(19)全部奪って、一緒に逃げたら
静か、とはほど遠い。館内は人でごった返している。
親子連れ。カップル。いつもの私みたいに、1人で来ている人。いつもの静謐な空間は壊されて、この瞬間をただ楽しく消費するだけの人たちで埋め尽くされている気がした。
みんなの思い出が、少しだけ濁ってしまえばいい。
そんなことを思う自分に、びっくりした。
最初は朝日との思い出を作るためだった。2人の忘れられない思い出ができるなら、クラゲじゃなくてもよかった。クラゲにしたのは、たぶん嫌がらせだ。私が嫌いなクラゲへの。クラゲを好きだと聞いていた、誰かへの。
それが、いまや目的と手段がひっくり返っている。なにがなんでも、今のこの場からクラゲを消してやりたい。それは、今ここで私の大切なものを塗り替えようとしている人たちへの意趣返しで、ここ数日でぐるぐる変わった私を取り囲む世界への抵抗で、思い通りにはならないんだろう未来への攻撃で。
水族館にくると、時間が止まってくれるような気がした。
流れる水。ひんやりとした空気。悠然と泳ぐ魚。ぴくりとも動かない深海魚。そして、水流にその身を任せ、ふわりゆらりと漂い、あてもなく、思いもなく、優雅を体現する海底の月——。
クラゲは嫌いだ。
でも、どうしたっていつも、その場所で足が止まる。
ガラスのように透き通る体に、心を埋め尽くしていたモヤモヤを吸い取られた。くるくると流れに乗る気楽さに、肩の強ばりを奪われた。目も口も見えないのに生きている、そんな事実が何回も背中を押した。
嫌いだ。私を変えようとするものが。変わっていくものが。
全部奪って、一緒に逃げたら、朝日のなかで今日は楔のように、深く深く刺さって彼女をとどめてくれるのだろうか。
それとも、今日も長い人生の1つとして、消費されるのだろうか。
私は、朝日が好きだよ。
今までと同じように、これからもずっと、一緒にいてほしいよ。
一歩先を歩く朝日のうなじを、じっと見つめる。
でも、朝日はいつもいつも、変わるよね。流れに身を任せつつ、いつの間にか自分が流れを生み出して、最後には渦の真ん中で楽しそうに笑っているよね。
私は、どうすればいいんだろう。
「これ……どうしよ」
不意に立ち止まった朝日の背中にぶつかる。謝りながら、肩越しに朝日の視線を追うと、クラゲブースは人でぎゅうぎゅう詰めだった。
「これ、ドローン放れなくない?」
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