第94話:トライニスキューション

 サレンの背から降ろされたミシェルはよろよろと座り込み、サレンの背中を見つめる。


「これから起こる事は、黙っていて下さいね」


 その言葉の意味する事を考えていると、サレンの雰囲気が変わる。


 否。雰囲気だけではない。


 赤い髪が黒く染まり、頭の側面から大きな角が生えてくる。


 感じ取れるほどの魔力が噴き出て、思わずミシェルは身体を震わす。


 その姿はどう見ても人ではない。


「サレン……さん」

「二度目だが。随分と馴染むものよのう」


 口調も変わり、同一人物とは思えない。


「さて、どう遊んでやろうか……」


 サレンが変わったからと言って、魔物が消えたわけではない。


「グラァァァ!」 

 

 剣を身体から引き抜いたルインプルートネスが、サレン達に向かって吠える。


 すると空中に黒い槍が大量に現れ、サレン…………いや、ルシデルシアに向かっていく。


 飛んでくる魔法を見てミシェルは目を見開くが、当のルシデルシアは全く慌てていない。


「この程度か」

 

 軽く手を振るう。それだけで魔法は全て消え失せる。


 ルインプルートネスは驚く様な仕草をするが、直ぐに喝をいれるかの様に咆哮を上げ、ルシデルシアを潰そうと襲い掛かる。


「力に縋るとは……無様だな。――トライニスキューション」


 黒い何かがルシデルシアの前から放たれ、ルインプルートネスを飲み込む。


 それだけでは飽き足らず、後方の森や、地面を抉りながら突き進んでいく。


 そしてガラスが、割れるような音が響く。


 ルシデルシアの魔法により、展開されていた結界が壊れたのだ。


「まあ、こんな物だろう」


 魔法が消えると、ルインプルートネスの姿はどこにもなく、木が消えて抉れた地面が遠くまで続いている。


 残っているのは、そこにルインプルートネスが居た証である、魔石だけだ。


 ミシェルはここで死ぬのだと覚悟していた。


 サレンが居たとしても、ルインプルートネスなんて化け物に勝てるとは思えなかった。


 なのに、蓋を開けてみれば、無残に破壊された森が出来上がっている。


 ミシェルは何も出来ず、ただルシデルシアサレンを見つめる。


(サレンさん……でも、こんな……)


 逃げ出したい衝動に駆られるが、腰が抜けて立つ事が出来ない。


 次は自分が殺される。


 そんな未来を幻視する。


 それほどまでにルシデルシアが醸し出す雰囲気と魔力は冷たく、普段のサレンとは全くの別ものなのだ。


 表情だけは冷たく刺し抜いてくるが、いつものサレンには人を気遣う優しさがある。


「小娘」

「は、はひ!」


 振り返ったルシデルシアの表情はいつものサレン以上に鋭く、正に心臓を貫かれるような息苦しさを覚える。


「この事は誰にも話すなよ。さもなければ、分かるな?」

「はい! 勿論です!」


 目の前に居る、サレンの形をした誰か。


 ミシェルには従う以外の選択は無い。


「ならば良い」


 ふとルシデルシアが目を閉じると、頭に生えている角が空中に散っていき、髪が再び赤くなる。


 悍ましい魔力もなくなり、身体の震えが少しだけ良くなる。


「サレン……さん?」

「はい」


 元に戻ったと分かり、ミシェルは言葉に出来ない感情が溢れてきた。

 

「サ゛レ゛ン゛さ゛ーん゛!」


 ミシェルが身体を無理やり動かし、サレンへの胸へと飛び込む。


 しかし、鎧のせいで頭を打ち、 地面でもんどり打つのだった。






1







 意識が戻ると、ミシェルちゃんが泣きながら飛びついてきた後に、鎧に頭をぶつけて地面を転がっている。


 とりあえず無視して、ルインプルートネスが居た方に振り向くと…………何もなかった。


 木々諸共地面が抉られ、数百メートル先まで大きな溝が出来上がっている。


 幅は十メートル。高さも三メートル位ありそうだ。


 またとんでもない環境破壊をしたものだな。

 

 おや?


 溝の底に魔石が落ちているな。


 持って帰って換金したいが、ミリーさんに出所を探られても困るし、持って帰るのは諦めよう。


『見ての通り倒しておいたぞ。それと、軽く周辺も調べておいたゆえ、参考にしろ』


(どうも)


『余からも釘を刺しておいたが、そこまで徹底する必要はあるのか?』


 有るか無いかと問われれば、間違いなく有る。


 これまで獣人やエルフ。ドワーフや魚人は見てきたが、魔族はまだ見ていない。


 まあ、見た目だけで言えばドラゴン族何かは俺が想像する魔族みたいな見た目なのだが、一応明確に違う。


 一応ホロウスティアの条約的に魔族が居ても問題ないのだが、諸事情でこのまま隠し通す事にした。


 諸事情というが全割ルシデルシアのせいだが、下手に話してホロウスティアから出て行けと言われても困る。


(平和に生きるなら、力が有ると知られない方が良い。弱者を偽った方が、大体の世の中は生きやすいものだ。)


『そうか』


 それっきり、ルシデルシアは黙る。


 強者には強者の。弱者には弱者の考えがある以上、どこがで分かり合えない齟齬が出てくる。


 まあ互いに相手の事を思っての事なので、齟齬による仲違いは起きないだろうけどな。


 一心同体だし。


 ルシデルシアのことはほっとくとして、この破壊の痕跡の言い訳をどうしたものか……。


 敵の魔法……って言えば大丈夫かもしれないが、下手な緊迫感を与えることになりかねない。


 ルシデルシアに頼んだのが俺である以上、俺がどうにかしなければならないのだが……。


「うぅぅ……サレンさん。さっきのは一体……」


 困り果てていると、ミシェルちゃんがよろよろと立ち上がる。


 やっと復活したみたいだ。


 このミシェルちゃんの質問にも困りものである。


 俺の中に別人格があり、しかも過去に世界を滅ぼそうとしていた存在なんて言うわけにもいかない。


 うーん……。


 適当に濁すしかないか。

 

「他言無用出来るのなら教えますが、どうしますか?」

「……お願いします」


 出来れば断ってほしかったが、仕方ない……。


「…………実は、私もよく分かっていないのです。私がピンチの時だけに、何かが内側から這い上がってくるのです。記憶が一部欠けているせいだとは思うのですが、さっぱりなのです」

「――それってかなり不味いんじゃ……」

「何かが身体を操っている間は何も覚えていないので、まさかこんな事になっているとは思いもよらず……」


 もう、全力ですっとぼけるしかない。


 言い訳なんて思い付く筈もなく、下手なことを言えば不審がられてしまう。


 しかもネグロさんの娘なので、ネグロさんの所まで話が行くのも不味い。


 生き残るために仕方ないとは言え、ルシデルシアを使うようなことは、本当にしたくなかった。


「この事は内密にお願いしますね。あまり周りに迷惑をかけたくないので」

「……それってつまり、私とサレンさんだけの秘密って事ですか?」


 何だが意味ありげなイントネーションだが、まあそう言うことになるな。


 ミシェルちゃんが吹聴しなければ、後はミリーさんさえ誤魔化しきれればどうにかなる。


 ミリーさんは間違いなく俺がこの惨状を作ったと思うだろうが、ミシェルちゃんに口裏を合わせてもらえば、確信はできない筈だ。


 確実な証拠さえ見せなければ、何も手を出してこないと思う。


「そうなりますね。この状況は、何者かが魔物を召喚し、魔法を使って自爆したことにしましょう」

「分かりました!」


 随分と暗くなり、既に煙も見えなくなってしまったが、大体の位置情報はルシデルシアが情報を頭に流してくれたので分かる。


 一番怖いのは置いていかれる事だが、数時間歩けば帰れる距離なので、一応なんとかなる。


 荷物は間違いなくルシデルシアの魔法に飲み込まれたので、飲まず食わずで帰ることになるだろうけどな。


 ついでに武器も無いので、徒手空拳で戦うしかない…………俺が。


「それでは帰りましょう」

「はい」


 抉り取られた森を背にして、馬車のある森の外を目指す……前に、何故か解けている髪を結び直しておく。


 そう言えば、他の奴らは大丈夫だろうか?


 ……まあ我が身が全てだな。







1







 サレンが転移させられて魔物に追いかけられていた頃、ミリーは一人の騎士の喉元に剣を突き付けていた。


 周りには魔物の死体と、体験入団に来てきた若者の死体が転がり、血の臭いを漂わしている。


「な、成る程……あなたがそうだったんですね……。完全に読み間違えていたみたいだ」

「辞世の句とかいいから早くゲロってくんない? 私も暇じゃないんだからさ」


 騎士……ジグザムは切り落とされた左腕を押えながら息も絶え絶えに笑う。


 何処からともなく現れた魔物に、迷彩服を着た男。


 そして、若者達を惨殺していたジグザム。


 少しばかり、ミリーも今回の犯行について読み間違えていた。


(これは王国じゃなくて、他の仕業ぽいな……まさか殺しを前提にしているとはね……)


 今回の事件だが、ミリーはエメリッヒの誘拐を企てていると睨んでいた。


 だが蓋を開けてみれば、B級以上の魔物が大量に現れ、所属不明の男が殺しに来る始末だ。


 事情を知っているミリーからすれば、王国がこんな強行手段を取る筈がないと直ぐ看破出来た。


「王国のためですよ。態々未熟な護衛を引き連れて現れたエメリッヒを……ぐっ!」 

「そんな嘘は言わなくて良いからさ。裏には誰が居るの?」


 ジグザムの残された右腕も切り落とし、淡々と問いただす。


「ホロウスティアで起きてた王国の事件だけど、あれを解決したの私なんだよね。でっ、早くしてくんない?」

「それは……流石ですね。ですが、これらは全て王国に泥を被って……」

「狂信者」


 馬鹿にするように話すジグザムに被せる様に言うと、ジグザムは僅かに動揺を露わにする。


 その反応でミリーは大体の事を察して、一連の流れを頭で纏める。


 王国がホロウスティアで起こした事件を知る事ができ、そしてこの事件が王国のせいと断定された場合、得をする者……。


(求めているのは戦争。そしてそれによる人心の獲得……本当に、屑だねぇ)


 八割方間違いはないだろうとミリーは瞬時に考え、僅かに怒りの表情を出す。


「裏に居るのは教国か。なら、後は調べるとするよ。戦争を起こそうとしたみたいだけど、動きのある国が正解ってことか」

「……さて、何の事だか」

「もう良いよ。これ以上は時間の無駄だしね。これだから宗教は嫌いなんだ」


 剣を横に振り、ジグザムの首を落とす。


 刀身には一切の血が付かず、首からは遅れて血が流れ始める。


「さて……っ! これは!」


 突如ミリーの身体に悪寒が走る。

 

 身体を圧し潰すような、禍々しい魔力を感じたのだ。


 丁度その頃サレンはルシデルシアに身体を渡し、ルインプルートネスを倒した所だった。


 ルシデルシアの解放した魔力があまりにも強力過ぎたため、遠くに居るミリーまで届いていたのだ。


 ミリーは行くべきか、退くべきか考えるが、禍々しいはずの魔力の筈なのに、妙に嫌悪感を抱かない事を不思議に感じる。


 そして何故か、サレンの顔が頭に浮かんだ。


 聖職者であるサレンが、これ程淀んだ魔力を放てるとは思えない。

 

 これまでミリーが見て来たサレンの行動は全て善良な物であり、宗教を嫌っているミリーからしても、心を許せるような人物だ。


 色々と不可解な事があり、どこの誰かなのか調べてはいるものの、信用出来る人物であろうと、ミリーの中では答えが出始めていた。


 だが……。


(SSS級なんて化け物を単身で倒したってのは、やっぱり嘘じゃないって事か……)

 

 この魔力がサレンの物ならば、SSS級であるペインレスディメンションアーマーを倒せたのも納得できる。


 サレンから漏れ出ていた違和感のある魔力が、これだとするならば……どれだけの化け物をその身に宿しているのか……。


 そのような事を考えている内に感じてい魔力は鳴りを潜め、何も感じなくなる。

 

 サレンの事も気になるが、被害の全容を把握し、事件の全体を把握しなければならない。


 最低でもサレンとピリンの居た4番チームは大丈夫だろうが、他がどうなっているか分からない。


 魔物による被害はあっても、ここ数年は国同士のいざこざは全くなかった。


 まるで誰かが裏で糸を引いているかの様に、相次いでホロウスティアは攻撃を受けている。


 二度目となれば、帝国も黙っているとは限らない。


 ミリーは剣を鞘に納め、魔物や人の死体を風の魔法で粉々に粉砕する。

 

 おそらく、どう調べてもこの事件は、王国が仕掛けたものだという証拠しか出て来ないのだろう。


 ならば、教国の何所が関与しているか、証拠を手に入れへ行くしかない。


 王国の方はライラの件で行かなければならないので、ついでに教国へ向かえば良い。


 少々距離はあるが、行けない距離でもない。


「まったく……どうしてこう忙しくなるんだかなー」


 襲ってくる魔物を斬り伏せ、他のチームの場所へ向かう。


 そして、溜息を一つ零す。


 

 

 

 

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