【完結】婚約破棄に潜む悪意【短編】
竜胆
第1話 side アルベルト
皆より高い壇上から周囲を見渡す、今年卒業したばかりの若い貴族子息女が三百人ほど、さらにその保護者たち。
ザッと千人近くは居るだろう。
俺は深く息を吸い込み、その群衆の中の一人を指差した。
「オリヴィア=モンステラ!今この時をもって貴様との婚約を破棄する!」
そう告げながら俺の横に立つピンクブロンドの愛らしい少女の肩を引き寄せた。
「俺はアイラと出会って真実の愛を知った!貴様のように嫉妬に狂ってか弱いアイラを虐めるような奴とは違う!」
オリヴィアはブルーアッシュの髪を揺らすこともなくピンクトパーズと揶揄される瞳で俺を見据えた。
人形のように動かないオリヴィアの表情はこんな時にもピクリとも変わらない、それを憎々しげに見た。
「真実の、愛……ですか?」
長い沈默の後オリヴィアが良く通る声でそう俺に問うた。
「ああ、そうとも、アイラは俺の真実の愛だ、俺はこの先の長い人生を真実の愛であるアイラと共に歩くのだ!だから貴様との婚約はここで破棄する!」
ざわりと周囲から動揺した声がヒソヒソと聞こえる。
オリヴィアは俯くと「殿下、ありがとうございます」と小さく呟いた。
唖然とする俺に向かい顔を上げたオリヴィアはポロポロと涙を流していた。
突然のオリヴィアの涙に動揺したのは俺だけではなく傍のアイラや周囲の観衆も同じだ。
「殿下、私のために真実の愛を口にして婚約破棄をしてくれたのですね」
「は?」
「矢張り殿下はお優しい、本当にありがとうございます、殿下の言葉に甘えて私も真実の愛に生きたいと思います」
オリヴィアが言い終わるか終わらないかのうちに俺の背後から人影が飛び出した。
「オリヴィア!ああ!殿下ありがとうございます、これでやっと私もオリヴィアに愛を伝えることが出来ます」
飛び出したのは筆頭公爵家嫡男であり俺の側近の一人でもあるチェスター=レッドスターだ。
黒髪にレッドスター家特有の赤い瞳のチェスターがオリヴィアを抱き締めている。
何が起きたかわからない。
理解出来ない状況に呆然としていると目の前でチェスターが膝をつきオリヴィアの手を取った。
「オリヴィア、長く待たせてしまったね、やっと言えるよ……オリヴィア=モンステラ嬢、私と結婚して欲しい」
「チェスターさま、はい、喜んでお受けします」
そのまま抱き合う二人を俺はただ黙って見ていた。
何だ?何が起きた?
俺の視線に気付いたチェスターがオリヴィアにわからないように俺を目を細めて見た。
「殿下、殿下の広く寛大なお心に感謝致します、この先騒ぎを起こした殿下には辛く険しい道が待っているでしょう、お互い真実の愛を胸に進みましょう」
ゆっくりゆっくりとチェスターの目が弧を描く。
その時になって漸く俺は自分がチェスターに騙されたのだと気付いた。
※※※※※
オリヴィアと初めて会ったのは遊び友だちとしてチェスターを始めとした同じ歳の子供が集められた茶会の何度目かの時だった。
まだ六歳だった俺たちの前にチェスターの背中にぴたりとくっついて少し背の低いオリヴィアが茶会に参加した。
「十歳になったら婚約するんです」
「チェスターのお嫁さんになるの」
そんなことを言っていた、チェスターにだけ向ける笑顔に苛々としたのを覚えている。
その後ら幾ら俺が話しかけてもオリヴィアはチェスターの顔を見るばかりで、俺の問いかけにはオリヴィアではなくチェスターが代わりに答えていた。
その様子が気に入らなかった。
意味も知らない婚約者というものにその場で癇癪を起こした俺がオリヴィアに命じた時、チェスターは必死に考え直してくれと懇願しオリヴィアは泣いていた。
いつも取りすましていたチェスターが焦る様に悦を覚え、泣くオリヴィアを連れて母である王妃陛下に「オリヴィアを俺の婚約者にする」と宣言した。
それからオリヴィアはチェスターではなく俺の少し後ろが定位置になった。
泣きも笑いもせず、ただ人形のようにそこに居るだけ。
最初こそ心配そうにオリヴィアの様子を伺うチェスターに優越感を覚えていたが、そのうちそんなことも忘れて俺はオリヴィアにもチェスターにも飽き飽きとしていた。
表情を変えることもない、他の誰ものように俺に話しかけてもこない、そんなオリヴィアが疎ましくなってきた頃、貴族王族が十五歳から三年間通うことが半義務付けられている学園に入学した。
いつ頃だっただろう、オリヴィアのあの無表情な顔を歪ませたいという仄暗い欲求に、あれは確かチェスターだった。
チェスターが俺に言った。
「ならば親しい異性でも作れば如何です?」
「嫉妬させようというのか?ふん、悪くないな」
俺は周囲に寄ってくる子女を追い払うことなく、彼女たちが擦り寄るのを許した。
しかし、オリヴィアはそれを無表情に一瞥するだけで、嫉妬などひとつもすることはなかった。
「殿下の本気度がバレているのでしょう」
そんな話をしていた頃、偶然学園で王族にのみ充てられた特別室の本棚に市井で流行りの恋愛小説を見つけた。
心を揺さぶる真実の愛がテーマの恋愛小説を読み、チェスターの言う本気度とはこういう相手でないとダメなんだなと納得した。
学園も三年目になった頃、市井育ちという下位貴族の子女と知り合った。
ピンクブロンドのふわふわとした髪は肩にかからない位置で切り揃えられ、大きな青い瞳が印象的な彼女はアイラと名乗った。
最初こそ馴れ馴れしさに嫌厭したがコロコロと変わる表情が今まで見てきたどの貴族の娘とも違って、気になるのに時間はかからなかった。
そんな頃、またチェスターが俺に耳打ちをした。
「特定の相手と距離が近いって、やっぱり気になりますよね」
世間話として会話に織り交ぜられた言葉に、相変わらず人形のようなオリヴィアが嫉妬をするはずと、アイラが俺に侍ることを許した。
時折オリヴィアが俺とアイラを見ているのに気付いて、尚更アイラとの時間を取るようになった。
けれど、それも長くは続かない。
そのうちオリヴィアが俺を見ることもなくなった。
せめて怒るなりすれば話を聞いてやったのに、笑わないならいっそ泣かせてやろう。
あの時読んだ恋愛小説が過った。
大衆の面前で婚約破棄という恥をかかせれば、いくらオリヴィアといえども泣いて縋るはず。
そう思っただけなのに。
オリヴィアはチェスターにエスコートされ、見たこともない笑みを浮かべている。
俺は隣に立つアイラを振り払い、会場を後にした。
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