第6話

 ツナギを脱いでみると、思った以上に火傷が広かった。

 深度自体はそれほどでもなく、薬を塗っておけば数日で完治する程度なのが幸いだ。服が難燃性の生地だったことと、寸前で水を被ったおかげだろう。


 あちこちに消毒薬と軟膏を塗って包帯を巻き、作業衣から私服に着替えて本邸に戻る。

 リビングに入ると、ジャンヌはソファの隅に身を竦めるようにして座っていた。日の光を受けて輝く金色の髪が、所在なさげにきょろきょろと振られるたびに煌めいている。


 「お待たせ」

 「あ、うん……」


 ジャンヌが選んだのは黒いワンピースだった。

 姉が一度だけ着て、喪服のようだと言ってそれきり見なかった服だ。


 生地自体は良質だが装飾性は薄く、他のドレスやブラウスよりもサイズの誤魔化しが効くものを選んだのだろう。


 女性が装いを変えたら、或いはその日初めて会ったのなら、まずは装いを褒めるのがマナー。

 一応は社交場に出る身としてそんな教えは受けているが、そんな場面でもない。


 「それじゃ、聞かせてくれる? さっきの質問の答え、君は何者なのか」


 ジャンヌの隣に座り、神妙に問いかける。

 彼女はこくりと頷いて、特に考えを纏めたりする様子も無く徐に口を開いた。


 「私は……“魔女”」 


 一言目なのに疑問が山のように湧いてきた。

 が、ここは我慢だ。疑問は一々ぶつけるのではなく、講義がひと段落するまで待つ方がいいと、僕は父だけでなく色々な分野で学んでいる。大抵の場合、話を続ければ解決されるか説明されるからだ。


 「と言っても、皆が言ってるような魔女じゃないよ。不思議な薬を作ったり、箒で空を飛んだりはできない。あ、勿論、シャルルを魅了したりもしてないよ! 悪魔と交わったりもしてない!」


 慌てて付け足された二つは、異端審問の中で言われたことだろう。

 

 特に後者、悪魔との姦淫は魔女であることを確定させる重要要件とされている。

 が──処女だから善し、とはならない。


 尋問は予定調和だ。魔女であるという自白を引き出すためのあらゆる全てが、尋問室拷問部屋の中で行われる。


 簡単な話、処女で無くせばいいのだ。

 信心深い審問官は器具を使うが、自前のブツを使う者も多いと聞く。器具というか、大概は鉄の棒かナイフの二択だが……とにかく、突っ込んで処女である証を破ってしまえば、如何様にでも難癖をつけられる。

 

 父はもっと直接的な拷問で、速やかに自白させることが多い。

 ジャンヌに関しては一晩で自白を引き出し処刑の手筈を整えたのだから、薬剤も併用しただろう。


 異端審問官でもある父の後継者として教えを受けていた僕には、彼女がどのような仕打ちを受けたのかがある程度推測できたし、過去に自分が同じことをした人の顔も思い出してしまった。


 そしてその二つは結びつき、僕が彼女を拷問する情景をさえ、鮮明に想像させた。


 「私が魔女になったのは、シャルルに出会った後だから。あの火刑台で、私は魔女になった……ううん、死んで、魔女として生まれ変わったの」

 「……」


 幸い、僕が自分の想像で気分を害するより先に、ジャンヌが先を続けてくれた。


 それはいい。

 それはありがたいのだが──物凄く突っ込みたい。


 特に“生き返った”という部分について。


 一応、蘇生術の知識は僕にもある。

 ただしそれは失血や重要臓器の破壊といった死因に対しては使えないし、心臓が痙攣していても使えない。あくまで停止した心肺機能を外部から補助するだけだ。


 色々な国の、色々な時代の文献を集めて、有意性が立証されたのはそれだけだ。

 あとはなんか如何わしい錬金術モドキと、もろに宗教が絡んだオカルトばかり。


 拷問された挙句に火炙りにされた人間が、全ての傷が癒えた上で蘇生したなんてケースは聞いたことが無い。

 具体例も勿論のこと、その現象を説明できそうな理屈や理論もだ。


 「……信じられない?」

 「……うん。いや、嘘をついてると疑ってるわけじゃないけど、僕の知る常識とかけ離れ過ぎてる」


 信じられない、と言うよりは、理解できない、と言った方が正しいか。


 だが──もはや常識で語れる状況ではないのだろう。

 有り得ない復活、有り得ない治癒、有り得ない発火と操作……常識外のものを、この短時間に三つも目にした。そしてこの目で見てしまった以上、疑う余地はない。


 ああいや、一つだけ。“僕の正気”は疑うべきかもしれないけれど。

 この現状が、ジャンヌという心の拠り所を喪い発狂した僕が見ている夢ではないと、強く否定しかねる。そのくらい、意味不明な状態だった。


 「君は魔女で……じゃあ、さっきの炎は魔術ってこと?」


 いきなり現れ、尋常ではない火力を見せ、剰え彼女の意思で消えた異常な炎。

 街一つを飲み込み住人を消し去ると、満足したかのように消えてしまった。


 間違いなく常識に属するものではない。だが奇跡と呼ぶには悍ましく、魔術と呼ぶには派手な気もする。

 

 「呼び方は分かんないけど、呼びやすいなら“魔術”でもいいんじゃない?」


 彼女の指摘は正鵠を射ていた。

 確かに、僕の知識にある現象ではないのだから、知識にある名前に当てはめて理解しようとするのはナンセンスだ。


 「あぁ、うん、そうだね。重要なのは名前じゃない。つまり君は……不死身で、かつ街一つを焼き払う力を持った存在ってこと?」

 「ううん、不死身じゃないよ。あの治癒は再誕のオマケ。今は……すごく死ににくい、ぐらい?

 ──分かるんだ。私は斬られても刺されても死なない、死ぬほどの傷にならない。病気になっても毒を飲んでも同じ。死ぬところまでは行かない。……私が死ぬのは、私を一度殺した火によってだけ。もう一回火炙りにされたら、私は今度こそ死ぬ」


 重々しく、ジャンヌは自分を殺す方法を語った。

 しかし、その表情や声色に恐怖や僕への不信感はない。それを聞いた僕が彼女を害そうとするかもしれないなんて、頭の片隅にも浮かんでいないようだ。


 まあ、事実その通りではある。


 「……無敵じゃん」 


 彼女が僕の心の拠り所であることとは関係なく、死なない存在を殺そうとするほど、僕は馬鹿じゃない。

 その相手が街一つを焼く特殊能力を持っているのなら尚更だ。


 「? どうして?」


 話聞いてた? とでも言いたげな少女に、怪訝と苦笑の混ざった曖昧な笑みを返す。


 どうしても何もない。


 「だって、火を操れるんでしょ? 火炙りにされたって、すぐ消せばいいだけだ。……あ、自分の魔術で作った炎しか操作できないとか?」


 火炙りにされたら死ぬのなら、まあ、確かに「不死身」という言葉は正確ではない。

 しかし、死因となり得るものに対して完璧な対抗策があるのなら、「無敵」と称していいだろう。


 死なないわけではない。

 だが殺せるわけでもない。


 まあ彼女を殺す方法を思いつかないわけでもないが、検証は出来ないし、試そうとも思わない。


 「ううん、そんなことないよ。でも、寝ている時とかは魔術も使えないから」

 「な、なるほど。まあ、色々と細かい疑問とか検証したいことはあるんだけど、まずはこれを訊くよ。どうしてそんなことを知ってるの?」


 誰かに教わったわけではないだろう。

 さっきの「火刑に処された後で魔女になった」という言葉が本当なら。


 ……いや、事ここに至り、彼女の言葉を疑う意味はない。

 現状、僕が手に入れられる情報はジャンヌが語ったことと、直接目にしたことだけだ。この目で見た現象が常識から外れている以上、放棄すべきは常識の方であり、目の当たりにした事実を受け入れる他に無い。


 彼女が語ったことは全て真実であると仮定した上で、そこから思考を発展させていくのが正解だ。一々常識を持ち込むと、思考がそこで詰まる。


 それは分かっている。


 だが同時に、僕は情報の正確性がどれほど大切かを知っている。

 古今東西の文献を集め、玉石混淆の中から真実を探し出すことに人生を懸けた人の息子であり、後継者なのだから。


 現時点に於いて、ジャンヌの言葉の信憑性は「本人は真実を語っているつもりである」程度。

 極論だが、彼女が発狂しており、妄言を吐き散らかしている可能性も無くはない。表面上は健康で言葉は整然としていても口から出るのは妄想ばかり、なんて状態になった実験体を、僕は以前に処分している。


 問われたジャンヌは考え込むように視線を空中に投げ、ややあって首を傾げた。


 「分かんない。気付いたら知ってた?」


 不思議そうに。「なんでだろうね?」とでも言いそうな顔で返された答えは、僕の期待を裏切るものであり、しかし予想の範疇でもあった。


 「……神様が助けてくれたってワケじゃなさそうだ。不親切すぎる」


 深々と嘆息し、背凭れに深く身を預ける。

 啓示とか預言とか御使い説明役とか、なんでもいいから詳しい解説が欲しかった。


 僕の軽口に、ジャンヌは裂けるような笑みを浮かべる。


 「あは。神様だったとしたら、私にこんな力を与えるわけないよ」

 「……まあ、そうだね」


 大人数から迫害を受けていた相手に大量殺人の異能を与えたらどうなるかなんて、全知全能でなくても推察できる。

 実際、ジャンヌは再誕直後にその力を使い、一つの町に住む人間全てを、たった一人だけ残して殺し尽くした。


 まあ、神は存外、人間に対して苛烈だし無謬でもない。万物の主であるからには、罪人もまた神の被造物だ。だから時に天使を遣わし、時に洪水を以て、堕落した罪人を一掃し、自らの失敗を清算する。


 今回はその役目が天使や大雨ではなく、魔女──ジャンヌなのかもしれないけれど。

 そうなると彼女は魔女ではなく聖女ということになるのだが、憎悪を動機とした殺戮者を聖人と呼ぶのは、流石の僕にも憚られた。


 「それに、神様が私を見ていてくれたのなら──火刑より前に、拷問されている時に助けてくれたはずでしょ?」


 どろりと濁った目で首を傾げる彼女に、僕は苦笑交じりに尤もだと頷く。

 病だの戦争だの飢餓だのは悪魔が司る災厄であり、神の使いである天使が戦うとされるが、そもそも神は全知全能なのだから、そんなまだるっこしいことをする必要は無いのだ。


 敵よ去れ、と唱えればいい。光あれ、と仰ったように。

 

 それと同じだ。

 善人を危機から救う必要などない。端から危機を齎さなければいい。


 ジャンヌが罪人を掃討する神罰の代行者なのだとしても、そんなモノを創る必要は無い。罪人よ去れ、その一言でいい。


 「だから、私を生き返らせたのはきっと悪魔で──私はやっぱり、魔女なんだよ」


 言って、少女は愉快そうに、そして嬉しそうに笑った。


 自らを一度惨殺した世界に対する復讐は、それはそれは、打ち震えるような歓喜を齎すだろう。


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