7.「撃襲兄妹」

『──次は曙橋あけぼのばし。お降りのお客様はお近くの降車ボタンを押してください』


 バス運転手のお決まりアナウンスを耳にしながら、橙色オレンジに染まるビル群を窓硝子ガラス越しに見つめる。


 この形作られた全てが、人間たちが何十年という年月を掛けて造り上げてきた社会の技術と文明の進化たる所以ゆえん

 夜には各地で明りが灯り、闇の恐怖を消し去る。

 人間はもう月光だけでは満足できないのだ。




 窓から顔を離して、ふと前へと視線を移してみる。


 周囲から幾度と感じる視線の数々、見世物のように俺たちは何度も一瞥されているのが一番後ろの席からもよく見えた。


 無理もない、右眼の代わりに大きな傷跡が残っている俺と右腕の袖が破れている怪物姉さん──服を所々焦がしている男女が一番後ろに座っているのを視たら、誰だって興味を引く。

 の影響か一番後ろの席はあと三人程座れるというのに、人が多いバスの中で数名の客は前の手摺てすりに掴まっていた。


 アパート爆破から逃走した際の熱がまだ残っている──火傷をせずに済んだのは彼女のおかげとしか言えないが。


 バスに揺られながらも静坐している姉さんを一瞥して、今後の事を考えた。

 四宮よみや兄妹は追跡してくる。あの二人を振り切って何処どこまで逃走できるか。其のうち応援も呼ばれるだろうし武器も少ない。

 正直言って状況は積んでいる。始めてしまった逃走に目標なんて大層なモノは無い、ただ生きるか殺されるかのマラソン。


 とりあえず駅前に降りたら一旦県外へ向かう、其れから今後どうするかは後で考えるしかない。




 しかし──怪物コイツを引き渡せば、本当に許してくれるのであろうか。




「……ん?」


 思考していると、姉さんはスカートのポケットから音を鳴らしてグミの袋を取り出した。

 そのまま封を開け、色とりどりあるグミの中からブドウ味を摘まんで無表情のまま頬張りだす。

 バスで食事など論外だが、別世界のモンスターにそんな常識通用するわけが無い。

 袋の音を鳴らしながら食べるため奇異な視線は更に集っていき、居心地が悪くなっていくが此処ここは耐えるしかない。


 『まぁどうせ変な目で見られるんだし』と俺はグミの袋に手を突っ込み、四つ程頬張った。

 今後いつ食事にありつけるかも解ったものでは無い、食えるうちに食っておこう。

 様々な果実の味が口の中へと広がるのを噛み締め、取られたにも関わらず姉さんは何事も無かったかのように黙々と一個ずつ食べ続けた。


 二人でグミを食べ続けていると、一つ前の席から女の子の視線を感じた。

 ランドセルを背負った少女は、不思議そうに此方こちらを眸に捕らえて離す気配はない。

 すると姉さんは其の視線に気づき、ゆっくりと少女に握り拳を伸ばした。


「おい、やめろ」


 攻撃をする可能性もあると感じて、彼女の肩を掴みながら小声で呼びかける。




 刹那、姉さんはパッと拳を開いて──リンゴ味のグミを見せた。




 女の子がグミと姉さんの顔を視線で行き来きさせながら受け取ると、姉さんは静かに姿勢を戻した。


 初対面の人間に物をあげる……? そんな事、いや、今まで人と合わせないようにしてから其れを知らなかっただけなのか。


 少女は姉さんからグミを貰うと満面な笑みを溢す。


「ありがとっ!」


 初めて怪物姉さんが人に感謝された、今まで一度もしてこなかった事が今日のうちに二度も発生している。

 どういった心情の変化だろう。


「──歌舞伎町、歌舞伎町です」


 バスが停止すると後部扉が開き、人が次々と出ていく。

 駅に着くまでに何とか最適な逃走経路を考えなくては、電車だけでは矢張やはり心許ない。






 其処そこに──突如とつじょ空気を切り裂くような暴音が響きだした。

 伏せる瞬間、視えたのはだった。





 学校や仕事帰り、遊びに行く為と後部扉から降りて行った人々が激しい音と共に血を噴き出してドミノ倒しのように倒れていく。

 扉前に座っていた人たちにも弾丸は命中し、硝子が激しく割れだす。

 何に向けて必中を狙っているのか──乱雑に放たれていた弾から目標を想定することなど容易たやすい。


 そして両手で二丁のアサルトライフルを撃ちながら人々を踏みつけて、コートを翻しながら一人の男が緩やかな足取りで入って来た。

 渋い顔をしながらも入って来たセンター分けの男は銃爪ひきがねから指を離さず、を夕陽に煌かせる。




 爆破といい、四宮兄妹奴らことを荒立てるつもりか?


 運転手やその他の客も大勢撃ち尽くされ、痙攣しながらもまだ息がある人を踏みつけながら枷器かきさんは場違いな聲で喋りだした。


「ちとやりすぎやなコレ。映画みたいに両手ライフルで掃討って試してみたかったんやけど、片手は反動エグすぎて当てたい所に当たらんわ。

 うん、戦闘向きやあらへんな」


 試し打ちをした感想を呟きながら枷器さんは蜂の巣と化したバスの中で手際よく二丁分の弾倉を取り換えて、俺たちがいる最後尾へとやって来た。

 蹲る事で運よく回避した人たちを素通りし、最後尾に来た枷器さんは陽気に手を挙げて「よっ!」と笑みを浮かべる。


「いーひん思たら、後ろに座っとったんかい! 前の方に座っとったら人はのに……あっ、『君のせいで大勢がこうなった』とか阿保アホらしい事は言わんで。撃ったのは俺なんやさかい」


 俺を擁護するかのような優しい聲を掛ける──だからと言って、虐殺など言語道断ではないか。




「……うぅ……うぅああ……まぁ……」


 掠れた様な呻き声が聞こえてすぐさま視線を移すと、先程の少女が肩と喉から血を流して呼吸ができない事に藻掻き苦しんでいた。


「大丈夫? 痛むか?」

「ひっ……! あぁ……あ、あ……」


 すると枷器さんは少女にあげたグミを踏み潰しながら腰を落とし、容態を確認しようとするが少女は乱射した彼に怖れをして其れ処ではない。




「枷器さん。目的は俺達でしょう、他の人は関係ない」

「……其れもそうや──」


 と、左手に持っていたアサルトライフルで少女の頭を撃ち抜きだした。

 頭蓋骨の破片や脳漿が飛び散り、粉々になった少女の顔から血が毀れていく。


「どうせ短かったんや、苦しんで死ぬのは嫌やよな……はぁ、もう二丁ライフルは絶対しーひん」


 感傷に浸る様な口ぶりで枷器さんは二度と動かない少女の隣にライフルを一丁捨てた。




 刹那──冷酷な表情で残っていたアサルトライフルを姉さんへ向けるも、瞬時に変えた触手で弾丸は全て防御されてしまう。

 其の隙を突いて姉さんの触手の隙から取り出した銃を構え、一弾解き放った。


「──ッ!!」


 されど、当たったのは左耳にあるリングピアス一つだけ。


 破損した衝撃を受けて枷器さんが耳を抑えている隙に、俺たちはバスの窓硝子を突き破って道路へと脱出した。


「ま、待てやって、麗君! ソイツ殺したら許すから! 戻って来てやぁ!」


 情けなくも本音であろう声を聴きながらも、手を繋いだまま街中へと駆け込み攪乱かくらんを狙う。

 時間稼ぎにしかならないが人混みを走り続け、敵が追いかけられない所まで逃げて行く。


 十分ほど逃げ続けて人がいない裏路地に逃げ込むと、肩で息をしながら壁へと躰を預けた。

 姉さんはというと、息切れ無くただ黙って路地の向こうを見つめているのみ。


 闇の中に身を隠していると、先程の少女の遺体が脳裏に蘇りだして両肩を掴んだ。


 幼少期、母と姉さんと家の当ても無く途方もない貧民生活を送っていた。

 貧民街の人が通る道には、時折餓死した人間やリンチにあった人間、銃で殺された人間が落ちている事があった。

 野良犬が食べたり、時々痩せこけた人間が持ち去っては隠れて食べていたりもした。

 食べるものもなければ人間も食料すら食料にしてしまう。


 姉さんが初めて仲良くできた他人、笑顔を見せてくれた少女──其の末路があんな形。

 事実だが、幾ら死体を見てきたとしても矢張り夢見が悪い物は悪い。


 


 そうしていると──路地の向こうから足音が聞こえだし、視線を移して俺は気持ちを整えた。


 ゆっくりと、俺たちの前に姿を現すは




 そんな見知った女に聲を掛ける。


「最初から、この為だけに学校に来てたんだよな?」


 小さな手に不釣り合いな大きめのアタッシュケースを持って、彼女は小さく頷く。

 其れに対して『俺を騙していたんだな』などとは思わなかった。


が終わったらお前、そのまま学校に通うのか?」


 問いてみるが影から見える彼女は唇を小さく噛むだけで返答はない。


「俺を殺しても……ちゃんと学校通えよな」


 れは本心だった。

 四宮袋奈たなは友達だと思っているから。




「俺より友達多いだろ、悲しむ人間たくさんいんだろ……。

 だから……まぁせいぜい頑張れ──よッ‼」


 姉さんの手を引っ張って袋奈がいる一方通行を奔り──彼女を抜き去ろうと実行に移した。




 ──抵抗するなら其のアタッシュケースからでも、口の中からでも武器を出してこい。




 しかし、袋奈はあろうことか武器も出さないままアタッシュケースを此方こちらに向けた。

 の動作だけで刹那──






「……と、止まって!」


 小さく動いた唇──突如、弾丸が路地内を飛び出して走る俺達を襲いだした。

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