聖女アナスタシア様
八歳の祝福の儀式で聖力が覚醒し、首都の教皇庁に聖女候補として迎えられた私セルフィナだったけど、待っていたのはやっかみの視線や嫌がらせだった。
帝国中から集められた聖女候補はおよそ三十人、年齢は様々だけど、彼女達には共通点がある。
いずれも貴族や高位神官の娘だったりと高貴な生まれの者なのだ。
私ただ一人が、辺境の農村出身という事で卑しい存在と蔑みの対象となっている。
そして私の見た目にも問題があったのだ。
家族や村の皆は誰も来にしていなかったのだが、私の髪は深い闇を思わせるような黒髪に、血の様に紅い真紅だ。
その見た目が不吉だ、およそ聖女に相応しくないなどと陰口を叩かれているのだ。
どういう事だ女神サマ!と抗議の声をあげれば、私にスキル与えるのに力使いすぎてそっちまで手が回らなかったと言われれば、それ以上追及する事は出来ない。
それにしてもこの扱いはないだろう、と私は溜息をつく。
修行中もこのまま嫌がらせが続くのかな、などと溜息をつくばかりだったが、そんな事は起きなかった。
私達聖女候補を指導するのは、御年百二十歳の当代聖女。
この国を含む人間種の領域を守る破邪の大結界を作り上げたアナスタシア様だ。あの駄女神からこの人の事は聞いている。
大魔王封印から二十年後にこの世界に転生したこの人は、大魔王を封印した勇者リヒトの妻で、先代の聖女だった方から指導を受け新たな聖女になり、当時人間世界を脅かしていた大魔王の腹心である魔族を初めとして多くの魔族を討ち倒した。
そして百年前から人間世界を守る為に破邪の大結界と呼ばれる結界を構築するという一大事業に取り組まれている。
破邪の大結界内では魔族や魔物達は本来の力が振るえず、逆にそれ以外の者は僅かながらも加護を受け能力が底上げされ、それの恩恵によって魔族や魔物達は徐々に駆逐され結界外の領域へと追いやられていき、人間世界には平穏が訪れたのだ。
百二十歳にはとても見えず、六十代か七十代で通るような姿の彼女は、集まった聖女候補達に対し、お前達の中から次代の聖女が現れ、およそ10年後に復活する大魔王を勇者たちと共に倒す事になると告げる。
それが理由なのか、貴族達や神官が挙って候補にと素質ある自分の娘を送り込んだのは、大魔王を倒すなんて功績を上げれば、その家の栄華は約束されたものだ。
聖女になれば、神聖帝国皇太子との婚約話も持ち上がるだろうなんて話もあるらしく、集まる候補達は皆打算に満ちた顔をしている。
そんな聖女候補達をアナスタシア様、私がお師匠様と呼ぶあの人は容赦なく振るいにかけ始めた。
学ぶ時間が十年あるかないか分からないんだ。最初から全力で行くと宣言したお師匠様は言葉にするのも憚られるような過激かつ過酷な訓練を課していく。
半年もしない内に三十人以上いた候補生は半減し、一年目を終える時には両手で収まる数になっていた。皆訓練に耐え切れず泣きながら親に助けを求めたり、深夜に脱走して親元に逃げ帰ったのだ。
当然そんな訓練を課せば抗議が方々からくるが、お師匠様は世界を守る存在を育てるんだ、遊びでやってんじゃないんだぞと逆に抗議しに来た貴族の胸倉掴んで吊るし上げてた。
魔物達からの守りは破邪の大結界に頼り切っている上に、洒落にならない程強いお師匠様に誰も逆らう事は出来ず、訓練は彼女の方針のまま続行。
地獄の様な訓練に追われる日々に、私への嫌がらせなどやる余裕など起きない。
いや、やる奴は居たんだけど、目ざとくそれに気づいたお師匠様が、他人の足を引っ張るような余裕があるんだねと、その犯人に更に訓練を課して心を圧し折ってしまったのだ。
皆日々を乗り切りのに必死で、それ以降は私に嫌がらせなどは起きなかった。
聖力を高める為の過酷な試練や、戦う為の知識や技術を会得する為の訓練。神聖魔法の授業を経て、ある程度戦える知識や技能が身に付いたと思えば、訓練は更なる段階に移行する。
僅かな装備や食料と共に、魔物達の勢力圏に一人放り込まれ、独力で大結界のある領域まで帰還しろなんて訓練が定期的に行われ、模擬戦を行えば容赦なくこちらを打ちのめして至らない場所を指摘される。
それに心が折れて次々と脱落し、四年目が終わる頃には候補者は私一人だけになっていた。
「残ったのはお前だけかいセルフィナ。どいつもこいつも根性無しだねぇ」
「あはは、お師匠様の訓練はハードですからね。私だって逃げたいってなる時ありましたもん」
「そう言いながら、お前は今日まで喰らいついてきた。やはりお前が女神の言ってた私の後釜のようだね」
ある日の訓練の後に、私へと声をかけてきたお師匠様。戦闘訓練の為に動きやすい服装のお師匠様は、白くなった長い髪を揺らしながら、地面でへばっている私の側に来て手を貸して起こしてくれた。
この人ホントに百二十歳なの? 滅茶苦茶強いし、その戦い方も格闘戦から武器を使った物まで多岐に渡っててホント凄い。
アンタも転生してきたのかいと尋ねられ私はそれに頷く。
「そこまでして私の訓練に喰らいつく理由、お前は何か目標があるのかい?」
「ええ、私は大魔王を倒した後に、女神サマから貰ったスキルを使って、この世界で技術革命を起こしたいんです」
「ほー……お前はそういうのを貰ったのかい。アタシは神聖魔法の力と寿命を平均の倍にしてもらったのさ、一仕事終えた後はのんびり余生を楽しむためにね」
何か目標があるのかというお師匠様に対し、自分の夢を語る私、その為のスキルも貰ったと言えば、お師匠様も女神サマから貰ったものを教えてくれた。
「技術革命って、具体的には何をやる気なんだい?」
「やる事は沢山ありますよー、まずは故郷の村で堆肥作りを広めました。今はスキルも使えるようになったんですよ」
「へぇ、興味があるね。どんなスキルなんだい?」
技術革命を起こすにあたり、どんなスキルを貰ったんだと興味津々な様子で尋ねてくるお師匠様。
同じ転生者仲間だし、彼女になら言っても大丈夫だろうと私は説明を始める。
私が女神サマからあっちの都合で殺された補償&口止め料って事で貰ったスキル、一つは私が過去読んだ事のある本を全て閲覧可能にするタブレット状の端末を呼び出す、『
操作できるのは私だけなので情報漏洩の懸念も無い上、必要な情報は映像として映し出したり、紙に転写出来たりと優れものだ。
そしてもう一つのスキルが、『技術大全』内に存在する物などを、ある程度条件は付くが創り出す事が出来る『
これを使えば病気などに強く収量を期待できる、あちら側の品種改良された作物の種なんかも創造できるし、加工技術の見本品なんかも作れる。
似たような種類の作物や、材料があった方が魔力消費が少ないという利点もあって、最近自家製酵母をこっそり作り、それを元に創造魔法でイーストを生成してみたと言ってみれば、お師匠様は何か凄い衝撃を受けた顔をした。
「セルフィナ……イーストが出来たって、本当かい?」
「天然酵母があれば、そんな力を消費せずに創造する事が出来ましたねー、まだ試作したところなので実際には試してないんですが……」
「今やろうじゃないか、教会の厨房使えるように指示を出す、さぁ早く!」
まだ試作したばかりで、実際に試した事は無いと口にしたところで、ガシィッと肩を掴まれる。
痛い痛いよお師匠様。私は有無を言わさず彼女に厨房へと連れて行かれる。
急にどうしたんですかと尋ねれば、お師匠様は俯いて肩を震わせながら小さく呟く。
「ふわふわのパンが食べたい……ここのパンは硬くてしかたない!」
「分かります、分かりますよ!だから余裕が出て来たから真っ先にチャレンジしたんです!」
話を聞けば、お師匠様は私より百三十年も前に来てるけど、向こうでは私とそんな変わらない時代の人だったらしい。
この世界のパンが硬くて美味しくなくて嫌だったんだと口にすれば、私も激しくそれに同意する。
天然酵母もロクに開発されていない技術水準なので、この世界のパンは硬いしあんまり美味しくないのだ。
力が安定してきはじめ、修行にも少し余裕が出てきたので、天然酵母だけでも十分だろうけど、出来るだけふわふわで美味しいものが再現したいと、私は創造魔法の実験も兼ねて現代のイーストを作成したのである。
「如何しましたか、アナスタシア様、急に厨房を使いたいだなんて……」
「ああクラウスかい。まぁ見てな、セルフィナが凄い物を作ってくれるんだ。お前にも特別に分けてあげようじゃないか」
「はぁ……何やらいつになく嬉しそうですね、そんな風に笑う貴方を見るのは久しぶりです」
「ふふん、分かるかい。あの子がアタシの期待している物を作ってくれるのが楽しみで仕方ないんだよ」
厨房から人を全員追い出した上で、私は用意された材料を使ってパン作りを始めている。
何が始まったのですかとお師匠様の元に来たのは、長らくお師匠様の補佐をしている初老の大神官クラウス様だ。
二人な恋人みたいな関係で、いつも二人でお茶を飲んだりしていて、たまに私も混ぜてもらってる。
楽しみだと笑っているお師匠様に、それは良かったですねと彼も微笑んでいた。
生地を作り、調理場に設置された魔導コンロ下部のオーブンに入れ温度調節をして発酵させる。
しばらくして生地が膨らみだすとお師匠様とクラウス様はおお、と二人仲良く声を漏らす。
「この魔導コンロって便利ですねー、でもなんでこれだけ技術が発達してるんでしょう」
「コイツかい?これはアタシがアイデアを出して、知り合いに作って貰ったのさ、こういうのなら出来るだろって考えてね。後は魔石式ストーブや扇風機を作らせたよ」
「なるほど、お師匠様のアイデアだったんですか。それならこんなにしっかりした機能付いてるのも頷けるな」
この魔導コンロは炎の魔石を使って、細かな温度調節機能にオーブンまで付いている。
これだけなんか発達し過ぎてない?と思ったけど、そうかお師匠様のアイデアか、それなら頷けるね。
初めは自分が使いたくて作らせた特注品だったが、依頼した工房を運営する貴族様がこれを量産したいとお師匠様にかけ合い、当時は特許って概念がなかったからお師匠様がそれも教えて、売り上げから幾らかをお師匠様に払う事で量産を許可したらしい。
そうして量産された魔導コンロは様々な型が発売され、今は貴族から一般市民まで多くの家庭に導入されている。お師匠様はその収入の大半を身寄りのない子供達を支援する費用に使っていると教えてくれた。
「アンタもアイデアが思い付いたら言いな、アタシが口利きしてやるよ」
「大魔王を倒した後に本格的に始める時にはお世話になりたいですね。ああでも、甘味をなんとかするのには今からでも協力してもらいたいなぁ」
「ほぅ、まだ何かやるつもりなのかい」
「まだ案だけですけどね。その内手広く商売をやっている方の力を借りたいなーと」
甘味と聞いて喰い付いてくるお師匠様。砂糖が高価な物だからなんとかしたいんだよね。
この世界ではサトウキビから作る砂糖だけが存在し、帝国は外国からの輸入に頼っていて非常に高価なのだ。それを解消するアイデアはあるので是非力を借りたい。
「これは何を作っているんですか?セルフィナさん」
「パンですよ。でも普通のとはちょっと違います」
「これがパンですか、初めて見るようなものですね。なんだか私も楽しみになってきましたよ」
「ふふふ、そうだろうそうだろう。きっと美味いぞ」
こんなに膨らむパンは見た事が無いと興味津々な様子で見ているクラウス様、隣でお師匠様も楽しみだと笑っている。
お師匠様は厳しいところもあるけれど優しいし、クラウス様は他の神官と違って私を差別せず接してくれる。
大好きな二人の為にも美味しいパンを焼かないとね。
下準備は出来たので予熱したオーブンへと入れ、後は焼き上がるのを待つばかりだ。
その間にお茶の準備や、砂糖の代わりに蜂蜜を用意する。蜂蜜も養蜂技術が確立されてなくて高価だから、それを伝えるのもありだよね。お金になるからきっと飛びつく筈。
「なんていい匂いなんでしょうか、とても美味しそうですね」
「これは……予想していた以上の物だな。食べよう、すぐ食べよう」
「お師匠様急かさないでってば、お茶飲みながら食べましょうよ」
うん、いい感じに出来たね。焼き上がったパンの良い香りに思わず顔が綻んでしまう。
二人も凄く良い匂いだと褒めてくれる。
早く食べたいと急かすお師匠様に苦笑しながら、私はパンを運び出し、私達がいつもお茶を飲んでいるテラスへと持っていく。
何も凝った事はしていない丸パンだけど、この世界の従来のパンとは比べ物にならない程ふわふわだ。
まずは何も付けずに一口。うん、美味しい。そしてこのふわふわが堪らない。これだよ、私が求めていたものはと満面に笑みが浮かんでしまう。
「こんなパンがあるなんて、夢でも見ている様な気分です。本当に柔らかくて美味しいパンですね、アナスタシア様……えっ?」
「お、お師匠様っ?」
クラウス様も気に入ってくれたみたいで嬉しい。
お師匠様はどうかなと見たところで私はビックリして思わず声をあげてしまう。お師匠様が涙ぐんでいるのだ。
「ん……ああ、すまん、こんな美味しいパンを食べたのは久しぶりでな……思わず涙が」
私達の反応でようやく自分が涙を浮かべている事に気付いたお師匠様。
本当に美味しいパンだと笑いながら、彼女は一口、また一口と噛みしめながら食べている。
「ああ、美味いなぁ……そして、懐かしい味だ」
「お師匠様、この蜂蜜も試してください、きっと合う筈です」
「ありがとうセルフィナ。うん、アンタの言う通りだね。これは癖になりそうだ」
懐かしみながら涙を拭うお師匠様。
ここまで喜んでもらえるなんて、私も頑張ったかいがあったね。私が差し出した蜂蜜を塗って食べたお師匠様は嬉しそうに微笑んでくれた。
「今日はなんて嬉しい日だろうね。ずっとずっと食べたかった故郷の味に巡り合えた」
「それはようございましたね、アナスタシア様」
この世界に転生して百二十年、ずっと食べたかった味に巡り合えたと笑うお師匠様。
多分クラウス様はお師匠様の身の上を知っているのだろう。幸せそうな表情を浮かべているお師匠様を前に目を細めながら良かったですねと微笑む。
私達はしばらくの間お茶を飲みながら、初めて作ったパンの味を楽しんだ。
「余った分はお師匠様が保管して食べてください。お師匠様も使えますよね? ストレージの魔法」
「いいのかい? 苦労して材料を用意したんだろう?」
「また作りますから大丈夫です。それよりも、お師匠様に食べてもらいたいです」
「そうかい、ありがとうねセルフィナ……また出来た時は味見させておくれ」
「勿論です! 色んなパンにチャレンジしますから楽しみにしててくださいね」
残ったパンをバスケットの中に入れて、どうぞと差し出せばお師匠様はいいのかいと目を丸くしたけど、美味しいって喜んでもらえる人に私は食べてもらいたい。
ストレージの魔法、それは高位の使い手が使える収納魔法で、経年劣化をほぼしない優れ物だ。
また作りますからと言えば、お師匠様は嬉しそうに笑って頭を撫でてくれる。
この人の新しい一面が見れたようでなんだか嬉しいな。
これからもお師匠様が喜んでくれるような物を作ろう。勿論、修行も頑張るよ!
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