第4話:偶像の代わり

 意気込んだものの、先ずは理念だとか教義とかを考えなければならないが、ここら辺は後で良いだろう。


 今必要なのは金を落としてくれる信徒だ。


「イノセンス教ですか?」

「はい。詳しく知りたいのでしたら後で話しますが、先ずは日々の糧を得るための金銭が必要です」

「それは……はい」


 シラキリは一応パンを食べているが、俺は水以外何も口にしていない。

 こんな世界に送られて、餓死で死ぬなんて絶対にごめんだ。


「多少お金を持っていて、怪我をしている人を探しましょう。争いさえ起こさなければ、布教などは問題無いのですよね?」

「はい。信徒が二十人を越えるまでは報告などもしなくて良いそうです」

「分かりました」


 炊き出しに何度も行っていたシラキリは、宗教面に少し強いみたいだ。

 何が悪く、何が良いのか分かるだけでもありがたい。


「それと、無理強いは絶対に駄目です。行き過ぎた強要は厳罰の対象となるので、注意が必要です」

「大丈夫ですよ。それじゃあ行きましょう」


 教会の外に出ると、涼しい風が吹いていた。

 そう言えば時間や日にちが、俺の知っているものか確認するのを忘れていたな。


「そう言えば、今日は何日か分かりますか?」

「今日は確か歩ノ月あゆみのつきの四十日だったと思います」

「ありがとうございます。色々と記憶が抜けているせいか、迷惑を掛けますね」

「いえ! 助けてもらったのは私ですから! 何でも聞いて下さい!」


 シラキリは頭から伸びた耳を真っすぐと伸ばし、鼻息を荒くして少し詰め寄ってきた。

 

 昨日はおっかなびっくりと言った感じだったが、色々と話している内に少しは打ち解ける事が出来たようだ。

 出来れば昨日位の距離感の方が良いのだが、上手くいかないものだな……。


 しかし、やはり暦は異世界らしく全く分からないな。


 そこら辺もおいおい覚えるとしよう。


「ありがとうございます」


 笑い掛けてあげようとすると、思ったより表情が動かない感じがした。


 そのせいかは分からないが、シラキリが小さく悲鳴を上げた。


 そう言えばだが、この身体は我ながら美人だと思うのだが、何故か好意などを持つことが無かったな。

 普通なら鼻の下を伸ばしてしまいそうだが、他人の筈の身体なのに、自分の身体の様に感じるせいなのかもしれない。


 精神や心が侵食されている様な恐怖があるが、気をしっかり持ってこの身体は俺ではないと思うようにしよう。


 教会から出てスラムを歩くが、俺の思っていたスラムのイメージとかなり違う。


 雑多な感じは無く、変な臭いもしない。

 家は今の所全て木造だが、妙に纏まっている感じがする。

 地面も少しぼろいが、一応石畳みとなっているので歩くのに苦は無い。


 暫しの間シラキリに付いて歩いていると、壁に寄っかかって倒れている少女が居た。

 服は所々破れ息も絶え絶えそうであり、足から血が垂れているのが遠目でも確認できる。


 服装もシラキリの様なみすぼらしい感じは無く、金くらいは持っているだろう。

 

 飛んで火にいる夏の虫って訳ではないが、丁度良いカモが居た。


 周りに人影も無さそうなので、サクッと治して金を巻き上げよう。

 

「シラキリ。人が来ないように周りを見ていて下さい。私はあちらで倒れている方とお話してきます」

「……分かりました」


 シラキリは返事をした後に壁をぴょんぴょんと足蹴にして跳び、屋根に登って行った。

 ……獣人ってすげぇな。








 1






 スラムの奥地にある路地の一角。

 そこでは一人の少女が空を見上げていた。


 服は新人冒険者のモノの様に見えるが、見る人が見れば高価なものだと分かる。

 上着とスカートはどちらも暗色のものだが、急所を守る様にアーマーが付いており、その裏には魔法による攻撃を軽減するための魔法陣が刻まれている。


 この少女の名前はライラルディア・フェイナス・グローアイアス。

 ユランゲイア王国に四つある、公爵家に連なる者だ。


 とある理由で親や他の貴族家とは仲が悪く、暗殺をされる恐れがあると分かり逃げ出した。

 しかし逃げ出したことが両親に知られ、追っ手を掛けられてしまった。


 ユランゲイア王国に居る間は逃げるしかないが、他国にさえ着けば追っ手を殺しても足が付く恐れは低くなる。

 

 逃亡の日々は過酷であったが、実家で受けてきた仕打ちを思えば耐える事が出来た。

 

 後少し……もう少しで、自由が手に入る筈だった。


 フェンダリム帝国に密入国し、ホロウスティアに入れたまでは良かったが、運悪く追っ手に見つかってしまった。

 自分の存在を公にすることは出来ず、スラムの奥地にある建物へと逃げ込んで暗殺者達と対峙した。

 ギリギリの戦いであったが、なんとか暗殺者を皆殺しに出来たが……。


 気を抜いたその瞬間。


 死んだと思っていた暗殺者が、ナイフを投げてきたのだ。


 ギリギリで躱す事が出来たと思ったが、ナイフは足を掠ってしまった。

 その後、直ぐに止めを刺したが、ナイフに毒が塗ってあったのか、直ぐに体調が悪くなり始めた。


 このままで不味いと思い、治療するためにどこかの教会に行くか、ポーションを買おうと建物を出たのだが、毒の回りが思いのほか早かったのだ……。

 


 直ぐに歩くのも覚束なくなり、地面へと倒れこんでしまった。

 何とか這って建物に寄りかかるも、自分がもう助からないのだと悟った。


 ライラルディアは毒の症状から、何の毒か予想がついたからだ。

 

(王家が持っている複合毒か……これでは助かるまい)

 

 特級ポーションか、聖女と呼ばれるようなものでしか治す事が出来ない特殊な毒。

 特級ポーションならホロウスティアにあるかもしれないが、ライラルディアが持っているお金では買う事が出来ない値段だ。


 身分を明かせば分けて貰えるかもしれないが、そうすればユランゲイア王国に送り返され、今度こそ殺されてしまう。


 どう足掻いても、死ぬ以外の道がない。


(我の人生とは、この程度のものであったか……)


 周りから妨げられ、気を許せるのは祖父だけであった。


 自分をこんな目に遭わせた全てが憎い。

 高々髪の色が違うだけの理由で親には家族として扱って貰えず、そして今――死のうとしている。


(願わくば、全員天に召されること無く、地を這う亡者にでもなってほしいものだ)


 もしも追っ手が来なければ、他国でひっそりと過ごそうと思っていた。

 死んだ祖父にも復讐するくらいなら、自分の幸せを探せと言われていたから。


 しかし、実際に死にかけて沸いてくるのは、憎悪と復讐心だけだった。


 どうせ死ぬならばこの憎しみを抱いて死にたい。

 そう思い、目を閉じようとした時だった。


 足音が聞こえたのだ。


(死体漁りか、我の身体を使おうなどと企む不埒者でも来たか……)


 スラムの住人にまともな奴は居ない。それが、ライラルディアの認識だった。


 だが、今となってはどうでも良い。

 もう死ぬのだから……。


「宜しければ、治療をしましょうか?」


 聞こえたのは、凛とした女性の声だった。


 軋む身体を動かして声のする方を見ると、そこにはまるで天使の様な女性が居た。 

 いや、どちらかと言えば地獄の悪魔かもなとライラルディアは内心笑った。 

 これだけ醜い見た目と内情ならば、天使など現れるはずがないのだ。


 ただ治療をしようかと声を掛けられたのに、ライラルディアには悪魔が契約を突き付けてきた様に感じた。

 

「出来るのなら……頼みたい。まあ、無理だろうがな」


 毒を治せるのは、特級ポーションと聖女位だ。

 こんなスラムに居るような者が、治すのは不可能なのだ。


 ライラルディアは声を出したせいか、毒の回りが早くなり、口から血を吐いてしまう。


「猶予は無さそうですね」

 

 ライラルディアは薄れゆく視界の中、女性が手を組むのが見えた。


「天におりまする我が神よ。どうか彼の者から苦しみを取り除き、癒しを与えたまえ」

 

 どこからともなくライラルディアに光が降り注ぎ、怪我を癒していった。

 更に毒が抜けていき、血痕も綺麗に消えてしまった。

 

「……なん……だと?」


 もう死ぬものだと思っていた。


 もしかしたら自分が侵されていた毒が違っていたのかもと勘繰るが、それはないと直ぐに結論を出した。


「どうやら治ったようですね」

「あっ、ああ」


 助かった事は喜ばしいが、ライラルディアには治療費を払う事が出来ない。


 シラキリとは違い、常識をしっかりと学んでいる上で、高額な治療費を払えないという意味でだ。


「それでは喜捨についてですが……」


 ライラルディアの肩が跳ね上がり、やっと良くなった顔色が再び悪くなる。


 素直に話して便宜を図ってもらうのも手かもしれないが、ライラルディアはこれまでの生い立ちが理由で、人を信じる事が出来ない。

 それと共に、ライラルディアの脳裏に悪い考えが浮かんだ。


 相手の素性は分からないが、スラムに居る様な物好きだ。


 死の間際に沸いた復讐心は、まだライラルディアの中に残っている。


 上手く取り入る事が出来れば……。

  

「うむ。払うには払うのだが、今の我の持ち金では到底払いきる事が出来ん。それでだが、足りない分は護衛として働かせてくれないか?」

「護衛……ですか?」

「ああ。貶すわけではないのだが、こんな所に居るのだから、大きな教会の者ではないのだろう?」

 

 仮にお忍びだとすれば、近くに護衛の一人か二人居るのが普通だ。

 そしてこの特殊な毒を治せる存在が居たのならば、ユランゲイア王国内で噂位は立っているはずだ。


 ライラルディアの知る限りでは、赤い髪の目付きの悪い聖女など聞いたことも見たこともない。


 何故この様な者が野放しになっているのか分からないが、このチャンスを逃がす気はないのだ。


 また、復讐心は別として恩を返したいのと、こんなに美しい人ならば…………なんて下賤な下心が少しあったりもする。

 

「そうですね……」


 サレンディアナとしては武力が手に入るのはありがたいが、武力を近くに置くという事は自分の身を危険に晒す事でもある。


 その様に悩んでいるとライラルディアは片膝を着いて、サレンディアナにこうべを垂れた。 


「命を助けてもらった恩を返したいのだ。我を犯していた毒は、通常の手段では治せない程に強い毒であり、我は死を覚悟していた。どうか、お願いしたい」


 サレンディアナは真摯に頼み込んでくるライラルディアを見下ろし、まあ美人だし少し位は信用しても良いかと思った。


「分かりました。喜捨は今の手持ちのみで、後は奉仕活動という事にしましょう。形的には信徒という事で宜しいですね?」

「ありがたい。我の名前は……」


 許可を貰って喜んだライラルディアだが、名前を名乗ろうとして少し考え込んだ。

 僅かに話してみた感じ、自分の事を知っていない様子だが、本名を名乗れば流石に分かってしまう。


「ライラ……。ライラと申します」

「ライラですね。私はサレンディアナ・フローレンシアと申します。見ての通りですが、イノセンス教のシスターです」

「っつ!」


 サレンディアナが浮かべた表情に、ライラは身体に電流が走ったように感じた。


 それは死神の様に鋭く、見る物を全て凍り付かせる視線だった。

 選択を間違えたら殺される。そんな未来が脳裏を過った。 

 

(落ち着け……不可解な事もあるが、今は信用を勝ち取る方が大事だ)

 

「分かりました。シスターサレンとお呼びしても?」

「お任せします」

「そうですか。それではよろしくお願いします。それと、此方が持ち金です」


 ライラはユランゲイア王国で使われている通貨を一枚残して全て渡した。


 その一枚が有れば一週間は生活できるので、ライラなりのへそくりである。


「確かに受け取りました。シラキリ」


 サレンディアナが名前を呼ぶと、屋根の上から一人の少女が降りてきた。


「はい。近づいてくる人は誰も居ませんでした」


(気配を察する事が出来なかったな。兎獣人は隠密に向いているという噂は本当なのか?)

 

 降りてきたシラキリを見たライラは、その仕草をつぶさに観察する。

 身なりはスラムの住人に相応しいモノであり、護衛と呼べるような者ではない。

 

 現れるまで気配を察することが出来なかったが、サレンディアナが大きな教会の者である線はほとんど消えた。


 シラキリはライラを見ると軽く首を傾げるが、それ以外は特に反応を示さない。


「ありがとうございます。それでは行きましょうか」


 サレンディアナとシラキリが歩き出し、その後ろにライラが続く。

 

(先程まで死にかけていたというのに、身体が軽い……)

 

 ライラは歩きながら身体の調子を確認するが、サレンディアナが起こした奇跡の様な魔法に思わず笑みを浮かべる。


 それは治ったことに対する喜びか、復讐の手札を手に入れられたことに対する喜びか……。


「そう言えば、シスターサレンたちは何所に向かっているのだ?」

「……何所でしょうね?」


 サレンディアナは読み取りにくい表情を浮かべてシラキリを見るが、シラキリは首を傾げるだけだった。


 ライラは自分がしっかりしなければならないと思い、僅かばかりの溜息を吐いた。

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