第24話:氷の女王
(ピアノが弾ける……か。本当なら曲で出身を割り出せるかな?)
酒を飲んだせいで顔が赤くなり、千鳥足となっているミリーだが、見た目ほど酔ってはいない。
家や詰所で飲むならまだしも、外で潰れるほど飲むような事はしない。
更に言えば任務中に、前後不覚になる気はない。
(それにしても、あの酒を飲んで普通に歩ける人がいるとは……)
――レッドドライ。
連続式蒸溜機によって蒸留した酒に柑橘類とトマトを加えたお酒だ。
色合いや度数の強さから火竜の息吹と呼ばれる事もある。
本来はライラが言っていた通り割るか、ショットグラスなどで飲むのが普通だが、この店ではビールジョッキで出す。
注文時にちゃんと言えばそんな事にはならないが、一見さんには黙っておくのがこの店のルールなのだ。
レッドドライを頼むのは大抵、自分は酒が強いと自惚れている奴が多く、そいつらを黙らせるためにジョッキで出すようにしているのだ。
他にも度数の高い酒はいくらでもあるのだが、若くて調子に乗っている奴が頼むのは大抵レッドドライなのだ。
そんな酒をジョッキで普通に飲んだサレンの周りからの評価は……。
「酒豪ってレベルじゃない」
「ドワーフとタメを張れるシスター」
「酒で悪霊を殺せるのでは?」
と、散々なものであった。
そんなサレンはステージに置かれたピアノの前に座り、姿勢を正していた。
その姿は一枚の絵と評す事が出来る程美しいものだが、キレ長の目は酒を飲んでいても少し怖い。
サレンが鍵盤に手を添えると、バカ騒ぎをしている客達が静かになる。
人差し指で鍵盤が押され、ピアノ特有の高い音が店の中に響く。
音を確かめるように七回違う音が響いた後、サレンは両手を鍵盤に添えた。
「――綺麗」
その所作はあまりにも様になっており、ミリーは思わず見惚れ、そう呟いてしまった。
「一曲……宜しいでしょうか?」
「は、はい! 大丈夫です」
見惚れていたのはミリーだけではなく、店内に居るほとんどだった。
今サレンに声を掛けられた、店員も例外ではない。
指が鍵盤の上でダンスし、店内に物悲しげな曲が流れる。
ついつい聴き入ってしまうが、曲調のわりに、店内に流れる空気は悪くない。
その理由は、ピアノの音とともに流れるサレンの鼻歌のせいだろう。
「素晴らしいものだな」
「とても凄いですぅ……」
ライラとシラキリはピアノを弾くサレンを眺め、静かに飲み物を口に運ぶ。
(素晴らしいが……これ程の曲に歌。どこかの貴族か、或いは……)
簡単な楽器ならば平民でも学べるが、ピアノの様な高価な楽器を演奏出来る平民はまず居ない。
ホロウスティアにある学園や、各王都や帝都などの主要な学園でなら、学ぶ事も出来るが、芸術系統を学ぶ余裕がある平民は居ないと言っても過言ではない。
ピアノを弾く手に迷いはなく、音楽を知らないミリーからしても美しい音色だ。
――あまりにも、手慣れている。
記憶がないと言うのが本当ならば、身体に染み付く程度にはピアノを弾いていた事になる。
そんな人物は、間違いなく貴族に連なる者だろう。
貴族の子息が、どこかの宗教に属することはよくあることだ。
だから、その様な思考に至った。
だから、ミリーは困惑していた。
(音として……曲として成り立っているけど、どこの曲? 最低でも隣国程度ではないか……。讃美歌とかでもなさそうだし、一度も聴いたことない……)
情報に関してはホロウスティアでも一位二位を争う、ミリーすら知らない曲。
いや、知らなくて当たり前なのだ。
サレンが弾いているのはこの世界からしたら異世界の曲だから。
(不穏分子……けど、あの教会にいるなら遠からず……か)
障害になるならば排除する、
味方となるならば便宜を図る
それが黒翼騎士団のスタンス。
それがこの都市での役割。
だが今はなに考えず、音楽を肴に酒を飲みたい。
そう思ってしまった。
そんな時間もほんの数分で終わる。
サレンの演奏が終わり、静寂の後に割れんばかりの喝采が鳴り響く。
「凄いぜシスターさん! なんかもう凄い!」
「こりゃマジもんだな……今まで聴いた中でも一位二位を争うぞ」
「今日居ない奴らに自慢できるな」
いつもは冷たく鋭い目も、演奏を聴いた後ではまだ違った印象を与えた。
「めっちゃ怖いけど、よく見ると美人だよな」
「ああ。圧というか風格もあるし、まるで氷の女王だな」
「おっ、良いね! 氷と言えば北国の方は酒の強い女性も多いらしいし、ピッタリだな」
あっという間に酒場では氷の女王コールが鳴り響き、アンコールを望む声が広がっていった。
おかしな呼び名にサレンは動揺するが、酒飲みの戯れ言なので、明日には皆忘れているだろうと無視をする。
ピアノの演奏だが、サレンとしては手慰み程度のものであり、人様に披露出来る程ではないと思っている。
なので「すみません」と謝るのだが、サレンの情報を探りたいミリーとしてはまだ演奏してもらいたい。
なんなら聴きながら心地好く酒が飲みたい。
サレンに言った、記憶の手掛かりとかは二の次だ。
「サレンちゃん。どうしても駄目なの?」
「そうは言いましても、あくまで記憶の手掛かりになるかなと思い弾いただけですから。それに、あまり遅くまで此処に居るわけにもいけませんし……」
サレンはシラキリの方を見て、言外に子供を遅くまで酒場に居させるわけにはいかないと訴える。
「私も! 私も! もう一回聴きたいです!」
そんな視線に気付いたシラキリはサレンの内情とは裏腹に、アンコールに加勢する。
「夜と言っても、まだ日も沈んでなかろう。我も出来れば聴きたい」
更にライラも便乗し、仲間は誰一人としていなくなった。
これ程求められればサレンとしても悪い気はしないが、楽譜もなく弾ける曲そい多くない。
他にも懸念事項は色々とあるが、自分の身の振り方やこの世界の常識に疎い状態で、異世界関係の何かを披露するのは自分の身を危険に晒す行為だと今更気付いた。
だから、奥の手を使う事にした。
「でしたら、五名以上の方がイノセンス教に加入して下さるのならば、もう一曲披露します」
宗教勧誘。日本でならば間違いなくそっぽを向かれる行為だが、此処に居るのは酒飲み達だ。
「イノセンス教? 聞いたことないが、どんな宗教なんだ?」
そんな風に疑問にもたれて当たり前だった。
逆に知っている人が居たら怖いのだが、サレンはギルドでアドニスにしたのと同じ説明をした。
宗教とは言わば人生の道標だ。
特にこの世界では神による加護もあり、人々に身近な物でありながら、とても難しい問題である。
聴きたいならば宗教に入れなど無理難題だが、サレンが適当に作ったイノセンス教はかなり寛容な宗教だ。
暴飲暴食を禁止しているが、そんな事が出来るのは貴族位であるため問題なく、祈りは食事の時にすればいつでも問題ない。
加護が貰えるとしても治療だけの可能性が高いが、もらえる事が珍しいのでこれも問題ない。
喜捨やお布施は神の
まだ正式に宗教と認められていないが、だからどうした。
結果……。
「馬鹿しかいないのか?」
ついサレンの口から言葉が漏れた。
周りに聞こえないように気を使ったが、最終的に十五人の新たな信徒を獲得し、合計二十人を超えるに至った。
なんだかなーと若干やるせない気持ちにサレンはなるが、まあこれで登録が出来るから良いかと開き直った。
「すみません。レッドドライをもう一杯下さい」
「はいー」
サレンはジョッキに入ったレッドドライを受け取ると、ゴクゴクと一気飲みをして、再びピアノの前へと座る。
まるで水を飲むかのようにレッドドライを飲むサレンに、一部の人達は恐怖を覚えるが、どちらかと言えば尊敬をしている者がほとんどだった。
「どの様な曲が良いか、リクエストはありますか?」
弾ける数は多くないが、多少のリクエストを聞ける程度の余裕はある、
「じゃあ、なんか気分が乗る曲で」
「分かりました」
気分の乗る曲と言えばジャズなどが思い浮かぶだろうが、そんな大層な指捌きが出来る程、サレンはピアノが上手いわけではない。
適当に弾こうかと鍵盤の上に指を乗せると、頭に鈍い痛みが走った。
それはこれまで何度か感じたものと同じだった。
そして、
困惑するものの、多少酔いが回り始めているサレンは特に気にすることなく、曲の演奏を始めた。
アンコールの一回で終わる筈だった演奏は更に数回続き、店内は大騒ぎとなった。
ライラは途中でこれはヤバいと思い、シラキリを連れて店を離脱した。
サレンに一言言いたかったが、ピアノのあるステージの周りは大騒ぎとなり、声を掛けられる様な状態ではなかった。
「すまぬが、ステージで演奏しているシスターサレンへ、先に帰ったと言伝を頼む」
「分かりました。必ず伝えておきます」
ライラが店を出る頃には日も沈み、街灯が街を照らしていた。
夜に子供二人で出歩くのは危険だが、剣を四本も装備しているライラを襲おうなんて輩は先ず現れないだろう。
「良かったのですか?」
「大丈夫だろう。我らはさっさと帰って寝よう。若い内は睡眠をしっかりと取っておいた方が良いからな」
昔ライラは睡眠時間すら削って訓練をしていたが、祖父に怒られて以降、睡眠はしっかりととるようにしている。
睡眠を十分に、取るようにしてからは集中力が増し、質が上がったのを感じた。
それもあり、ライラは夜更かしをしないようにしているのだ。
「分かりました!」
シラキリは元気に返事をし、ライラと手をつないで教会へと帰って行った。
サレンが教会に帰ったのは、朝日が顔を出し始めた頃だった。
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