第11話

 どろどろに溶けて冷え固まった石の、奇妙な形のオブジェ。

 元は家だったそれらは、町並みに沿って整然と並んでいる。


 廃墟群と言われればそう見えるが、とても大規模な美術品の展示場だと言われたら納得してしまいそうな景色だ。


 チェインメイルの特徴的なシルエットをした兵士たちにバレないよう、僕たちはその陰に身を隠すようにしながら街を脱出した。


 簡単だった。

 けれどそれは、僕の生家が火柱を立たせるほどの大炎上をして、兵士たちの視線を釘付けにしてくれたからだ。


 建物も、防火室に収められた薬品やサンプルも、地下の異端審問室も、何もかもが燃えていく。

 立ち上る煙には炎が混じって赤黒く、昼過ぎの明るい空が淀んでいくようだった。


 僕たちの荷物は旅行用の大振りなレザーバッグが二つずつ。僕が二つ、ジャンヌが二つ持ったそれだけが、僕たちの全財産だ。

 ……まあ、幾つか交換手形があるので、厳密には財産はもう少しだけある。教会と関係のない商会系列の銀行から預金を引き出すためのチケットは、今でもきちんと機能するはずだ。


 あとは代用が困難な医薬品類と、武器になりそうな毒薬と麻酔薬が少々。着替え。そして刃物や火打石といった旅に必要な諸々。僕は護身用の長剣も持っているが、本当に護身程度の腕しかないので、神聖騎士団相手の大立ち回りは不可能だ。


 荷物はまあまあ重いし、それなりに嵩張る。

 しかし四つの鞄に分配し、二人で分けて持つことで、僕たちはそれなりに素早く動くことが出来た。


 町から一キロほど離れた平野を、僕たちは敢えて街道を外れて進んでいた。

 舗装されていない草地はとても歩きにくいが、時期的に膝より高い草は生えていないのが幸いだ。


 「……ねえ、馬を盗んだ方が楽だったんじゃない?」

 「いや、リスクが高すぎる。軍馬は農耕馬より賢いし、強いんだ。正規の騎手以外が乗ろうとしたら振り落とすよう訓練されることもあるし、噛まれたり蹴られたりしたら……少なくとも僕は死ぬ」

 「へぇ……。シャルルは物知りだね」

 

 先を歩いていたジャンヌが、わざわざ振り返って感心の目を向けてくれる。

 乗馬の授業があまり好きではなく、医学や薬学ほど本気で取り組んでいなかった自覚のある身としては、先生の余談を偶々覚えていたことを褒められるのは複雑な気分だ。


 僕は苦笑を浮かべ、話題を変えることにする。

 その直後、さく、と軽い音を立てて、僕の真横に一本の矢が突き立った。


 「それより──、っ! ジャンヌ!!」


 朝から色々あって、神経が研ぎ澄まされていたのだろう。

 その反応は、剣術や馬術の授業でも経験したことがないほど素早く、調薬するときと同じくらいに正確だった。


 先を行くジャンヌに飛びつくようにして押し倒し、覆い被さる。そして手にしていた鞄を背中に回し、バイタルゾーンを庇った。


 「な──、っ!?」


 突然のことに困惑しつつも、安心させるような微笑を浮かべていたジャンヌも事態に気付く。

 その時点で、僕たちは一定間隔で降り注ぐ、都合数百本の矢雨の中にいた。


 ばらばら、ざあざあと恐ろしい音が連続する。

 遠くから放物線を描いて飛来した矢が空気を切り裂きながら落下し、地面に突き刺さる。その内の何本かは、背中に回した鞄に突き刺さったのが感覚で分かった。


 「っ──!!」


 ジャンヌが僕の頭を抱きかかえ、片方の手を肩越しに伸ばす。

 そして展開された炎の傘によって、降り注ぐ矢の雨は終ぞ地面に触れることなく、炎の壁に触れる寸前に空中で燃え尽きた。木のシャフトも鉄のポイントも、全て。


 遠く、甲高い笛の音がした。


 「……嘘だろ」

 「不味いね。見つかっちゃったみたい」


 そっと身体を起こして振り返ると、遠くにチェインメイルを着た騎乗兵の一団が居た。

 鎧の意匠までは遠くて見えないが、間違いなく町にいた連中──リチャード卿の手勢だろう。


 「見つかったんだ」


 僕の声は震えていた。

 首を傾げるジャンヌに、僕は彼女の手を引いて再び姿勢を低くしながら考察を語る。


 「あいつら、君が魔女だって確証を得る前に撃ってきたんじゃないかな。僕にも確証はないけど、笛の音は攻撃後どころか、君が魔術を使って防いだ後だった」


 笛の音は、恐らく「敵発見」を示す合図。

 かなり遠くまで届く音だったから、吹けば僕たちにも気付かれる。だから攻撃寸前か、先制攻撃をするまで吹かないというのは納得できる。


 だが流石に遅かった。

 僕たちが攻撃を察知して地面に伏せ、何度かの矢雨を鞄で凌ぎ、ジャンヌが魔術による防御を展開してから漸く。


 それはまるで、魔術行使によって魔女である確信を得てから合図を出したような。──魔女である確信を得る前に、そのために、矢を射かけてきたような。


 「こんなところをフラフラしてる子供二人組は、そりゃあ怪しいよ。でも僕たちじゃない可能性だってあったはずだ」

 「……でも、魔女狩りってそういうものじゃない?」


 不思議そうに首を傾げたジャンヌの言葉に膝を打つ。

 確かにその通りだし、そう考えると納得できることもある。


 「確かに……いや、こっちが先なのかも」


 姿勢を低くしたまま移動しつつ、僕は思いついたままを口にする。

 先を進むジャンヌが疑問顔で振り返ったのを押して進ませ、疑問に答える間も足を止めない。


 「ジャンヌの力が魔女に一般的なものなら、魔女を殺すにはその死因を突き止めて、それをもう一度繰り返すしかない。つまり──それ以外の処刑法によって死ななかった場合、魔女であるという証拠になる」


 ジャンヌの話が本当なら、彼女は火刑以外では死なない。具体的に酸欠なのか中毒なのか焼死なのかは分からないけれど、とにかく剣や毒では死なないそうだ。


 それが過去に存在しただろう魔女たちに普遍的な特性であった場合、疑わしきが魔女かを判別するのは簡単だ。

 

 


 火刑によって魔女になった者は、断頭や服毒では死なない。

 ならば首を切ってみたり、毒を飲ませてみればいい。死ねば人間、死なねば魔女だ。


 「初めは「殺して死ななかったら魔女」だったんだ、多分。それが民衆の間に広まるにつれて捻じ曲がったか、罪悪感を消すために会えて捻じ曲げたんだ。「殺して死んだら魔女」という形にね」


 なんとも気色の悪い──しかし納得のいく話だ。

 殺して死なない人間なんかいない。炎にかけ、首を刎ね、教会の鐘撞き塔から突き落とし、石を抱かせて川に沈め、磔にして、死なない人間なんかいない。


 そんなモノはどう考えても人間ではなく、疑いの余地なく化け物だ。


 だから「殺してみる」という方法アプローチは、殺して死ぬモノと、殺しても死なないモノを判別するのには間違っていない。


 そんなことを考えていると、遠く、馬の駆ける足音がした。


 「っ!」

 「シャルル、あいつが来た」


 僕が振り返るのと、初めから僕の方を──つまり後ろを向いていたジャンヌが気付くのは同時だった。


 こちらに駆けてくる騎兵隊の最前には、あの眩しいほど綺麗な純白の鎧を着た騎士の姿があった。


 「白騎士……リチャード卿」


 ──一応、気化麻酔で昏倒した彼の身体は玄関に運んでおいた。

 鎧を着た大人を運ぶのは初めてだったが、身体能力の低下した検体を運ぶためのストレッチャーがあって助かった。……と、それはともかく、屋敷が炎上して突入するであろう彼の部下が、すぐに彼を運び出せる位置に運んでおいた。屋敷を焼き払うのに巻き込まれないよう気を配りはしたし、生きているのは予想通りだ。


 だが、予想より復帰が早い。

 もうあと一時間くらいは眠っている計算だったのだが、ピンピンしているし、馬に乗っている。しかも襲歩の。


 彼も大概化け物というか、少なくとも「一般成人男性」の範疇には無い。


 「あっちの森まで逃げよう! 馬では入れないはずだ!」

 「……分かった」


 僕が逃走先に示したのは、遠くに見える森だ。

 街道に囲まれ、領主様の命令で定期的に手入れをしているから、危険な獣や野党の類は住み着いていないはず。


 しかし、遠い。

 まだ1キロくらいはある。


 少し走って、僕もジャンヌも段々と大きくなる馬の足音で察してしまった。──間に合わない。


 「……やっぱり無理だよ、シャルル。もう追い付かれる」


 ジャンヌは足を止め、鞄を置く。そして僕を背に隠すように押し遣った。

 彼女の言う通り、騎馬の一団はあと数十秒で僕たちを踏み荒らせる距離まで近づいていた。


 しかしジャンヌが立ち止まったのを見て、彼らは歩調を緩めつつ大きく散開する。僕たちを取り囲むように。


 騎馬隊と歩兵の戦闘で包囲戦なんか、普通は有り得ない。

 ましてこちらは槍の一本も持っていないのだ。突撃して、踏み潰し、槍で串刺しにすれば終わりだ。


 その定石に従わないということは、彼らはやはり、魔女という特殊な存在との戦いに慣れているのだろう。

 少なくとも、腕を振って陣形指示を出した白騎士は、間違いなく。


 包囲は恙なく完成し、しかし、その円はすぐには縮まらなかった。

 矢の雨を悉く焼き払ったジャンヌの魔術を警戒しているのだろう。


 そして、彼らの最優先目標である少女は、鬱陶しいほど利口な獲物を睥睨し、笑った。


 「だから──殺すね?」

 「っ!」


 迸る憎悪に、僕はまだ慣れなかった。

 身を竦め、反射的に別解を探してしまう。


 しかし、事ここに至り、そんな都合のいいものは存在しなかった。


 ──生きたければ殺すしかない。


 「……分かった。ジャンヌ」

 「なあに、シャルル?」


 口の中がカラカラな僕と違って、振り返った彼女は心底楽しそうだった。

 きっと顔色も正反対だろう。憎悪を晴らせる高揚感で赤らんだジャンヌと違い、僕の顔は血色が薄いに違いない。


 「君と僕が生きるために、彼らを殺してくれ」

 「? うん。そのつもりだよ」


 ジャンヌは僕の言葉の意味を解せなかったようで、少し不思議そうにしつつも笑って頷いた。


 殺さなければ殺される。なら殺せ。

 護身の第一歩は、その覚悟だと教わった。


 しかし実践は初めてだ。

 これは罪人の処刑でも、医学の発展──不特定大多数のための犠牲でもなく、ただ自分が生き残るためだけの殺人。


 直接手を下すのが自分ではなく魔女だということは、僕にはあまり関係が無かった。

 だって、彼女はただ憎悪を晴らすためでなく、僕を守るためにも人を殺すのだから。


 「……」


 包囲完了を確認し、白騎士が馬に乗ったまま近づいてくる。

 ゆっくりと、こちらの出方を窺うように。彼我の距離は二十メートルほどか。


 包囲自体はまだ縮まらない。

 白騎士と魔女の一騎打ちを作るつもりか、別な狙いがあるのか。


 「……」


 ジャンヌはゆっくりと右手を上げ、その掌を白騎士に向けた。


 彼女の発火能力には二種類あるようだった。


 一つは自分を起点に噴き出すようにして現れる炎。基本的には掌や指先から炎の舌が伸びるようにして発現する。

 こちらは炎の形状を操れるようで、空中に形を作って遊んでいるところを見たことがある。


 すぐ傍に居た僕を傷つけることなく、辺りの草を焼くことも無く、降り注ぐ矢の雨を焼き尽くしたのはこちらだ。


 もう一つは視界に捉えたものに直接発現する炎。

 こちらは精密照準と広範囲攻撃のどちらにも対応できる、極めて高性能な力だ。僕がどちらか選んで貰えるならこちらを選ぶ。

 

 町全体を一息に覆い尽くした炎はこれだ。

 室内で遠くの燭台に明かりを灯すといった、大きな炎を出したくない場合や、発火地点を正確に狙う必要がある時にも使える。そして家一つではなく町全体に炎が出現したように、ジャンヌが一つのものとして捉えた場合、その影響範囲は極めて広大なものとなる。


 ただ、矢の雨を前者の炎で焼いたように、自由度はそれほど高くない。

 無数の矢の集合を纏めて発火させられなかったということは、「家と人の集合」を「町」として認識し照準することは出来ても、「矢の集合」を照準することは出来なかったのだろう。


 「人の集合」を「群衆」や「部隊」「軍隊」として認識し、照準することが出来るかは微妙なところであり──。


 「──あれ?」


 白騎士に手を伸ばしたまま首を傾げたジャンヌを見れば、それとはまた別な問題もありそうだった。


 「……シャルル。魔術が使えない」


 恐慌寸前の愕然とした表情で、彼女は僕に振り返った。 

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