第25話
その日、ジャンヌとウルスラは共に荷造りをしていた。
彼女自身の病気も、ここに滞在することになった最大の理由であるシャルルの婚約者の病気も快癒したのなら、一か所に留まり続ける理由は無い。
魔女を探すにも“楽園”を探すにもそうだし、何より、白騎士から逃げなければ不味い。
多少の欺瞞はしたとはいえ、向こうがシャルルのことを知っている以上、調べれば婚約者にも辿り着くだろう。ここは安全な隠れ家足り得ないのだ。
二人とも荷物は少なかったが、シャルルの荷物が多い。家を出たときには鞄四つ分しかなかったのだが、伯爵が色々と用立ててくれた物が増えている。
「手伝ってくれない?」と言われて無碍にするほど険悪な仲ではないが、本人が婚約者に呼ばれて不在となれば、流石にやる気が失せる。少しだけ。
伯爵からのプレゼント、もとい支援物資は既にシャルルが選別し、必要なものだけが残っている。
しかし、これから再び始まるのは逃亡生活だ。鞄は少なければ少ないほどよく、そのためには一つの鞄になるべく多くの物を入れなければならない。
ガラスの瓶やら奇妙な形の器材やらを、布の端切れを緩衝材代わりに鞄の中に詰める作業は、3Dのパズルだ。指も入らないような細いガラスの管まであるとなれば、無理やり押し込んで蓋さえ閉めればヨシとはいかない。
しかも折悪く、今のジャンヌはアッパー期。生来の、それなりに真面目で家の手伝いなども率先していた頃の彼女より、更にテンションの高い状態だった。
「シャルル、ちゃんと話せたかな? あの子、押しに弱いところあるし……婚約破棄するつもりが、逆に婚約の話を進めて戻ってきたらどうしよう?」
「それどういう状況? っていうか、いいから口より手を動かしてくれない?」
そんな馬鹿なことがあるかと呆れ顔のウルスラは、言葉通り手を動かしながら苦言を呈する。
意外にも、と言うのは失礼かもしれないが、ウルスラはパッキングが上手かった。
空間把握力が高いのか、単に慣れか、物と物の隙間を上手く使い、時に整然と、時に複雑に、妙な形の器材を鞄に詰め込んでいく。
彼女がさっさと荷造りを進めていく傍ら、ジャンヌは薬瓶のラベルを読んでみたり──字が読めても内容物を理解できるわけではないのだが──、窓から空を眺めてみたり、鞄のベルト長を弄ってみたりと忙しない。
アッパー周期の彼女はそんなものだと、ウルスラも知っている。
こういう時にはシャルルが「ジャンヌ」と一声かければ、“構ってもらえた!”と跳びつく子犬を思わせる嬉しそうな顔をしつつ、それこそ犬のような律義さで作業に戻るのだが、今は飼い主が不在だ。
「ジャンヌ。あたしは荷物の半分を詰めた。あんたはまだその半分も手を動かしちゃいない。いまシャルルが戻ってきたら、どっちが褒められると思う?」
ウルスラは敢えて幼い子供に言い聞かせるように、ゆったりとした声を出す。
やや呆れも混ざった声に「子供扱いしないで!」と反発するなら可愛げもあるし、自分にもそういう時期があったと温かい目を向けただろう。
しかし、ジャンヌは手に持っていた瓶をドンと床に置くと、勢いよく立ち上がった。
「ちょっとシャルルの様子見てくる!」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ちなって!」
それはヤバい、とウルスラは咄嗟にジャンヌの足を掴んで引き止める。
貴族は面子や体裁を重んじると聞いている。要はプライドが高いのだ。
「家が無くなったので婚約破棄します」なら、婚約を破棄することより、孤児を婿に取ることの方が体面が悪いと判断して通るかもしれない。
養子にして保護してあげようとの申し出も、シャルルなら適当な弁舌で丁重に断れるだろう。
しかし、そこに女の影があるとなれば話は別だ。
貴族が使用人を妾にして囲うなんてのはありふれた話だが、婚約破棄について話している途中で別の女性が「ちゃんと婚約破棄できた?」なんて乗り込んで来たら……もうそういうことにしか見えない。
いやライヒハート家が滅亡したということまでは疑われないだろうけれど、伯爵家の保護を断る言い訳に何と言っていようと、そっちが本命の理由だと思われるのは間違いない。
そして訪れる修羅場。
この際、シャルルと婚約者の意思は関係ない。お互いに好意が無かろうと、婚約破棄で合意していようと、プライドを傷つけられた貴族は当然の権利のように不愉快な平民を処刑台へ送る。
シャルルを強引に手に入れようとするか、シャルルまで殺そうとするかは不明だが、“泥棒猫”だけは確実に処分しようとするだろう。
勿論、ジャンヌだって「殺す」と言われて「はい分かりました」と頷くこともなければ、「やめてください許してください」と頭を下げることもない。
魔女が「死ね」と言われたら、返す言葉は「お前が死ね」のただ一つ。殺意や悪意に対して返す感情は、一度も死んだことのない人間には想像も付かないほどに苛烈で陰湿な殺意だ。
となれば、最後には婚約者を殺されたシャルルと、殺したジャンヌが残るわけで。
……いや、その二人のことはいい。
状況は何も良くないが、最悪、その二人のいざこざは殺し合って解決できる。
ジャンヌがシャルルに殺されてあげるのか、それとも自分の死を避けるため殺すのかは分からないが、どちらかの死で決着する。
もしかしたらジャンヌが言っていた通り、本当にシャルルが自力で魔女を殺してみせるかもしれない。
つまり、ウルスラは確実にどちらかを失うことになる。
だが、どちらを失うのも嫌だ。
ジャンヌは勿論
必要性で語るなら、ジャンヌを失う痛手は大きい。
しかし感情で語るなら、ウルスラはシャルルも同じくらい失いたくなかった。
武力面では魔女や白騎士に遠く及ばない彼は、しかし知略の面で大きく長けている。白騎士はともかく、学の無い、そして感情的に動きやすい二人の魔女には。
それぞれの死因以外で再び死ぬことのない魔女たちに治療要員は必須ではないが、自頭の良さや思考の速度と深度がそもそも高い。
それに、そういう能力的な評価を抜きにしても、ウルスラは彼を気に入っていた。
親も家も失くして追われる身となっても婚約者に義理を通そうとする誠実さもそうだが、彼の治療と看病で病気の苦しみが和らぎ、解放されたのも大きい。先日の会話で、同じく兄弟に強い思い入れがあるのだと知った。魔女の特殊性を知ってなお恐れず、隣に立ち、同じ目的のため歩いてくれる。
シャルルを高く評価する理由は、考えればいくらでも思いつく。
彼もジャンヌと同じくらい、得難い同行者だ。
それに二人は、相互に依存して正気を繋いでいると言っていた。
となると、どちらか一人だけが生き残っても、遠からず自壊するのではないだろうか。
そう思えば、ジャンヌを引き留める腕にも力が籠った。
「今行くのはホントに──っ!?」
ウルスラより華奢なジャンヌだが、意外にも体幹がしっかりしていて力が強い。ウルスラも座りながら片手では止めきれず、立ち上がって羽交い絞めにする。
そうなれば流石に体格と体力の差で抑え込めるが、彼女の視線は立ち上がった時目に入った、窓の外に吸い寄せられた。
豪奢な造りで来訪者を威圧するような金属の門。
その外には金属鎧に身を包み、槍を持った厳めしい門番が二人いる。
彼らは来客の対応中だったが、問題は、その客の方。
二人の客人は門番同様、日の光を浴びて輝く金属の鎧を身に付けていた。
塗装なのか素材が違うのか、メタリックな鉄色ではなく、特徴的な純白だ。
他人の家を訪ねる最低限のマナーとしてヘルムを外し、脇に抱えてはいるが、そもそも街中で完全武装していること自体が非常識だ。腰に直剣を佩いているとなれば尚更に。
だから門番たちも戸惑いつつ、まず伯爵に確認を取る方向で動いているのが窓から見えた。
「……やばいよ、ジャンヌ。白騎士だ」
「え? どこ? うわホント」
二人はさっとカーテンを閉め、その隙間から目だけを覗かせて様子を窺う。
三階の窓から広い庭を挟んで見下ろしても顔は判別できないが、大まかな人相さえ分かれば、記憶にある追手の姿と照合して個人を特定できた。
「っ! やばいのがいる……!」
「一人はこの前の奴でしょ? もう片方は知り合い?」
生温いことを訊くジャンヌに、ウルスラは思わず笑ってしまった。
こちらが相手を知っていて、相手がこちらを知っている、という意味ではイエス。
だが魔女と白騎士が「お互いにお互いを知っている」程度の関係で終わるわけがない。
その二者間で成立する関係性があるとしたら、「殺し合って、互いに殺し損ねた」だけだ。
「顔と戦形はね。でも名前までは知らない。っていうか普通、白騎士は魔女相手に名乗んないよ」
「そっか。で、どうヤバいの? 滅茶苦茶強いとか?」
「白騎士なんだからそりゃ強いよ。でもそれ以上に、頭がイカレてるんだ。前にあたしが捨てられた古い砦に隠れてたとき、あいつは──っ! 不味い!」
ウルスラは弾かれたように窓を離れる。そしてジャンヌを置いたまま、全速力で部屋を飛び出してどこかに走り去った。
取り残されたジャンヌは暫し呆然としていたが、三拍ほど置いて、普段より活動的で攻撃的な思考に染まる頭を半回転。浮かんだアイデアを脊髄反射的な思い付きがインターセプト。
「よし、
シャルルに言わせれば「感情的殺人鬼」の魔女としては、ある意味正しい結論をジャンヌが出したとき、窓の外、豪奢な門前では、“イカレてる”と評された白騎士が剣を抜いたところだった。
◇
“イカレている”。
その騎士に対するウルスラの評価は、奇しくも彼と面識のある神聖騎士団員の約半数と一致する。残りの半分は、彼が戦うところを見たことが無いだけだ。
勿論、それは彼の隣に立つ白騎士、リチャード・エインハウゼン卿にしても同じ。
日頃より騎士の規範たるべき振る舞いを心掛け、誰かに隔意を持つのは未熟と自省するような彼だが、“焚刑の魔女”と“磔刑の魔女”が合流したことに対する補充要員として送られてきた顔を見て、内心「うわあ」と思ってしまったほど。
「──ですから、伯爵程度ではご存じないのも無理からぬことですが、後々、王家からお叱りを受けたくないのなら、ここは従うことをお勧めしますよ」
にこやかに、爽やかな笑顔を浮かべた青年。
短く刈り揃えられた金髪は陽光を受けて輝き、活発で快活な若年兵か従士のような雰囲気を強くする。前線を経験した後に伯爵家に仕えるようになった門番たちにしてみれば、もはや青臭さすら感じるほどだ。
名はヴォルフ・シュルーダー。
神聖騎士団の中でも上澄み中の上澄みだった実力者を、後天的に化け物を生み出す改造プロトコルによって変性させた『白騎士』。
27人いる同僚の中で、リチャードが最も扱い辛いと感じる男だ。
超人的な力に振り回されて暴走するとか、力に酔って命令を無視するとか、そういう類の問題ではない。
“白騎士”になるには戦闘能力だけでなく、忠誠心も求められる。その手の問題が生じそうな人間は、そもそも改造の対象にならない。
それでも万が一、反抗的態度や不服従が目に付くようであれば、同じ白騎士によって捕縛され、『再調整』もしくは処刑という末路を辿る。
逆だ。
ヴォルフは極めて高い忠誠心と信仰を持ち、魔女狩りに対する
故に──犠牲の許容量が、他の白騎士と比べても遥かに高いのだ。
“怪しきは殺してみて確かめる。殺して死なねば魔女である”というのは神聖騎士団では常識だし、リチャードだってその原則に倣うことは多い。
しかしヴォルフは、他の白騎士たちが躊躇うような状況でも、平然と『確認』をする。
「……ふむ」
顔を見合わせた門番を見て、ヴォルフは得心したように頷く。
その横で、リチャードは嘆息したい気分だった。
『我々は教皇庁の秘密組織である。ライヒハート家の嫡男と使用人風の少女が二人、この屋敷に匿われているはずだ。連中は神と人類に仇を為す魔女であり、我々の目的はその討伐である。速やかに三人を差し出せ』
ヴォルフは先刻、馬鹿正直にそんな風なことを門番に告げた。
正直は美徳だ。それはリチャードとてそう思う。
だが限度がある。
“ライヒハート”相手ならともかく、地方貴族相手にそこまで明かす必要は無い。というか、神聖騎士団は魔女を闇に葬るための組織であり、当然ながら組織そのものも秘匿されているのだ。
後で口止めやら何やらする事務方には、頭の一つでも下げねばなるまい。
まあ、それはともかく。
門番の反応を見れば、ヴォルフが口にした人間に心当たりがあるのは明らかだった。その上で、使用人を通じて伯爵から返ってきた答えは“否”。
『魔女なんぞ知らん。よしんばライヒハート家の嫡男を匿っていたとしても、神聖騎士団とかいう聞いたことも無い組織に引き渡すはずがない。せめて教皇聖下の印璽付きの書簡でも見せてくれたら話は聞く』
──とのこと。
まあ道理だとは思う。
シャルル・ライヒハートとドロテア・フォン・プラヴァーズ伯爵令嬢との間に婚約関係があることは調べが付いた。
娘の婚約者と謎の騎士なら、まあ前者を信用するだろう。
しかしリチャードたちは、このプラバの町の辺りで“焚刑”の魔術が使われたことも把握している。
その後に“磔刑”の魔術が行使された位置から進路を予想し、潜伏できそうな集落や町を確認したが、以降、魔術行使を知らせる啓示もなく、変死体の一つも見つからなかったことから欺瞞行動と判断。
となれば、やはりここで匿われているというのが、尤もらしい結論だ。
「……はあ。信じて頂けないのであれば、仕方ありません。お心当たりはあるようですし」
ヴォルフは少し困ったような笑顔を浮かべ、剣の柄に手を掛ける。
ほぼ同時に二人の門番が反応し、槍の穂先を突き付けた。
「おい下がれ! 武器から手を放すんだ!」
ヴォルフは剣に手を添えたまま、槍の射程から出るようにじりじりと下がる。
左手はヘルムを持ったままで、剣の柄に手を掛けていても今一つ威圧感に欠けるが、門番たちは油断なく彼の一挙手一投足を観察していた。
剣と槍なら、リーチの優れる槍が有利。
それは間違いではない。
戦闘の基本は間合いの取り合いだ。特に白兵戦に於いては。
相手の攻撃タイミングでは相手の間合いの外に居て、自分の攻撃タイミングでは自分の間合いの内に居る……これが常に出来るなら、そいつは無敵だ。
そして槍は、その無敵の戦術を疑似的に再現できる。
剣では届かない位置から一方的に攻撃できるし、熟達した使い手であれば剣を巻き上げて武装を解除することも出来る。
それに、長くしなる槍は打撃力にも優れ、鎧を着込んでいても骨や内臓に
剣と槍なら、リーチの優れる槍が有利。
間違いではない。間違いではないが──この場に於いて、リーチに優れているのは槍の方ではなかった。
「剣は所詮、近距離武器。薄い刃部によって圧力を高め、物体を割断する原始的な武器。故にその危険域は斬線上のみであり、間合いを外してしまえばいいだけのこと──遠距離広範囲攻撃手段を持つ魔女は、そう驕る。そして我々は、その化け物どもを600年以上、闇の中に葬り続けてきた」
ぶつぶつと呟くように語るヴォルフ。
リチャードは嘆息と共に肩を竦め、門番に顔を向けたまま後退る。その動きは二対二を想定したものではなく、むしろ門番とヴォルフの戦闘に巻き込まれることを嫌ったようなものだ。
剣に手を伸ばすことも無く、むしろ「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦めている。
「……シュルーダー卿。読み通りならシャルル・ライヒハート殿もいらっしゃる。彼は生きたまま捕えたいが?」
呆れ混じりに釘を刺すリチャードに、ヴォルフはニッと人好きのする笑みを返した。
「問題ありません、エインハウゼン卿。神がそれを望まれるのならば、それは必然となりましょう!」
抜き放たれた剣が、それを握る右腕が霞む。
約一秒ほど、門番たちはヴォルフの右腕が消失したかのような錯覚を味わった。
そして。
「──ぁ」
微かな断末魔を残し、門番たちの意識が途絶する。
その背後では、無数の斬線を刻まれた屋敷が、その構造を維持できずに崩壊を始めた。
轟音。振動。土煙。
悲鳴は幾つも上がったが、逃げ出してくる人間はいなかった。何の前兆も猶予も無く不意に、砂の城が崩れるように一瞬で潰れる建物から、逃げ出せるはずもないのだから。
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