第12話

 「シャル──」

 「落ち着いて。さっきの炎の壁を、彼と僕たちの間に作って」


 僕は努めて強くはっきりとした声を作り、自信満々に聞こえるように言った。

 それでいて、ジャンヌが再び僕に呼び掛ける間を与えないよう、食い気味に。


 ジャンヌの魔術は強力な殺人技能、つまり武器であると同時に、精神的な防具でもある。

 彼女は一度人間に殺され、再誕している。彼女にとって人間は自分の仇であり、憎悪の対象だ。


 人間を殺す力が備わっているから、彼女の人間に対する感情は憎悪と殺意に固定されている。

 その武器が無かった場合に抱く感情は、想像に難くない。即ち、恐怖だ。


 彼女は発火能力という殺人技能を失ったと思い込み、恐怖に囚われかけていた。

 死因以外の攻撃を無効化する特性は未検証だから、尚更に。


 「え、でも──」

 「いいから」


 魔術が使えない、とは繰り返させない。

 僕には魔術がどういうものか分からないから、最悪のケースを想定する。


 特に身体操作ではなく精神的アプローチが重要な場合、恐怖によって「魔術が使えない」と強固に思い込むことで、本当に魔術が使えなくなる可能性がある。


 「う、うん。……あっ」


 ジャンヌは少し慌てたように指示に従い──僕の予想通り、先ほどと似たような炎の壁が、僕たちとリチャード卿の間に広がった。


 「うん、やっぱり。そういう想像はしてたよ」


 炎が空気を喰らう轟々という音を聞きながら、僕は仮説が補強されたことに思わず笑みを浮かべた。


 ジャンヌは前方に掌を向けて壁の形を保ったまま、半身を切るようにして僕の方を振り返る。

 その顔から恐怖の色は消えていたが、代わりに疑問の色が強く表れていた。


 「魔女がジャンヌの言う通り悪魔の力を与えられた存在なら、白騎士は──それを狩る者は、その逆だろう。天使の加護……いや実際のところは知らないけど、そういう対抗できる力があるという仮定は無理筋じゃない」


 神聖騎士団、延いては白騎士が何かしらの特殊能力を持っているだろうとは思っていた。

 特殊能力で大量虐殺を行う魔女を、歴史の闇に葬り去るための対抗手段を。


 「魔女の力を封印する、とかだったらお手上げだったけど、直接照準を防ぐ程度ならやりようはある」

 「直接……って、そんな話したっけ?」


 ジャンヌは不思議そうだったが、反応を見るに間違いではないようだ。


 「いや、観察して読み取っただけなんだけど……合ってるよね?」

 「うん、多分。詳しい話は後でしよう」


 ジャンヌは一度、大きく深呼吸をする。

 そして、僕ににっこりと笑いかけた。


 「ありがとうシャルル。お陰で落ち着いた」


 僕もジャンヌに頷きを返す。


 直後、ヘルムを付けた白騎士が疾駆する馬と共に、炎の壁を突き破って現れた。

 紅蓮の炎が純白の金属に纏わりつき、駿馬の足に振り切られるように千切れて消える。抜き放たれた長剣が炎の輝きを映し、怪しい煌めきを放った。


 「っ!」

 「やはり、君の方が余程脅威だ。シャルル君!」


 騎乗状態からの斬り下ろすような一閃。

 その狙いはジャンヌではなく、僕だった。


 しまった、と思ったのと同時に、僕は先ほどとは逆に、ジャンヌに庇われて地面に押し倒されていた。


 強烈な衝撃に煽られて視界が急激に上向き、青い空が目に入る。

 そこに、ぱっと赤い飛沫が舞った。金属同士がぶつかったような、甲高い音と共に。


 背中を打った痛みを、その鮮やかさで忘れ去る。


 「ジャンヌ!?」

 「いったぁ……」


 僕に覆い被さっていたジャンヌの下から出ると、僕は彼女が押さえていた首の後ろを、彼女の手を強引に退かして調べた。


 血は出ているが、傷は浅い。ものすごく。2ミリあるかないかくらいだ。

 騎乗状態から繰り出された剣の一撃を喰らったら、普通は人間の皮膚どころか骨だって斬り飛ばされかねない。刃が無くても骨が砕けるだろう。


 「……大丈夫。二日ぐらいで治るよ」


 図らずも、ジャンヌの言っていた死因以外に対する耐性を観察できた。

 子供二人とはいえ地面に薙ぎ倒す一撃が──首くらい容易に刎ねられるだろう一撃が、ちょっとした切り傷レベルにまで軽減されている。


 しかし、それでも彼女の肌は柔らかく、流れる赤い血は痛々しかった。


 「……ジャンヌ?」


 彼女の表情には、まだ慣れない甚大な憎悪とはまた別の感情が宿っていた。


 「……今の、シャルルを狙ってた?」

 「そりゃあ、魔女を庇ったんだ。僕も討伐対象になるよ」


 そんなことは分かっていたし、覚悟もしていた。

 その上で僕の反応を鈍らせるほど、リチャード卿の動きは素早く滑らかで洗練されていた。


 彼は少し離れたところで馬を反転させ、再び僕たちに向き直って止まる。


 「……そればかりではない。魔女とは往々にして精神が不安定だ。迫害され、拷問され、その果てに処刑されたのだから当然だが。……その不安定さは無差別な憎悪や殺意を生むが、同時に理性を奪う。我々はその、獣のようなモノを狩るだけで良かった」


 ヘルム越しの声はくぐもっていて、表情が隠れていることもあって感情が読み取り難かった。

 

 「だが君は共にいる魔女に助言を与え、考えることを思い出させ、心の拠り所となっている。極めて面倒であり、危険だ。君がもう少し愚かであれば……或いは優しくなければ、こんなことにはならなかっただろう」

 「お褒めに与り光栄です、白騎士殿。……だから僕から殺すことにしたんですか?」

 「殺すつもりは無かったさ。魔女が出てきたから本気で振ったが、初めは君を気絶させるだけのつもりだった」


 気絶。

 この期に及んで、まだ、そんなことを言ってくれる。


 

 父の研究内容を知っているのなら、そして今の人類ではなく100年、200年先の人類のことを考えるのなら、その後継者は殺すには惜しい。


 科学的実証を重ねた──一から十まで理屈で説明できる、そして誰にでも再現できる医療。

 それは祈祷師紛いの医者モドキや、偽薬の方が害が無いだけマシみたいな薬を作る錬金術師モドキや、実は病人を殺したいのかと言いたくなる民間療法を完全に駆逐するだろう。


 僕が彼の立場だったら、その道程にいる人物を殺すのは大きな損失だと考え、どうにか殺さすに済むよう取り計らう。


 ……なら、どうにかなるかもしれない。


 「……ジャンヌ」


 僕はジャンヌに近づき、耳元に顔を寄せて囁く。

 身長差があって背伸びをしなくてはならなかったが、どうにかなった。


 あまりにも露骨な作戦会議だが、白騎士は妨害しようとはせず、話し終わるのをじっと待っていた。

 僕の策──というほど大層なものでもないけれど──ともかく、作戦も罠も纏めて踏み潰し、叩き潰す方針のようだ。


 そして、僕は腰に佩いていた長剣を抜き放ち、その切っ先を真っ直ぐにリチャード卿へ突き付けた。


 「リチャード卿。僕と一騎打ちをしてくれませんか」


 僕の言葉が聞こえたのか、或いは身振りから察したのか、包囲している兵士たちから失笑や苦笑の声が上がる。


 そんなことはどうでもいい。

 彼らはリチャード卿の指揮下にあり、彼らの行動は全てリチャード卿が決定する。


 そして、白騎士は馬を降りた。


 「……勝敗が決した時点で、君は降伏し、私と共に来ること。その条件を呑んでくれるのなら応じよう」


 彼の声には、決闘であっても殺し合いにはならないという、絶対の自信があった。

 相手が、つまり僕が殺すつもりで襲い掛かっても、自分はそれに呑まれず、応じずにいられると。──手加減したまま制圧できると。


 「……君のタイミングで始め給え」


 ヘルム越しのくぐもった声。

 剣を抜き放ち、決闘前の礼を取ったきり、その切っ先はだらりと地面を向いている。


 僕は同じように胸の前で剣を立てる決闘前の礼を取り、全速力で駆け出した。


 彼我の距離は数秒で埋まり、互いの攻撃圏が重なる。

 僕と彼の剣が触れ合うが、お互いに体までは斬られない距離。剣術を競うのなら適切な、そしてリーチに劣る側が絶対に守りたい距離。


 その閾値を、平然と踏み越える。


 僕とリチャード卿では、体格的に彼の方がリーチが長い。

 つまり僕が彼を斬れる距離に入る前に、彼が僕を斬れる。その空間にいる時間、僕が絶対的に不利になる。相手は優位で、余裕を持った攻撃が出来る。

 

 その位置に立ってしまった場合、逃げるか、腹を括って距離を詰めろと護身術の先生は言っていた。

 一方的に不利な位置に居続けるのは愚の骨頂であり、せめて自分も相手を殺せる位置にいるべきだと。


 「──ッ!」


 鋭く息を吐いて、筋肉から無駄な力を排除する。

 腕の筋肉ではなく全身の連動で剣を振り抜き、狙った先は首筋だ。


 本当の殺し合いなどしたことはないが、そこを斬り飛ばした経験だけは何度もある。胴体と頭部を完膚なきまでに別離させる一撃を、僕の身体は覚えている。


 そして──断頭の一撃は甲高い音と共に、跳ねるように差し込まれた白騎士の剣に防ぎ止められた。


 「っ、」


 強烈な反動が腕に返ってくる。

 ジャンヌを縛っていた鎖を切ろうとしたときのよう。硬く重い鉄柱を叩いたような感触だった。


 「躊躇いなく致命の一撃を繰り出せるのは素晴らしい。初の実戦で、私は敵の剣や、鎧のある場所を無意識に狙ってしまった」

 「……っ」

 「体重の乗せ方も上手い。腕力でなく、身体操作を巧く使っている。良い師をお持ちのようだ」

 

 僕の攻撃を完璧に防いだ白騎士の言葉に、揶揄の色はない。彼は本気で僕の一撃を褒めていた。


 挑まれた決闘から逃げない。格下に先手を譲る。

 強者の矜持というやつだろうか。素晴らしい。


 では僕は、弱者の常道を行かせて貰う。


 「──ジャンヌ!」

 「オーケーっ!」


 ジャンヌの手から噴き出した炎が伸び、蛇のように剣に纏わりつく。

 白騎士には魔術を直接照準できない。彼の人体や鎧を直接発火させることは出来ない。


 だが間接的に、例えば僕の剣を中継地点として炎を浴びせれば、単純な熱攻撃によるダメージが見込める。


 卑怯上等。

 弱者が強者を殺すには、搦手や奇策しかない。


 名家らしい高潔さも、男らしい勇敢さや正々堂々の観念も、リチャード卿の見せた騎士道も、僕の行動を決定づけるものではない。


 僕は僕らしく、僕の中にある判断基準で動く。

 この場合は行動の美しさより、勝利が優先される。


 包囲している兵士たちから盛大なブーイングが飛ぶが、そんなことはどうでもいい。


 「──ッ!」


 一度剣を引き、今度は腹部を目掛けて突き入れる。


 金属音が鳴り響くことはなかった。

 ──しかし、攻撃は完全に防がれていた。


 「……凄いですね」

 「ありがとう」


 忌々しげに驚愕を零す僕に、リチャード卿は涼し気に礼を返す。

 彼は突き出された剣を、剣を持っていない左手で掴んで止めていた。


 そりゃあ、手甲があるから切れはしない。

 切れはしないが──炎に巻かれた剣も手甲も、みるみるうちにオレンジ色に変色しているというのに。


 純白の金属鎧がオレンジ色に赤熱し、きいきいと軋みを上げる。

 手から肘、上腕へ。そして切っ先から数センチの位置にある腹部も、どんどん赤くなっていく。


 「……重度の火傷は一生残ります。早く離さないと、二度と腕が動かなくなりますよ」

 「忠告には感謝する。しかし、それはの話だろう?」


 剣を握る力が強くなる。

 腹を貫く勢いは完全に失われ、ひょいと軽い仕草で切っ先を天に向けられた。


 「……馬鹿な」


 有り得ない。

 人間の身体は熱に対して極めて高い反応を示す。熱いものに触れたら、本人の意思より先に身体が反応して飛び退くように出来ている。


 訓練によって制御できないことはないだろうけれど、そもそも、彼は熱さや痛みを感じている風には見えなかった。


 彼はフルフェイスヘルムの奥から僕を見据える。

 その表情など読みようも無いが、どうしてか、僕は彼が微笑んだように感じた。


 「薬物投与と外科手術による人体改造。“白騎士”とはね、その果てに生み出された対魔女用の魔人……化け物を殺す化け物なのだよ」

 「薬物投与と外科手術……!?」


 思わずオウム返ししてしまう。

 体にメスを入れる外科手術なんて、それこそ曾祖父とライヒハート家くらいしか医療行為で使わない手法だ。知識と技術の集積地である王立大学でさえ、解剖目的で、死体に使うものなのだから。


 語られた内容は思考が飛ぶほど衝撃的だったが、そのことについて考えるより早く、僕の身体はほぼ無意識に剣を手放して飛び退いていた。


 魔術の炎に巻かれた剣は赤熱し、革の巻かれた柄でさえ把握が難しいほど高温になっていた。


 「左様。この手法を確立したのは君のひいおじい様、コルネリウス・ライヒハート卿だ」


 リチャード卿が剣を放り捨てると同時に炎も消える。

 それ以上は意味が無いと判断したジャンヌが魔術を解除したのだろう。


 「シャルル、大丈夫?」

 「うん」


 掌はじわじわと痛んでいたが、気にしている場合ではない。


 奇襲は制され、僕は武器を失い、状況はいよいよ詰んでいる。ジャンヌの心配そうな声にも、最低限の言葉しか返せないほどの焦りが募る。

 

 「我々の元へ来れば、君が望むだけの環境を整えよう。君が望むだけの資料を集め、器材を用意し、材料を揃えよう。我々はライヒハート家をそれだけ高く評価している。貴方たちは人類の繁栄に大きな貢献をしてきたし、これからもそうだろう」


 白騎士は堂々たる所作で僕に手を差し伸べる。

 色こそ戻ったもののまだ熱いだろう左手ではなく、剣を納め、空になった右手を。


 「まるで、それが目的かのような言い種だ。僕が従えばジャンヌを見逃したりはしてくれませんか?」

 「それは不可能だ。無礼な物言いなのは承知だが、君はあくまでついでに過ぎない。仮に君と魔女が解けない鎖で繋がれていたら、私は君ごと火に焼べる」


 リチャード卿の言葉にも、態度にも、僕に対する敵意は一片も無かった。


 しかし、それでも──ジャンヌを殺すと言うのなら、やはり、彼は僕の敵だ。

 その意思を込めて視線を返すと、彼は手を下ろし、小さく肩を竦めた。


 「……仕方ない。悪く思うな」


 どっ、と鈍い音を聞く。

 それは白騎士が一歩踏み込んだ音であり、僕の鳩尾に手甲付きの拳がめり込んだ音だった。


 「うっ──!?」


 移動音と攻撃音が重なるほど高速の一撃は、僕の呼吸を完全に停止させた。

 気絶まではしない。しないが、息が吸えずに地面に転がって悶絶する。


 不思議な感覚だ。

 殴られた表皮は痛いが、骨や内臓にまで響くダメージは無い。なのに、とんでもなく苦しい。


 「シャルル!?」

 「失礼。ただの人間を殴るのは久しぶりなもので」


 心配そうなジャンヌの悲鳴と、リチャード卿の謝罪と、大砲のような音は全く同時だった。


 爆発かと思った。

 僕が喰らったパンチの擬音が「どすっ」だとして、それは「どっぱぁん!」くらいの違いがあった。


 呼吸困難に苦しみながら顔を向けると、4メートルほど上空を一つの人影が舞っている。

 酸欠の始まった頭でも、それがジャンヌであることは分かったが、それだけに理解が難しい。


 いくら細身の女の子とはいえ、パンチであんなに飛ぶものか?


 どさりと嫌な音を立てて僕の横辺りに落ちてきたジャンヌも、僕と同じく腹を抱えて呻いている。

 見る限り嘔吐や喀血はない。僕同様、呼吸困難程度で済んでいるようだ。


 それはいい。それはいいが──何の解決にもならない。


 魔術行使は片手間に出来るものでもないらしく、彼女は呼吸を整えるのに必死で火の粉の一つも飛ばない。


 僕たちが呻いている隙に、リチャード卿はどこに隠し持っていたのか、何かのアンプルとシリンジを取り出して注射の準備をしていた。

 まさか注射器を家以外で見るとは驚きだ。モノ自体は曾祖父の発明だが、王立大学にさえ開示していない代物のはずなのに。


 アンプルの中身、透明な薬剤の正体までは分からない。

 だがこの場面で使うなら麻酔薬か筋弛緩剤か、拘束に使える非致死性の薬だろう。魔女に致死毒は意味が無いことを考えると、打たれたら即死というわけではない。


 ないが──先が無いのも事実だ。


 ジャンヌは眠っている間に火刑にされ、今度こそ完全に死ぬ。僕が目覚めるのはその後か?

 

 ──冗談じゃない。


 彼は僕がジャンヌの心の拠り所だと言ったが、それは逆も同じだ。

 一度目は、姉の喪失には耐えられた。いや、微妙に耐えられていなかったが、壊れる寸前でどうにかなった。


 なら二度目は無理だ。次は本当に耐えられない。それこそ、燃え盛る火に飛び込んでしまうくらいに。


 「──っ!」


 まだ酸素が回っておらず、力の入らない脚を根性で動かして鞄の所まで走る。

 その動きに気付いたリチャード卿が注射器を持って一歩踏み出したのと同時に、僕は鞄の中から小さなガラス瓶を取り出した。


 いや、瓶と言うか、小指大の試験管と言った方が正確か。

 口はコルク栓と蝋で封印されており、中にはほんの数ミリリットルの透明な液体が入っている。


 「止まってください」


 声は張れなかったが、白騎士の歩みは止まった。

 この状況で僕が縋るものが──いや、彼にとっては“ライヒハート家の嫡子”が縋るものが、全く無意味なものであるはずがないと考えてだろう。


 「我らが旧く偉大なる師の猛毒、テタヌス毒です。これを砕けば即座に気化し、この場の全員が呼吸困難と心不全で死ぬ。毒の効かないジャンヌ以外は」

 「……ブラフですね。武器になりうる薬や毒は持っていても、そのレベルで危険なものは全て屋敷と共に焼却したでしょう。“ライヒハート”はそういう家系です」

 「そして僕たちは信念のためなら、何十人でも何百人でも殺し、腑分けられる家系だ。中でも僕は欠陥品──異端審問官でありながら魔女に与する面汚し。今更、見知らぬ誰かを殺してしまう可能性を許容できないとでも?」

 

 言い切り、僕は不敵な笑みを作る。

 ……内心、緊張のあまりゲロを吐きそうだった。


 リチャード卿の読みは正解、これはブラフだ。

 僕は確かに、何かの事故で試験管が割れたりした場合に大虐殺になりかねないような、危険な毒や病原サンプルは全て焼き捨てた。


 「えぇ、出来ないでしょう。私が見る限り、貴方は歴代当主の中で最も心根の優しい人だ」


 白騎士の頭が僅かに下がる。


 腰を折ったわけではない。

 足を開いて腰を落とし、僕が動くより早く、今度こそ僕の意識を刈り取るために身構えたのだ。


 ブラフではあっても無害な薬品とは限らない、という警戒心故の行動だろう。


 部分的に正解だ。

 実際の中身はコレラ用の薬で、慢性的かつ重篤な貧血や、新生児異常といった重大な副作用がある。が、飲んだり浴びたりしたら死ぬとか倒れるとか、武器になるような危険性はない。


 「シャルル、駄目──!」

 

 呼吸困難からある程度回復したジャンヌが悲痛な声を上げる。


 どうやら彼女には僕のブラフが通用しているらしい。

 まあ何を持ち出したかなんて説明していないし、僕たちがどういう家系か、その悪い面をよく知っているのだから無理もないが。


 周りを見てみると、包囲網の半分くらいは離れたそうにしていたが、残り半分くらいは信じていない様子だ。そして誰も、白騎士の命令無しには持ち場を動かない。

 よく訓練された、素晴らしい兵士たちだ。本当に困る。


 そして最も肝心なリチャード卿に通用していない時点で、ブラフは全く無意味だった。


 焦燥感が積もり積もって、一周回って笑えて来るほど詰んでいる。


 絶望的な空間だった。

 空気が冷えて針のように尖り、身体に纏わりついてくるような感覚がある。

 

 ──その張り詰めた空気を、ぱん、と手を打ち鳴らす小気味の良い音が引き裂いた。


 「はいストップ! 誰も動くな」


 少しだけ低い、よく通る女性の声。

 だが、この殺し合いの──まあ実態としては一方的な狩りだったけれど──ともかく、この剣呑な場に不似合いな、とは思わなかった。


 だって、その声に聞き覚えは無くとも、声に込められた感情は知っている。


 「……貴様は」


 包囲がどよめき、声のした方へ一斉に視線を向け、武器を構える。


 そこにはクロークを纏った旅装の女性が一人、全身から憎悪を滾らせて立っていた。

 ジャンヌより少し年上、17歳くらいだろうか。成人年齢である16歳以上だとは思うが、正直僕には、その年頃の女性は顔立ちや体つきで年齢を判別できない。みんな「お姉さん」だ。


 顔立ちはかなり整っている。

 真顔であれば怜悧そうな、少し冷たい印象も受ける美人だ。しかし牙のような八重歯を見せ、油断なく顎を引いて笑うと冷たさが消え、むしろ勝気そうな印象を強く受ける。


 ポニーテールに結わえた燃えるような赤毛を揺らす、堂々たる歩き姿からは、自分自身に対する確固たる自信を感じた。


 彼女の顔に浮かぶのはジャンヌとよく似た──憎悪と殺意の滲む、酷薄で獰猛な笑顔だ。

 

 「“磔刑の魔女”……!」


 包囲網の誰かが、恐れと共に戦慄くようにその名を呼んだ。



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