第26話

 瓦礫の下を這い進む。

 四つん這いで移動できるくらいの道は、漆黒の杭が作ってくれていた。元は家だった石の塊を貫いて持ち上げるそれらは、太さも長さもバラバラだが、全く同じ質感をしている。


 木のような目があり、鉄のような光沢を持ち、建材に使われる硬い石を難なく貫通し、凄まじい重量を支える剛性を備えた杭。

 恐らくは自然界に存在する物質ではないのだろう。


 床はごつごつざらざらしていて、壁や天井からは色々なものが飛び出していた。

 瓦礫の隙間と、トンネルの出口から差し込む光に照らされるそれらは、柱の一部だったり、布切れだったり、割れた石だったりと様々だ。


 途中、何かを掴むような動作を繰り返すモノもあった。


 赤に濡れる。手が、膝が、髪が、服が、だんだんと染まっていく。

 人間一人から出たにしては多すぎる水が、トンネルを作る瓦礫の所々から染み出している。


 途中、見覚えのある服の裾が見えた気がしたが、心の全てを前を向くことだけに費やす。目を背けるだけでも尋常ならざる精神力を要したが、いつ崩落するとも知れない瓦礫の下に長居することへの警告が、ずっと心の片隅で鳴り響いていた。


 やがて瓦礫のトンネルが終わり、光の下に這い出る。

 途中から耳に入っていた金属音の連続──剣戟音の主は、すぐに目に飛び込んできた。


 純白の鎧に身を包んだ、二人の騎士。

 彼らが剣を携え斬りかかる先は、二人の少女だ。


 二対二──ではない。

 一対一が二つ。どちら側も連携していないし、その素振りも見せない。


 地面を突き破り、その上の人体をも一瞬で貫く鋭さと速さを持つ漆黒の杭は、雑技団のような身のこなしでその上を飛ぶ白騎士の足場になっている。


 蛇のように複雑な軌道で踊る炎を、もう一人の白騎士が斬り伏せる。実体のない、薪や燃料があるわけでもない純粋な炎を──つまりは空気を、明確に断ち切っている。


 冗談か悪夢のような光景だ。冗談のような悪夢でも、悪夢のような冗談でもなく、現実だが。


 ジャンヌと戦っている方の白騎士の鎧やヘルムの意匠には見覚えがあった。体格も同じに見えるし、リチャード卿で間違いないだろう。


 「っ! シャルル、良かった! でも逃げて! 巻き込んじゃう!」


 瓦礫の中から這い出てきた僕を見つけて、戦闘中だというのにジャンヌが嬉しそうな声を上げる。

 同じく彼女の無事を喜びたいところだが、見る限り、戦闘は彼女たちが劣勢だ。


 僕の見立て通りなら、白騎士と魔女の戦闘の肝は“距離”だ。


 謎の力によって、白騎士には魔女が有する殺人の異能である魔術を直接照準することが出来ない。例えばジャンヌの発火能力でいきなり燃やすことは出来ず、一度炎を顕出させて、それを使って焼くしかない。


 しかも薬物投与と外科手術によって改造された肉体は、建材用の石をどろどろに溶かすほどの炎に巻かれても赤熱する程度で済む純白の鎧と合わせて、凄まじい防御性能を誇る。


 しかし、攻撃能力はそれほどだ。

 武装らしい武装は直剣一本。パンチ一発で人間を四メートル上空へ浮かせる膂力は驚異的だが、それでも魔女の無敵性を貫通することはないし、そもそもリーチに欠ける。


 炎を切り裂く絶技を有する白騎士であっても、魔女はそれぞれの死因でしか殺せない。だから、彼らはまず魔女にも効果のある化学作用、薬物投与によって行動を制限する。

 当然ながら魔女の側も「お注射しますね」「はい。右手ですか左手ですか?」とはならないし、注射器は適当にぶっ刺して十全に効果を発揮する道具ではない。


 特に鎮静剤の類は静脈内に的確に投与する必要があり、患者が暴れている状態で使うのは僕でも難しい。


 だから白騎士は、まず急所への打撃で魔女を行動不能にする。

 普通なら内臓が破裂して死ぬような威力のパンチにも耐える魔女も、体内構造はヒトと同様だ。たぶん。解剖して検証したわけではないが。


 ともかく、心拍があり、呼吸をしており、身体を動かすのに酸素を要する。

 だから鳩尾、横隔膜への打撃によって一時的な呼吸障害を引き起こすと、痛みも相俟って身体が丸まって動かなくなるのだ。


 白騎士は距離を詰めたい。

 対して、魔女は詰められたらかなり厳しい戦いを強いられる。


 突き詰めれば軍人である白騎士と、化け物とはいえ元が農民の魔女では白兵戦能力が違いすぎる。そもそも魔女は一度に大勢の人間を殺すことに特化していて、一対一で殺し合うような性能をしていない。


 ジャンヌは炎を、ウルスラは地面から槍のように鋭い杭を大量に出現させて壁のように使い、交戦距離が狭まるのをどうにか防いでいる状態だ。


 「おっと、例のライヒハート家のご子息か。うーん……まあ、いいか」


 明るい、殺し合いの最中には不似合いな声。

 ジャンヌの声で僕に気付いた白騎士の、ウルスラと戦っていた方──リチャード卿ではない方が僕に興味を示した。


 それが分かった直後、彼は僕の背後に居た。

 身長差から屈みこむようにして僕の首に左手を回し、右手の剣を首筋に添える。


 あっという間に、人質の完成だ。


 「二人とも動くな。動けば彼を殺す」

 「シャルル!?」

 「クソ、卑怯だぞ!」


 お決まりの台詞。

 その声までもが明朗で爽やかなのは、却ってぞっとするけれど。


 ジャンヌの悲鳴とウルスラの罵声も、まあお決まりの範疇だろう。


 正直、僕は声も出なかった。


 恐怖故ではない。

 ただ、あまりにも動きが早く滑らかで、彼が背後に現れた後に遅れてやってきた突風とか、190センチはありそうな体躯が動体視力を振り切ったことに驚いたあまりに。


 「──ははっ」


 有り得ない、とは思う。

 だが不死身の魔女なんてものを知っているし、それに対抗する白騎士の強さも知っている。ヒトどころか、下手をすれば地球上のどの生物よりも素早い動きを見せられては衝撃もあるが、見てしまった以上は受け入れるしかない。


 現実を受け入れ、状況を受け入れ、そして精一杯の抵抗をするしかない。


 表情筋を制御し、内心を不敵な笑みの仮面で覆い隠す。


 「白騎士と言っても、中には馬鹿もいるらしいですね、エインハウゼン卿。あなたの同僚は、“魔女”相手に人質が使えると思ってる。「動くな」なんて言ってる間に僕ごと焼くなり磔にすればいいだけだ」


 戦闘を一瞬見た限りだが、リチャード卿は炎を切り裂いたり、時に鎧に包まれた腕で防いだりしており、防御能力に長けている。


 対して彼──いま僕を拘束している白騎士は、ウルスラの魔術を全て躱していた。

 全身鎧を着たまま二メートルも三メートルも跳躍するのは人間業ではないが、リチャード卿ほどの防御能力はないと見える。


 まあ、足裏や股間は鎧が薄くなりがちだし、下からの攻撃には弱いというだけかもしれないけれど、どちらにしろ足を止めた今がチャンスであることに変わりはない。


 ……のだが、魔女たちは二人とも動こうとしなかった。


 「……」


 正直、ちょっと安心した。

 ジャンヌは僕ごと焼き払うような真似はしないと信じていたが、ウルスラは「悪いね」とか言って魔術をぶっ放す可能性もあった。


 というか初対面の時だったら撃っていただろう。

 この二週間で死を惜しんでくれる程度には仲良くなれたようで何よりだ。


 とはいえ状況は変わらず、むしろ人質の有効性がバレて悪化したとも言える。

 そこで、僕は右手をそっとジャケットの内ポケットに伸ばし──当然のように阻止された。


 「おっと、失礼。あまり迂闊な動きはしないで頂きたい」


 首筋に添えていた剣を腕の内側に通し、そのまま伸ばさせられる。

 その動きこそ、僕が望んでいたものだ。


 何も持っていない空の手を返し、白騎士の右腕を掴む。

 そのまま捻るように前方へ押し出しながら、左足を下げて下半身を据え、仙骨をセット。


 彼はその長身故に、僕を拘束した時点で前傾姿勢だ。引き落とす必要はなく、ただ重心を流すだけ──!!


 「──ッ!」


 白騎士の身体が前傾し、頭から吸い込まれるように地面に向かう。


 重さや抵抗は殆ど感じなかった。

 いや、そういう投げ方をしたのだから当然だ。


 どれほど重い相手にでも重心というものがあり、どれほど屈強な相手でも骨格と筋肉の構造はヒトに共通のもの。


 そして大抵の構造体には、“弱い方向”というものがある。

 結晶構造を持つ鉱物であれば劈開面があり、重厚な素材を用いた教会建築などに見られる棟構造、つまり構造学的に高い強靭性を持つ三角錐構造にも、横方向からの力──地震などで発生した剪断力には弱いという弱点がある。


 より複雑な構造である骨格と筋肉の複合体である人体にも、当然。


 関節は可動方向の逆側に、瞬間的な力を込めると容易に破壊できる。

 捻りながら曲げる動きは不自然であり、捻りながら伸ばす力に抵抗しにくい。


 そういう、人体に普遍的な法則を知っていれば、誰にでも通用して、誰も抵抗できない投げ方というものが導き出せる。


 「っと──!?」


 つんのめるようにして投げられた白騎士だったが、流石に運動性能が違う。

 足が浮く寸前、殆ど足首のバネだけで五メートル以上も跳躍し、僕から大きく距離を取る。壊すつもりで持っていた腕も、その勢いで手放してしまった。


 冗談じみたフィジカルだが、ある意味では予想通りとも言える。


 「死ね──!!」


 ド直球の罵倒と共に、ウルスラが魔術を行使する。

 白騎士の着地地点付近に大量の杭が生え出でるが、彼は串刺しになる寸前に突端部を避けて蹴り付け、足場代わりにして更に遠くへ跳んだ。


 着地した彼は、大袈裟に両手を上げて驚愕を露にした。


 「凄い! 随分と古臭い武術を習われていたようですね」


 鎧を纏って馬に乗り、剣や槍を使う近代戦闘術とは違う原始的な格闘術。

 しかし原始的であるということは、つまり、見栄えや儀礼を排し実戦に特化しているということ。


 明確な技術体系と長い歴史──つまり数多の実戦を経て洗練され実用性を証明された技。

 拳・蹴・投・抑・絞・咬・極。なんでもありで、どんな状況、どんな相手にでも使えるが、その多様性と複雑さゆえに習得や継承が至難であり、時代と戦争の形態の変化に取り残されて散逸した武術体系。


 ──パンクラチオン。


 時に英雄の技や神話の技とも呼ばれるが、しかし、その根幹を成すのは英雄的な技術や神話的な膂力ではない。


 「解剖学だ」

 

 人体の構造。特に骨格や筋肉の構造に着目し、自らの身体を最も効率よく運用し、相手の身体を的確に破壊する理論が組まれている。

 理屈に基づいた当然の破壊を、当然のように押し付ける。


 ……とはいえ僕の腕力は設計者たちの想定を大きく下回っているし、対象の運動性能は人間のそれを大きく逸脱している。

 約束された破壊は齎されなかった。


 おまけに、僕のこれは戦闘技術として身に付けたものではない。

 僕が知っているのは骨格の構造、筋肉の配置と動き方、重心位置と重量移動を把握して導き出した「どう足掻いても投げられてしまう投げ方の理論」であって、実戦使用はこれが初だ。


 一応、護身術の先生に見せて練習だけはしていたが、師曰く『剣を持った相手に素手で抵抗するのは自殺と同義だ。唯々諾々と殺されてやるよりはギリギリマシだけど』とのこと。

 

 実際、今は上手く行ったが、それは相手に殺意が無く、僕を無力でか弱い子供と思って油断していたからだ。次はない。


 「すごいシャルル! 大丈夫!?」

 「大丈──、ジャンヌ、前見て!」

 「え? きゃっ!?」

 

 はしゃぎつつも僕の身を案じたジャンヌが、対峙していた白騎士から目を離した愚かしさのツケを払わされる。

 隙をついて踏み込んだリチャード卿の剣が、彼女の胸元に突き立った。


 だが咄嗟に後ろに飛ぼうとして足が浮いていたのか、刺突は内臓へダメージを与える前に彼女を吹き飛ばし、再び彼我の距離が開く。


 ごろごろと転がってから体を起こしたジャンヌは、「痛いなあ……!」と不愉快そうに服についた土を払っていた。


 普通は串刺しになっているし、きちんと立っていれば呼吸困難必至だし、腕くらい折れそうな勢いで転がっていたが、「痛い」で済むのは流石の一言に尽きる。


 リチャード卿は追撃せず、同僚を振り返った。


 「シュルーダー卿。彼は生きたまま捕えたいと言ったはずです。人質になどして、万が一にも自決などされたらどうするのです」

 「……申し訳ない。確かに、彼にはその覚悟があるでしょうね」


 ヘルム越しでも分かる、険の籠った叱責。

 流石に堪えたのか、答える声はこれまでとは違う神妙なものだった。


 そこに心理的な隙を見出したのか、“磔刑”の魔術が繰り出されるが、また軽業じみた動きで躱された。


 しかし物理的・時間的な隙は生まれ、そこを突いてウルスラが僕を庇うような位置に立った。


 「悪いけど、こいつはあたしたちの大事な同道者……仲間なんでね。人質にもさせないし、自殺だってさせない。……下がって隠れてな」

 「……はい」


 旅装の、ここまでの戦闘で既に傷つき、破れたり血が滲んだりしている背中が頼もしい。いや普通は男女逆であるべきというのは承知の上なのだが、「姐御」と呼びたくなるような頼り甲斐というか、凄味があった。


 これ以上ここに居ても魔術の巻き添えを喰らいそうだし、二人がそうならないよう気を遣って本気を出せずに負けても困るので、言われた通り瓦礫の山を回って身を隠す。


 野次馬が居ればその中に紛れたいところだったのだが、どういうわけか、建物が──それも領主の館が倒壊したというのに、家から飛び出してくる人間は一人もいなかった。


 「さて──ブチ殺してやるよ、人間モドキ」

 「上等だ、人間モドキ」


 中指を立てたウルスラの挑発に、白騎士はヘルムの下で愉快そうに、そして凄惨に笑った。

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