第1章 新暦第9期の社会制度

 本書は中央大陸西部における正教新暦9〜10期の社会的変革を主題とする。

 現代の我々の多くが、その野蛮な風習と未発達な社会・経済構造を指して憐憫とともに「揺籃の時代」「お伽噺の日々」と見做す中期代だが、実はこの時代はまさに、現代の我々がその恩恵を享受している様々な技術、文化、そしてそれらを支える価値観が発芽した、文字通りの意味での「揺籃期」であった。にもかかわらず、正確な資料を元に”新たな価値観”とその社会的影響を概説した書物はほとんどない。本作が現状の無理解と無関心を改善する一助となることを期待したい。




 <半人の乱>


 筆者は本書をある小さな事件から語り起こしたい。

 手始めに、高等学校の最終年、大学入学資格試験を控えた生徒達が手に取る『世界史用語集』における当該事件の説明を引いてみよう。


 半人の乱 822

 ユニウス(ユヌ)・エン・デルロワズを首謀者として、ルロワ朝期のサンテネリ王国で発生した反乱。サンテネリ統一戦争の最中、待遇改善と地位向上を目指し一部半人が団結して武装化。平民、貴族の一部が同調するに至り争乱が発生した。ユニウスの死後、乱は鎮圧された。

(世界書房『世界史用語集』)


 サンテネリがまだサンテネリとして統一国家を形成する以前、この地域はルロワ家の王権の元、数百の諸侯が緩やかに連衡する世界だった。諸侯達は互いに戦い、婚姻し、宴席を設け、無数の関係性を構築していた。王家たるルロワ家も後年の強大な権力を保持するにはまだ力不足であり、いうなれば「諸侯の首位」に過ぎない。つまり、新暦9期のサンテネリは典型的な「揺籃の時代」である。

 上述した半人の乱はその時代の「お伽噺の一つ」に過ぎない。現代の我々は、半人の解放と社会への吸収をもたらすこのような反乱、そしてより地道な社会改革の実例を数多く知っている。であるがゆえに半人の乱は企図の未達成をもって後に続く諸改革よりもその価値を減じられている。

 だが、実際のところ、半人制度の改革と正教改革、そしてサンテネリにおけるルロワ王権の確立と国土の統一、これら全ての出来事は、この小さな、さざ波とも言える事件に何らかの端緒を持つ可能性が高い。


 822年は「微笑女王」マルグリテ・エネ・エン・ルロワの治世が始まる前年にあたる。

 マルグリテ女王の政治的事績の重要度がサンテネリ国史の中に燦然と輝く一方で、彼女が”なぜそうしたのか”を考察する研究は少ない。当時の社会情勢から否応なく引き出された必然の帰結として理解されるのが一般的である。

 ただ、その理解の大部分が正当であることを認める一方で、筆者はマルグリテ女王の”個人的動機”にもまた探求の光が向けられてしかるべきであると考える。半人の乱は明らかに女王個人の思考と性格に多大な影響を与えている。まだ二十代の宮城奥深くで育てられた若い一女性、何事もなければ弟グロワスの即位後、どこか(それはサンテネリ諸侯かもしれず、場合によっては帝国皇帝かもしれなかった)へ嫁ぐことが運命づけられていた女性である。生来の聡明さと母后の与えた優れた教育を加味したとしても、後の偉大な統治の力、政治力を手にする術は本来なかったのだ。


 半人の乱の重要度を示すもう一つの理由は乱の首謀者ユニウス(ユヌ)・エン・デルロワズの存在にある。現代では思想史・教育思想史においてなじみ深い人物であるため、読者の中にはここで名前が挙がるユニウスがあの思想家ユニウスと同一人物であることに驚く者もいるだろう。

 彼が残した『随想』は極めて抽象的な観念の羅列である。思想史研究者たちは「まるで時代の障壁を幾重にも飛び越えたような」とその内容を評価する。「揺籃の世界」にそぐわぬ考えを持った思想の天才(文字通り、天から才を与えられた者としての)である彼はもう一つの顔を持っていた。同時代人の残した日記をひもといてみると、むしろそのもう一つの顔こそがユニウスの「当時の顔」である。思想家としての彼が歴史に現れるのは十期の終わり、サンテネリ統一戦争終結後の”発見”を待たねばならない。

 九期初頭の社会を一町人の立場から活写した『ジョズの日記』に当時のユニウスの記録が残っている。


「樅の木通りを凱旋するデルロワズの軍勢を見る。名高い三兄弟をこの目で見られたことは神の恩寵である。この世の中心サン・シュトロワ(※現サンテネリ首都の別名)を悪鬼より護ったのは明らかに彼ら、中でも三男ユニウス殿の御手柄であろう。ユニウス殿の魔力は際立って、沿道の端に立つ私のところまで届いてあまりある。」


 ルロワ王家とガイユール大公家の争い、その後の対帝国戦において活躍した有能な武将としての一面がそこには記されている。

『日記』中にあるデルロワズとは最大のルロワ方諸侯の一つである。デルロワズは王家の縁戚でもあり、その跡継ぎたちは、王族、つまりマルグリテとグロワスの姉弟と幼時から面識を持っていた。弱体化しつつあった当時のルロワ王家がデルロワズ家との関係性を極めて重要なものと認識していたことは想像に易い。一次資料を欠くものの、両家の子息・子女たちが「面識」の範囲を超えた交流を持っていた可能性は大いにあるだろう。


 つまり、半人の乱はサンテネリの歴史に名を残す二人の著名人、マルグリテとユニウスの運命が交差した歴史上希有の出来事なのである。




 <貴族・人・半人>


 半人の乱を理解する上で欠かすことの出来ない要素はいくつかある。その中でも最も重要なのが当時の社会を構成する身分構造であろう。読者諸兄が想像するように、当時の社会は貴族シュルオンを中心に成り立っていた。シュルオンはサンテネリ古語で「オンシュルに立つ者」を指す。

「諸民族のうねり」を終えて様々な民族がそれぞれの領域を確定する中で、部族の指導者、あるいは軍事的に指導的立場となった個人が、その支配地を実効的に相続することによって初期の貴族は生じた。小さな(武装した)村の長はやがて領主となり、領主達は幾多の角逐と婚姻によって統合と間引きを繰り返す。最終的にある程度の規模(配下に十未満の小村を従え居城シュトゥールを持つ)に至った彼らは一つの階級として明確に歴史の中に登場したのである。

 貴族たちは自領の村、あるいは大領であれば街に住む自由民オンを従えていた。

 自由民はおよそ全ての社会的活動の担い手であった。彼らが行うことができない活動はただ一つ、軍事である。

 自由民は貴族たちの支配下にあったが奴隷的拘束を受けることはなかった。実体として支配されてはいるものの、建前上の、つまり存在の平等性は正教によって保証されていた。

「神の御裾の元に人は皆等しい」。正教の根源となる教義(時に都合の良い政争の道具として扱われることもあるが)は、まだ宗教の力が人々の生活を強く拘束した第九期にあっては十分な効力を持っていた。

 そして最後に半人デオンの存在である。旧来の歴史研究においては、あるいは現在でも半人に「奴隷」や「奴婢」といった語を当てることが多い。現代サンテネリ語において「軍隊」あるいは「軍人」を表す”デオン”と同音となってしまう(軍人の語が半人に起源を持つことが近年の研究で分かっている)混乱を避けるためでもあるが、非常に実際的な問題として、現代人が理解することが難しい、ほとんど不可能に近い存在様式だからである。

 この半人概念の理解は半人の乱に限らずおよそ中期代の全ての出来事を正確に理解するために不可欠である。




 <半人>


 デオンは「半分の」を意味する古サンテネリ語の接頭辞「デ」を「オン」(人)に重ねた言葉である。文字通り「半分の人」。逆に言えば半分は人ではない存在である。つまり、端的に言えばオンと見做されぬ人たちの一群を指す。

 彼ら半人の集団がどのようにして形成されたのか、正確なところを知ることは不可能に近い。彼らはもちろん文字など持たず(当時貴族や自由民の多くも文字を読めなかったのだが)、唯一の記録と言えるのは正教会の僧侶たちが書き残したものだけである。「諸民族のうねり」によって征服された現地の人々がその先祖とも推測されるが確たる証拠は存在しない。

 よって、彼らがどのような存在かを知るための一次資料として、著しい偏りを承知の上で正教の書物からひもといていこう。


「サンテネリはもとよりこの大陸のどこにおいても、半人は虐げられるべき存在ではない。哀れみ、慈しみ、大切に扱い、導いてやるべき種である。半人は神の恩寵たる魔力を持たず、必然的に知性を持たない。獣の生を過ごす。それは人からすれば悲劇だが、神の編まれた運命の結果に過ぎない。人は皆、半人の生を与えられる「可能性」があった。だからこそ、自分たちに代わってその過酷な運命を引き受けた半人たちを慈しむべきである。」


 当時の正教は半人についてこのように説明している。また、こんな教説も残されている。


「正教を奉ずる領主は半人の群を保護し、繁殖させる義務を負う。高貴な義務である。また、平民が半人を所有するなら”家族のように”愛を注ぎ、慈しむべきである。半人をむやみに害する行為は神の御業の否定であり、涜神である。」


 つまるところ半人は愛玩動物のような存在である。「奴隷」や「奴婢」は社会の中で労働力としての価値を持つが、半人はそれすらも持たない。人の形をしているが自我を持たない獣である。時代や地域によっては糞尿の処理や死体の運搬など極めて単純な労働を課されることもあったようだが、一般的にはただそこに存在するだけが存在意義であるといった、現代の常識から見れば誠に不思議な階級である。厳密に言うならば家畜とさえ比べられない。彼らの死体が人の食卓に上がることは決してなかったからだ。彼らは半分人ではなかったが、もう半分は人なのである。

 では、このような存在を社会が許容する理由はなんだろうか。二つの理由が定説として挙げられる。

 まず、半人は正教における「生贄」として価値を持ったというもの。当の正教会がそう述べているのだ。つまり、自由民や貴族が背負うべき運命を肩代わりしたものたちである、と。

 次に、こちらは現代の我々にもなじみ深い「見栄」の問題である。労働に寄与しない半人を「飼育」することは、主人の財力の誇示と等しい。現代の富豪たちが日々の生活には使い道のない宝石に気の遠くなるようなお金をつぎ込むのと同根の論理である。宗教心の減退著しい現代にあってはこちらの説明の方が納得を得られやすいかもしれない。


 上記の定説に加えて、近年構造歴史学の分野から唱えられるようになった新説は紹介に値するものだろう。

 簡潔に述べれば、半人の制度はある種の人口調整機能として働いた、というものである。

「諸民族のうねり」を超えて社会が安定期に入ると大陸の人口は大きく上昇に転じたが、その人口を養うだけの農業技術は未だ未発達な状態にあった。そんな中であえて「食料を消費するだけの無意味な存在」を抱えることにより、社会は半ば強制的に人口増加を抑えざるを得なくなったのである。また、食料が不足した際には半人たちの食料分を自由民に振り分けることで損害を減ずることも可能であった。半人は労働力を持たないがゆえに、その数が減っても、つまり餓死しても社会の労働力低下を招かずに済む。ようするに、人口の調節弁である。




 <社会における役割の固定と厳格化>


 戦いを担う貴族シュルオン、生産を担う自由民オン、生贄・虚栄・人口調節弁の役割を担う半人デオン

 この三つの階層は「諸民族のうねり」が静まった第7期から第8期にかけて完全に固定化した。自由民が戦いに赴くことはなく、貴族が生産活動に従事することはない。そこには完全な区別が存在した。

 半人は別として、貴族と自由民の間には本来的な差はなかった。そして正教会も平等のお墨付きを与えていたにもかかわらず、この二つの階級を移動した存在はほとんど確認されない。

 この分化された階層の頑強さをもたらしたものは一体なんだろうか。


 その答えを与えるのが「魔力」の概念である。

 中期代において、人は各自がそれぞれ神から与えられた「魔力」を持つ、と信じられていた。では「魔力」とはなにか。


 正教の定義において魔力とは人を従える力である。

 人は魔力の量によってこの世界に居場所を得る。より大きい魔力を持つ者はより多くの人間を従え、より高い地位を得る。

 王侯貴族たちは当然のこととして、人である以上自由民達も小さいながら魔力を持つ。商売をするのも畑を耕すのも魔力があるから出来ることだ。

 王や貴族はその大きな魔力によって自由民を従え、平民はその小さな魔力によって自由民同士協働する。自由民間での魔力量はほとんどが横並びであったから、あるときは相手に従い、あるときは従わせる、といった形で互恵の状況が生まれる。

 魔力とは神が人に与えた魂の総量である。それゆえ世界には身分が存在し、秩序が生まれる。

 そして、魔力を持たない人間は人間とは認められない。人の器に獣の魂を宿したもの。それを人々は半人と呼称する。


 では「人を従える」とは何か。

 人は自身の生物的欲求を生まれながらに持つ。生命維持と身体的快への志向である。それらが抑制なく野放しにされればこの世は獣の世界になってしまう。獣の世界をもたらす欲、すなわち「獣欲」。そう正教は教える。

 獣欲を何らかの力で押さえ込み、皆が「本能的に嫌なこと」をしなければ社会は構成できない。その何らかの力こそが魔力である。

 つまり、魔力とはより正確には「獣欲を押さえ込む力」であるといえる。そして、押さえ込む対象は他者だけではなく自身にも向かう。

 自分の獣欲を自分で押さえ込む魔力を持つからこそ高貴であり、人を従えうる。それこそが貴種の貴種たる根拠なのだ。


 この自己に向かう魔力が端的に表れるのが戦争である。

 自己の死への忌避という最も強い獣欲は、よほど強大な魔力を持たない限り抑え込めない。欲求の量が魔力量を上回ってしまえば、取れる行動は一つしかない。

 逃走である。

 ゆえに戦争は高貴な者の責務である。

 強大な魔力量を誇り、死への忌避を押さえ込める貴種のみが戦闘員たり得る。

 貴種に比して少量とはいえど、平民たちの中でも比較的魔力が強い者は弓射や投石など可能な限り直接戦闘から遠い部分を受け持つことがあるが、その数は多くない。

 よって、そもそも魔力自体を持たない半人は戦闘には使用できない。

 自身の欲求を抑え込む魔力を持たない以上、他者の働きかけによって駆り立てるしかないが、死への忌避を克服させるほどの影響力を行使するためには凄まじい魔力量を必要とする。膨大な魔力量を持つ一部の王族であれば理論上可能であるが、実現した事例は過去に存在しない。そう言われていた。


 このような「魔力」の概念は現代の我々からするととても納得がいくものではない。因果が逆転していると感じるのが普通だろう。ただ、問題は現代の我々がどう感じるかではない。当時の人々、第9期を生きた人々はこのような論理を土台に生を送ったのである。

 この一事を以て、中期代の人々を「知的に劣っている」と考えてはならない。人は時代の支配的概念、いわゆる常識に支配される。たった百年前、我々の祖父母たちは「大気中には目に見えない物質が大量に、隙間なく詰まっている」と信じ込んでいた。それが「常識」だったのだ。程度は違えど同じ現象が中期代の人々にも現代の我々にも起こっている。そう考えるべきだろう。


 半人の乱が勃発した第9期初頭の基本的な社会構造は以上の通りである。次章からはいよいよ乱の登場人物たちに焦点をあてていきたい。

 ただし、当時の出来事を物語る資料は残念ながらまことに少ない。よってその基軸となる筋書きは半人の乱より半期も過ぎたあたり巷間に流布した書物『デルロワズ公秘史』を典拠とする。この作品は作者不詳の庶民向け芝居の脚本である。刊行の年代を見ても、乱時の登場人物たちに実際に出会う、あるいは事件の渦中にあった人物とは考えがたいが、一方でその内容の随所に見られる知見や思想は、作者が極めて高位の貴族、あるいはそれに仕える者であった可能性を示唆している。

 研究者の中には、この書物はマルグリテ女王その人の日記を元にしていると主張するものもいる。ただし、筆者はその意見に賛同する立場ではない。『公秘史』は9期後半から10期初頭を生きた庶民たちの涙を絞る悲恋を物語るが、もしそれが真実であるとすれば、当時の貴族社会の常識から考えてマルグリテ女王の極めて深刻な醜聞の暴露であるともいえるものである。もし仮に『公秘史』に描かれたような出来事が事実であったとしても、彼女がそれを文字として書き残すことはまずなかったであろう。

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