第16話

 二週間。

 その、白騎士による魔女捜索が再始動するまでの猶予期間を、僕たちは半分も移動に費やしてしまった。


 三日もあれば着くはず、なんて出発前に立てていた僕の想定は、あまりにも現実が見えていなかった。結果としては一週間、想定の倍の時間がかかったのだから。

 

 魔女は人間を嫌う。

 乗合馬車や、街道を行く行商人の馬車に乗せて貰おうとすると、露骨に嫌な顔をされたのだ。それでも必要性があるなら我慢できるだろうと思っていたのだが、運が悪かった。


 いや、運というか、民度だろうか。

 僕たちは旅行中の金持ち坊ちゃんと二人の使用人に見えるようで、馬鹿みたいな運賃を要求されたり、物資を恵んでくれと集られたり、果てはジャンヌとウルスラに一晩幾らかと聞く不届き者まで現れた。


 ……僕が対応したのはここまで。

 話術でどうにかなったのがここまで、とも言える。


 もっと物理的に絡んできた奴──ナイフを出して金を脅し取ろうとした奴とか、荷物をスろうとした奴、あとウルスラの胸に触った奴。こういうのは全員、二人の魔女が大義を得たとばかりに嬉々として惨殺した。


 もしも白騎士の増員がウルスラの語った最短時間、一週間で完了していたらと考えると、ここから先は魔術を控えた方がいい。でなければあっという間に捕捉され、襲撃される。



 なんとか辿り着いたプラヴァーズ伯爵領の町プラバは、人口4000人ほどの都市だ。

 高い石壁と、槍と鎧で武装した警備兵に守られた安全な町。


 外観と前情報からとても活気がありそうな印象を抱いていたのだが、入ってみるとそんなことはなく、むしろ人気が少なく感じた。今は亡き故郷の町よりも、ずっとだ。


 街自体が大きいから人口密度の差で閑散としているのか、それとも別な理由があるのか。


 「……シャルル、なんか安心してる?」

 「あたしらに絡んでくる馬鹿がいなくてホッとしてるんでしょ、多分だけど」


 後ろから聞こえてきた会話は聞き流す。

 実際正解だが、理由はそればかりではない。


 二人とも広場恐怖症のきらいがあり、多数の群衆や歓声に対して拒絶反応を示すことが一週間の旅路で判明した。

 ただ恐怖症と言っても、二人は魔女だ。パニック発作の症状を呈する代わりに、不安感や嫌悪感を憎悪に、そして殺意に変えて発散する。


 つまり──全員ブチ殺す。

 5、6人程度の乗合馬車なら平気だったが、宿を借りるために立ち寄った50人くらいの村は危なかった。朝になるとほぼ全員が連れ添って農地に向かっていくのだが、ジャンヌはその行列を見るだけで殺意に呑まれた。


 まばらな人に尋ねながら辿り着いたプラヴァーズ伯爵邸は、僕の実家よりなお大きな屋敷だった。

 広い庭と豪奢な門を持ち、塀と屈強そうな兵士に守られた豪邸。


 門番に名前を告げると、彼は一度邸内に引っ込み、ややあって身なりの整った男性と共に戻ってきた。


 輝くような金色の髪を短く刈り揃えた、快活そうな人だ。

 金糸の刺繡がふんだんに施された豪奢な衣装を纏った姿はまさに貴族然としているが、彼は自分の手で門を開けた。門兵に命じて開けさせるのではなく、重そうな金属の門をえっちらおっちらと。


 「シャルル君! 来てくれたのか! あぁ、良かった! 大きくなったねえ! 二年ぶりかな? あの時は落ち込んでたから余計に小さく見えたのだろうけど、それにしても大きくなった!」


 二年前──姉の葬儀のとき、僕と彼は一度会っている。

 しかし、僕の当時の記憶は曖昧なのだ。婚約者の顔も覚えていないのだから、その親の顔など尚更。


 まあ状況と服装から見て、彼がプラヴァーズ伯爵──ジェームズ・フォン・プラヴァーズで間違いない。


 彼は満面の笑みを浮かべて僕の手を取り、ぶんぶんと激しく振って歓迎を示す。

 流石に本物の貴族の手を振り払うわけにもいかず、突然の訪問がそこまで喜ばれるとは思ってもみなかったこともあって、僕は暫くされるがままだった。


 僕が何も言えずにいると、彼は背後のジャンヌとウルスラを見て「使用人かな」と微笑を向けた。

 名乗らない辺り、どれだけ気さくに見えても貴族としての振る舞いや価値観は備わっているらしい。それだけに、自分の手で門を開けたことが、どれほど僕の訪問を心待ちにしていたのかが窺えて不思議だった。そんなに親交は無かったはずなのだが。


 適当な扱いを受けたウルスラは不愉快そうにしていたが、ジャンヌは以前リチャード卿にしたように取り繕った一礼を返した。


 彼は視線を更に彷徨わせ、不思議そうに僕へと戻した。手は握られたままだが、いい加減に放してほしい。


 「ジョンはどこだ? 手紙を出してから間もないのに、余程すぐに来てくれたんだな!」


 彼は嬉しそうに──最も親しい友人との再会が待ち遠しく、この上なく喜ばしいと言わんばかりの笑顔を浮かべる。


 その笑みに、僕はぶん殴られたような気分になった。

 父と彼との関係は聞いている。王立大学の同期生で、友人。プラヴァーズ伯爵は薬品関係や金属・ガラス細工の職人を多数支援しており、彼の所有するメーカーや庇護下にある職人個人の製品は、王立大学や国内の医師が買う医薬品や医療器具の6割以上を占めるとか。


 僕たちが使う、そして一般の医学界では未だ知られてもいない特殊な医療器具──例えば注射器なんかも、彼が口の固い職人を紹介してくれて、好奇心に蓋のできる運び屋を手配してくれたから安定供給されていた。

 その他の薬剤や、薬を作るのに使う前駆体、必要な成分を抽出できる薬草や動物、果ては特異体質の検体まで。ライヒハート家が実験目的で購入するものの半分は、彼の手を介していたほどだ。


 友人であり、有能なビジネスパートナー。二人はそんな関係だったそうだ。

 父が王立大学に通っていたのは僕が生まれる前のことだし、当然、父との付き合いは僕より彼の方が長い。


 そんな人に訃報を伝えなくてはならないと思うと──満面の笑みを壊さなくてはならないと思うと、とても憂鬱だ。


 「手紙? いえ、伯爵──」

 「あぁ、すまない、疲れているよな! まずはゆっくり──」


 僕の言葉を遮り、伯爵は手を引いて屋敷の中に導こうとした。

 言葉を遮られたことや子供扱いには、少しばかり不満はある。とはいえ相手は大人で貴族、正しい対応だと自分に言い聞かせて我慢だ。


 「伯爵!」


 繋がれた手を握り返し、体格の勝る大人を引き留めるべく全力を込めて引く。その甲斐あって、彼は少しバランスを崩しつつも立ち止まってくれた。


 「おっと! す、すまない。喜びが抑えきれなくて。何だい?」

 「歓迎には感謝します。でも、まず大事な話をさせてください」

 「あぁ、聞かせてくれ」


 彼はにこにこと、よく躾けられた子供に感心の目を向ける。


 僕は一度深呼吸をして心を決め、一息に言った。


 「父は身罷りました」


 伯爵の浮かべていた笑顔が凍り付いた。


 「……なんだって?」


 凍った笑顔が溶けるように落ちていき、愕然とした表情に変わる。

 まだ友人の死を実感できていないのか、悲しみではなく驚きの色が強い。


 「な、何故だ?」

 「火事です。母も、街と屋敷も、全て焼失しました」


 自分でも驚くほど、僕の口調には淀みが無かった。

 予め、調査されてもいいように、痕跡を見ても納得のいく言い訳を考えていたのが功を奏したのかもしれない。


 それに、まあ、なんというか──微妙に実感が薄いのもある。

 目の前で見た父の死を、僕はきちんと受け止められなかったのだ。母に至っては、その死を、亡骸さえも見ることさえ出来なかった。


 病気や怪我での死だったら、僕は自身の力不足を責めたり、ライヒハート家の研鑽不足と見做し、先人たちのように強烈なモチベーションを持って研究に励んでいたかもしれない。


 しかし、“魔女”は、流石に予想の範疇外だ。

 いや、その存在自体は、神聖騎士団に協力していたという父なら知っていたかもしれない。けれど当時の僕には常識外も甚だしいものであり、なんというか、むしろ納得感さえあったのだ。


 人間を憎んで生まれた化け物が人間を殺す。──まあ、それはそういうものだろう、と。


 それに、「人が死ぬ」ことは、僕たちにとっては当然のことだ。

 だからあの時は「死人が生き返った」ことに気を取られていたし、それからも使用人無しでの生活に、相続の手続き、更には白騎士の襲撃と、喪に服す暇も無かった。……なんて、長々と言い訳を並べ立ててはみたけれど、結局のところ、僕は親よりも姉に依存しており、ジャンヌに依存していたというだけの話かもしれない。

 

 どうせ、僕は欠陥品なのだから。


 「そ、そんな……」


 伯爵の足から力が抜け、彼は煉瓦敷のアプローチにへたり込む。

 門番の一人が慌てて駆け寄り、助け起こすが、呆然と脱力した顔には血色が戻っていなかった。


 「君だけは無事だったのか。それは、何よりだ……」

 「なので……、いえ、すみません。伯爵にもお時間が必要ですよね。また明日、こちらに伺います」


 兵士に支えられて立つのがやっとなほど、伯爵は憔悴していた。

 流石にこんな状態の彼に「そういうわけで婚約破棄します」なんて言えるはずもなく、出直すことにする。


 後ろから「えー、早く出ようよー」「私も人の多そうな町ヤダなぁ」とか聞こえてきたので、後で宥めて説得して、メンタルケアをする必要はあるだろうけれど──それでも、この義理は通すべきだ。


 「あ、あぁ……」


 伯爵は顔面蒼白になりながらも、アポイントメントを了解してくれた。


 改めて握手を交わして立ち去ろうとした時、ふと思い出したことがあった。


 「それと、さっき手紙が何とか仰っていましたが、それは?」


 このプラバの町から僕の故郷まで、本職の運び屋なら二日か三日といったところ。手紙を出してすぐに来た、と言っていたから、手紙を出した頃には僕たちはここを目指して移動中だ。当然、父が手紙を読むことはもうない。


 そう思うと、僕にできることなら代役を務めようという気持ちになった。


 伯爵は暫く迷っていたが、ややあって、悲壮感と絶望に満ちた声で言った。


 「……娘が、ペストに罹ったんだ」


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