第15話
「……こ、婚約者?」
「シャルルに婚約者がいるのは聞いてたけど、どうして今? 保護して貰えるの? 確か、親同士が勝手に決めたって言ってたよね」
「こんな子供に?」と言いたげな顔のウルスラ。
検体だった頃に話していたジャンヌは、その実在ではなく僕の判断を疑っていた。
家を失って婚約者に保護を求めるという流れは非合理的なものではない。しかしジャンヌに話した内容は、僕と婚約者の関係性がとても良好とか、強い信頼関係で結ばれているとか、そういうポジティブなものではなかった。彼女はそれを覚えていたようだ。
「うん。二年前、姉さんの葬儀で会ったきりだし、正直顔も殆ど覚えてない」
僕はこれでも記憶力はいい方だと自負している。
しかし、婚約者だと紹介された二つ年上の少女の顔を、はっきりと思い出すことが出来ない。当時は精神的に弱っていたから仕方ないという自己弁護は出来るが、不誠実さに罪悪感は募る。
だからこそ今、最低限の誠実さを見せるべきだと感じていた。
「でも、婚約していたことに変わりはないから」
「……好きでもないのに会いに行くの?」
ジャンヌの問いに、ウルスラもうんうんと頷いて同意を示す。
その──なんというか、幸せな勘違いに、僕は思わず破顔した。
彼女たちにとって、婚約や結婚は好き同士がするものなのだ。それが当たり前であり、それ以外のケースが咄嗟に思いつかないほどに。
「ウルスラは農民だって言ってましたね。ジャンヌもそうか。……僕たちはお互いが好きで婚約したわけじゃない。お互いの家の利益のために、婚姻という関係で結びついただけだよ」
その話が決まったとき、姉が大層ご立腹だったことを思い出す。
僕の意見も聞かず勝手に決めた両親と、本来はそういう役回りだったはずなのに、役目を全うできない脆弱な自分の身体に怒っていた。
けれど、僕は別に、そこまでだ。特に何の感情も無い。他に好きな人が居るわけでもないし、嬉しくも悲しくもない。そういうものだと習っているし、そういうものだと感じている。
というか、僕には「好き」という感情が微妙に理解できていない。
両親のことも姉のことも、勿論ジャンヌのことも好意的に思ってはいる。しかしそれは愛というには不適切で、尊敬や共感、依存といった言葉の方が相応しい気がする。
よく知っている人にすらそうなのだ。顔もうろ覚えの、殆ど名前しか知らないような人に恋愛感情を抱けるほど、僕は器用ではない。
「政略結婚ってやつ? なんか、貴族みたいだね」
呆けたようなウルスラの言葉に、僕とジャンヌは顔を見合わせて微笑を交わした。
「ひいおじいさんは一代爵位を持ってたし、お相手は正真正銘の貴族ですからね」
「そうなの? はぁー、偉い人の考えることは分かんないなあ。それでも会いたいもの?」
心なしか、ウルスラは僕に僅かばかりの隔意を持ったようだった。
まあ、慣れてはいる。僕の生まれ育った環境は明らかに恵まれたものだったし、ごく稀に妬み嫉みなしに接してくれた同世代の町の子供とも、話が合わなくて仲良くなれなかった。
僅かな隔意程度で済んでいるのは、僕が恵まれているばかりではないことを知っているからか。
それに、その環境も全ては灰塵となった後だ。妬んでも仕方ないことではある。
とはいえ、僕を1秒で殺せる魔女に隔意を持たれたままというのも、なんだか眠りが浅くなりそうで嫌な話だ。
僕は彼女の心を解すべく、せめて質問に正直に、真っ直ぐに目を見て答える。
「会いたい、というか……その、婚約を破棄するって重大事じゃないですか。しかも突然一方的に言うわけですし、せめて顔を合わせて伝えるべきでしょう?」
また、少しの静寂があった。
「……ん? 婚約破棄?」
「どうして?」
ウルスラだけでなくジャンヌも首を傾げる。
僕としては物凄く真っ当なことを言ったつもりだったので、想定以上に価値観の乖離があるのかと不安になったが、引っかかったのはそこではないようで一安心だ。
「そりゃあ、ライヒハート家は実質的な滅亡ですからね。お互いの家が結びつくことで双方に利益があるから、僕たちの婚約が成立していたんですよ? 存在しない家との関係は成立しないし、僕と彼女の関係もまた存在しなくなる」
僕の婚約は、僕やお相手に主眼を置いた関係性ではない。
両親が見据えていたのは今後百年、或いはもっと先の、僕を含む未来のライヒハート家の利益と繁栄だ。
そしてそれは、お相手も同じこと。
相手は相手の家の将来を考えて、最適な選択肢を選んだだけのことだ。
……たぶん。落ち目というわけでもない伯爵家が、数代前に一代爵位を持っていただけの家なんかと結びつくことに、それほどのメリットを見出すとは思えないけれど……まあ、ライヒハート家は家名や資産より能力の方に価値がある家だ。曾祖父の代から姉に至るまで、長子は卓越した才覚を見せている。僕もまあ、姉の半分くらいは優秀なはず……だと嬉しい。
「……だからせめて直接会って伝えようって? ホント律儀だな、あんた」
ウルスラの笑顔は呆れ混じりにも見えたが、もう隔意は感じなかった。
褒めるような揶揄うような微笑に照れてしまい、「ありがとうございます」と返しつつ別な話題を探す。
と、一つ思い出すことがあり、照れや羞恥の感情は一瞬で鎮火した。
「……あ」
「え、何?」
不穏当な声を上げた僕に、ウルスラは僕の見つめる先──ジャンヌと僕を交互に見遣る。
当のジャンヌも「どうしたの?」と首を傾げていて、僕の自己嫌悪に気付くと、疑問の表情は不安そうに変わった。
「……ごめん、色々あり過ぎて気が回らなかった。ジャンヌもご両親に会いたかったよね」
町から逃げ出したあと、ジャンヌは逃亡先に自分の実家を提案した。
しかし最寄りの集落と同じ方角であり、真っ先に捜索の手が伸びるだろうこと、そして僕が婚約者に会わなければという義務感に駆られた結果、その案は棄却した。
一応は合理的な判断だったと自信を持ってはいるが、判断に感情を交えたことも自覚している。
しかし感情の話をするのなら、彼女だって、こんな状況では望郷の念に駆られるだろう。
両親に抱き着いて、心中の不安や、自分の身に降りかかった災難を吐露して、慰めて貰いたくなるだろう。
僕も──僕はジャンヌが居るからそこまでではないが、それでも、姉の判断を仰ぎたい。僕より賢い人の思考や判断を頼りたい気持ちはある。
そんな人間的な配慮は、しかし、二人の魔女にとっては見当違いなものだった。
「な──」
「あ、そりゃないから安心しなよ」
「……どうしてウルスラが答えるのよ」
何か言おうとしていたジャンヌがウルスラに言葉を遮られ、むっとした顔になる。
しかしウルスラは揶揄や意地悪ではなく意図があってのことだと分かる、真剣な表情をしていた。それを見たジャンヌは不満そうにしつつも、一旦は黙ってウルスラの言葉を聞くことにしたようだ。
「魔女同士、その辺りの機微は共有できるからね。それに、こういうのは話して楽しいものじゃない。……シャルル、あたしたちはね、世界の全てを呪って生まれる。それは家族も例外じゃない」
「え? ……じゃあ」
「私は普通に、ここから近い集落だから提案しただけだよ。私を売ったパパとママを殺すのは、白騎士から逃げるついでくらいのつもりだったけど」
あっけらかんと、ジャンヌは言った。
平然と。当然のように。──自分の両親を殺すつもりだった、と。
何も言えなかった僕とは違い、ウルスラは「結局自分の口で言うのかよ」なんて突っ込む余裕がある。というか、彼女は特に何も感じていないようだ。
「売った、か……」
魔女は世界を呪って死に、そして生まれる。
全て、とは、本当に文字通りの“全て”なのだ。
ジャンヌが魔女の謗りを受け拷問を受ける原因となった──ライヒハート家に来る原因となった親のことも。
「まあ、口減らしに子供を売るのも、魔女狩りに遭って殺されるのも、そんなに珍しいことじゃないしね。深刻な顔しなさんな」
「ねえ、だからどうしてウルスラが言うのよ」
「あはは、今のはわざと。辛そうな顔してたから、ちょっと和ませようかと」
千人殺して「普通」と語る殺戮者たちにしては平和なやり取りに、重くなりそうだった空気も弛緩する。
笑いあう二人に僕もつられて笑みを浮かべて、ふと思い出したことがあった。
というか、聞いておくべきことを思い出した。
「……“楽園”のことに話を戻しますけど、場所までは分かってないんですよね?」
「そうなんだよ。そこは兄さんにも教えられてなかったらしくて……けど、兄さんが言うには、2,30人規模の集落よりは大きいはずだって」
2,30人以上となると、領主がその存在を認知していないような──税金どころか、自分たちが食べる分の食料を作るのにギリギリの寒村レベルだ。
つまり、その条件だけで絞り込もうとすると、もう殆ど全ての集落が該当する。
何のヒントにもならないような内容に、しかし、僕は浅く繰り返し頷いて納得を示した。
魔女が誰にも──白騎士にさえも迫害されない場所。
それが本当に実在するとしたら、その不可侵性を担保するものは何か。
魔女と神聖騎士団間で平和条約でも結んでいる?
まさか。有り得ない。そんな曖昧で、悪意一つで崩れ去る平和を“楽園”とはとても呼べない。
魔術のように超常的な力で発見や攻撃を防ぐ防壁のようなものが展開され、守られている?
可能性はある。ジャンヌの魔術は人間を殺すことを目的とした殺戮の権能だが、別系統の力や、成長性や拡張性があるかもしれない。有り得ないとまでは断言できない。
しかし、もっと可能性が高く、確実性の高い担保がある。
──武力だ。
神聖騎士団が手出しを躊躇うほど圧倒的な戦力を保有していれば、迫害の手は伸びて来ない。伸びてきたら全員殺し、平和を守る。
騎士団側の主戦力である白騎士は、魔女に対してある程度優越しているように見えた。
しかし実際には、魔女が複数いる場合には同数を揃える。つまり戦力差をほぼ1:1と想定している。
そこまで考えれば、“楽園”の成立要件も分かる。
「なるほど。確かに、白騎士が全部で28人らしいので──」
30人という数は絶妙だ。
恐らく50人を超えると、血気盛んな魔女たちは「神聖騎士団をボコボコにしちまおう」という方向で団結する。
軍事兵法の類には明るくないが、70人もいれば神聖騎士団は負けているのではないだろうか。
神聖騎士団が手出しを躊躇い、魔女の側も戦争になっても確実に勝てるとは言い切れない。30人は概ねその閾値だ。
ともかく、かなりそれっぽい数字ではあると言おうとしたのだが、先んじてウルスラが大きな声を上げた。
「──え、白騎士って28人もいるの!?」
知らなかったのか、と思ったのは一瞬。突っ込む前に納得できた。
白騎士が魔女相手に素性や内情をペラペラ喋るわけがない。リチャード卿が僕に対して丁重な態度を取り、自身の身分を誠実に明かしたのは、僕が“ライヒハート”だったからだ。
「はい。リチャード卿が言っていたことなのでブラフの可能性もありますし、かなり緊張していたので記憶が正しくない可能性さえありますけど」
確認を込めて、緊張とは無縁だったジャンヌを見遣る。
ほんの数時間前の会話のはずだが、彼女はなんとなく上の方に視線を彷徨わせた。
「言ってたような気もするね」
胡乱な目を向けると、顔を逸らされた。
どうやら真面目に話を聞いていなかったらしい。
あんなに緊迫した場面だったのに。
あんなに大真面目な空気だったのに。
僕はともかくジャンヌに関しては命が懸かっていたのに。
怒ってはいないが、怒ってみせるべきだろうか。
魔女は強いが、無敵ではない。まあ白騎士に魔術が通じないと発覚する前のことだから、あの時点では奢っていても仕方ないけれど……今後は大いに警戒していく必要がある。
「まあでも、魔女が襲い掛からなかった時点で凄いことだよ。魔女の殺意は理屈じゃない。理屈も感情も呑み込む本能みたいなものだ。再誕直後が一番ヤバいのは分かるだろうけど、別に、そこからマシになっていくわけじゃない。理性で行動を制御するなんて殊勝で苦しいことをやめて、白騎士だろうが何だろうが手当たり次第に壊し尽くすようになる」
そんなことを考えて眉根を寄せていると、ウルスラが助け舟を出した。
「……そうですか」
まあ、そう言うものなら仕方ない。ジャンヌが一定の理性を保っているだけ善しとしよう。
戦闘になったら僕は役に立たないのだし、頭を使うことは僕が担当すればいい。
幸いにして、二人とも話が通じないタイプではない。少なくともジャンヌは、一定の合理的妥当性を提示して説得すれば、自分の感情を一旦は収めてくれる。
「ごめん、話が逸れたね。“楽園”の場所だけど、あたしはとにかく歩き回って探してる。それっぽい規模の村なんかを見つけたら立ち寄って。魔女同士はなんとなく、お互いがそうだって分かるからさ」
少し待っても、ウルスラはそれ以上何も言わなかった。
むしろ、僕たちが無反応なのを不思議そうに見つめてくる。
「……え? あの、それだけですか?」
それだけって? と首を傾げるウルスラだが、拍子抜けなのは僕だけでなくジャンヌもだ。
「手当たり次第に歩き回って、見かけた集落を訪ねて確認して、次の場所を探す……。巡礼より大変じゃない?」
ジャンヌの言葉に、僕も何度も頷いて同意を示す。
遥か遠方の聖地を目指す、しかし目的地も道順も分かっている、大多数の先人もいる巡礼なんかよりもっとずっと難しい。
というか、“楽園”の位置が固定ではないケースもある。つまり楽園の成立要件である30人前後の魔女たちが定期的に移動して暮らす、遊牧民のような生活様式だった場合、最悪、一生かけても辿り着かない可能性がある。
山奥や谷底のような秘境にあった場合にも、辿り着く可能性は極限に低い。
「……殆ど不可能と言ってもいい。もし見つかったら、それこそ神の奇跡だ。それは分かっていますよね?」
「まあね。だから途中で魔女を見つけては、こうして勧誘してるんだ。数が揃えば白騎士に絡まれることも減るだろうし……最悪、あたしが新しく“魔女の楽園”を作っちまえばいいだろ?」
慎重に言葉を選んだつもりだった。ウルスラを刺激するように。
ここで激昂するようなら──物事の実現可能性も正しく見られない、或いは感情に呑まれて盲目になるようなら、同行の話はナシだ。ジャンヌを預けることも無い。
馬鹿につられて馬鹿なことをすれば死ぬ。それこそ馬鹿のすることだ。
そして僕は、死後に姉に叱られてしまいそうな馬鹿馬鹿しい死に方をするつもりはない。ジャンヌにも、そんな死に様を晒させはしない。
しかし、彼女は小さく肩を竦めて笑った。
彼女はそれがとても難しいことを理解した上で臨み、剰え別のプランまで持っていた。
僕は思わず、感心してしまった。
彼女の方が年上で、僕より魔女やこの世界のことをよく知っていて、経験も豊富なのに。
それにしても──作る、とは。
それは僕が、僕と父が憧れ続けた解法だ。答えが分からない、辿り着けない。ならば、新たな答えを作ればいい。
数学や歴史の問題では有り得ない。しかし、現実に存在する問題において、答えや解法が単一であることの方が少ないのもまた事実。故に、極めて有効。
先人が導き出し、しかし歴史の中に埋もれてしまった答えを探していた僕たちとは違うアプローチ。
そして何より、難しそうではあるが、致命的な瑕疵が見当たらないのが素晴らしい。
嫌な話だが、この世界には、世界を呪うような死が珍しくない。戦争も疫病も飢餓も迫害も、どこにでもあるありふれたものだ。
僕の目の前に魔女が二人もいるのだし、“楽園”よりは魔女を探す方が現実味がある。
「……白騎士から逃げ続けるのも、何処にあるか分からない“楽園”を探して彷徨うのも、どちらも現実的じゃありません。でも……“作る”っていうアイディアは素晴らしい」
それに何より──僕も、魔女には一定のシンパシーを覚えている。
たとえ見知らぬ誰かであっても、理性を失った獣として狩り殺されるくらいなら、どうにか掬い上げたいと思う。
だから。
「僕で良ければ、是非同行させてください」
僕はウルスラに右手を差し出す。
彼女は嬉しそうに笑って、その手をしっかりと握り返してくれた。
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