4.「格好良い男とは如何に」

「あっっぶね! ギリセー!」

「大丈夫? お兄ちゃん」

「あん、容器の中にスマホ落とすとこだっただけや」

「スマホ片手に作るからだよ……」


 慌てた様子で落とし掛けたスマホを手に取り、センター分けの男──袋奈たなの兄は笑みを浮かべ、台所で他愛も無い会話を交わしていた。


 両耳にピンク色のピアスを大量に付け、不敵な笑みを常に維持──そんな男が台所に立ち、夕食を作っている。

 嗅いだことの無い香ばしい匂いがリビングを包みだし、注意されてもなおスマホ片手に土鍋を掻き混ぜていた。


 袋奈の家は近場の駅から約二十分程にある二階建て住宅で、一階はドレスの店となっている。──家の中はというと、彼女の性格に相まってか質素で片付いていた。

 言われるがまま成り行きで夕食に誘われ、袋奈の兄と初めて会ってから調理時間まで彼は終始笑みを絶やさなかった。

 の様子が不気味だと感じてしまうが、『食事を御馳走してくれる人間に対して失礼』とも内省ないせいしてしまう。


 彼の腰に巻かれているエプロンをちらり見る。


 ──。俺も持っている、買って一度も使ってないけど。


「はい、お待たせしました~。ビーフシチューでございま~す」


 男は嬉々とした様子で器用にも三人分の皿を持ってきて、テーブルの上へと置きだした。


 『ビーフシチュー』と呼んでいた食べ物、カレーとよく似た色合いをしているが匂いが全く異なるうえに名前にシチューが付いているときた。ちゃんと牛肉も入っている。


「これ、シチューなんですか?」


 既に置いてあったサラダと見比べながら、そんな事を聞いてしまう。


「そやけどぉ……なんやけったいなこと聞く子やなぁ~」

れい君は外国暮らしだったから、ビーフシチュー知らないんだよ」

「ほぉん、外国の方が食いそうや思うけどなぁ。

 ──ほんで、麗君か」


 男はどのような物かと味見をするように俺の名を初めて呼び、発音を舌に馴染ませる。


「んじゃまぁ、いただきます!」

「いただきます」

「い、いただきます」


 ぎこちなそうに聲を出すと、最初にビーフシチューを口に含んだ。

 食べた瞬間カレーとは似て非なる酸味と肉のほのかな甘味が舌を刺激し、大きめにカットされていた肉が口内で溶け、喉を伝りだした。


「……おいし」


 つい、小さく呟いてしまう。


「ほぉぉぉぉ! 嬉しいこと言うてくれるなぁ! 口に合うか心配やったんや! 家庭によって味の濃さもちゃうから」


 咄嗟に呟いた俺の感想を耳にし、男は歓喜して双眸を光らせた。

 『家庭』と言われても、初めて食べたのが四宮よみや家なので俺にとっては此れが初めての味だ。

 それにしても美味しい、肉どころか野菜も全て柔らかい。




 あっという間にサラダも食べ終わり、食器をシンクに置き「美味しかったです」とまた言ってみる。


「せやろてぇ」


 笑顔で軽くそんな返事をする彼に視線を合わせながらも、机を拭いている袋奈を一瞥いちべつし、そのまま話し掛けてみる事にした。




「今日、妹さん。襲われかけてたんです」




 衝撃的な事を言われても尚男は笑顔を保ったままだったが、少しだけ口角が下がっている様にも視えた。

 俺からの告白に袋奈はバツが悪そうな表情で俯きながら、布巾を持つ手を止めていた。


「……どないな奴やった?」


 束の間を沈黙を捨てると、笑顔のまま一トーン下がった聲で男は問いてくる。


「一人はスーツの男性で清潔感のある人で。もう一人は小柄で地味目、最後の三人目は髪の一部をピンクと水色にしていました」


 「うんうん」と頷いて全員の特徴を聞き終えた瞬間、男は何かを思い出しかのように目をつむりだした。


 そして三秒程また沈黙が戻り、男は袋奈の方を向くと実の妹に深々と頭を下げだした。




「……ほんまスマン! 袋奈!

 怖い思いさせたな……兄ちゃんが全部悪いわ」


 今までの飄々とした態度からは有り得ない真剣な態度で謝罪し、袋奈は戸惑いながらも彼に近づき後頭部を撫でた。


「ううん、お兄ちゃんは悪くないよ」

「いんや、こら全部兄ちゃんが巻いた種や……」


 頭をゆっくりと上げると男は近くにあった椅子へと眉間を抑えながら腰かけ、ゆっくりと天井を静視しだした。


「麗君、俺はキャバドレ──キャバクラのドレスを作って生計を立てとる。せやから仕事柄、嬢と話したり遊びに行ったりする事もあんねん。お得意様で超人気な子がおってな、その子ファン多くて……今三人くらいヤバいのがいるって愚痴とったわ。

 スーツはちょいわからんけど、童貞臭いっちゅうチビとサーティーワンみたいな色した頭の馴れ馴れしいヤツ。きっと其の三人で間違いあらへん。

 まさか協力して袋奈を狙いに来るとはな……チッ、ストーカーの誰かが俺をお得意様の彼氏やと勘違いして、腹いせに皆で袋奈を攫おうとしたんか……」


 相手にも自分にも苛立った様子で男はそう推測し、深い溜息を溢した。

 成程なるほど、そういう経緯か。

 其れに似た状況を、深夜のナイトワーク密着番組で怪物姉さんと一緒に視たことがある。


「でも大事なかったです、全員俺が倒しといたんで」


 安心させるべくそう話すと、片手で頬を抑えたまま男は上目遣いで呆気に取られた様子で──先ほどの様な


「……そうなん?」

「三人とも倒して袋奈を連れて行ったんです。

 その時の袋奈凄かったですよ。手を突っ込んでしまたからね、口に」


 と、口を大きく開けて手を入れる動作を真似てみせる。


「えぇ~……なんで手を突っ込んどんの、袋奈」

「い、いや、何か怖くて……」

「いやいや、だからって手ぇ突っ込む女おらんやろ」


 すると手に口を入れようとした話が気になってしょうがないのか、いつの間にか話は襲撃から別の物へと変わり、先程までの暗い空気は完全に薄れてしまった。

 れが四宮兄妹なのだろう、と肌で感じる。


「あぁ~……いやでもまぁ、おおきにな麗君。

 偶然やとしても嬉しいわ、ほんま感謝してもしたりひん」


 そう言って小さく頭を下げた男の貌は、完全に元の笑みへと戻っていた。


「袋奈には迷惑掛けっぱなしやな。試着モデルして貰ったり、留守の時は家の片づけして貰ったり……『売女キャバの服ばっか作ってる』って前の仲間から鼻で笑れたこともあったけど…………俺な、麗君。将来の夢は袋奈のウエディングドレスを作る事なんや。妹の晴れ姿をこの手で作って見てみたい。

 但し! 俺が認める男を連れてきたらの話やけどな! はははっ!」


 陽気に笑い夢を語る男の貌は真面目であり、とても人生を楽しく謳歌している様に視えた。

 俺もこんな人になってみたいと思ってしまう程に。

 「もう!」と照れながらも袋奈に怒られると男はスマホを確認した途端、「アカン!」と勢いよく椅子から立ち上がりだした。


「明後日の打ち合わせに呼ばれとるんやった! お得意様だから是非来てほしいって招待されとるんや!」


 男はリビングから出て行き、バタバタと足音を鳴らしながらも急いで廊下を駆けて行った。


「……良いお兄さん」

「時々困っちゃうこともあるけど……たった一人の家族だから、私は好きだな」


 袋奈の落ち着いた聲にそう言えばと思い返す。

 玄関に靴は二人分ほどしか無かったし、他に誰か住んでいる様子も無かった。

 俺と同じで両親がいない、いるのはたった一人の兄だけ。


 しかし俺の方は──


 すると直ぐに男は足音と共に戻ってきて、慌てた様子でシャツのボタンを閉めながら聲を掛けてきた。


「すまんなぁ! もっとお話ししたいところやけど今日はお引き取り願うわ! バス停まで送ったるさかい!」

「は、はい、ありがとうございます」


 そう言うとニコリと微笑んで、男は洗面台へと向かって行った。


 ※


「そうか……袋奈、学校でちゃんと友達作っとるんやな」

「はい、とってもいい子ですよ」

「ははっ……そりゃあ良かった、安心するわ」


 繁華街の外側を男二人で歩き、学校の袋奈について聞かれていると彼は何かを思い出したかのように「あ」と大きく呟いた。


「そういや袋奈から聞いたけど、バイト探しとるんやっけ?」


 唐突な事に「え」と、つい間抜けな聲が出てしまう。


「はい……指と目が無いから、ほぼ落ちてるんですけど……」

「ふぅん……せやったらうちで働かへん?」

「え⁉」


 今度は大き目な聲が出てしまい、バス停前にいた人たちが一瞬此方を向いた。

 自分でも久しぶりに大きな聲を出して、少々驚いてしまう。


「どわぁ! そんなデッカイ聲出せるんかい! ビックリしたわぁ」

「す、すみません。突然のことでつい……」

「まぁ、お手伝いみたいなもんだから専門知識なんていらんし、何かあったら教える。──何より」

「何より」


「気に入った、入谷麗いりや れい君」


 彼の言葉を聞いた途端唐突に喉が詰まりだして、心が締め付けられた。


「……あ、ありがとうございます……!」


 一瞬言葉が浮かばなかったが、何とか言葉を紡ぎ出した。


「俺の名前は、四宮枷器よみや かき

 上も下も気に入った人間にしか自分から名乗らへん。上下どっちも教えたのは、君を超気に入ったからや」


 言葉選び、そして余裕ぶり、れが格好いい大人かと心が高鳴る。

 運命の出会いとは、まさにこの事だと実感してしまう。


「んじゃ、明日学校から家に帰った後でまたこっち来てや。ほぼ採用みたいなもんだけど一応面接はするからな」


 それはそうだ、と自分を納得させ「はい!」と頷いた。


「ほななー」


 と、軽いノリで背を向けて去って行く彼の後姿に俺は指を二本欠損した左手を大きく振って、バスへと乗り込んでいく。


 車内にいても気持ちは一つも変わらなかった、バイト先が決まったかもしれない。

 人に危害を加える以外の初めての労働、袋奈に感謝しかない。


 こんな時、姉さんはいつも褒めてくれてるのにな……頭を撫でて。

 この世にいないという現実がやはり悲しい──






「あっ」


 姉さんアイツのこと、忘れてた。



「……ハッ、ハッ、ハァ……た、ただいま」


 バスから出た瞬間──現役時代平均以上の速度で夜道を走り抜けて家に戻り、テレビがついているリビングへけ込むと姉さんはベッドの上で枕を抱きながら寝転がっていた。

 俺の存在に気付きベッドに腰かけたまま起き上がると、枕を抱きしめたまま此方こちらを睨みだした。


 まるで殺し合っていた時の様な眼差しを姉の貌で向けているとベッドから離れ、机に置いてあったチラシへと指を差しだした。


 週一で来るピザのチラシ──Lセットピザ二枚+フライドポテト+チキンナゲットパーティーセット。


 れを食いたい──と言いたげに半目で睨み、指で何度も突き差しまくっている。

 無言が続きながらも俺はチラシを見ながら、嫌々スマホに番号を入力した。


「──もしもし……はい、パーティーセットの宅配を……あぁ、えーっと……」


 メニューを口にしながら、俺はふと水垢一つない綺麗なシンクを見つめた。

 ここに来て水道水を飲む以外に使った事もなく、料理なんて一度もした事ない台所。


 枷器さんのビーフシチューが脳裏を過り、姉さんコイツは何が一番好きなんだろうと考える。


 どうせ嫌いな野菜以外何でも食うだろ、とすぐに結論付いてしまった。

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