第4話 混浴2。どうぞお背中流させてください、ぞ。ぬしさま。

(濡れた石の床の上を裸足で歩く音が足どりも軽く近づいてくる)


「にゅふふふ……! 待たせたの……なんじゃ? ぬしさま? 湯船にも浸からず、そんなふうに腰にタオルを巻いて足だけ浸けおって。んや? この白絹しらぎぬ……おキヌばあやが戻ってくる前に、万が一にものぼせないように、じゃと? にゅはは……! それはまた律儀なことじゃ。さっすが、わらわのぬしさまじゃのう。と、それよりどうじゃ? ぬしさま? 似合におうておるかや? にゅふふ。この格好なら、目のやり場に困ることもなかろう?」


(濡れた石の床の上、その場でくるくるとはずむように一回転する音)


「さぁて。では、今度こそ、ぬしさまの背中を流させて……んや? そ、その格好はなんだ!? じゃと? えぇっと、なんじゃったかのう? 確か、あのとき……あ! そうそう!」


(ぱん、と小さな両手のひらを合わせる音)


「すくーる水着、じゃ! どうじゃ? ぬしさま? 見てのとおり、このばあやの平坦ぺったんな胸や、小さなおへそ、もちろん下のややこやしいところも隠れておって、これなら目のやり場に困ることもないと思うのじゃが……んや? な、なんで、おキヌばあやがそんなものを持ってるんだ……!? じゃ、と……?」


*↓ 途端に少し落胆した、なにかを諦めたような、そして懐かしむような声色。


「そうか……。まあ、仕方ないかのう……。人の子の成長は早く、なにより目まぐるしいものよ……。ぬしさまにとっては、もう15年以上は昔の、こんな小さな小さな童のときのことになるからのう……」


(つう、とゆっくりと上から下へ。湯気でわずかに湿った化学繊維の生地の表面、肢体の正面を艶めかしく、細い指がなぞる気配)


「ぬしさま。このすくーる水着はな? ぬしさまはもう覚えておらぬかもしれぬが、他ならぬぬしさまがわらわに贈ってくれたのじゃ。これを着て、おキヌばあやもこっそり一緒に学校のプールで泳ごう! とな」


「ふふ。あのときは年甲斐もなく、本当に本当にドキドキしたのう。……いまでも覚えておるよ。あの夏の日の、まるでアスファルトが溶けてしまうかのような暑さ。蝉の鳴く声。そして、きゅっと、連れ出してつないだわらわの手を引いて、逸るように駆けるまだ小さな童だったぬしさまの、じんわりと汗ばむ手のひらの、少ししっとりとした、あの感触」


(そっと、愛おしそうに左手で右の手のひらをなぞる気配)


「ふふ。本当に、本当に楽しかったのう。……まあ結局、残念ながらあの日、ぬしさまと共にわらわが泳ぐことは叶わず、この水着もあえなくお蔵入りとなったわけじゃが。まあ思ったよりもずっと、部外者を通さない当時ぬしさまが通っていた学校のせきゅりてぃー? が高かったことを図らずも知れてよかったと……え? 覚えて、いる……? ぬしさま、も……? まさか、15年以上経ったいまでも大事に持っているなんて、思わな、かった……? あのとき、意気揚々と連れ出しておいて、結局だめだったのが格好悪くて、恥ずかしくて、なかなか言い出せなかっ、た……? ぷ、にゅふ……! にゅははは……!」


*↓ 打って変わって、上機嫌な、はずむような声色で。


「そうか……! そうか……! ぬしさまも、覚えておってくれたのか……! にゅふふ……!」


(ぱしゃっ。湯船に入り、そのまま躊躇なく一直線にじゃぷじゃぷとお湯をかきわけ、こちらに迫ってくる音)


「ならば、ぬしさまや?」


(ざぱっ。湯船から出て、肢体から湯を滴らせながら、とんと胸にしなだれかかる)


「あの夏の日の約束、形は違えど、いまこそ果たしておくれ? ぬしさまと一緒に、このすくーる水着で、どうぞぬしさまのお背中流させてください、ぞ」


(心音。上目遣いで見つめ、ささやく)


「のう? 悠久の時の果て、わらわにいまひとたびこの胸の高鳴りを思い出させてくれた、愛しい愛しいこの世でただ一人の、かけがえのないぬしさまよ」

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