【5-5】無幻の魔女、人殺しの花と呼ばれた少女の居場所

 一触即発の空気の中、ハルカが弱弱しい表情で俺を見つめた。

 

「レー君やめて。私のことはもういいから、死んだと思って忘れてよ……。私なんかのために、みんなにこれ以上辛い思いをしてほしくないの……」


「いいや、良くねえ……。ハルカは、俺のいない世界に耐えられなくなったって言ってくれたよな。……俺たちも同じなんだよ。ハルカのいない世界は辛くて耐えられない。みんな、これからもハルカと一緒にいたいと思ったから、助け出すために命を張ってここに来たんだ」


 真っすぐとハルカを見つめ返し、自分の正直な思いを伝えた。

 それに賛同するように、ルーリアも深く頷く。


「……みんな……」


 俺たちがここに来た理由を知り、自分を責め続けていたハルカも、少し落ち着いたように呼吸を整えて小さく呟いた。

 

「――たとえ君たちにどんな思いがあろうと、目的達成のためにもカルハ嬢を帰すわけにはいかない」


 しかし、そんな俺たちの信頼関係を引き裂くように、再びジグロスが切りかかってきた。

 

 いたぶるために手を抜いていた時とは違い、奴の一撃は重く、折れず曲がらずと言われた日本刀が悲鳴を上げている。

 

 だが、奴もそれだけ余裕がないだろう。

 

 リュウや俺が与えたダメージは確実に蓄積している。しかし、攻撃を受ける俺の体は限界をとっくに超えている。

 

 この一撃を受けきれば、再び重い衝撃を受け止めなければならない。

 

 絶対に負けないと誓った心とは裏腹に、本能が恐怖を感じて尻込みし、逃げ出そうと心に指示を送ってくる。

 

 今力を抜けば、この重さから解放されて楽になれる。それに、次の衝撃に対する恐怖もなくなる。

 

 そんな甘い誘惑が脳を支配しようと主張してくる。

 

 けれど、ハルカのこれまで受けた精神的な痛みと彼女を泣かせる苦しみに比べれば、どっちが辛いかなんて明らかだ。

 

 俺の恐怖心や甘えは振り切れた。



「……いくらゾンビでも、あんな傷で動けるわけがない……。やめて……。私、もう見ていられない……」


「ダメです。カルハ様、しっかりその目で彼の戦いを見てください」


「ルーリア……?」


「ここに来る前、レンマさんはカルハ様に心配をかけないため、貴方に幻覚魔法を使うよう私に依頼していました。でも、私は途中でその約束を破りました。貴方には、この光景を最後まで見届ける義務があると思ったからです」


「レー君が私のためにそんなことを」


「そうですよ。ところで、レンマさんは以前、貴方から特別な能力を持っているかと聞かれた時、思い当たるものはないと言っていましたよね」


「えっ? そ、そうね」


「カルハ様はこの世界に来る瞬間、レンマさんを生き返らせたいと思ったからネクロマンサーの能力に目覚めた。では、彼は死ぬ瞬間に何を思い、何を願ったんでしょう?」


「何って……」


「彼は死ぬ瞬間にカルハ様、いえ、ハルカさんを助けたい。幸せになってほしいと思ったんじゃないですか? 大切な人だからこそ彼は、自分がどんなに辛くても、どんなに痛くても、絶対に貴方が幸せになるように支えて助けるんです。たとえ自分の命を懸けてでも……」


「…………」


「天使様が言っていました。貴方の願いを叶えるまでは、何があっても立ち上がる。それがレンマさんの能力だろうって。貴方は先程からずっと、レンマさんに『やめて』と拒絶するようなことをおっしゃっていますが、本心は違うんじゃないですか?」


「それは……」


「そう思っているのなら、それが本当に貴方の願いなら、レンマさんはとっくに倒れているはずです。あんなにボロボロの状態でも、彼が未だに倒れず戦っている。そのことが、貴方が彼に助けてもらいたがっている何よりの証拠ですよ」


「…………っ!」


「……辛い時は助けてもらいましょうよ。仲間の私たちを頼ってください、カルハ様」


「…………ありがとう。……私は……」



 ジグロスの攻撃を受けながら見たハルカは泣いていた。

 

 待ってろよハルカ。すぐにこいつを倒して、お前を連れて帰るからな。

 

 俺は一心不乱に目の前の男に立ち向かっていたが、体が思うように動かない。

 

 次にどう攻撃がくるのかぼやけた目で見えているのに、防ぐための腕がついてこない。

 

 このまま受けているだけではダメだ。

 そう思って反撃に出ようと一歩踏み出した途端、体から一気に力が抜けた。


 刀がするりと手から落ち、俺はその場に倒れ込んだ。

 血を流し過ぎたのだろうか、声は出せるが手足に力が入らない。

 

「レー君…………」


 倒れる瞬間、まるで俺に謝罪するかのような悲しげな目をしたハルカが見えた。


「ようやく終わりか……。ここまで苦戦するとは」


 俺はまだ倒れるわけにはいかないのに……、早く立てよ……クソッ。

 

 ジグロスは必死に立ち上がろうと足掻く俺に近づき、俺の刀を拾い上げた。

 

「やはりこの刀、見覚えがある気がする。……思い出せんがまあいい」


 そう言って、ジグロスが俺に止めを刺そうと刀を振り上げたその時。

 

「レンマさん!」

 室内にルーリアの声が響き渡った。

 

 驚いたジグロスは彼女の方を向いた。さっきまで何とか奴の注意を引いていたが、もう限界かもしれない。

 

 俺も首を動かしてルーリアを見た。

 

 そこには、覚悟を決めた表情を浮かべ、ただ真っすぐと俺の目を見つめている彼女の姿があった。

 

「私、カルハ様が大好きです……。おばあちゃんがいなくなってから、私はずっと居場所がなかった。でも今は、レンマさんやカルハ様、それにみんながいる。カルハ様のおかげで、私の居場所ができたんです」


「い、いきなり何言ってんだよっ! 逃げろよルーリア!」


 なぜかこの状況で狙ってくれと言わんばかりに飛び出し、自分自身について語りだしたルーリアに、声を張り上げて忠告した。


 案の定ジグロスは俺から離れ、ゆっくりと彼女の方へ歩き出した。

「次に私が目を覚ました時は、みんなで笑って迎えてください。一人もかけちゃダメですよ……。それで、今度は一緒に冒険に行きたいです。……もう私、驚いても気絶しませんから。あと、みんなで町へお買い物にも行きたいですね。お店の方にも、『またいらっしゃい』って言われましたし……。やりたいことがいっぱいあって、今から凄く楽しみです。またあの洋館で、みんなで楽しく暮らしましょう……」


「目を覚ます? 何の話だっ!」


 彼女は楽しい未来について語ったが、俺はその表情と言葉に不安を覚えた。


「おばあちゃんが言っていました。『この魔法は、自分が大切だと思った人のために使え』って、『それまでは禁術だ』って……。魔女と罵られている私に、そんな人は現れないってずっと思っていました……」


「禁術って……。おい、待てルーリア! まさか……」


 ルーリアは杖を構え、優しい顔で笑った。

 

 それは、突然異世界に召喚され、何もわからず孤独を感じていた俺を安心させ、ハルカを助けに行く勇気が出なかった情けない腰抜けを、ずっと励まし支え続けてくれた笑顔だった。

 

 ……あんな話、勇者が来る前の作戦会議でふざけて言っただけだろ? ただの冗談なんだろ? 

 あの時、俺は使えないって言ったよな……。

 

「ダメよルーリア! あんな傷を貴方がっ……何これ?」


 ハルカもルーリアが何をしようとしているのかに気づいたのか、やめさせようと手を伸ばした。しかし、何か見えないものに阻まれ、彼女に触れることができなかった。

 

「私は自分の居場所を守りたい……。私はレンマさん、貴方を信じます! どうか……カルハ様を助けてください……。……『ダメージトランス』」


 魔法を発動したルーリアの足元に黒い魔法陣が浮かび上がり、そこから現れた黒い渦が彼女の全身を包み込んでいく。

 

「おい、ルーリア! ルーリア!」


「レンマさん……。初めて会った時、そして、町で魔女の誤解を解くために怒ってくれた時、私の名前を『綺麗だ』と言ってくれて本当に嬉しかったです。『人殺しの花』と言われ続けたこの名前を……」


 渦の中に消える直前、ルーリアは痛みからか涙を流していた。

 それでも俺には、いつもの優しい笑顔を向けてくれていた。


 やがて渦は完全にルーリアを包み込んだ。

 もう彼女の姿は見えなくなり、声も聞こえなくなってしまった。

 

「なんだ? 何が起こっている」

 ジグロスは戸惑ったまま渦を見ている。

 

 少し経った後、渦は薄くなって消えていき、その場に横たわっているルーリアが目に入った。

 

「ルーリア! 起きてルーリア!」


 ハルカは座り込んでルーリアの頭を胸に抱き、懸命に名前を呼んだ。しかし、彼女は目を閉じたままで一切反応がない。


 それでもハルカが声をかけ続けていると、シャンッと室内に鈴の音が反響し、ルーリアの体は光に包まれて消えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る