。既に完成された仲の間に今さら滑り込んだって、どうせまた自分が空気みたいな存在になるのは目に見えていた。

 諦めはついていたけれど、それでも他の笑い合っているクラスメイト達を見ていると憎らしくて恨めしくて仕方がなかった。その友達といつも一緒にいるのは楽しいからなの? どうしてそんなに能天気に笑っていられるの?



 毎日毎日わけもわからず無理を重ねて、それでも自分を保っていられたのは依那いなちゃんがいてくれたから。

 依那ちゃんを見ているときだけは、リマ達とのことも、何もない家のことも、何もかも忘れていられた。

 目の前が真っ暗になるといつも、頭の中にあの声がぽこぽこ跳ねて響きわたる。明るくて天使みたいな依那ちゃんの声を飲み込むと、私の中のどろどろしたものはみんなどこかへ飛び去っていった。


 依那ちゃんは私の目の前に現れたとき、もういなくならないって約束してくれた。だから私は遠慮なくリマ達から離れることができた。 

 メグミとキョウは私が距離を置いても特に干渉してこなかった。相変わらず誰も入り込めないような仲を見せつけてわいわいやっているらしい。

 でももう私には関係のないことだ。だって私には依那ちゃんがいるんだから。




 ♡♡♡♡♡♡





 サブアリーナに向かう道。

 体育館シューズの袋を引きずりながら今日も依那いなちゃんと渡り廊下を練り歩く。

 前にも後ろにも友だち同士でしゃべりながら移動しているクラスメイトがうじゃうじゃだ。

 これから始まる体育の授業のことを考えると気が重い。


「体育だっるいな」

「なんでさっちゃん」

「だってバドミントンだよ。二人組で練習しなきゃなのに、組む友達いないし……」

「なーんだそんなこと? また僕と一緒に組めばいいじゃん!」

「…………」


 どうせまた私は余って、先生と練習することになるんだろうな。

 あの子友達いないんだ。かわいそうに。リマ達と何かあったんじゃないの?

 みんなのうわさ話が聞こえてくるようだ。みっともなくて笑えてくる。


 伸びた影を踏みつけていく自分の靴を見つめていたら、横から依那ちゃんがこてっと覗き込んできた。


「わかるわかる。僕も暗ーい気持ちになる時あるよ」

「そうなの?」

顔を上げて、くりくりしたその目を見つめ返す。

「うんうん。例えば……僕ね、たまーに、なんで生まれてきたんだろって思うんだよね。僕じゃなくてもよかったのにって。でも、さっちゃんと話したりするためにここにいるんだって考えたら、なんだか元気出てきちゃう! なんてね、えへへっ」

「……そうだよね。依那ちゃんがいるから私大丈夫だし。ありがとう」

そう言うと依那ちゃんはにまーっと笑った。



「さこな!」

パタパタと走る音がして後ろから声をかけてきたのはリマだ。うわ……。


 依那ちゃんはまたすっと消えてしまった。


「何?」

早くどっかへ行ってほしい。返せよ依那ちゃんとの時間。


「体育が終わったらお昼だね」

「うん」

「体育ってなんであるんだろうね。受験に使う人いないのに」

「うん」

「そろそろ三年生かぁ。変な感じ。さこなは大学行く? やっぱ行くよね? もうどこ受けるとか決めた?」

「…………」

握りしめた右手の爪が手のひらに食い込んで痛い。


「……。あ、さっきの話考えてくれた? ほらボカランドに行く話。やっぱりさ四人で行く方が前みたいに盛り上がって楽しいと思うんだよね〜。私さこながいないとこう、なんかどうしてもなんかこうさ、ね? 中学の時からずっと思ってたんだけど、三人だけだとあれじゃん、メグミとキョウってものすごい仲良いからさ、いつも二人で盛り上がっちゃってなんか話に入れないっていうか。あんなに仲良い二人のこと、ちょっと羨ましかったし。だからさこなに出会った時、やっと私にもお互いが唯一無二みたいな友達ができたんだって思ってすっごい嬉しかったの。だからまた前みたいにさこなと話せたらいいなって私ずっと──」



 リマを無視して私は歩くスピードを上げた。リマは悲劇のヒロインみたいに私の名前をつぶやいたような気がしたが、さすがに追いかけてはこなかった。



 困るんだよ、そういうの。


 私が三人と距離を置き始めてからリマはずっとこんな調子だ。毎度毎度こんなことを続けて飽きないのか。



 なんだか頭に血がのぼってきたのでポケットからスマホを取り出す。

 あのスクショの画面を見て心を温め直そう。


 『僕もさっちゃんのこと大好きだよ!』


 別に、リマなんていらないんだ。

 だって私の「友達」は依那ちゃんだけでいいから。


 私もずっと大好きだからね。今日の体育もなんとか乗り切ってみせるから。


 私は画面に並んだ甘い文字を這いずるようにして舐めた。

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