【3-7】以前の世界の確かな記憶
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【以前の世界の確かな記憶】
俺には幼馴染の『るーちゃん』がいた。
彼女は太陽のように明るい人気者で、対照的に俺は、引っ込み思案で暗い自分の世界に一人閉じこもっていた。
自分とは相容れない存在だと思っていたが、彼女は俺の心を優しく温かい笑顔で照らし、孤独で暗い世界から俺を連れ出して、手を引いて色んなことを教えてくれた。
しかし、小学生の頃に行方不明となったことで、彼女は変わってしまった。
活発で外で遊ぶことが大好きだった彼女は、少し走るだけで喘息やめまいといった症状が出るようになった。
何軒も病院で診察を受けたが、医者からは決まって『原因不明』という答えしか返ってこなかった。
以来、彼女は自分に自信が持てなくなり、まるで昔の俺のように引っ込み思案になってしまった。
高校二年の冬休み直前の今日、彼女は以前まで希望していた進路を突然変更したが、周りの説得の結果、自分や家族、友人を信じることで夢を叶える道を選んでくれた。
俺も良かったと安堵した。しかし家に帰ってから、決意したはずの彼女の表情に何か違和感を覚え、彼女が今いるであろう神社へと向かった。
行方不明になったあの日から、彼女は悩んだ時や落ち込んだ時は、自分が発見されたその神社に行くことが癖になっている。
階段を上ったかなり高い場所にある神社は、裏が険しい崖になっており、そこから見る海はまさに絶景だ。
わざわざ海を堪能できるようにベンチが置いてあり、滅多に人の来ないそこは、いつも彼女の特等席になっていた。
神社に着くと、予想通り幼馴染は一人でそのベンチに座っていた。
辺りはすっかり暗くなっていて星が出ている。彼女は海に映った星を見るのが好きだった。
俺が来たことに気づいた彼女は、手を振って隣に座るように促してきた。
意向通り隣に座ると、海を見ていた彼女が俺の方を見て口を開いた。
「……レー君、進路の件ありがとね」
「別にいいって、それにお礼を言われるほどのことはしてねえよ」
俺の返事は決して謙遜ではない。
進路は全て彼女自身が決めたことで、実際に俺がしたのは微々たることだ。
俺の言葉を聞いて彼女は立ち上がり、数歩前に歩いてから海を見つめながら言った。
「実はね、進路変えるって話は嘘なの」
「嘘?」
「そう。レー君なら絶対応援してくれるってわかってて、ただ背中を押してほしくて言ったの。やっぱり、私の思った通りだった」
「当たり前だろ。応援するに決まってる」
「だよね。知ってる」
即答する俺に対し、彼女は悪戯っぽく笑い言葉を続けた。
「今日この神社に来たのも、迷いを断ち切るため。悩んでいる私を、いつも見守ってくれたこの神社に、お礼とお別れを言いたかったから……。私は、自分の決断を信じることにしたの。今後も頼ることがあるかもしれないけど、これからもよろしくね。レー君」
言い終わった後、俺の方へ振り返った彼女の顔は決意に満ちていた。
「おう! 任せろ。こっちこそよろしくな」
俺は笑顔で答えた。
良かった。どうやら俺の違和感は杞憂だったらしい。
これから彼女は、夢に向けた大きな一歩を踏み出すんだ。
今の彼女なら何の心配もいらないだろう。
俺が安堵してホッと息を吐いたと同時に、突然海側に向けた突風が吹いた。
その風は強く、煽られた彼女はバランスを崩し、咄嗟に転落防止用のフェンスを掴んだ。
「えっ?」
しかし、掴んだ衝撃が原因だろうか、なぜかフェンスを固定している地面が崩れ落ち、そのまま彼女の体は空中へ放り出された。
「ハルカ!」
俺は彼女の名前を叫びながら駆け寄って、必死に手を伸ばした。
だが、その手は彼女ではなく空気を掴んだ。
何が起こった? どうすれば? そんな疑問が頭に浮かんだ時には、すでに俺は地面を蹴って空中にいた。
先程届かなかった手はハルカを掴み、俺の背が地面に向くように彼女を抱きかかえた。
人間はピンチに陥った時、全てがスローモーションになる現象が起こると聞いたことがあるが、今がまさにそれだった。
自分の置かれている状況がはっきりと理解でき、今後どうなるかも容易に想像できた。
……この高さから落ちたら死ぬ。
どんなに考えても最終的にはその答えにたどり着く。
嘘だろ……。『任せろ』って言ったばっかなのに、ようやくハルカが夢に向かって進もうと決意したのに、結局口だけで俺は何もできてねえじゃねえか……。昔、約束したのに……。
そう自分の無力さを責めていると、ふと神社が目に入った。
そうだ、いつも彼女を見守ってくれていたこの神社なら……。
……お願いします。俺はどうなってもいいから、ハルカだけは助けてください。
俺にできることならなんだってします。お金でも命でも、何でも差し出します。お願いですから……。
目を瞑り、縋るような思いで願った。こんなことをしても無駄かもしれないが、それでも神様に縋るしかなかった。
心の中で願いを言い終わった時、俺たち二人だけしかいないこの空間で、別の誰かの声が聞こえた。いや、聞こえたというよりは、頭の中に声が響いた感じだ。
『貴方の願い……私が叶えてあげるわ。ただし、彼女を助ける代わりに貴方の大切なものを対価として支払うことになるけど、それでもいい?』
誰だ、どこから声が?
いや、助けてくれるというならそんなことはどうだっていい。
俺の大切なもの。そんなのでハルカが助かるなら安いもんだ。何だってくれてやる。
頭に響いた声に心の中で返事をした。
『即答ね。その思い伝わったわ。それと、このまま地面に落ちたら、彼女の左腕は負傷して一生動かなると思う。貴方の死はもう確定しているし、貴方の左腕を彼女に移すけどいいよね』
その言葉を最後に謎の声は聞こえなくなった……。
目を開けると、人生の後悔を全て忘れさせてくれるような満天の星空が広がっていた。
それを見てハルカから昔聞いた、善人は天使に生まれ変わり、悪人は罪を責め続けられる。そんなの死後の世界の話が一瞬頭を過った。しかし、俺が最後に頭に浮かべて願ったのは、彼女の幸せだった。
俺は、胸の中で泣きじゃくっているハルカに向けて最後の言葉を口にした。
「………ごめんな」
彼女を抱える腕に力を込めた後、背中に強い衝撃を受けた。
「ねぇ、レー君、レー君!」
清流のように澄んだ声が聞こえる。
その声を聞いて、ハルカが生きているのだとわかって安心した。
意識があるということは、俺も何とか生きているのだろう。
高所から落下したというのに痛みはほとんど感じない。
「嫌っ! レー君死なないで……」
ハルカの声は不安で震えていた。
安心してもらいたくて返事をしようとしたが、声は出ず、目も開かなかった。
自分の体から熱が流れ出し、寒さと着実に近づいている死への恐怖で身震いした。
それでも彼女の握ってくれている手は温かく、恐怖に支配された冷たい体を溶かして安らぎを与えてくれている。
死にゆくであろう俺には、彼女の声と手の温もりが何よりもの手向けで救いに思えた。
……もう伝えたいことは十分伝えた。ハルカのおかげで俺の人生は本当に幸せだった。
最後に命を懸けてハルカを助けることができたんだ。もう思い残すことは何もない。
これからは隣じゃなくて、空からハルカの幸せを願うよ。
「レー君お願い、目を開けて……、私はもっと一緒にいたいよ。レー君、ねえレー君、……君」
だんだんと遠くなっていくハルカの声を聞いて、『もうお別れなんだ』と実感する。
声の震えと俺の顔に落ちてくる水滴から、ハルカが泣いているのがわかった。
…………嫌だ。死にたくない。
何が思い残すことはないだよ。そんなのは強がりだ。
俺だってハルカと一緒にいたいし、もっと話がしたい。誰よりも近くで彼女の夢の成功を見届けたい。
俺はいつも助けてもらってばかりだった。
今度は俺が助けるって、幸せにするって約束したのに……。何でまた泣かせてんだよ。いつもみたいに笑ってくれよ。
ちくしょう……。
震える彼女の声を聞き、自分の無力さを恨んだまま、俺の記憶はここで途絶えた。
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