第13話

 旅装の女。

 剣の一本も持っていない丸腰の女一人に、整然としていた包囲網がぐらりと揺れる。


 その女から離れたくて仕方がない、白騎士の後ろに隠れたくて堪らないような、怯懦に満ちた動きで。


 僕は懸命に呼吸を整えながら、彼女の自信に満ちた笑みを見つめていた。


 「ここは引いてくれない? でなきゃ、アンタの連れてきた兵士たちを全員殺す」


 人質による交渉。

 言葉を文章に起こすとそうなるが、声には不満が滲んでいる。


 まるで、相手が交渉に応じないことを──その結果として多くの人間を殺せることをこそ、真に望んでいるかのようだ。


 リチャード卿は僕と彼女を同時に視界に入れられるよう、立ち位置を変える。

 その結果として後退ったようには見えたが、精神的に優位になった気分はまるで無かった。


 「そんな脅しが通用するとでも? 第一、それが可能なのか? それならなぜさっさと殺さない?」


 僕に──無害な弱者に対するものとは違う、敵対者に向ける硬い声だ。

 表情は見えないが、白騎士のヘルムの下には苦々しい、或いは忌々しそうな渋面があるのではと思わせる。


 対して、赤毛の女性は自信に満ちた、そして「いつでもかかってこい」とでも言うような戦意に満ちた笑顔だ。


 「殺したら、あんたは身軽になって私らを殺しに来る。それは困る。まあ二対一だし善戦できそうだけど、無駄な危険は冒したくない」


 さも当然のように「二対一」と言われたが、まあ、反論はない。

 ほぼ不死身の魔女と、対魔女用の改造人間。その戦闘に僕が絡んだって、叩き切られるか、うっかり巻き込まれて焼き尽くされるか、“磔刑の魔女”の魔術を体験して死ぬかだ。


 僕にできるのは精々、リチャード卿に話しかけて気を逸らすくらいのもの。戦いの邪魔は出来ても、戦うことは出来ない。


 「でも、どうしてもあたしらと殺し合いたいなら、まあ、仕方ない。魔女二人を同時に相手取って生き残れるのか、部下を全員守れるのか見せて貰おうじゃないか」


 白騎士がどのような判断を下すのか、僕には想像がつかなかった。


 ジャンヌの炎にある程度は耐えられるのは知っている。

 しかし魔女の特殊能力は死因にちなんだもので、個体差があるとも聞いている。“焚刑”と“磔刑”では全く異なるだろう。


 “磔刑の魔女”の魔術がどんなものかは知らない。

 しかし魔女という存在の性質から考えて、極めて強力かつ広範囲に影響する殺人技能であることは察せられる。魔女とはそういう生き物、人間を殺す化け物だ。


 問題は白騎士の防御能力だ。

 石造りの建物や鉄の鎖を融解させ、人間を消し炭にするジャンヌの炎に触れ、赤熱する程度で済む純白の鎧。きっと鉄ではない。


 その赤熱した金属鎧に包まれながら、何の痛痒も感じさせず平然と動く肉体。薬物投与と外科手術によって改造された、化け物を殺す化け物。


 ほぼ不死身の魔女を殺し切る攻撃能力は持たないまでも、魔女の攻撃に耐えることは出来ている。

 少なくともジャンヌの攻撃は、彼に殆ど通じなかった。


 “磔刑”がどのような形の異能を発現させるのかは、“焚刑”ほどには想像出来ない。ジャンヌでは貫けなかった防御を、彼女なら突破できるのだろうか。


 その疑問の答えは、この場では明かされないようだ。


 白騎士は深々と嘆息し、僕たちに背を向けて馬に近寄ると、鎧の重さを感じさせない軽やかな動きで騎乗した。


 「……お前たちが人を殺せば、すぐに私に、白騎士に伝わると思え」

 「あたしが派手にやらかすタイプじゃないのは有名だと思ってたけど?」


 白騎士と赤毛の女は、片や馬上から見下ろし、片や挑発的に顎を上げ、互いに睨み合う。

 一瞬と数秒の区別がつかなくなるような緊張感に、僕は呼吸を整えることも忘れて息を呑んだ。


 そして、リチャード卿は手綱を操り、馬を反転させた。


 「撤退する」


 その言葉を待ち侘びていたのは、どうやら僕だけではないらしかった。

 包囲網が形成時の倍くらいの速さで解かれ、移動陣形を作る間も惜しんで離れていく。それでもリチャード卿より前に出ようとはしない辺り、指揮に従うという最後の理性は保っているようだ。


 ……正直、尊敬の念が浮かぶ。

 

 僕は緊張の糸が切れた瞬間、目の前が真っ暗になっていた。

 これは気絶するな、なんて客観的に考えるのと同時に、草と土の感触を身体の前面に感じる。力の抜けた足腰は、鈍重な胴体を支えることを放棄したらしい。


 ここから根性で意識を保つのは無理だが、どうにか目を開けてジャンヌの姿を探す。


 姉とよく似た顔立ちの、年上の少女。

 姉とは違う華やぐような金色の髪に、血色の良い健康的な肌。姉が喪服のようと嫌った黒いワンピースを纏った彼女が、姉と同じ、年下の弱っちい生き物を慮る表情で駆け寄ってくる。


 彼女の無事に安堵すると、残っていた根性もふつりと途切れ、意識は完全に暗転した。



 ──僕も彼女も、どうにか助かったようだ。



 ◇



 「は? おーい、大丈夫かー?」


 魂が抜けたように頽れたシャルルに、赤毛の女性は無造作に歩み寄る。

 その行く手を遮るように、ジャンヌがふらつきながらも立ちはだかった。まだ白騎士の一撃による呼吸困難が収まり切っておらず、肩で息をしているが、その目は戦意に満ちていた。


 シャルルを守ろうとしていることが余りにも明らかで、女性は思わずといった風情で朗らかに笑う。


 「ははは、落ち着きなって。あたしはあんたらの敵じゃないし、そもそもあたしらの殺し合いは死ぬほど不毛だよ? ……まあ死なないから不毛なんだけど」

 「……貴女、私と同じ感じがする。それにさっき、“磔刑の魔女”って呼ばれてた」


 軽い口調に、親し気な笑顔。

 言葉は冗談なのだろうが、ジャンヌには笑いごとではない。


 “魔女”の何たるかを、彼女は良く知っている。

 我が事のように、どころか、本当に自分のことなのだから。


 ──魔女は人間を殺す。


 魔女とはそういう存在であり、そういう人間が魔女に転じるのだ。

 その直感と自覚に即して考えるのなら、目の前の“磔刑の魔女”はシャルルを殺す。ジャンヌ自身がシャルル以外の人間にそうするように、衝動的に、湧きあがる感情を抑えようともせず、半ば反射的に殺す。


 勿論、彼女はそれを許さない。

 シャルルにとってジャンヌがそうであるように、彼女にとってのシャルルは心の拠り所なのだから。忌々しくも白騎士の語った通り。


 「ほう? 理解力も悪くない。魔女ってやつはどうにも頭の弱い奴が多いんだ。何十人も一気に殺せる力をいきなり手に入れて、馬鹿になっちまう。……兄さんは「魔女狩りに遭う奴は何かが無い。頭か金か友人か、一番足りないのは幸運だが」って言ってたから、もしかしたら頭の弱い奴だから魔女になるのかもしれないけどね」


 挑発めいた言葉だが、ジャンヌは無反応だ。

 というか、彼女は年下でありながら自分より知識があり、思考の速度も深度も上回るシャルルを知っているから、面と向かって「馬鹿」と言われても「まあ、シャルルよりは」と受け入れていた。


 赤毛の女性はジャンヌを突破する素振りも、シャルルへの殺意も見せず、むしろ敵意が無いことを示すように一歩下がる。

 先の言葉は挑発や揺さぶりの類ではなかったらしい。


 「で、あんたは“焚刑の魔女”だな。まだ若いのに悲惨だねえ」

 「……貴女とそんなに変わらないと思うけど」


 言いつつ、ジャンヌは訝しむような目を女性の胸元辺りに向ける。というか、厚ぼったい旅装越しにも分かる大きな胸に。

 ジャンヌはまだこれから成長する余地を十分に残す年齢ではあるが、それでも彼女と同等に育つ自信はないほどだ。


 赤毛の女性は「あんたの方が三つぐらい下でしょ」と、ジャンヌの視線には気付かないふりをして話題を変える。

 

 「そっちの子は、あんたの弟? ちょっと似てるね」


 問いに、ジャンヌは一瞬だけ言葉に詰まった。


 「……違うよ。この子のお姉さんは、もう亡くなってる」

 「あぁ、あんたが殺したの?」

 「まさか。二年前に病気でって言ってた」


 今度は強く、即座に否定する。

 確かに、状況が違えば可能性はあった。


 だが、その場合はシャルルが自分を殺しただろうという確信がある。

 不死身の化け物の性質を解き明かし、殺す方法にまで辿り着く能力と執念を持っているだろうと、ジャンヌはこれまでの時間で思っていた。


 尤も、姉が存命であれば、シャルルがジャンヌに依存することも、その逆も無かっただろうけれど。


 「……じゃあどういう関係? あんたも魔女なんだし、人間なんか憎くて堪らないでしょ?」

 「やっぱり、魔女ってそういうものなんだ? そういう人間だから魔女になる」


 これまで漠然とした自覚だった意識が他人の口からも語られ、ジャンヌは深く頷く。

 “魔女”とは何なのか、彼女は再誕した時から知っている。シャルルに教わったわけではなく、しかし直感と想像による確証なき確信でもない。どういうわけか、に教わったように、知識として知っていた。


 その根拠のない知識を補強されると、ジャンヌは自分の存在までもが肯定されたような気分だった。


 少しだけ上機嫌になった彼女は、立ち位置はそのままに、肩の力を抜いて応じる。


 「うーん……一言で言い表すのは難しいな。でも、シャルルは私が処刑されたとき、自分も火の中に飛び込んで助けてくれたの。その時は間に合わなかったんだけど、それからも私に色んなことを教えてくれるし、私と一緒に居てくれる。私を守ろうとしてくれる。だから、私もシャルルは殺さないし、誰にも殺させない」


 ジャンヌの声に、特別な決意や覚悟の色は無かった。しかし、いま思いついた出任せの気配も無い。

 彼女の言葉は心の内から自然と湧きあがったものであり、ずっと──火刑にされたあの日から、或いはそれよりも前から思っていたことだった。


 「「世界を全部焼き尽くして、私一人だけいればいい」──魔女になる寸前か直後かは分かんないけど、思ったでしょ? 私はそこに、シャルルも入れる」

 「……へぇ。なるほどね」


 赤毛の女性は愉快そうに顔を綻ばせたまま、身体を傾けて興味深そうにジャンヌの後ろを覗き込む。

 地面に突っ伏すようにして浅い呼吸を繰り返しているシャルルに、“磔刑の魔女”は同族ジャンヌに向けるのと同じ、憎悪も殺意も無い純粋な笑顔を向けた。


 「あんた、名前は? 白騎士に追われてたみたいだけど、その前は何処に行こうとしてたんだ?」

 「……私はジャンヌ。この子はシャルル。行先は……私は知らないけど、シャルルは「絶対に行かなきゃいけない場所がある」って言ってたから、そこだと思う」


 二人が態々最寄りの集落とは別方向に向けて出発したのは、なにも追跡を欺くためばかりではなかった。

 シャルルはジャンヌの取り敢えず実家に身を隠すという提案を蹴って、明確な目的地があると言った。逃げやすい場所でも、身を隠せる場所でもなく、義務感や使命感のようなものを滲ませて「行かなくてはならない場所」と。


 旅装の女性はいっそう興味深そうに頷くと、ジャンヌに右手を差し伸べた。

 友好の握手に、ジャンヌは一瞬だけ悩んで応じる。魔女同士、お互いにシンパシーのようなものはある。シャルルを害さないのであれば、きっと仲良くなれるだろうとは思えた。


 「あたしはウルスラ。あんたらの目的地まで、あたしも一緒に行ってやるよ。また白騎士が来ても、一緒に戦ってやる。だからあんたらが目的を達成したら、次はあたしと来い」


 赤毛の女性──ウルスラは自信に満ち溢れた求心力のある態度で言う。

 シャルルとの相談も無しに決めて良いことではないだろうと、何を言われても保留にするつもりだったジャンヌは、続く彼女の言葉に強烈に興味を惹かれた。


 「あたしは魔女が誰にも虐げられず、穏やかに暮らせるっていう“魔女の楽園”を探してる」


 


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