磔刑の魔女

第14話

二章:磔刑の魔女


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 目が覚めると、辺りはとっくに暗くなっていて、ぱちぱちと薪の爆ぜる音がした。

 僕は横臥していて、身体の下には家から持ってきた寝床用のシートが敷かれていた。ジャンヌが寝かせてくれたのだろうと考えつつ、身体を起こす。


 初めに目が合ったのは、焚火を挟んで向かいに居た赤毛の女性だった。


 「や。遅いお目覚めだね」

 「おはようシャルル。晩御飯、残してあるよ」


 ジャンヌの声はすぐ傍からだった。

 目を向けると、彼女は僕が寝ていたシートの上に座っていた。どうやら僕は、彼女の膝を枕代わりにしていたらしい。


 「ありがとう。膝も。痺れてない?」

 「大丈夫。さっきまでご飯を食べてたから」

 「そう?」


 圧迫による一時的な神経麻痺と食事に何か関係があるだろうかと、一瞬だけ考えてしまった。だが何のことは無く、単に「こぼさないよう別な場所で食べていたから、ずっとこの体勢だったわけではない」という意味だろう。


 しかし失神したにしては寝覚めがいい。どうやら寝入っていた──気絶から睡眠にシフトしていたようだ。

 どうやらジャンヌの膝枕には安眠効果があるらしい。……いや、そんなことを考えている場合ではなかった。


 「それで」


 僕はまだ微妙に回転の悪い頭を起こしながら、僕たちを愉快そうに見ていた赤毛の女性に視線を戻す。


 あの極限の緊張状態で聞き間違えていなければ、彼女は“磔刑の魔女”と呼ばれていた。

 ……正直、疑問はある。山のように。けれどまずは。


 「さっきは助けてくれてありがとうございました。いや、僕を助けたつもりはないかもしれませんけど、それでも、助かりました」


 僕は立ち上がり、深々と頭を下げた。

 人類を憎む魔女である彼女が、僕を殺さないでいる理由は分からない。同族ジャンヌの連れだから許されているのかもしれないし、実は殺そうとしているがジャンヌが守ってくれているだけかもしれない。


 それでも、彼女の介入のおかげで僕とジャンヌが助かったことは事実であり、その部分に対して礼を尽くすことは僕にとって当然だった。

 

 彼女は僕に愉快そうな一瞥を呉れると、「どういたしまして」と笑った。

 意外なことに、その笑顔には屈託も邪気もなく、憎悪や殺意は一切感じられなかった。綺麗な女性に笑いかけられて、思わずちょっと照れてしまったくらいだ。


 「あたしはウルスラ。“磔刑の魔女”……魔女についての説明は要らないよね?」

 「シャルルです。……魔女については、時間があればご教授頂きたいです。でも、それより今は現状を教えてください」


 魔女についての情報を、僕はジャンヌの観察と自己申告くらいからしか得られていない。あとはリチャード卿との会話くらい。

 どうせ自己申告になるのだとしても、実例がもう一つ増えるのは望ましい。


 しかし、今はもっと重要な確認事項がある。

 こんなところで焚火をして寝具を敷いて、のんびり野宿していていいのかということだ。


 「追手は?」

 「来ないよ。連中は魔女が二人いる時は白騎士も二人用意する。あたしたちの捜索を再開するのに一、二週間はかかるだろうね」


 ウルスラの答えには、経験に基づく確かな自信があった。


 僕は深々と溜息を吐いた。

 勿論、安堵ゆえだ。捜索再開まで一週間、となると、ジャンヌたちが魔術を使わなければ発見はもっと遅れるだろう。


 兵士に取り囲まれる経験も、鉄すら溶かす炎を突破し、赤熱した剣や鎧を物ともせずに動く化け物騎士との対峙も、しばらくは御免だ。まだ思い出すだけで手が震える。


 「詳しいんですね」

 「もう二年ぐらい追われてるからね」


 ウルスラはどこか自慢げに、胸を張って言った。

 

 「二年も」と僕も驚きを込めて返す。

 神聖騎士団から二年も逃げていることも、白騎士が二年も魔女を取り逃がしていることも、どちらも驚きだ。


 僕の「抗体組織は魔女の存在を秘匿できるほど強力である」という仮説に翳りが差す程度には。

 

 「あぁ。……前にも何人かの魔女に会ったけど、あんたらは凄いよ。格別だ」

 「ジャンヌが特別強いってことですか?」

 「いや、その子に何があったのかは大体聞いたけど、一撃で1000人は普通かな。斬り付けられても軽傷で済むし、白騎士相手には効きが悪い。うん、至って普通。ただ、滅茶苦茶冷静だね。普通はもっと暴れ散らかしてるし、隙だらけだ。それで白騎士に瞬殺される」


 反応に困る答えだった。

 いや、そもそも無意味な質問だった。


 ジャンヌが魔女の中で特別強いのなら、そのジャンヌを圧倒した白騎士の強さは仮説通りだ。他の魔女の存在を歴史の闇に葬り去れる。


 そしてジャンヌが平均値なら、やっぱり、白騎士は一般的に魔女に優越し、魔女を秘密裏に屠ることが出来る。


 ……まだ寝起きで頭が回っていないのかもしれない。


 「なんだ、ちょっと残念」

 「魔女同士で殺し合うわけでもないんだし、他と比べて強いかどうかに拘らなくてもいいでしょ」


 本当に残念そうに言ったジャンヌに、僕は苦笑気味に返した。

 彼女の筋力や運動性能は生前同様……という表現が適切かどうかは不明だが、とにかく少女のそれだ。当然、最大の攻撃は、自らの死因に関係する魔術。


 しかし、魔女の防御性能はまさしく人知を超えたものであり、死因以外の攻撃を殆ど無効化する。

 白騎士による馬上からの一撃が、二日で治りそうな薄い切り傷になるくらいだ。


 つまり、魔女同士が殺し合う場合、お互いの死因が同じでない限り、物凄く不毛なことになる。

 ウルスラの魔術がどんなものかは不明だが、「相手を無条件で磔にする」みたいな無法でも、ジャンヌには効かない。掌に打つ杭が刺さらないだろうし、脇腹に刺す槍も通らない。逆にジャンヌの即死級の炎も、ウルスラは精々ちょっと火傷するくらいで済む。


 まあ、魔術を使えば、その特殊な防御も貫通できるのかもしれないけれど……どうにかして検証したいところだ。


 「じゃあなんで聞いたの?」

 「あぁ、魔女の平均値を知りたかったんだよ。それはイコール、白騎士が想定している魔女の強さであり──白騎士の強さを測る目安になる」


 ジャンヌの問いに答えると、同じ疑問を持っていたらしいウルスラが「なるほどね」と感心したように頷いた。


 「白騎士かあ。あいつ、なんで燃えなかったの?」


 ジャンヌは重ねて問う。

 しかし、それは僕もずっと考えていたことであり、未だ答えの出ない、そして今後も答えの出せそうにない難題だった。


 「分かんない。ひいおじいさんは家系屈指の発明家だった。父さんや僕とはアプローチが違うんだ」


 父と僕は、今ある全てを網羅し検証することで、真理に辿り着こうとしていた。

 過去の偉人が残した文献を、不世出の天才の手記を、野蛮と蔑まれた古い技を、全て検証し、正しい知識を探し求めてきた。


 しかし曾祖父は、既出のものに拘らなかった。

 必要なものがあれば作り出す。そのアプローチ、想像力と実現力に於いて、彼は本当に神がかった──創造神めいた才覚を誇っていた。


 例えばある病気に対して、僕たちは「どういう病気で何が効くのか」と、過去の膨大な資料から探し、挙げられている治療法全てを検証する。その結果見つけ出した最適解を洗練させ、完璧なものに仕上げるのが僕たちのやり方だ。

 

 対して、曾祖父は「ここを治したい」と患部や症状を見定め、奇跡的な発想によって実現した。

 白騎士を化け物に変えたという外科手術なんて、その最たる例だ。これまでは死体に使う技術だった解剖学を生者に使い、病巣を取り除いたり、健康な状態に戻したりする術法。


 恐ろしい発想の転換だ。人間を生きたまま腑分け、その上で生かそうなどと。

 しかも彼は、生きた人間に刃物を入れるにあたり、痛覚神経を麻痺させる薬や、強制的に意識を遮断する薬を作った。僕がリチャード卿に使った気化麻酔も彼の作品だ。


 必要性への対応力、発想を叶える発明力が凄まじい。


 僕らが原因療法の追求なら、彼は対症療法の究極だった。

 そして僕らが理論なら、彼はセンスだった。


 父にも僕にもそれが出来なかったから、僕たちは過去の偉人やその成果を温ね、失われた知識に縋ったのだ。


 彼がどのような方法で人間を化け物に変えたのか、正直、僕には全く想像がつかなかった。それこそ魔女の再誕や魔術の仕組みと同程度に。


 だが魔女という脅威に対して、彼がその神がかった発想力を発揮し、“白騎士”という対症療法を作り上げたという話には納得がいく。或いは魔術という症状に対して、白騎士に対症療法を施したと表現すべきか。


 詳しいことは分からないが、要は外部熱源による体組織の変質、熱傷に対する予防措置を施したのだろうけれど……外皮の熱遮断性を高めたのか、体組織自体の熱許容量を高めたのか、もっと別な方法なのか。

 熱変性しにくいタンパク質で全身を置換する、なんて方法も思いつくけれど、そんなものがあるのか、そんなことが可能なのかは不明だ。

 

 「ひいおじいさん?」

 「あぁ、ええと──」


 ライヒハート家のことを知らないウルスラが首を傾げ、僕はかいつまんで説明した。

 偉大な曾祖父の話、父方の祖父が異端審問官で、母方の祖父が処刑人だったという話。僕と父の研究内容も、なるべく正直に。


 なんて残酷な、という謗りを受けるかと思っていたが、彼女は殆ど理解できなかったようで、むしろ僕に同情してくれた。


 「よく分かんないけど、他人の──しかも未来の人類のため、なんて御大層な理由で、ゲロ吐くほど辛いことしてたんでしょ? 凄いし偉いよ、あんたは」


 彼女の微笑みに揶揄や愛想の気配はなく、本心であることが伝わってくる。

 僕は顔が火照るのを感じ、その自覚もあって照れ笑いを浮かべた。


 「……っていうかあんた、そんな身の上で魔女を助けたの? 凄いね?」

 「まあ、僕は欠陥品なので。……それで、あの、失礼なことを聞くかもしれないんですけど、どうして僕を助けてくれたんですか? ジャンヌは貴女と同じ魔女ですけど、僕はその……殺意の対象なのでは?」


 照れ隠し半分、本心からの疑問半分で問いかける。

 そこについてはジャンヌが先に尋ねていたようで、ウルスラは「さっきと同じことを言うのか」と言いたげな、ちょっと面倒臭そうな顔になった。


 「あたしも昔、兄さんと二人で旅をしてたんだよ。魔女になったばかりの時。その時のことを思い出してさ」

 「……そういえば、お兄さんはどうしたの?」

 「ジャンヌ」


 本当に100パーセントの疑問で、察した様子も無く尋ねたジャンヌに釘を刺す。

 白騎士と戦うのに危険だから別行動していた、という可能性もないではないが、日が完全に沈んでなお合流してこない辺り、別の可能性が濃厚だ。


 「いいよ。……兄さんは死んだ。何かの病気で……高熱が出て動けなくなって、そのまま」


 珍しくも無い答えに、珍しくも無い理由が添えられる。

 白騎士の魔女狩りに巻き込まれたのだろうと勝手に思っていたが、もっとありきたりな理由だった。


 病名不明の謎の高熱。いわゆる「病死」の中で、最も普通の死に方だ。

 肌が黒変するペストは有名だが、それ以外の病気もごまんとあるし、何なら肌が黒変しないペストだってある。それなりに知見のある医師に掛からなければ、家族は死因を知ることも無い。


 よく分からない病気になって、よく分からないまま聞きかじりの治療をして、医者も患者も家族も何も分からないまま病人が死ぬ。

 そんな死が、この世界にはありふれている。


 「……兄さんが言ってたんだ。広い世界の何処かに、魔女が誰にも虐げられず、皆で助け合って平和に生きていける“魔女の楽園”があるって。あたしはそこを探してる」


 ウルスラは言葉を切り、僕を真っ直ぐに見つめた。


 「行きたい場所があるんだってね。その用事が終わったら、今度はあたしと来ないか? 一緒に楽園を探そう。ジャンヌから色々と聞いたけど、あんたは信用できそうだ」

 「楽園……」


 魔女が集まって暮らす場所。……正直、胡散臭い。

 ウルスラが、ではない。そんな場所が存在するとは思えないのだ。熱に浮かされた病人の譫言ではないかと思うほど。

 

 だって、魔女は感情的殺戮者だ。

 それが集まって、「じゃあ皆で仲良く平穏に暮らしましょう」という方向で意見が纏まるとは思えない。どちらかと言えば、「じゃあ皆で協力して人類を滅ぼしましょう」と団結して、魔女対人類の戦争を始めそうなものだった。


 その存在可能性を、僕はそれほど高く見積もれない。

 

 しかし──存在可能性がゼロであるとまでは言わない。

 ジャンヌとウルスラは初対面だが、なんだか仲が良さそうだ。きっと世界を呪って死んだ者魔女同士、シンパシーがあるのだろう。


 世界を呪って魔女になる──世界の全てを敵と見做す。

 それがどれほどの孤独感を生むか、僕は実体験として知っている。姉が、そしてジャンヌがいなければ、僕の精神は崩壊していたに違いない。


 同じ恐怖、同じ憎悪、同じ特異性、同じ思想と価値観を備えた、自分と同種の存在。


 仲間。同族。同志。

 表現はともかく、世界全てが敵に見える者に、その存在はまさしく光明だ。


 そして彼女たちの憎悪と殺意が世界への、自分以外全てへの敵視──つまり孤独感から来るものなら、同族との接触によって激情の鎮静化が見込める。


 極度の緊張状態だったから記憶が曖昧だが、確か、リチャード卿も言っていた。

 魔女は再誕時の状況ゆえに精神が不安定であり、憎悪や殺意を振りまくが、獣のようで狩りやすい。僕は彼女に助言を与えるばかりでなく心の拠り所となり、獣に理性と知性を与えてしまった、みたいなことを……言っていたはずだ。たぶん。


 要は、精神の安定した魔女は憎悪や殺意を制御できるようになる。ジャンヌがそうであるように。


 だから多くの同族が集まり、集落レベルの共同体を形成すれば、積極的に殺意を発散するような振る舞いをしなくなる可能性はある。

 大戦争が起こっていないから魔女の集合は無い、という言説は、一応棄却できる。


 ……しかし、だ。

 そもそも、火のないところに煙は立たない。楽園の存在を提唱するに至る、明確な理由があるはずだ。


 「ウルスラのお兄さんは何者なの? 楽園の実在を確信できる理由は何?」


 僕が問うと、ジャンヌもうんうんと頷いて同調する。

 どうやら魔女は当然知っている類のものではないらしい。


 「ただの農家だけど、魔女狩りに遭ったあたしを庇ったせいで一緒に処刑されかけたんだ。その時に啓示があったって言ってた」


 ウルスラは至って平然と、これまでと変わりのない語り口調で──当然のことのように答えた。


 「啓示? ……そう、ですか」


 不安だ。ものすごく。

 恐らくはジャンヌを魔女として再誕させ、その基本性質や能力を教えた何か──暫定悪魔によるものだろう。


 まだ魔女が神の使い、神罰の代行者である可能性も残っているけれど、それなら「みんなで平和に暮らしましょう」なんて、存在理由に背くようなことを唆すとは思えない。


 ……いや、それは悪魔が人の世に混乱を齎そうとしているのだと仮定しても同じか。

 ルーツがどちらにしても、人類の敵対者として生み出した、感情的虐殺者に安寧の地を与える意味が分からない。前提から違うのだろうか。


 まあ、考えても仕方のないことは置いておこう。

 「白騎士があるって言ってた」とか言われたら大反対するつもりだったが、見え透いた罠ではないなら、否定するだけの理由も無い。

 

 「そういや、あんたの行きたい場所はどこなの? まだ聞いてなかったよね?」


 そういえば、と思い出す。

 そういえば行先をジャンヌに伝える間もなく、とにかく急いで町を離れていて、彼女が行先を訊く前に神聖騎士団に見つかったのだった。


 「プラヴァーズ伯爵領のプラバって街です。婚約者に会いに行こうと思って」


 答えると、何故か静まり返った。

 「へぇ」程度の相槌さえなく、空気が凍り付いたような沈黙が返される。


 「え?」

 「え?」


 何か変なことを言ったかと目を向けると、同じ一音が返ってくる。

 二人は揃って、どこか呆けたような顔で僕を見つめた。

 


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