第2話 side チェスター

 オリヴィアと私は生まれる前からの付き合いがあった。

 隣り合わせの領地、両親同士が学生の頃からの親友であり、その双方の両親たちは私たちが生まれた後、自覚するより早く結婚をさせるつもりだったらしい。

 私もオリヴィアも活発な方ではなかったこともあり、穏やかな幼少期を共に過ごしてきた。

 人見知りをするオリヴィアが私にだけ可愛い笑みを見せるのが好きだった。

 私がうっかり転んで怪我をすれば私の代わりに泣き出す彼女が幼いながらも愛しく思っていた。

 オリヴィアもまた拙い言葉で「チェット、好きよ」と頬を染めていた。

 私とオリヴィアは結婚するはずだった。


 それが覆ったのは傲慢で我儘なアルベルト王子殿下の一言だった。

 本来であればあの王子殿下のための茶会にオリヴィアが参加する必要はなかった。

 子息たちは将来の学友側近を決めるための茶会であり、そこに集まる令嬢たちはアルベルト王子殿下の婚約者候補であった。

 私と結婚を両家で取り決めていたオリヴィアは参加するはずではなかったのだが、婚約者というものが理解出来ないアルベルト王子殿下が私とオリヴィアの話を何処かからか聞き付け、オリヴィアの登城を命じやがった。


 元より人見知りをするオリヴィアは将来私がアルベルト王子殿下の側近になるかもしれないからと説得され、私から離れないことを条件に茶会に参加させられた。


 最初から嫌な予感はあった。

 オリヴィアを見た瞬間からアルベルト王子殿下の目はずっとオリヴィアを追いかけていた。

 会場に入った時から、拙いカテーシーをするオリヴィアをジッと見ていたアルベルト王子殿下の視線に耐えかねたオリヴィアが私の背に隠れた。

 あの時の目を忘れたことはない。

 牽制と確認を込めて「十歳になったら婚約するんです」と私が言ったあと、オリヴィアが「チェスターのお嫁さんになるの」と口にした時のアルベルト王子殿下は見たこともないほど醜悪な貌をしていた。

 オリヴィアを背に庇いながらの茶会はいつも以上につまらなく、早くオリヴィアを連れて帰りたいとさえ思っていた。

 そしてあろうことかアルベルト王子殿下はオリヴィアを指差しながら「オリヴィア!お前は今日から俺のこんやくしゃだ!」と宣ったのだ。

 真っ青な顔で今にも泣き叫びそうなオリヴィアを支えながら、アルベルト王子殿下に先の言葉の撤回を求めたが、彼は得意満面という表情で茶会の会場から去っていった。

 慌てて駆けつけた私とオリヴィアの両親たちが何度も掛け合ったが、アルベルト王子殿下に甘い王妃陛下は強請られるがままオリヴィアをアルベルト王子殿下の婚約者に据えた。

 そして私とオリヴィアはあの日から言葉を交わすことさえ許されない間柄になってしまった。


 それから先はただ耐えるだけの日々が続いた、笑わなくなった泣かなくなったオリヴィアが時々人気のない王宮の廊下ですれ違う一瞬だけ、私に向けてひっそりと微笑む。

 足を止め言葉を交わすこともできない、粗暴な物言いでオリヴィアを振り回すアルベルト王子殿下に唇を噛んで睨め付けていた。

 正直、この頃には既にアルベルト王子殿下への王家への服従心など一欠片も残っていなかった。

 ただ、この傍若無人なアルベルト王子殿下の傍に居ればオリヴィアをギリギリででも守れる。

 せめて見守るだけでも傍に居たかった。


 数年が過ぎ、学園入学が近くなる頃、アルベルト王子殿下が私たち側近候補に不満を漏らした。

 「オリヴィアは可愛げがない、愛想笑いすらしないつまらない女だ、何故次期王の俺があんな女と婚約していなければならないんだ」

 目の前が真っ赤に染まった。

 巫山戯るな!貴様のせいだろう!

 彼女から笑顔を奪ったのは貴様だろう!

 大事に出来ないのなら返してくれ、私にオリヴィアを返してくれ!

 私だけではない、あの日茶会に参加していた、オリヴィアとアルベルト王子殿下の婚約の経緯を知る側近候補の令息たちも唖然とし、そして心配そうに私を見た。

 「せめてあの人形みたいな顔を歪ませてみたいもんだな」

 くつくつと笑うアルベルト王子殿下へ怒りでどうにかなりそうだった。

 でも、そうか。

 大事に出来ないのなら、返してもらう。

 私はその日帰宅するなり父の書斎を訪ねた。


 それから長い時間をかけて私の計画が始まった。


 まず最初にしなければならなかったのはアルベルト王子殿下をオリヴィアから引き離すことだった。

 丁度折良く学園入学の時期でもあり「ヤキモチを妬かせてはどうか」とアルベルト王子殿下に提案した。

 目論見通り、アルベルト王子殿下は寄ってくる女子生徒を侍らせ始めた。

 当然周囲から持ち上げられ調子に乗ったアルベルト王子殿下は機嫌を良くし、オリヴィアに目を向ける時間が少なくなった。

 同時にあの日茶会にいた本来の婚約者候補だった令嬢たちはオリヴィアを不憫に思っていたらしく、アルベルト王子殿下が侍らす下位貴族の令嬢たちの妬み嫉みから守る防波堤となってくれた。

 私から頼む前に、有力候補であった侯爵家令嬢が私にそれを伝えに来た。

 彼女は私の計画に気付き協力を申し出てくれたのだ。

 アルベルト王子殿下の素行が広く知れ渡る程、オリヴィアの味方はひと知れず増えていた。


 そうしてゆっくり次の段階へ進めた。

 幾ら令嬢たちを侍らせても動じないオリヴィアにアルベルト王子殿下が焦れた頃、学園で王族用に割り当てられた執務室の本棚に態々目につき易いよう小細工をして市井で流行りの平民あがりの令嬢が紆余曲折しながら王子と結ばれるロマンティックな成り上がりストーリーの下世話な小説を置いておいた。

 予め調べておいた似た境遇の令嬢が来年度から編入してくると知っていたからだ。

 私はアルベルト王子殿下を上手く誘導しながら編入生であるアイラ嬢とアルベルト王子殿下が顔を合わせる機会を増やした。

 野心があったのだろうアイラ嬢は此方が手引きするまでもなく、積極的に動き出した。

 アルベルト王子殿下がアイラ嬢と親密な関係になる頃には私の計画はほぼ完遂に近くなっていた。


 卒業式典で婚約破棄をするとアルベルト王子殿下が言い出した時は、思わずガッツポーズをしそうになった。

 私は直ぐ父に連絡をし、父はオリヴィアの両親へと話を持っていった。

 ただ婚約破棄をさせればいいわけではない、オリヴィアには最後に一度だけ協力をして貰わなければならない。

 アルベルト王子殿下に「真実の愛」という言葉を刷り込む。

 オリヴィアは半信半疑ではあったが、父を通して協力をすると短い連絡があった。

 「チェットを信じてるわ」

 そう短い文面に添えられた言葉に泣きそうになる。

 さあ、後少し。

 あの日奪われた私の最愛を返して貰おう。


 卒業式典には卒業生に在校生、卒業生の保護者が来ていた。

 壇上でアルベルト王子殿下が得意満面にオリヴィアへ婚約破棄を突きつける。

 やってくれた。

 長かった、

 「殿下、私のために真実の愛を口にして婚約破棄をしてくれたのですね」

 オリヴィアが泣きながらアルベルト王子殿下に告げる。

 「矢張り殿下はお優しい、本当にありがとうございます、殿下の言葉に甘えて私も真実の愛に生きたいと思います」

 オリヴィアが言い終わる前に私は静かにオリヴィアに歩み寄り、オリヴィアの肩を抱いた。

 「オリヴィア!ああ!殿下ありがとうございます、これでやっと私もオリヴィアに愛を伝えることが出来ます」

 アルベルト王子殿下の顔から色が消えていく。

 思い出したか?

 オリヴィアが誰のものだったか。

 青白い顔に焦りを滲ませるアルベルト王子殿下に撤回などさせてたまるかと私は膝を着きオリヴィアの手を取った。

 薄っすら頬を赤く染めるオリヴィアはあの頃より益々美しく成長していた。

 「オリヴィア、長く待たせてしまったね、やっと言えるよ……オリヴィア=モンステラ嬢、私と結婚して欲しい」

 「チェスターさま、はい、喜んでお受けします」

 私はオリヴィアの返答に立ち上がり彼女を抱きすくめた。

 腕の中で柔らかく微笑むオリヴィアに小さく「もう大丈夫だよ、頑張ったね」と呟くと、オリヴィアの瞳からひと雫涙が流れた。

 私はオリヴィアを抱きアルベルト王子殿下から隠すようにしながら壇上を見上げた。

 「殿下、殿下の広く寛大なお心に感謝致します、この先騒ぎを起こした殿下には辛く険しい道が待っているでしょう、お互い真実の愛を胸に進みましょう」

 驚き口をパクパクとするアルベルト王子殿下へ思わず笑みが溢れた。

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