第27話

 瓦礫の山に身を隠したあと、化け物同士の戦いから距離を置いてほっと吐き出した息を、そのまま飲み込む羽目になった。


 ふらついて踏ん張った足が柔らかいものに乗り、しかもそれがズルリと滑ったからだ。


 「っ! ……失礼」


 踏んだのは誰かの足だ。

 屋敷の崩落に巻き込まれて千切れ、主も判別できないような有様で転がっていた。怖くはなかったが、焦りはした。つい謝ってしまう程度には。


 「……」


 少し悩む。

 瓦礫を掘り起こして、生き埋めになっている人がいないか探すべきだろうか。


 建物が崩壊する寸前、ドロシーが真っ二つになったような気がするが、直後に崩落があり失神したせいで記憶が判然としない。

 人の死なんか見間違えないと思いたいが、僕は夢や間違いで見た死より、実際に目にした死の方が多い。千切れた足が転がっていても、「踏んで転ぶところだった。危なかった」なんて思えるくらいに。


 ともかく、ドロシーと伯爵の死体……もとい、安否くらいは確認したい。いや、するべきだろう。もしも生き埋めになっていたら、なんとしても助け出す。


 その意気込みはあるのだが──大きな屋敷だったし、瓦礫の量は相当なものだ。崩落に巻き込まれるなどの二次災害を避ける意味でも、もう少し人手が欲しい。


 なのに、人がまるでいない。

 建物が一つ、それも領主の館が崩壊したというのに、家を飛び出してくる野次馬の一人もいない。


 白騎士や神聖騎士団による人払いが為されている……にしては、その予兆や気配が無さ過ぎた。

 いや、まあ、僕はドロシーと話していたから気付きようが無かったけれど、そんな不審な行為に魔女たちや伯爵家の人たちが気付かないとは思えない、という他力本願的な話だが。


 「……いや、落ち着け、僕」


 人が居ない理由については、今はいい。

 街一つ、それも5000人規模の都市で、こうも完全に人払いする方法に興味は尽きないが、好奇心を満たしている場合ではない。


 行動選択肢は二つ。

 救助活動をするか、二次災害を避けて別の場所に移動するか。


 だが移動するにしても、ジャンヌとウルスラには場所を把握しておいて貰わないと不味い。魔女たちの攻撃範囲は極めて広く、その威力は絶大だ。

 僕が居る“はず”の場所を避けた広範囲攻撃で、実はそこに居なかった僕が巻き込まれて死ぬ──なんて間抜けは御免だ。


 ちらりと覗いた先では、魔女と白騎士が超常的な戦いを再開している。魔女たちがこちらに意識を割く余裕はなさそうだし、迂闊に動くのは危険そうだ。


 「……っ」


 そんな言い訳を重ねて、僕は瓦礫の山を登り始めた。


 最後に見たあの光景が忘れられない。

 幻覚、錯覚、或いは失神中に見た夢。そう思いたい。


 彼女は瓦礫の下で、奇跡的な幸運によって生存に十分な隙間に埋もれていて、今この時も救助を待っているのだと。

 そんな希望を奪い去るような死の光景が、頭にこびりついて離れない。


 これは、恐怖だ。

 不確定、未知から来る恐怖。


 それを拭い去る方法を、僕はもう知っている。検証と確定だ。

 

 「この辺りか……」


 僕を庇ってくれたウルスラが人間二人分の隙間と、瓦礫のない場所までのトンネルを作った痕跡を見つける。

 石をプリンのように容易く貫いた漆黒の杭だ。


 「……」


 僕は魔女たちの様子にも気を配りつつ、たった一人での救助活動を始めた。



 ◇



 魔女と白騎士の戦闘は、剣戟のような甲高い音を響かせる。


 魔女の肉体は超常的な力に守られており、どのような攻撃であれ一定以上の損傷を与えられない。斬撃のような破断も然り、家屋の崩落のような圧潰も然り。


 「──ッ!」

 「痛っ!?」


 リチャード卿の振り抜いた剣がジャンヌの腕を捉え、金属の直剣と少女の柔肌がぶつかったとは思えない、甲高い音が鳴り響く。剣戟音の正体はそれだ。


 少女の矮躯を吹き飛ばして民家の壁に叩き付け、白騎士は追撃の足を止め大きく後ろに下がる。

 直前まで彼が立っていた位置には、家より高い火柱が立った。

 

 白騎士たちの斬撃を咄嗟に構えた手や腕で受け止めても、防御ごと斬り伏せられたり、腕を失ったりすることはない。多少の血が出る程度だ。


 しかし、それは「破壊されない」というだけで、衝撃や運動量がゼロになるわけではない。

 人間離れした膂力を持つ白騎士の攻撃は、少女の矮躯を容易に浮き上がらせ、吹き飛ばす。


 「痛いなぁ……! でも、痛いだけだ……!」


 アッパー期のジャンヌは凄惨な笑みを浮かべて立ち上がり、再び白騎士に正対する。


 吹き飛んでいるうちは、まだいい。

 運動エネルギーを移動に転換出来ている、ということなのだから。


 不味いのは、攻撃のエネルギーを体内に留められたときだ。

 人間相手なら内臓をぐちゃぐちゃに攪拌できるような威力を叩き込まれては、さしもの魔女も悶絶する。


 そして白騎士の、特にリチャード卿の扱う武術は、それを目的として設計されていた。


 基本的に、白騎士はワンオフだ。

 コルネリウス・ライヒハートの初期構想に於いては違ったのだが、彼の計算が導き出した「人類種における対魔女用抗体」、完璧な防御能力と必要十分な攻撃能力を持ち、分隊から師団レベルまで幅広く運用可能な軍勢を作るには、ヒトという生き物は脆弱に過ぎた。

 

 だからライヒハート卿は妥協した。

 魔女と同等の無敵性を付与するのを止めた。長く戦えるよう老化を止めるのも止めた。機動力を与えるための翼を付けるのを止めた。継続戦闘能力を高めるため光合成によるエネルギー補給能力を付与するのも止めた。脳を弄って忠誠心や恐怖心を操作するのも止めた。超音波やフェロモンによる無声情報共有能力を付加するのも止めた。


 初期構想の「化け物を狩る化け物」を作るのは止めて、化け物じみて強いだけの兵士を作るに留めた。


 そこまでしても成功率は極めて低かったが、少なくとも「絶対に成功しない術式」から、「稀に成功する術式」程度にはなった。

 白騎士を製造する過程で投与される薬や、外科的な改造手術は負荷が大きく、屈強な兵士も高名な騎士も関係ない。耐えられる者は遺伝子的に恵まれているか、凄まじい幸運の持ち主のどちらかだ。


 その代わり、個々人の才能を活かすような改造を施すことで、捨てた分の戦力を補おうと考えた。

 恐怖心の薄い者には、鉄をも溶かす極高温の炎に耐える、凄まじい熱許容量を付加した。槍の穂先に立つことが出来るほど身軽で身体操作の上手な者には、一足で十メートルも駆け抜ける素早さを与えた。


 そうして頑健な肉体と常人離れした力を手に入れた彼らは、今度は技を求めた。


 魔女の防御は白騎士をも超える常識外のものであり、対人戦闘用の剣術や槍術、格闘術ではどうにもならない。

 しかし、人体の構造それ自体は変わっていない以上、痛覚へのアプローチや神経系への衝撃による一時的な麻痺などは有効だった。


 大半の白騎士は後者を好む。

 特に、拳だけでなく全身に剣を加えた多種多様な部位を使う、打撃を主体とした複合戦闘術は、今や白騎士たちの誰もが身に付けている。


 リチャード、ヴォルフ両名は剣を持っているが、これは別に剣である必要はない。

 槍でも斧でも扱えるし、どんな武器でも魔女には刃が立たない。職人の打った名刀も、そこらで拾った木の棒も、超常的な無敵性の前には同じく無力だ。白騎士の中には痛みを与えるため鞭を好んで使う者もいる。


 重要なのは、白騎士の膂力や魔女の防御、或いは魔術によって折れないこと。

 “焚刑の魔女”の炎は代表格だが、他にも大きな破壊力を持った魔術を使う魔女はいる。そういう手合いを相手取り、使い手を生還させるための武器が、彼らの鎧同様に極めて頑健な特殊金属を鍛えた剣なのだ。


 鋭利である必要はない。

 触れれば切れるほどの刃でも、魔女を何度か殴れば傷付き欠ける。どうせ切れないものを相手に振るうのだから、そんな切れ味は必要ない。


 なんとなく切れるくらい。

 シャルルの持つ医療用メスとは比較にならない。卓上ナイフとまでは言わないが、精々が、どこのご家庭にもある包丁くらいだ。


 彼ら白騎士の武装も戦形も、相手を斬ることなんか考えていない。


 ただボコボコにする。

 もう止めてくれ降参だと諸手を上げるまで殴り続けるか、呼吸不全や神経麻痺によって行動不能にする。再処刑の用意が整うまで昏睡させるため、鎮静剤を打つ──そのための隙を作る。


 それが白騎士の戦形の基礎だ。


 ……相手が音を上げるまで殴り続けるなんて、子供の喧嘩じみている。

 しかし実際、彼らはそうして数多の魔女を葬ってきたし、理性のない獣相手には“力”で語るしかないのだ。


 憎悪に駆られた魔女も、力に溺れた魔女も、自分以上の暴力を前にしては膝を折る。暴力によって膝を折らせるのだ。


 だが──痛みに関しては、ジャンヌはかなり強かった。


 「お前……えっと、リチャード卿だっけ。攻撃は確かに痛いけど、シャルルのお父さんの“審問”の方が、もっとずっと痛かったよ」


 凄惨な笑みを浮かべた少女は足元に炎を這いつくばらせ、魔女と呼ぶに相応しい妖しげな威厳を纏っている。


 先ほどから何度も攻撃を叩き込んでいるはずの魔女が変わらず放つ殺気に、リチャード卿はヘルムの下で忌々し気に眉根を寄せた。


 人間が魔女に変じるバックボーンは色々とあるが、中でも『魔女狩り』に遭ったというのは珍しくない話だ。

 そういう手合いは他人や痛み、怒声などに強い恐怖や忌避感を持ち、むしろ与しやすい類なのだが──高い能力を持った異端審問官の手により高強度の尋問を受けた者は、時に痛みに対して強い耐性を獲得する。鈍感になる、と言ってもいいが、表現は然して重要ではない。


 「……降参は望めないか」


 音を上げるまで殴り倒す、という攻略法が消える。

 白騎士は武芸百般に長ける優秀な戦士だが、相手に痛みを与えることに関して、異端審問官は専門家だ。


 ましてや、彼女を審問したのはライヒハート家の当主。

 彼と効率よく痛みを与える方法──つまりは人体への理解度で競おうなどと考える身の程知らずは、白騎士になどなれない。


 「降参なんか有り得ない。たとえシャルルに言われたって、私は私の敵を焼き殺すのを止められない!」


 魔女の咆哮に呼応し、足元で蠢いていた炎が爆発的に広がる。

 飲み込まれた民家が瞬時に炎上し、融解し、蒸発して消え失せた。


 白銀の全身鎧が熱波に打たれるが、それに包まれたリチャード卿は平然としている。冷静に剣を構え、こんな余波なんかではない、本命の攻撃に備えている。


 「死ね──!!」


 ストレートな罵倒と共に、蛇のような炎がのたうちながら宙を走り、紅蓮の波濤となって白騎士へと殺到する。


 焚刑の魔術は“炎”であって“爆発”ではない。

 熱によって膨張した空気が突風となって吹き荒ぶが、鎧を着て踏ん張った大人が吹き飛ぶほどの力はない。


 だが内包する熱は見ての通り、建材用の石を蒸発させるほどに甚大。

 一瞬触れる程度なら剣も鎧も耐えてくれるが、炎に巻かれたらお終いだ。


 ──では。


 「斬り飛ばす──ッ!!」


 振り抜かれた剣は、至って静かだった。

 風切り音が少ししたか、という程度。それも、炎が空気を喰らう轟々という唸りに掻き消されてしまう、僅かな音だ。


 剣圧が暴風を巻き起こすとか、余波で建物が倒れるとか、そんな余分はない。

 エネルギーを風や余波に浪費するほど、リチャード・エインハウゼンの技は拙くない。


 白騎士を起点に、のたうつ紅き津波が割れる。

 彼の後ろには灰色の石畳が残り、眼前では炎の大海が二つに分かたれ、どろどろに融解して泡立つ道が見えていた。


 ──だが、炎を作り出した張本人の姿が見当たらない。


 「っ! しまった……!」


 この瞬間が一番“不味い”と、リチャード卿は経験則として知っている。

 狩りの最中に獲物を見失った、なんてものではない。文字通り一対一の殺し合いの最中に、相手を見失っている状況だ。


 だが魔術は、特に“焚刑”のそれは視覚的に派手で眩しく、これまでにも何度か同じ経験ミスをした。


 相手が小動物なら、狩人の目を眩ませたら、後は逃げるだけだ。

 だが相手は肉食どころか、殺戮を求める獣。


 虎視眈々と奇襲の機会を狙っている。……はず、なのだが。


 一秒、二秒と時間が過ぎる。

 戦闘時の興奮で意識が加速し、引き延ばされたリチャード卿の体感時間では、もう十秒以上も経っているかに思える。


 そして実際に十秒が過ぎ──まだ来ない。

 地面を舐めていた炎が消え、オレンジ色に溶けた石畳の残熱が陽炎を立ち昇らせる。


 ずっと聴覚を妨害していた炎の呼吸音が止み、リチャード卿は酸素不足で回転の遅い思考で、漸く正解を導き出した。


 「……シャルル君の入れ知恵か」


 ヘルム越しの声に感情は希薄だが、どこか忌々しそうにも、感動しているようにも聞こえた。


 “焚刑の魔女”は、

 より正確には、仲間と合流しに行ったのだ。


 遠くから聞こえるもう一つの戦闘音、“磔刑の魔女”とヴォルフ卿の戦闘音に、炎の猛りが混ざり始めたのが分かった。

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