第10章 ガイユールとの戦。ユニウス公子、従軍準備のこと

 サンテネリは中央大陸の西端に位置する国家である。

 北部は東の帝国領域から流れ来る大河ロワ河が蛇行を繰り返しつつ西海へと抜ける低地帯。河の両岸に広がる平野はロワ河の支流が無数に走る一大穀倉地帯である。

 中央部には巨大な山岳地帯である中央山塊が鎮座し、その周囲を高原が取り巻く。南部は終端山脈、東部には白山脈を天然の国境として周辺諸域から分かたれていた。


 ルロワ家はロワ河中流域に本拠を持つ小領主として始まり、主に東西に拡張を続けた。時には地元の小領主を傘下に収め、時には攻め滅ぼし親族を扶植する。ルロワ伝来の家領である「王国の島」と隣接する西方一帯を領するデルロワズ公領などは、ルロワ勢力拡大の中で親族が封建された例の最たるものである。

 中央山塊の東に広がる高原地帯を支配したブルゴニア城塞の地公国を第8期に相続によって吸収し、国土の北東部から東部諸地域を勢力圏に組み込むことに成功した。南部地域は中小諸侯が割拠し、統一した政治的行動に出ることはほとんどない。

 現状ルロワ王権と対峙する力を持ちうる地域は北西部に大領を持つガイユール公国と南西部のアキアヌ公国のみである。ガイユール、アキアヌ両国もまたルロワ家と同様、その歴史の中で幾多の小領を併呑しながら支配領域を拡大した一種の独立国であり、ルロワ家によるサンテネリ王権を認めつつも融和と角逐を繰り返してきた。


 ルロワ家がこのような拡大を可能とした理由は様々である。直系男子による相続が比較的順当に行われたことや婚姻政策の成功など運に左右される要素も大きい。しかし、最大の要因はやはり、国土の最も肥沃な部分を抑えることに成功したところにあるだろう。ロワ河中流域の平原地帯はサンテネリの穀物庫として他の地域に比して大量の人口を養うことを可能にした。ルロワ家領もさることながら、隣接するデルロワズ領もまた領地の多くが農業に適した平原である。


 ガイユール公領を北西に貫くグィヨン川が本流ロワ河から分岐する河川交通の要衝ロワイヨブルはガイユール公国第二の城塞都市であり、ガイユールとルロワの争いが起こる度に前線拠点としての役割を果たしてきた。新暦816年、ルロワ王家とガイユール公家の緊迫した関係は、過去に起こった幾多の紛争と同様、このロワイヨブルを起爆点として始まる。




 ◆




「話に聞いてはいたが、実際に見るとやはり違うな、ユニウス」

 バルデルは大きく開かれた窓の外を興味深げに眺めながら、傍らに立つ弟に語りかけた。

 質素な、しかし真新しい木壁を軽く小突いて音を確かめる。足を踏みならし床の微かな軋みを感じる。


 彼の目前には二階建ての木造宿舎が等間隔に延々と並ぶ。宿舎は「会堂」と名付けられた建物を四角く取り囲む。建材を判別できないほど遠方から観察すれば、堅固な城壁に囲まれた典型的な城塞に見えたことだろう。


「しかしなぁ、おまえの居城になるんだ。もう少しめかし込んでもよかったんじゃないのか? 全部木造だろう。構造こそ城郭だが、あの”壁”は火矢ですぐ燃やされちまうぞ」

「あれは壁ではありませんよ。ただの住処です」

 会堂の周囲をぐるりと取り囲む宿舎は一棟に9人が起居する。それを10棟。一列に最大90人を収容する。その宿舎列が四本、つまり360人の住処が会堂から最も近い「囲い」を形成していた。


「分かっちゃいるがね。で、この”会堂”はどのくらい入る?」

「50人程度でしょう。十分です」

「50じゃ足らんだろう」

「隊の全員を集めるのなら外でやります。ここは隊の”主だった者たち”が入ればそれで問題ありません」

「てっきり食堂か何かに使うのかと思ってたよ。皆飯はどうしてるんだ?」

「食材を配給して各自宿舎で」

「となると、薪を大分食うな…」


 そう言って考え込んだバルデルを彼は頼もしく感じる。

 高位の貴族は通常そこまで気を回さない。食糧や燃料の手配は下々の仕事である。

 大柄で陽気、勇敢。そんな豪快な騎士の特徴を詰め込んだような男なのに、バルデルは意外にも細かいところに気を配るたちだ。


「そろそろ始めましょう。ゆっくりしていると日が落ちて、一晩ここで過ごすことになりますよ、兄さん」

「それも面白い、が、そうも言ってられん。やろう」


 二人は窓から離れ、室内に向き直る。


 中央に備え付けられた大きな円卓の周りを、五人の少年少女、そして二人の青年が緩やかな対面をなして着座していた。


「では諸君、はじめよう」

 ユニウスが口火を切る。ここは彼らの住処であり、バルデルと随行する二人の従士達は客人なのだ。


「軍議を」




 ◆




 自己紹介は必要なかった。もう何年も前から皆顔見知りである。

 ユニウスを中心とした半人の若者集団が武器を持ち戦闘訓練を始めた当初から、バルデルとその従士達は指導役として付き添ってきた。

 槍の持ち方、弓の使い方、馬の特性、騎士の戦術。それら基本的な知識を半人達に伝授したのは彼らである。一方で、隊列や歩法を考案したのは少年達だ。歩兵の戦闘など実際に行われたのは「諸民族のうねり」以前のこと。その手法は忘れ去られて久しい。


 ユニウスに”群”の指導役を派遣して欲しいと頼まれたとき、バルデルは即座に自身が赴くことを決めた。ユニウスは問題ない。バルデルは機会があれば彼を「弟」として扱っていたし、エネ・ジャンも同様だ。配下の従士たちも相応の敬意を払うだろう。しかし、ユニウス配下の半人達にどのような態度を取るかは未知数だった。バルデル自身にしたところで接し方を考えさせられることは度々ある。接触がごく短期間であればお互い丁重な無関心を貫くことができようが、教練となれば話が違う。従士達が半人を獣扱いするのは問題ない。従士といえども歴とした騎士である。


 問題は、従士達の方がおかしくなってしまう可能性の方だ。

 バルデル自身、ユニウスと再開した時に感じた困惑を未だに覚えている。

 犬が後ろ足で直立し、人と同じように振る舞い、人と同じように——あるいはより賢く——語る。そんな奇妙な状況と大して変わらぬ半人頭の「人らしさ」は純粋な衝撃を彼にもたらした。ただしユニウスは自身の父ジュールの種である。それが精神安定剤として作用した。ようするに腹違いの弟と考えればよい。正しいか否かにかかわらず、納得出来る理屈さえあればよい。

 だが、ユニウス配下の半人達は純粋な半人である。

 半人達が、操り人形よろしくユニウスの魔力によって統制された物言わぬ人形であるのならばそれでよい。だが、恐らくそうではない。操り人形に教練など必要ないからだ。人形師であるユニウスが全て理解していればそれでよいはずだ。にもかかわらずユニウスが教練を頼んできたということは、配下の者達もまたユニウスと同じような存在、つまり「人」と変わらぬ生態を持っている可能性が高い。


 半人群を囲む木柵の外で、バルデル公子と配下は「彼ら」と出会った。二十人ほどの集団だ。

 最初に目を惹いたのはその若さ。最も年かさの者でも12、3。最年少の者に至っては一桁に見える。

 次に驚くのが女子の存在である。中央大陸において女が戦に出ることはまずない。貴族家の女当主が儀礼的な大将となる例がちらほらあるだけで、兵士となるなどもってのほかだった。にもかかわらず女がいる。

 そして最後に、皆綺麗なのだ。ぼろ切れとさほど変わらぬ貫頭衣オーヴェだが、恐らく洗濯がなされているし、身体も垢まみれではない。水浴びをしているのだろう。半人群が発する強烈な臭気が彼らからは感じられない。

 ともすると城下の貧民よりもな出で立ちといえた。


 ユニウスが少年少女を紹介していく。

 中でもバルデルが意識を向けたのは「マリー」と呼ばれる少女だった。聞けば彼女はで亡くなった先代半人頭の娘だという。小さな背丈に風が吹けば折れてしまいそうな華奢な腕、伸び放題の髪。こけた頬。

 しかし最も利発だった。人なつこく、バルデルや従士達に最初の話しかけたのはこの少女であり、周りの子ども達もそれが当然といった顔をしている。


「おはつにおめにかかります。デルロワズこうしでんか!」


 何よりも、その緑色の視線。バルデルの目を握り込んで放さない。意思がある。


「うむ。これより、このバルデル・エン・デルロワズが皆を教導する。励めよ、マリー」

「しょうちいたしました!」


 バルデルの頭の中に筋書きが浮かんできた。

 マリーは先代半人頭の子である。恐らく父親である先代デルロワズ公の魔力があまりにも強かったため、ある種の先祖返りを起こした。人の血が勝った混血児である。その他の者達もまた各代の半人頭たちの血を引いているである、だから人に近しい存在に至ったのだ、と。

 理由は歴代デルロワズ公の素晴らしい魔力にある。何の根拠もない理屈に過ぎないが、従士達が反論することは叶わない。この理屈を否定することは「歴代デルロワズ公の魔力」を否定することと同義であり、魔力の否定は地位と権力の否定そのものなのだ。

 告げられた従士達にとって否はなかった。自分たちが指導するものたちが人に近しいのであればそれに越したことはない。その上「なぜそうなのか」という理屈もある。

 理由があればそれでいいのだ。




 ◆




「矢はどれほどご融通いただけますか?」

 少年達の一人が対面する騎士に尋ねる。

 座高を見ても飛び抜けて高いことからよほどの長身であることが分かる。長い腕を少し窮屈そうに折りたたみ、両手だけを卓上に置く少年。数年前、ユニウスはその細長いしなやかな腕から彼をアールと名付けた。その名の通り、長じて彼は弓兵アール部隊を指揮している。

 アールの問いを受けて、まだ恰幅の良い二十代半ばの騎士が答える。

「それは難しい質問だな、アール殿。逆に、いかほど必要なのか知りたい」

 問いを返されたアールはユニウスに視線を流す。矢の量は戦の「性質」と密接に関わるものだからだ。


「今回の戦、”挨拶”から派手にやる。矢は多ければ多いほどいい」


 中期における戦の本質は「城の奪い合い」である。そこに住む者全員の殺害から助命監禁、勢力を残したまま傘下取り込みに至るまで幅はあれど、城を取ることには変わりがない。


 攻城戦のほとんどは実際に干戈を交えぬまま終わるのが常だ。

 矢を城内に射かける、あるいは騎士とその従士達で囲み圧力をかける。いわゆる”挨拶”である。後に城の主要な門と道路を封鎖する。そうする間にも交渉は続き、折り合いのつく地点で妥協が為される。これが最も穏当で最もよくある形式であった。

 領主達は民の面前で部分的勝利と部分的敗北を認める儀式を行う。視覚的に分かりやすく、勝者は武装し、敗者は平服で語り合う。


 戦と言うよりも「威圧的交渉」と呼称すべきこの形態には、欠かすことが出来ない重要な存在がいる。それは「仲裁者」である。

 領主間の抗争はより上位の存在によって仲裁されるのが習いである。上位の存在とはつまり、ガイユールやアキアヌのような大公、あるいは王家である。さらにその場に聖職者が加わる。僧王が出座することはまずないが、各地の大僧卿はその職務時間の多くをこの「仲裁」に充てざるを得ないほど小規模な紛争は各地で頻発していた。


 では、仲裁がなされない、あるいは不調に終わり、妥協が成立しなかった場合はどうなるか。

 そこで初めて戦いが生じる。合戦の場が指定され、両者の騎士が繰り出し激突する。弓を使用することは基本的にない。敵手を殺害することも稀である。生け捕りにして身代金を狙うのが一般的だ。

 そもそも領主達の争いは家の利益のためになされる。相手を殺害してその親族や友人達の恨みを買うよりも金で解決したほうが得なのだ。これもまた「諸民族のうねり」以降、殺害と復讐の連鎖を繰り返し疲弊した諸侯が編み出した知恵であった。



 816年5月、ルロワ王家はガイユールとの戦を決定した。

 婚前式におけるガイユール公家の乱暴狼藉を批難し責を問う。これが大義である。

 既に各地の軍伯に招集がかけられ、サンテネリ王国内の諸侯にも出兵の要請が始まった。ガイユール公国と同様、形式的な臣従こそあれど実態は独立国家に近いアキアヌ公国にさえ、形式的な要請が為された。

 実際のところ、これらの軍役奉仕義務が完全に履行されることはほとんどない。戦に向かう熱量が分からないのだ。妥協で終わるのか、それとも合戦が行われるのか、あるいは極めて稀な「戦争」が起こるのか。

 十中八九妥協で終わる。

 ならば親族の中から一人出して体裁を整えれば良い。諸侯の多くはそう考える。一人といっても大体は主家の次男三男だ。従士として2、3人の騎士がつき、彼らを世話する従僕がつく。大体10〜15人程度の集団に収まるのが常だった。

 情報伝達の手段が限られた時代、足並みが揃うこともまずない。今回の場合のように北西部で起こる争い事に南部諸侯が参戦しようと思えば、戦場に到達するまえに肝心の戦が終わっていることも間々ある。

 ただし、今回の戦は「戦争」となる可能性を強く秘めていた。

「王太子、王女を揃って略取、場合によっては殺害しようとした」。そうルロワ家側は主張するのだから、報復は当然苛烈なものになる。

 ただし、帝国がどう出るか、動向が読めない。帝冠はシュタウビルグ家のもとにあれど、帝国の大公達——皇帝を選ぶ権利を持つ選帝侯達——が皇帝家の勢力伸長に快く協力することは恐らくない。良くて黙認である。となれば軍事行動はシュタウビルグ家単体のものとなるが、彼らもまた背後に潜在的敵対者たる選帝侯たちを抱えているのだ。


 ガイユール公家との戦は「戦争」とすべきである。

 この一点において王家とその家臣団、さらに王家の盟友としてのデルロワーズ家の首脳は意見一致をみていた。

 齟齬はその方法において発生する。

 当初最も強硬な案を主張したのは王太子グロワスであった。”挨拶”や交渉など行わず、ガイユール公領を南部から劫掠しつつ北上、公領首府ランヌまで攻め上がり一大決戦を挑む。血気盛んな太子の案は、しかしデルロワズと王家家臣団によって冷や水を浴びせられることとなった。


 王太子の示す案には二点問題がある。

 一つは兵数。ガイユール公家の準備が整わぬうちに戦端を開くならば、当てに出来るのはデルロワズとルロワ領の兵力のみである。いかに大諸侯や王家といえど即応できる騎士の数はそう多くはない。根こそぎ動員したとて500騎に届かないだろう。従士を含めたところで700騎程度。この兵数は公領を南部を荒らし回るには十分だが一大決戦となると少々厳しいところである。

 では、各地諸侯の集結を待ってとなると、当然ガイユール側にも準備を整える時間を与えることになる。帝国は当然として場合によってはアキアヌ公国との連携も考えられる。アキアヌ公国が南部小諸侯を攻めればルロワ勢力圏にも波及する。南部諸侯は「サンテネリ王」ルロワ家の庇護を求め王家は応じざるを得ない。

 二点目は正教の問題であった。

「諸民族のうねり」を経て大混乱に陥った中央大陸は、正教会の元で秩序の再構築を図った。同じ正教の信徒が争うことは神の意に沿わぬ行為である。利害の相違は人の性であるが、同じ正教の徒として手段を尽くした末にのみ戦はやむを得ないものとして認められる。世に言う「主の御裾の元の平和」だ。太子が主張する通りに戦を進め、仮にそれが順調に進んだとしても、必ずどこかで正教の横やりが入るだろう。ガイユール公国とルロワ王家の戦いである。大僧卿では裁定できない。つまり、僧王の出座となる。現在の僧王に対してサンテネリ王国は強い影響力を保持していない。どちらかといえば帝国の色が濃い。僧王の仲裁を無視した場合、帝国は明確な大義名分を得る。さらに、僧王の持つ伝家の宝刀たる破門がなされるかもしれない。軍の主力をガイユール領に差し向けたままの状態で破門を受ける。これは悪夢だ。帝国はおろか、領内軍伯たちの反乱すら起こりうるのである。


 これらの問題点を指摘されても、当初太子は意見を曲げなかった。

 デルロワズの半人部隊を動員しガイユールを討ち滅ぼしたのち、とって返して反抗的な軍伯たちも滅ぼしてしまえば良い。そう言ってはばからない。

 会議は俄に白熱した。


 中期のこのような会議は後の世のごとくお行儀の良いものではない。広間に集まった各自が酒杯を片手に意見を述べ合う。罵声はおろか拳も飛び交う。果ては抜剣までありうる世界だ。意見の推移を見守るクリエ女王の存在ゆえに、幾分にはなったものの、グロワス太子は酒精で顔を赤く染めながら感情を高ぶらせていた。

 そんな若き次代の王にそっと近寄り耳打ちしたのは、デルロワズ第三子にして実際に半人部隊を指揮するユニウスだった。


「殿下、我々の部隊は徒歩です。騎馬ではありません」


 ハッとユニウスと顔を見合わせた彼は手近な椅子に深く座り込み、自身の強弁をわびた。


「姉の名誉に関わること故、つい高ぶった。諸公、ご容赦願う」


 そして会議は仕切り直される。


「殿下は聡明でいらっしゃる。ルロワ家の隆盛は盤石ですな」

 クリエ女王の横でことの推移を見守っていたデルロワズ公ジュールの言は母后を満足させた。

「ええ、ええ。公のおっしゃるとおり。私もうれしく思います」

 王太子の強硬案が半人部隊の存在を根拠としていることも、ユニウスが太子に何を伝えたのかも、ジュールにはおおよそ見当がついていた。だが、理屈で気位を押しとどめるのは難しい。とはいえつい先日まで半人であったユニウスの言で、あれほど固執した主張を撤回し、その上謝罪まで出来るのは度量である。




 ◆




 大方針の決定にそう時間はかからなかった。従来通り”挨拶”と交渉の過程を踏みながらも、諸侯軍伯の到着を待たずにルロワとデルロワズの軍勢のみでガイユール公領南部の主要都市を手中に収める。それも従属させるのではなく直轄領として組み込む。

 その後はガイユール配下諸家に恭順を迫りながら圧力を強め、最終的にはガイユール公家の当主交代を求める。ルロワ家連枝の家から娘を送り込み、最終的には次代の統合を目指す。

 時間をかけずに既成事実を重ねながら、外交は従来の速度を維持する。


 日も落ちて、王家、デルロワズ家、ルロワ家臣団の大合意が成立したところで散会となった。


 ユニウスはデルロワズ家の一団とともに広間を後にする。彼らが割り当てられた客室に向かう内回廊の中程で、対面からやってくる女達の一団と出会った。


「これは姫殿下」

 最初に気づいたのはジャンであった。


「あら、デルロワズの皆様。こんなところに。奇遇ですわ!」


 どこか芝居めいた台詞を放つマルグリテは、侍女達を引き連れてデルロワズの一団に近づいてくる。

 回廊の壁に立てかけたたいまつが時折爆ぜて、短い沈黙を埋めた。


「もう日も落ちましたが——王太子殿下にご用でいらっしゃいましたら、まだ母后様とともに広間に居られます」

 日が落ちた後、女性が外を出歩くことは滅多にない。


「ええ、はい。いえ、…今晩はとても心地よい風が吹きますから、少し散歩を」


 ——なるほど。

 口実を作り出したのはバルデルだった。こういうとき気安く話をかき回す技能に長けている。


「姫殿下、いかに天下の堅城シュトゥル・エン・ルロワとはいえ、どこに賊が潜んでいるかも分かりません。か弱き御身と随行のお嬢様がたでは少々心許ない。もし殿下がお嫌いでなければ、デルロワズより警護のものを付けましょう!」


 マルグリテは答えない。ただ、大判布カルールを弄る指先だけが彼女の心情を物語っていた。


「本来であればこの私バルデルがお守りしたいところですが、残念なことにこの後兄上と軍議がありますゆえ。そこで、ちょうど手隙の者がおりまして。その者はさる高貴な姫君より剣を賜った勇者。腕に覚えもございます。——もちろん私ほどではございませんが!」


 デルロワズの家臣達に加えてマルグリテの侍女たちまでくすりと笑う。バルデルと王太子はこのような小芝居を好む。幼い頃からの友として嗜好も似るのだろう。


「いかがでしょう? その者をお側に侍らせても?」


 首筋から顔にかけて、王女がほんのり紅に染まる。それは内奥からのものか、たいまつの照り返しか。


「ええ、ええ、もちろんですわ。もしその殿方のご都合がよろしければ」


 バルデルは横に立つユニウスを少し乱暴な手つきで前に押し出した。


「この者です。少々とぼけた顔をしておりますが」


「バルデル殿。ご厚意痛み入ります。——そしてユニウス殿、わたくし、ただいまバルデル殿にご忠告いただいてから、この薄暗闇が少々恐ろしく思われます。わたくしを守護していただけますか?」


「否やはございません。私は常にマルグリテ様をお守りいたします」


 兄の芝居に比してずいぶんと簡素な返答をユニウスは返した。


「では、随行のお嬢様方は我らデルロワズの男衆でお部屋までお送りいたしましょう! 姫様には騎士をつけましたゆえ」


「いえ、それは困ります!」

 侍女の一人エレーヌが小柄な身体からは想像できぬ大声——バルデルと比するほどの——で制止をかけるが、そばに居た同僚に小突かれて静まる。


「大丈夫ですよ。お嬢様。ユニウスは姫殿下の騎士ですから」

 それまで黙っていたジャンが小柄な侍女に告げた。


 エレーヌがその身を案じる主はといえば、自身の後ろで起こっている会話などもはやほとんど耳に入っていなかった。


 ただ目の前の男を見つめていた。




 ◆




 巨大な中庭を囲むルロワ首城の廊下は長い。

 ユニウスとマルグリテはその果てしない内回廊をあてどなく歩いた。どこに向かうでもない。ただ、ともに歩くことを欲したのだ。


 月とたいまつに照らされたしばしの静寂を破ったのは王女だった。


「先ほどの軍議、上手くまとまりましたの?」


 会議の終わりを待ちに待って彼に会いに来たマルグリテにしてみれば、話題など何でも良かった。ただユニウスとともに居ることを求めていた。

 彼もまた、マルグリテと並んで歩くことは久しぶりの快だった。女の、男を引きずり込む匂いだ。気がつく間もなく身体を抱き込まれてしまうこの感じが彼は好きだ。


「そうですね。大体は定まりました。ただ…」

「ただ?」

「我々の働きはどうやら重要なものになりそうです」

「まぁ、それは…」


 喜ばしいことではある。

 戦場で武功を上げてこそ騎士である。それは彼女個人ではどうすることもできない「時代の常識」である。一方で、心のどこかに重さを感じる。武功と死は表裏一体を為す。それを引き受けてこその貴族であり騎士である。だが、ユニウスが死ぬかもしれない。努めて目をそらした事実がどうしようもなく這い寄ってくる。


「名誉なことです。しかし、恐らく部下達に多大な負担をかけることになります。少なからぬ者が死ぬでしょう」


 ユニウスの言は乱れなかった。それは元から覚悟の上だ。


「彼らは未だに半人の集落に住んでいます。私もそこに居たから分かる。とても劣悪な、地獄のような場所なのです。地獄に生き、戦場に死ぬ。それはむごいことです」


 彼は幼少期よく「犬」と渾名された。大きな瞳が伏せて肩を落とす姿は、主を見失って途方に暮れる黒い大型犬の風情がある。単純に同情を誘うのだ。


「新しい住居を作る計画もあるのです。我々は今後、部隊を拡大させていく予定ですから。ルロワ家を守護し、。そうすると今の半人群はそもそも手狭になってしまう」

「新しい住居、ですか。それはどちらに?」

「デルロワズ城にほど近く。今の住処を破却し、その近辺に新たな宿営地を作る予定です」

「あなたもそちらに?」

「ええ、私は指揮官ですから。兄上風に言えば”我が城”のようなものですね」


 最後の一言はただの軽口だった。彼が領地を与えられる予定はない。領無き城は無意味である。だからただの冗談だった。


「ユニウス殿のお城。素晴らしいわ。わたくしもお邪魔してもよろしいかしら? ちゃんと陛下にお許しを得ますわ。何せ”わたくしの騎士”のお城ですもの!」

「いえ、最後の言葉は兄の軽口です。そもそも宿営地もめどが立たない」

「なぜ?」

「面白くないお話しですよ」

「いいえ、お聞きしたいわ。なぜユニウス殿のお城が建たないのです」


 意外にもマルグリテはしつこく食い下がった。仕方なくユニウスは答える。相変わらずの無表情で。


「町を一つ作るのと変わりません。デルロワズ領の職人では数が足りず、他から呼ぼうにも資金がない」


 それきり会話は途切れた。彼はそのままでも良かった。彼は会話を好まない。無言のまま、マルグリテの匂いに包まれていたかった。

 回廊がもうすぐ終わる。ちょうど一周。


「この度の戦で我々がお役目を果たし、我々の”有用性”を皆が理解してくださったら、何かいい案が浮かぶかもしれません」

「…ええ」


 相づちは弱い。

 あまり楽しい話でもない。ことにマルグリテは半人を嫌っていたのだから。彼は幾ばくかの罪悪感を抱きながら辞去の挨拶をした。


「ではマルグリテ様。”御身の騎士”は無事任務を果たしました」


 柄にもなくバルデルのような大仰な言い回しで、彼はこの即物的な逢瀬を締めくくった。




 ◆




 半人部隊とバルデルの「軍議」も無事終わった。軍議といいながら現状のすりあわせと細かい数字の計算が主だ。配下の面々が物事を詰めるのだから、この段階においてはユニウスもバルデルもほとんど傍観者である。


 城に帰還するバルデルをユニウスが見送る。

 別れ際、兄が弟に尋ねた。


「ここの名は決めたのか?」

「いいえ。私には名付けの才能が無いようです」

「確かに! アールピエバトノワ。人の名じゃないだろう。まともなのはマリーだけだ」

「あの頃は、人名をほとんど知りませんでしたから」

「あいつらもいずれちゃんと改名させろよ。渾名ならまだしも。まずノワからやれ。女なのに名前が「黒」なんてひどすぎる」


 意外にも真剣な面持ちでバルデルは忠告した。


「ここはそうだな。真珠の町ヴィーユエンマルゴにするか?」


 そして再び冗句に戻る。この速度がバルデルの持ち味だ。


「グロワス様から聞いたぞ。姫様がだいぶやってくださったんだって」

「初耳ですよ」

「グロワス様と陛下に滔々と説かれたらしい。『半人達がかわいそうだ。虐待するのは正教の教えに反している』って。グロワス様も姫殿下の感情の高ぶりには最近慣れられたみたいでな、笑いながらお話しくださった」

「そんなことがあったのですか」

「あげくにご自身の腰帯サントゥと緑輝石を持ち出して、これを売りに出してもいい、とね」


 ユニウスは少し困ったように眉を落とした。


「おかげで陛下からシュトゥル城下の市長に話しが行って、王領から職人が来てくれたってわけだ。これはもう姫様の町だろ」

「——知りませんでした」


 神妙な面持ちで呟く弟の姿をバルデルはじっと観察する。


って。エネ・ジャンが言ってた。」


 バルデルは弟の瞳をのぞき込んだ。力尽くで視線を引きずり出した。


「俺たちはおまえの兄貴だ。ずっと。——変な心配はするな」

「ええ、分かっています。…デルロワズ家として問題はありませんか?」

「それは父上とエネ・ジャンの領分だ。俺は兄貴の役だけやる」


 王家の手が入った町が領内に生まれ、そこを王家の姫を守護する騎士が本拠とする。いかに王家と近しいとはいえデルロワズは独立諸侯である。非常に繊細な問題に発展する可能性がある。

 恐らく女王はそれを見越してルロワの職人を送り、ジュールも理解しつつ受け入れたのだろう。だが、今は良くても今後どうなるかは分からない。

 確かに自分の”ささやかな行動”は成功したが、それ以上の面倒ごとを生み出した気がする。いずれにしても、未来は操れない。選択肢、その責を負うのみだ。


「兄上、やはり真珠の町ヴィーユエンマルゴは止めましょう。半人の町に姫様のお名前をいただくとなると、姫様がお気を悪くされるかもしれません」

「そうか? それもそうだな」


 バルデルには分かっていた。そんなわけがない。ユニウスは今、政治をしている。


「名前は、そうですね。針鼠の巣テリ・エン・スールでいいでしょう。我々にちょうどいい」

「エネ・ジャンが気に入りそうな名だ」


 針鼠スールはその生態から「臆病者」の代名詞である。

 端的に言えば侮蔑の言葉だ。しかし、密集して槍を立てるユニウスたちの戦い方はまさに針鼠のそれであり、彼らはそれで馬も人も串刺しにする。

 針鼠は”戦う気概”さえあれば強い。


「じゃあ、”テリ”の拡張は委せたぞ」


 バルデルは素早く愛馬に飛び乗ると、別れの挨拶も無く走り去っていった。

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