第3話

 次の週、枯葉掃除をしようとお店へ向かいました。


 あれから三日間ほど台風による大雨が続きましてお庭も荒れ放題です。手早く掃除を終わらせてお店に入ると、夕方だというのに珍しくお客さんが一人もいませんでした。


 折角ですのでカウンターに座り、紅茶を一杯いただくことにします。カウンター奥に並べられたお洒落な食器類を眺めながら、手作りの味わい深い陶器の器で美味しい紅茶をいただく、この時間が得も言われぬ至福のひとときなのです。しばらくぼんやりと静かな時間を過ごしていますと、厨房からお菓子を持って亮くんが出てきました。中間テストが終わって昼前に学校が終わったようで、今日は午後から仕事に入っています。周りにお客さんもいないことですし、ちょっとくらいならいいかしらと声を掛けました。


「亮くん、オウボウってどんな楽器やの」


 私の質問に、彼は焼き菓子の包みを両手に抱えながら不思議そうな顔をしました。


「オウボウ? どっかの民族楽器ですか? そんな楽器知りませんけど」

「なんでやの、この間お家でやってたが。なんかチャルメラみたいな音のやつ」


 ああ、と納得したように首を縦に振って、「チャルメラがどんなのかは分かりませんけれども、多分、オーボエのことですね。オーケストラとか吹奏楽で使う木管楽器です」と応えて、持っていた焼き菓子を売り場に並べていきました。


「亮くんって吹奏楽部にでも入っとるんか」

「まさか、バイト三昧の今のこの状況では無理ですよ。吹奏楽は中学のときだけです」

「え、亮くんって吹奏楽やってたんか?」


 レジでなにやら作業をしていたスタッフが話に参加しました。三國屋みくにやさんという女性の方で、お年は三十代後半くらいでしょうか、趣味でバレーボールをされているとかで、筋肉質のがっちりとした身体つきをされています。小学生の娘さんがいると以前教えてくれました。


「うん、でも今はバイトが忙しいからやってません」

「ええーそうなんや。亮くんがオーボエ吹いてるとこって想像できんわ。いっぺん聴いてみたいなあ」

「期待されるのは嬉しいですけど、大して上手くないですよ」


「こいつなあ、何かのでっかい大会で賞を貰ったことがあるんやで」と開けっ放しになっている厨房の扉の奥から声を出されたのは、姿は見えませんが、亮くんのお父さんの孝之さんのようです。お父さんの方はすっかりこちらの方言に戻っています。「関東大会のソロのやつ。勿体ないからこっちで吹奏楽部に入れって言ったのに聞かんのや。高い楽器まで買ってやったのに」

「バイトを優先したいんだから仕方ないじゃん。それに楽器を買ってくれたのは母親の方だろ」

「へえー、大会で賞なんてすごいやんか。相当レベル高いんとちゃうの」


 おもちゃを見つけた子どものような目をしながら三國屋さんが問いかけました。ほやほやと、相槌を打たれた声が厨房から届きました。


「だからそんなに上手くないですって」

「ええー、そんなん言わんと一回くらい聴いてみたいなあ。ねえ、定家さんも聴きたいですよねえ」

「ほやねえ」


「ほら、あそこのスペース、ちょっとだけ空いてるやろ――」三國屋さんが指で示したのは店の隅にある大きな薪のストーブです。冬になったら使うようですが今はまだ火が入れられていません。「あそこでリサイタルとかしてみるのって、どうや?」


 はあ? と亮くんは眉間を寄せて露骨に嫌そうな顔をしました。


「なんでそういう話になるんですか。オーボエなんてただの趣味ですよ」

「まあそう言わんと。ケーキ付きで五百円くらいでどうやろ。ね、蔭川くん、どう思う?」

「ああ、いいんじゃないですか。ディナーショーみたいで面白そうですね」


 厨房の扉近くにいた男性のパティシエの方が応えました。お店の立ち上げとともに東京から来られた職人さんで、いつも顔色が悪く種付きモヤシのような身体つきをされています。一人暮らしをされていて、食事をちゃんととっているのか心配しまして、たまに煮物を多めに作って渡してあげるのですが、彼はいつもそれを喜んで食べてくださいます。


「ちょ、ちょっと……蔭川さん、冗談はやめてくださいよ。プロでも何でもないんですから。俺みたいな素人の演奏を、お金払ってまでわざわざ聴きたい人なんていませんって」

「何言ってるんやの、亮くんの演奏やから聴きたいんやで」

「うん、篠原くんの演奏なんて滅多に聴けるもんじゃないし、僕も興味あるなあ」と、愉し気な声がこちらに来ます。


 オーナーもどうですかーっと三國屋さんが声を上げると、いいよーとの回答がすぐさま返ってきました。

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