第3章 『随想』にみるユニウスの少年時代
『デルロワズ公秘史』は前述した「ガイユール公による花嫁強奪の企み」から始まる。それ以前のユニウス、つまり幼時から少年期の彼の姿をそこに見ることはできない。よって本章ではユニウス本人の手による『随想』の記述を頼りにそれを再現してみたい。
<素焼きの水差し>
”私は素焼きの
この人口に膾炙した箴言は、彼の幼年時代をひもとく手がかりとなる。現代サンテネリ語の「
水差しは、他の大きな容器、あるいは水道の蛇口から液体を入れ、それを杯に注ぐための道具である。ユニウスは自身を水差しであると定義した。つまり、何者かに何かを注がれ、それを他の何者かに注ぐ存在として自己を認識していたのである。
随想の中で彼は自身の中に様々な概念がどこからともなく注ぎ込まれる様を活写している。記述によれば最初の注水は十一歳の時に起こったようだ。
当時の貴族社会では、養育した半人頭は十歳を境に群に帰されることになっていた。ユニウスもその例に漏れず、デルロワズ城下にほど近い半人の群に帰されたであろうことは想像に難くない。
公城の快適な生活から野生に近い原始の生活への追放に、しかし彼は何の違和感も抱いていなかったようだ。
”獣の私は公城の日々を忘れてしまった。それも二時ふたときにも満たぬ放逐の馬車の中できれいさっぱり忘れてしまった。当時私は「今」を生きていた。”
このような記述から、十歳までの彼は当時の標準的な半人であったことが分かる。近年発見されたデルロワズ地方の大規模な住居跡が、おそらく彼の「群」だったのだろう。
調査により復元された当時の半人住居は「長屋」の形態である。長方形の大きな建物を等間隔に仕切り、そこに半人達が起居した。大きさから考えると一部屋には五人程度が収容の限界だったのであろう。ユニウスも恐らくそこで少年期を過ごしたはずだ。
”私は注がれた最初の水を、最も身近な者に注いだ。私は半人達に名前を付けた。年を重ねたものたちにはもはや水は入らなかった。若い者だけがそれを飲んだ。”
この「最も身近な者」が誰を指すのか、歴史上の人物か、あるいは名を残さず消えたのか、議論は決着していないが、現状ではユニウスの指揮した軍の核心部隊指揮官マリー・エネ・エン・バロワを指すとの見解が定説となっている。彼女はユニウスの生涯を通して重要な腹心であり続けた。腹心に止まらず「より親密な」関係を築いていたと唱える研究者さえいる。
余談だが、読者諸兄の中にはマリーの名前が当時の貴族位を表すものであることに疑問を抱くものがあるかもしれない。実は彼女はユニウスの死後、マルグリテ女王によって女軍伯(王家が直接創設を許した軍役の義務を持つ諸侯)に封じられている。与えられたバロワの地はバ(下の)・ロワの名が示すとおりロワ河下流域に位置する小村であり、元々はマルグリテ女王の個人領の一つであった。つまり、マルグリテ王権において厚遇を受けた証である。さらに、当主あるいは後継子のみが名乗る付号「エネ」を持つことからもマリー伯本人が実権を持っていたことが分かる。半人出身であろうことがほぼ確定的なこのバロワ家が現代に至るまで直系子孫を残す大陸有数の由緒ある高家となったのは歴史の皮肉と言えるかもしれない。
さて、正体の詮索はさておき「最も身近な者」に彼が何を注いだのか、何をしたのか、それをみていこう。
”群に降りて一年が経ち、私は半人の生活に完全に染まった。半人の生活は「存在」だ。食事の心配はない。餌は世話係に用意される。我々が行うのは水くみと排泄、そして交合。それ以外の時間を小屋の隅で佇んで過ごす。思考はない。衝動がある。食べたい、飲みたい、排泄したい、交合したい。暑い、寒い。苦しい。衝動を表現する術を持たない。衝動は行動だ。食べ、飲み、排泄し、交わり、のたうち回り、死ぬ。”
現代においては完全に消え去った半人の世界を当事者が記録した、恐らく世界で唯一の論理的記述である。何も考えない生活は我々には想像できない。現代人は脳裏に常に色々な心配事を抱えて生きている。むしろそれが人々の神経を萎えさせている。第20期は神経症の時代と言われて久しい。そんな未来からの視点では、この半人たちの生活は一種の天国とさえ映るかもしれない。
繰り返される動物の如き生活を一年ほど続けたユニウスの元に最初の「注がれ」が訪れる。
”近くの小川に水くみを終え、その帰途、私は注がれた。最初の注ぎである。それは「無いものの存在」である。”
この一節は「注がれの体験」と名付けられている。人が人として存在するために不可欠なものを彼は「無いもの存在」と書き記した。ここは通例「観念」と訳される。
半人達は物体としてこの世界に存在するものの名前は理解していた。例えば「餌」「水」などだ。しかし、彼らは物体ではないある種の存在様態、あるいは状態を理解することが出来ない。例えば「平和」や「愛」、「友情」など、抽象的な観念を持たなかった。
では、名前はどうだろう。半人は物体として存在するのだから名前を理解することもできるはずと考える人もいるだろう。確かに「他者」はそうだ。では自分自身は? 我々の肉体は物である。だが、物である肉体だけが自分だろうか。読者諸兄もそう言い切れないはずだ。我々人間は自分を肉体(物体)と精神、あるいは自我(意識の集合体)として理解している。では、精神や自我といった存在は「物」だろうか。物ではない。それは一つの状態である。よって半人には「自分」という観念がない。存在しない自分に名は付けられない。よって、本章冒頭の引用をもう一度みてみよう。
”私は注がれた最初の水を、最も身近な者に注いだ。私は他の半人達に名を付けた。”
彼の他者に対する「注ぎの体験」の最初は名付けだった。少々空想を膨らませるならば、それはマリーという名だったのかもしれない。
”私は手始めに同室の少女を名付けた。彼女はそれを受け取った最初の半人、最初の人である。私は自身の機能を果たした。それまでずっと、私は注がれ続ける水差し、有用ではなかった。注ぐことで私は有用になった。”
ユニウスは恐らく、幾度とない「注がれ」の経験に圧倒され、他の半人達との違いに苦しんだに違いない。そして孤独を感じていた。それが、他者に「注ぐ」ことで解消されたのである。この名付けの経験から彼の活動は始まる。
<不正>
名付けと並んで彼の人生を決定づけた観念の一つに「不正」がある。そしてこの「不正」概念こそが、彼を思想史上の重要人物として位置づける理由となった。
”朝の餌を飲み込む。嫌なにおいの麦がゆとともに、私の身体の中に「不正」が入ってきた。その日から私は「不正」の虜となった。私の存在は不正の印である。私は不正の証拠である。私たちは不正の赤子である。”
第9期の人々の常識を支配したのは正教の教えである。正教においても当然「すべての人の平等性」が示されている。だが、それはあくまでも神という完全無欠・無限の存在からみて、王侯と庶民の差など塵芥に過ぎないという、神を視点とした考え方だった。現実問題として王侯の世界と庶民の世界は隔絶しているが、それは魔力の差を根拠に正当化されていた。生まれつき神の恩寵が得られなかったものが、得られたものよりも劣るのは「自然の摂理」であると考えられていたのだ。
ここにユニウスが示した「不正」は現実世界における不正である。
”半人は不正の証。半人と貴人を隔てるものはないが、分かたれる。故なくして我々は奪われた。”
ユニウスにとって魔力の有無を「故=根拠」とした身分の正当化は受け入れがたいものだった。第九期においてすでに彼は「魔力」概念を捨てさっていたのである。我々が「魔力」の思想を完全に捨て去るのにその後実に十期の年月を費やしたことを思えば、彼の思想の先鋭度がいかに凄まじいものだったか理解できるだろう。
不正の概念を注がれた彼は、その思索を深めていく。不正が存在するならば、それにはなんらかの根拠があるはずだ。そう考えた彼は色々と仮説を立てていく。
”血の有無が人を分かつことはない。同じ血を受けたヌビは明らかに違う。ヌビは理解しない。半人の子が私の注ぎを受ける。”
ヌビとは、先代の半人頭の名であろう。半人頭は主人となる貴族の父と半人の母の元に生まれる。つまり、デルロワズ当主の血を受けている二人を比べたが、ヌビは完全な半人であった。一方で貴種の血を引かない完全な半人の子の方が、ユニウスの注ぐ観念を理解した、というのである。
<言葉>
一人思索を深めた彼は、観念こそが世界を構築するという一つの結論に至る。
”我々は言葉である。我々は言葉によって分ける”
構造言語学者の唱える「言語構成論」はユニウスのこの言葉を発想の端緒としている。その影響は構造言語学の始まりとも言える『言語・世界における機能』(1922)を表した言語学者フェルノ・ジュルの博士請求論文がユニウスの『随想』を主題としていたことからも分かるだろう。
言語以前、人は世界を「一つの塊」として認知する。我々はその一部を、名付けによって切り分ける。例えば書き物机の上に乱雑に置かれた筆記具と紙があるとする。言語を持たぬ人はそれを「一つの景色」と捉える。しかし、「机」「筆記具」「紙」と名付けが為された瞬間に景色は分化する。おおよその考え方はこのようなものだ。
ならばユニウスが半人頭としてユヌの名を与えられていたことは、後の彼の生涯を決定づけた要素である。名付けられたことによって、ユニウスには幼い頃からおぼろげながらにも自己と世界を切り分ける術を与えられたのである。自分はユヌであり、自分以外のすべてはユヌ「ではない」。自分が世界から切り離された状態を知るがゆえに、世界の様々な事物を個別に切り分けることができた。
つまり、当時の家畜のごとき環境下においても無数の「ユニウスになり得たものたち」が存在したのである。それは群の統率を担う半人頭達だった。前掲した引用に登場するヌビもおそらくその一人だった。しかし、世界を一つの塊として認知する群の中で、幼い頃に与えられた「名」は徐々に摩耗していく。そうしていつしか塊に取り込まれ死ぬ。半人の世界は長らくそれを繰り返してきた。
では、それら幾多の「ユニウスたりえたものたち」とユニウスを分けたものは一体何だろうか。
<注ぎと注がれ>
「
ユニウスが愛用した剣の柄に彫られた有名な言葉「貫き通さむ」は彼の軍人貴族としての事績を踏まえた意訳である。原語はただ「ヴェール」であり、主語も属詞もない原型不定詞一語である。思想史研究者ならば確実に「我、注がむ」とでも訳すことだろう。
この「注ぎ」「注がれ」行為はユニウスを巡る諸研究最大の難関と言ってよい。「注ぎ」については現代の我々にも理解しやすい概念で置き換えることができる。「教育」である。彼は水差しとして、自分に流れ込んだ水を他者に流し込んだ。言い換えれば、得た概念、知識を他者に教えたということだ。
では「注がれ」とはなにか? ユニウスが貴族の子弟であったならば話しは簡単だ。家庭教師(当時においては主に正教僧の役割であった)、あるいは父や兄など年長の男性から学ぶ行為であると考えて良い。だがユニウスは半人であった。自我すら曖昧な一つの塊として無為に存在する集団の中でユニウスは一体誰から学んだのか。半人の群に隠者が隠れ住んでいた、とする説もある。貴族としての生を捨て信仰に生きる正教信者のなかでも最も過激な形態が隠棲である。
隠者がデルロワズ領内の半人群に潜み、ともに暮らす中で一人の賢い少年を見つけ、自身の智恵を惜しみなく与えていく。これが最も無理のない仮説であろうが、批判も非常に多い。
まず『随想』にその隠者の存在は一切描かれていない。皆無なのだ。ユニウスの「注がれ」体験は常に、日常生活の中に突然現れる。ユニウスがその思想を自分の独創としたくてあえて消したと言うものもいるが、それも考えづらいだろう。『随想』は読者を想定した書物ではない。覚書、独語の類いである。さらに、第九期の常識に照らし合わせたとき、「考え方」を個人のものとする発想は存在しなかった。「考え方」が「思想」として価値を持ち始めるのはずっと後年のことである。身も蓋もない言い方をすれば、第九期の人間達にとって『随想』は「狂人の妄言を書き留めたもの」に過ぎない。ルロワ朝の柱石として軍・政において活躍したユニウスがそれを分からぬわけがないのだ。
では、ユニウスはどのように学んだのか。近年の神経医学における宗教的啓示の研究から手がかりを得た説もある。正教の聖人たちの一部は、その根拠として「神の声を聴いた」体験を挙げている。それらは右脳と左脳を連結する脳梁の異常な活性化による意識の混濁によって引き起こされる「病症」の一形態であるとするものだ。ユニウスもまた正教の聖人たちと同じく「声」を聴いたのか。
現状筆者は一応この説を採るが、批判についても言及しておこう。前述の神経症が右脳と左脳の異常な接続を原因とする以上、声は右脳であれ左脳であれ、その人間の脳内にあるものからしか出てこない。聖人達の「神の声」は、それまでの人生の中で彼らが得た様々な知識・経験を元にしている。あるいは、その知識・経験から発展した無理のない範囲での空想である。十代のユニウスが脳内に蓄積していたのはおそらくデルロワズ城内の生活と半人群のそれだけである。そこから逸脱した思考が出てくることはない。にもかかわらず、『随想』に示された多くの言葉は明らかに、当時の常識や世界観を飛び越えたものだ。それがどうやって形成されたのか、あるいはやってきたのかについて、未だ納得のいく答えは示されていない。
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