(2)とは、聞けなかった
「もしかして、大変なことでも起きるんですか?」
「なんで?」
お姉さんはきょとんとしている。
チケット売り場を抜け、2階に上がり、海の見える渡り廊下を通る。ここから眺める海は好きだ。みんなが足早に抜ける場所で、私だけが贅沢に時間を使う。そんな特別感と優越感に、よく浸りたくなる。
「過去に来る理由って、歴史を変えたりとか」
「あなたって、温泉旅行に人生の転機を求めるタイプ?」
「時間旅行って、私が熱海に行くレベルなんですか」
「未来ではね、そうなの」
嘘か本当か、たぶん嘘だろうけれど、お姉さんは呑気にそう言った。
「地元の海って言われても、ピンとこないよね」
水族館に入ると、まず相模湾ゾーンが広がっている。
「私は好きですよ。吹き抜けの感じとか、トンネルとか。シラスも可愛いですし……大人になったら、嫌いになるんですか?」
「あれ、好きだったっけ?」
「この水族館で嫌いな場所なんて、1つくらいしかないです」
「覚えてないなぁ。20年前のことだもんなぁ」
1階と2階を貫く大きな水槽を、トンネルのように眺めながら下れるスロープで、お姉さんはケラケラと笑った。小さい子どもが水槽にひしっと張りついて、優雅に泳ぐ魚たちを真剣に観察している。
なにかで聞いたが、私たちが魚を見て楽しむように、魚も、水族館に訪れる人間を観察して楽しんでいるらしい。いっとき、来客が少なくなった時期に、魚たちが元気をなくしたという話だ。
私は水族館で、学校や友人関係やバイトや家族のことですり減らしたなにかを、補給させてもらっている。だから、魚たちもまんざらではないのだと知って安心した。もらってるだけでは申し訳ない。私たちはお互いに補い合う、対等な関係なのだ。
「20年後から来たんですか?」
「だいたいそのくらいかな。なんでなんで? 未来の話、気になる?」
「私とお姉さん、全然似てないですね」
はじめて会ったときから思っていた。いかに20年が、今まで私が生きてきた以上の年月だったとしても、ここまで顔は変わらないだろう。
面影があるとあえば、あるのかもしれない。目尻とか。自分の顔に面影がある、というのも変な話だが。
「ええとええと、整形?」
「私、整形するんですか」
「する。したんだよ」
「こんな感じになるなら、しないと思いますが」
「失礼な! するからね! 未来は絶対なんだから!」
深海ゾーンを抜け、その先のクラゲゾーンも、足早に通り過ぎようとした。
「待って待って。ねぇ、クラゲ見ないの?」
くらっとした。
「20年で何があったのか知りませんが」語気が強くならないよう、深く息を吸い込む。「そこが唯一、私が嫌いな場所です」
驚く、と思ったのにそんなことはなく、お姉さんはただ、泣きそうな顔をしていた。
私はその場を後にする。よくわからないし、わかりたくもない。今はそれどころじゃない。これが最後の夏なんだ?
だから、私のお母さんですよね、とは、聞けなかった。
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